朝食
少し長かったので分割しました。前
視界いっぱいに広がる水弾から目が話せずじっと見ていると、水弾は急にくるりと向きを変え、湖に向かって自ら突っ込んでいった。
「??」
『……大丈夫?』
今の事態に驚いた様子のないクレスが心配そうに尋ねてきた。
「あ、うん。……クレス、今のは」
「メルティア様! クレス様!」
何が起きたの、という言葉が続く前に、ユアさんが慌てて走りよってきた。よく私たちの居場所がわかったなあ。
「お二方様とも、お怪我はありませんか?」
「あ、はい。あの……何が起きたんですか?」
「それは……」
「――――おい」
ユアさんの後ろから足音が聞こえてきたと思ったら、凄く聞き覚えのある苛ついた声が聞こえた。
「…………」
「…………」
私もクレスも、条件反射的に固まってしまい、動けない。
「……あいつのあれ、いまだに治ってねえのか」
「……最近ではもう治らないのではないかと諦めているところです」
「……」
舌打ちにも物凄く覚えがある。出来ることなら振り向きたくない。しかし振り返らなければ後が怖い。クレス? こういうときはわざと意思疎通をしないやつなんです。
首だけをどうにかギギッと回す。それが精一杯だった。体は恐怖に屈してしまっている。そう、あの孤児院に住んでる子供だったら誰もが理解している、パッと見優男なのに誰よりも厳しい罰を与えてくる――――。
「ジール先生……、どうしてここに?」
院で送り出されて以来、約二日……いや、出たの朝だからほぼ三日ぶりの再会だった。
「どっかのアホなガキどもが問題を起こしたと聞いてな」
ですよね。
目を泳がせる私たちを一瞥したジール先生は、溜息をつくと視線を離れに向ける。離れでは再び水弾攻撃が始まっていて、撃っては弾かれてあちこちに飛んでいってを繰り返しているが、その度に比例して離れはどんどん壊れていっている。
「…………離れは沈めてしまっていいのか」
「はい。毎朝のことなので」
毎朝なの?
「さすがに水の中に沈めば起きてくださるので、いろいろ試した中では一番被害が少ないんですの」
「……え、起きる?」
どういうこっちゃ。毎朝やってるらしいこれは、誰かを起こすための行動? どんだけ寝起きの悪い人なの。ていうか、その人って…………。
「あの、あそこの離れで寝てる人って……」
まさかとは思うんだけど……。
「…………おそらくメルティア様のご想像している通りだと思いますが、ひい様です」
ありゃりゃ。
「――姐さんは凄まじく寝穢くってなあ。寝ながら害意があると感じた行動すべてに反応してくるもんで、誰も近寄りたがらなくってよ」
そういってジール先生の後ろに歩いてきた人は、見覚えのない男の人だった。
さらりとした金髪に鮮やかな碧色の眼をしたその人は、布の塊を肩に担ぎ眠そうに欠伸をしながらジール先生の肩越しにこちらを覗き込んでくる。
「意識があるときに会うのは初めましてだったな。俺はチャグ。まあ姐さんの部下とでも思ってくれや」
姐さん……てやっぱりサシャさんのことだよね。というかなんでここの人達関係性を断言しないんだ。
「えと、チャグさん……? 意識があるときって……」
「お、坊主と違って嬢ちゃんは礼儀正しいな。姐さんがあんたらを助けた時に俺もいたってだけさ」
え、助けたって…………どう考えても船での話だよね。
「そ、その節はお世話になりました…………?」
「うんうん、状況が理解しきれてなくても礼を言ってくるあたり、素直な子だな。俺ぁてっきり、嬢ちゃんも姐さんや坊主みたいにめんどくせえ性格してんのかと…………」
突然、グリンと向きが反転し視界がぶれる。
「ぅぇ……」
この体勢で振り回されるのはちょっときつい。大体、チャグさんがまだ話途中なのに向きをかえるの、礼儀としてはよくないよ。
「クレス、いきなり動かないで」
『ごめん』
と文字で書いてくるけど、本人に悪びれた様子はない。急になんなのさもう。
『メルティア、あれ』
「……なに?」
クレスに呼びかけられチャグさんに詫びを入れつつ離れへ視線を戻すと、丁度離れを水中から支える柱が何本か無残にへし折れ、自重で傾き………………あ、沈んだ。
湖の中心は結構深いのか、離れは屋根の天辺まで全て沈んでしまった。
「【属性は強化 形状は無 対象は自身 性質は視覚 発動】」
あんまり上げ過ぎても負担が強いから調節は正確に……っと、見えた。
少しばかり視力の上がった視界に映るのは、静かな湖面だった。波紋の収まった水面には、気泡一つ浮かんでいないように見える。
え、やばくない?
と、思った瞬間、湖面が勢いよく盛り上がる。
湖の水を勢いよく跳ね上げ飛び出してきた人影は、んー…………サシャさん、かな。いや、私サシャさんとは街で少し話しただけだし、あの人顔をほとんど隠してたから銀髪の変わった人って印象しか残ってないんだよね。
そのサシャさんらしき人は、左手にお面を持ち、右手で顔を覆っている。そこまでして顔を見られたくないのか…………。
そのまま、サシャさんは離れと本館を繋いでいる崩壊を免れた渡り廊下の屋根に着地して、器用に欄干を乗り越えて通路に立った。あ、そっか。廊下は元々離れと繋がっていた訳ではなくて、間に飛び石があり、近い距離で切り離されていたらしい。だから離れがどんなに壊れようと廊下のほうに影響はないんだね。
「少し失礼します」
いつの間にかタオルを持ったユアさんが横を通り抜けて、サシャさんのほうへかけていく。無事とはいえ全身びしょ濡れであろうサシャさんの為のその行動は手馴れているもので、確かにこの光景が珍しいものではないと伝えてくる。
しかしあれだね。寝ているときは近づくだけで危険らしいのに、起きてすぐの状態は平気なのかね。寝ぼけてる場合もあると思うんだけど。
「気になるなら見てこい。ここで固まっていても邪魔だ。……あいつは一度目を覚ませばむやみに攻撃はしてこない」
気になっているのを見透かされたのか、ジール先生に後押しされる。そのままジール先生は来た道を戻って行ってしまった。チャグさんが何も言わずついていくあたり、この屋敷の構造を把握してるみたい。
サシャさんとジール先生、昔っからの知り合いみたいだけど、そうなるとあれだね、サシャさんも年齢詐称タイプの人なのか…………。いや、うん、雰囲気とかでそんな気はしてたけどね。
『メルティア、どうする?』
私を持ち上げたままのクレスがどうするか問うてくる。本人は心なしか嫌そうな顔をしている。というかなんでそんなにサシャさんを苦手そうにしてるの、君。この短い間に何があったのさ。
「ん……、朝の挨拶ぐらいはする」
『……わかった』
嫌々ながらもクレスは私の足代わりとなって動いてくれる。でもねクレスさん、私歩けないわけではないのですよ。そりゃあ確かに少しふらつくかもしれないけど、怪我をしてるわけでもないんだから、そんなに嫌なら私を下ろして待っていればいいのに。考えなかったのかね。あ、実はクレスもお腹が空いていて早く済ませたかったとか? 言ってくれれば後回しにしたのに。
「クレス、お腹空いた?」
『いや別に』
違ったらしい。
「………………!」
「 」
「……、………………」
「 」
離れの渡り廊下に近づいてみると、すでにユアさんがサシャさんの頭にタオルをかけ、わしゃわしゃと拭いていた。近くに水弾攻撃をしてた人がいるのかなと思ってたけど、見回した限りでは二人以外に人影はない。
「ひい様、湯浴みの用意は出来ておりますので、すぐにお入りくださいね」
「 」
妙だな。二人で話してるはずなのに、声がユアさん一人分しか聞こえない。
ユアさんの話しかけにサシャさんは頷いてるし、会話はしてるんだろうけど、喋ってるのはどう耳を澄ましてもユアさんだけだ。
「?」
念話でも使ってるのかな?
不思議に思いながら近づくと、サシャさんが顔を上げ、ユアさんの肩越しにこっちを見た。すでに顔にはお面をつけているので素顔はわからない。ちぇっ。
毎朝濡れることを前提としているせいか、サシャさんの寝間着はべったりとサシャさんの体形に沿って張り付いてるけど、生地が分厚いらしく、透けたりはしていない。体つきはまあ、サシャさんの外見年齢からすれば悪くないもので、シャルさんみたいに主張が激しい訳でもなく、憐れなほどに平べったいのでもなく、動きに支障がないぐらいには出て引っ込んでいるバランスのいい体型だった。
こういう体型は素直に憧れるなあ。
「それとひい様、お客人の方が起きられたので、なるべく早く、広間の方へお越しください」
「 」
「え?」
サシャさんになにか言われたのか(聞こえない)、ユアさんが驚いた表情で振り返り、こっちを見る。今のを見た限り、やっぱりユアさんと意思疎通はできてるらしい。
「お二方とも、申し訳ありません。今、広間の方へ案内致しますので、少々お待ちください」
「いえ、私たちが勝手に来ちゃった、から……………………あの、おはよう、サシャさん」
「 」
「?」
サシャさんが口を開く、がやっぱり何も聞こえない。代わりにキーン、と微かに耳鳴りがする。
「?」
サシャさんの方も反応のない私の様子を変に思ったのか、怪訝そうな雰囲気に変わる。
「あの、ひい様……、声が出ていません。それですとメルティア様には聞こえませんわ」
「 ?」
「はい」
ユアさんの言葉を受け、サシャさんは一度咳をすると喉に手をあてた。
「……、……ー、……あー、あー、これでいいか。すまんな、まだ少し寝ぼけていたようでの。聞こえるかの?」
あ、今度は聞こえた。
「……聞こえる」
「そうか。おはよう、メルティア嬢、クレス坊」
『坊と呼ぶな』
「妾にとっては坊さ。いつまででもな」
ありゃ、嫌そうな顔してるけど案外打ち解けてる? サシャさんとクレス。まあクレスが無視できない人なだけかもしれないけど、サシャさんは。
「……声、聞こえなかった」
「あー……、それはまあ、理由があるが、後で話すとしよう。おぬしとて他に聞きたいことなどまだまだあるだろう?」
「……教えて、くれるの?」
てっきり、今回のことについては公言するなか忘れろとでも言われるかと思ってた。
「関わってた中で一人だけ蚊帳の外、というのもつまらんだろう」
いや、こっちが勝手に首突っ込んで自滅しちゃっただけなんだけどなあ。
「まあついでに、こちらからも伝えなければならんこともあるしの」
「?」
「……ひい様」
「――ああ、わかっておるさ。おぬしらは食事でもして、のんびり待っているといい。ここの味は保証できるからの」
サシャさんは私の頭をくしゃりと撫で、クレスににらまれ笑いながら本館のほうへ入って行き、すぐに姿が見えなくなってしまった。
「ではメルティア様、クレス様、こちらへどうぞ」
「……クレス」
『わかってる』
うう、改めて言われると本格的にお腹が空いてきた。
今度こそおとなしくユアさんについていく。
ユアさんにつれてこられた広間には、先に行ったジール先生がいた。チャグさんの姿はない。
「……チャグさんは?」
「あいつは自分の住処に戻った」
え。近くに家があるの?
「…………あいつの本性は獣だぞ。普通は山に住む」
「裏の山に一族の方々とともに住んでいますよ。ここには基本的に通いで来てもらっていますので」
ジール先生の説明に補足を入れたユアさんは、広間の真ん中にでかでかと位置する座卓の上に食事を並べていく。
「ジール様とクレス様はこちらの席にお座りください。メルティア様は起きたばかりであまり食べられないと思いますので、こちらを用意させていただきました」
それぞれ指示された座椅子の前には、クレスとジール先生の前にはスープ、サラダ、パン、それにオムレツが出されている。周りが和風なだけに、料理も和食かと思ったけど、普通に洋食だった。
私に出されたのは、米を野菜や茸などと一緒にスープで柔らかくなるまで煮込んだもの――――名称的にはカイズという料理なんだけど、前の世界でいう雑炊の一種で、中身は地域毎に異なってるけど、おおよそ病人食と言えばこれで、私もよくベリーさんの作ったものにお世話になってる――――が、出された。病人食と侮ってはなかれ、味付けは料理人の腕にもよるけど、上手い人のはほんとに旨い。
「……とっとと食え」
気づけば、ジール先生は食前の挨拶もそこそこに、早速料理を平らげ始めていた。
『メルティア、大丈夫。毒は入ってない』
え、いや別にそういうことを気にしてるわけじゃあ、なかったんだけど……。
「……いただきます」
まあ、いいや、冷める前に食べちゃおう。
「………………」
「…………なんだ」
「……なんでもないです」
そういえば、ジール先生が普通に食事しているとこ、初めて見たかも。いつも自分の部屋で食べてるらしいし、あまり食堂に顔を出すこともない。まあ似たようなことやってる人も他にいるけど。
食べる時ぐらいは素顔が見れるかと思ったけど、残念、ばっちり隠されてる。他人の家でそういうのもあれな気がするけど、ユアさん何も言わないし、こっちが言うのもなあ。
ユアさんが何も言わないのって、やっぱり先生の性格を知ってるからかな。
「ジール先生は」
「あ?」
「サシャさんとは、どういった関係なの?」
「――――ッッ!!?」
噴いた。見事に口に含んでいたスープが気管に入り込んだらしく、ゴホゴホとむせている。
というか何その反応。
『愛人か』
「――違うに決まってんだろっ!!」
「……クレス、そういう言葉、使わない」
『ごめん』
どこでそんな言葉覚えたんだか。
「……いや、そうじゃねえ。一応聞くが、その名前、誰だ?」
ようやく落ち着いたのか、息を整えたジール先生は口元をひきつらせ、嫌々尋ねてきた。
「サシャさん? えーと…………ひい様?」
ですよね?
「はい、そうです」
ユアさんが頷く。ジール先生の反応を予想していたようで、さっとタオルを渡している。
「……あいつそんなもん名乗ってやがったのか」
あ、そういえばジール先生の前でサシャさんの名前出したの今が初めてだったか。
しかしそんな微妙な顔をするほど変な名前かな。
「そういえば、ひい様が今名乗っている名前は、ジール様と初めてお会いした時にも名乗っていた名でしたね」
「思い出させんな」
へえ、ジール先生にもどうどうと偽名宣言したのか。
「あいつ俺が関わってると知って名乗ったのか……?」
「いやあ? そこらへんは偶然だのう。なんとなく似たような雰囲気は感じていたが」
風呂上りなのか、髪を高く結わえたサシャさんが、ゆったりとした着物に上掛けを羽織り、広間に入ってきた。ホカホカと湯気がうっすらと見える割には水滴は見当たらない。完全に乾いているみたいだ。
「それで? 何を話していたのだ?」
サシャさんはユアさんが引いた座椅子に座り、お面越しでもわかる面白そうなものを見る表情で笑いながら尋ねてくる。
「ん……ジール先生とサシャさんの関係は? って」
「なんだ、そのようなことか。簡単さ、妾はジーさんの…………」
「た だ の ! 腐れ縁だ!」
サシャさんの言葉を遮ってジール先生が横から叫んできた。
「…………だそうだ」
腐れ縁っていっても、どんな縁なのさ。サシャさんはにやにやしてるし、ジール先生はむっつりと不機嫌顔だ。
「こいつは、院の出資者の一人だ」
むすっとした声でジール先生は答えを言う。
院て…………スフェック孤児院の? あ、だから詳しかったんだ。
「むかーし、賭けをしてのう。結果、ジーさんの手伝いをすることになってしまってな。ここしばらく顔を出してはおらんかったが、偶に遊びに行ったりもしていたぞ」
扇子で扇ぎながら、サシャさんはあっさりとネタバラシをした。聞いた限りでは別に、言うのが嫌な間柄でもない気がするけどなあ。そこは本人たちの問題か。
サシャさん自体は面白がっているみたいだけど、ジール先生は反対に不貞腐れている。まあ、苦手ってだけで嫌いなわけでもないんだろう。ここにも何度か来たことがあるみたいだし。
「これで妾達の関係については知れたか?」
「……ん」
「では、続きは飯を平らげてからにしてはどうじゃ? ユアがデザートも用意しておるぞ」
気づけば、私はまだ皿の半分ぐらいにしか手を付けてないのに、クレスとジール先生はおかわりまでしていて、しかもそれも後もう少しで食べ終わろうとしていた。早いよ!




