サシャの屋敷
――――暗い。まっくらだ。
体は何か水の中に沈んでいるようで動かしづらいが、何故か呼吸に支障はない。
瞼はピクリとも動かせず、自分が今どのような状況にあるのか確認すら出来ない。
――突然、大きな揺れが起こった。
体感的にそう感じただけであって、実際に何があったかはわからない。ここには、音も、情報も、何も届かない。
――だから、私はその降って現れた光に手を伸ばした………………気がした。
目を覚ましてすぐに目に入った天井が木目調。
「…………っ」
え、どこ? ここ。
異様に体が重く、ゆっくりと上半身を起こす。その際、額からなにかずり落ちた気がしたけど、それよりも目に入った光景に意識が引き寄せられた。
「……わし、つ?」
見間違えでなければ、今まで私が寝ていたらしいこの部屋は、扉は障子張りの引き戸、床は畳敷きの、まごうことなき和室だった。
床の間や床脇のなかったり、畳の敷き方がおかしかったりするやや変則的なものではあるけど、この部屋を見て洋室とは思わないので和室あるいは和室っぽい部屋でいいだろう。
「……?」
いまいち事態が把握できない。どうして私はここで寝かされていたんだ? あと結局ここはどこなんだ。
ついでに私の今の状態もよくわからない。頭はすっきりしているけど、体の方は風邪を引いたみたいに怠く重い。そばには少し湿ったタオルが落ちていて、枕元には水の入った桶が、そして寝かされていたのはなんと今は懐かしい布団だった。けれど私が覚えてる記憶のものよりも大分ふかふかしている。寝心地はよさそうだ。というより実際よかった気がする。
着ている服は普段の寝間着のようなワンピースではなく、どちらかといえば浴衣に近い。この世界にもこういった文化ってあったのか。
とりあえず今の状況を客観的に見ると、熱を出した(多分)私をこの部屋で誰かが看病していた……かな?
問題はそれが誰かと言うことだ。
自慢にもならないけどこの世界に生まれてこのかた、ずっと孤児院育ちのある意味世間知らずなのだ。孤児院の人以外の人達を見たのだって街に来てからで………。
「そうだ。街で……」
カウルの街でクレスと一緒に祭りを見て回って、そのあとお使いを終わらせて、それから――、
「【――メルティアっ!!】」
とととっ、という足音と聞き慣れない声が部屋の外から聞こえたかと思うと、いきなりスパンと引き戸を勢いよく開け、その顔に珍しく焦りの色を乗せたクレスが現れた。
「……クレス?」
クレス? うん、クレスだ。服装は私と同じでゆったりとした浴衣を着ていて、右腕は骨折したときのような三角巾で固定されている。固定された布からはみ出て見える指先は、人の肌にはありえない水色の鱗に包まれ鋭い爪となっていた。
「…………っ!?」
記憶が一気に蘇る。そうだ、あの船で、双子が、クレスが――、
「――クレスっ! 腕が――…………あうっ」
「――――…………!」
クレスのそばへ行こうと布団を跳ね上げ駆け寄ろうとして、足にうまく力が入らず頭から畳に激突した。
悶絶していると部屋に入ってきたクレスに身体をひき上げられ、布団の上に戻される。
「……いちゃい」
「……?」
=大丈夫?
「………………うん」
正直に言おう。おでこと鼻が痛い。ちょっと涙目になってる。
「……………………」
=メルティアは、二日間も眠っていた。無理はしないほうがいい
「……二日?」
そんなに?
「……」
=そう
通りで、体が動かしづらく感じるわけだ。ずっと寝てたってことは何も食べてなくて、動いてすらもいなかったんだろう。確かにその状態でさっきの行動は無理だったかな。
「それでクレス、腕は……」
変化は、成人前に行えば後遺症のリスクを伴う方法だ。力は上がるかもしれないが、戻る保証もなく、下手をすれば命に関わる。それを、成長が安定どころか始まったばかりのクレスが行った。最悪の場合、クレスに何か命の危機レベルの影響が出てもおかしくはない。
「…………………………」
=時間はかかるけれど、ちゃんと元に戻れる
「本当に?」
コクりと、クレスは頷く。
「…………?」
=信じられない?
「……信じる。クレスは私には嘘をつかない」
どちらにせよ、私がどうこうできる問題ではない以上、クレスの言葉を信じる他ない。けれど……。
「あんまり、無茶しないで。クレスの傷付く格好は、見たくない」
「……」
=ごめん
「………… 無 茶 しないでね?」
「……」
=努力する
「……」
ここでしないと言い切らない辺りがクレスらしい。仕方がないか。
「…………」
クレスがじっと睨んでくる。
「……なに」
「………………」
=メルティアも、今回のような真似はもうしないで
「………………うん」
わかってる。今回私が助かったのは、たまたまだ。私一人の力では、絶対に助からなかった。それどころか、足手まといにしかならなかったんだろう。現実が見えていなかった。
私は、少し浮かれていたのかもしれない。この世界に生まれて、前の世界にはない不思議な力を身につけて、自分は何でも出来るようになったと思って。
世界は広い。この世界に住んでいるのはその不思議な力を当たり前に使いこなして、私よりもはるかに長く世界を生き抜いている人ばかりなのに。私よりもずっと強い人が向かう先にいてもおかしくないことだったのに。
見通しが甘かった。私は力も技術も知識も足りなくて、努力をしていてもそれは私だけではない。誰もが努力して、成長している。ここは絵物語でもゲームでも虚構の世界でもない。誰も私の成長を待ってはくれない。ここは現実で、決して私のためなどの都合のいい世界ではない。
わかっていたはずなのに、改めて思い知らされた。
「…………ごめんなさい」
「……」
=……でも
「……?」
「……………………………………」
=メルティアが、したいと自分で考えて、自分の意思で行動した。その事自体は、俺は否定しない
クレスは、ポンポンと私の頭を軽く叩いてきた。その動きは私を慰めるようでもあり、励ますようでもあった。
「……うん」
「………………」
=次からは俺も連れてってくれればいい
クレスの顔はふざけるどころか真顔なので本気なのか冗談なのか判別が難しい。
ただ、嘘か真かはともかく、クレスの言葉に目を潤めかせ、頭を預けようとしたところで、目覚めてすぐの疑問を思いだし、肩を押しやる。
「……?」
=どうかした?
「ここは、どこ?」
「……………………」
=後で教える。大丈夫。ここはメルティアにとって危険な場所じゃない
「……そっか」
大丈夫。クレスがそう言うなら大丈夫なんだろう。ここにはもう、私たちを殺そうとする人はいない。安全地帯だ。
「…………っ」
今度こそ視界がぼやけてきた。
「……っ!? …………?」
=ど、どうしたのっ!? まだどこか痛む?
「だ、だいじょうぶ…………」
どこか痛いわけではないのだ。ただ、ほっとして今になって恐怖がぶり返してきただけで。
怖かったんだ。
最後の記憶は少しおぼろげで、覚えているのは荒れ狂う海上に漂う船の甲板で、炎のスクリーンの向こうで笑う双子、それに立ち向かうクレスの背中。私はただその姿を見つめることしかできなくて――。
「…………」
ああそうだ。大切なことを言い忘れていた。
「……?」
=メルティア?
そっと、クレスの頬に触れる。
「…………――――ありがとう、クレス。助けに来てくれて、とても……嬉しかった」
「………!?」
=わらっ……!?
「?」
「……」
=いや、何でもない
「? そう?」
何か言いかけてた気がしたけど、気のせいだったかな?
「クレス?」
「…………」
=それより、体はもうなんともない?
何故か少し慌てているらしいクレスに、グイッとやや乱暴に目元を拭われた。
「ん。少し怠いけど、どこかが気持ち悪いってことはない」
「……」
=そう
「……それで、さっき聞いたけど、ここはどこなの?」
「…………」
=ここは、サシャの屋敷
「サシャ?」
つい最近聞いたばかりの名前の気がする。
「ここは、サシャさんの家?」
コクリ、とクレスが頷く。
「どうして、」
私たちがサシャさんの家に、と続けようとしたとき、それを遮るように私の腹からクゥ、というか細い音が鳴り響いた。
「……」
「……」
い、いたたまれない。お互いに返す言葉が無く、黙り込む。と、部屋の外から殺しきれなかったのだろう笑い声が聞こえた。
「……っ」
すぐさまクレスが振り返り、入り口を睨み付ける。
「――申し訳ありません。失礼でしたわね」
ゆったりとした声で謝り現れたのは、きっちりと着物を着つけた女の人だった。
いわゆる和風美人といった感じの人で、歳はパッと見二十代後半から三十代半ばくらい。綺麗な黒髪を結わえ着物を着こなしているその人は、前世ならどこかの旅館の女将さんかなと思うところだ。特徴と言えば、前髪で見え隠れする額の中央に、縦に細長い痣のようなものが見える。
「はじめまして、私はユアと申します。ひい様より、あなた様方の世話を仰せつかりましたので、よろしくおお願いしますね」
「……初めまして。私は、メルティアです。こちらは……」
丁寧な口調で挨拶され、ついこちらも敬語になる。クレスをちらっと見るが、こっちが促しても挨拶しようとしない。クイクイと袖を引くと、クレスは溜息を吐いて会釈だけ返す。クレスの失礼な返事にも関わらず、ユアさんはおっとりと笑ったままだ。何となく微笑ましい目で見られている気がする。
「ひい様よりお二人のことは伺っておりますから、経緯は把握させて頂いています。口調も普段のものと同じで構いませんわ。ご自由にどうぞ」
「あ、ありがとうございます……あの、"ひい様"って……」
「お二方で言うところの"サシャ"様ですわ。私はひい様に雇われている……使用人とお思いくださいね」
「あ、はい」
「さて、すぐに朝食の用意を致しますので少々お待ちください。メルティア様は…………クレス様と同じ部屋にご用意致しますわ。いろいろと気になることは多いとは思いますが、それはまた後程、ご説明いたしますね」
そう言うとユアさんはお辞儀をし、お盆に載せたコップと水差しを置いて部屋を出て行ってしまった。
「……」
=はい
「ありがと」
クレスが注いでくれた水を受け取り、ゆっくりと口をつける。知らず知らずのうちに喉が渇いていたのか、コップの中はすぐに空っぽになってしまった。
すぐさまクレスがおかわりを注いでくれて、喉を潤す。クレスはその間、じっとこちらを見つめてくる。少し居心地が悪い。
「……どうしたの?」
「…………?」
=どこか、痛むところは?
「痛むところ? とくにはない、と思う」
「……?」
=腕は?
腕? そういえば私、右腕のほうに火傷をしたはずじゃあ……。
ぺら、と袖をめくってみると、火傷を負った部分には包帯が巻かれていた。流石に解いてその下を見る勇気はまだなかったけど、とりあえず腕の痛みは、ない。ついでに頭にも触れてみたけど、そちらにも包帯が巻かれていた。
けれど、クレスは二日間私が眠っていたと言った。逆に言えば、二日しか経っていない。そんな短い時間でここまで痛みがきれいさっぱり消えるものだろうか。頭はともかく、腕は結構派手な大きさだったはずなのに。まさかとは思うけど……。
「…………」
=メルティア
「ん?」
トントン、と肩を叩かれ顔をあげると、入り口のほうにユアさんとは別の使用人らしい人が、朝食の用意が出来たと告げに来てくれた。
立ち上がろうと手をつき腰を上げようとしたんだけど、手足がまだふらつき、みかねたクレスに問答無用で持ち上げられた。
「……くれす」
『なに』
位置の関係で顔が見えないため、返事は文字で返された。
「……はずかしいです」
『俺は恥ずかしくない』
そういうことじゃないです。
クレスはそのまま呼びに来てくれた使用人さんを置いてすたこらさっさと歩き出す。
「……待ってクレス。場所がわからない」
『俺がわかる』
聞く気はないようだ。二度三度曲がり、元いた部屋は見えなくなってしまった。
『一度外に出るよ』
「え」
クレスが突き当たりの引き戸を遠慮なしに足をひっかけて勢いよく開けた。行儀が悪いよ。
「……わっ」
途端に照明ではない光が上から降り注いできた。
快晴の空の下、再び目に入った光景に意識が奪われる。
「…………湖?」
ずらっと左右に続く縁側。それはまだいい。その数フォル先の庭らしき場所には目にも鮮やかな、キラキラと光を反射する湖面が広がっていた。湖の中央には、屋敷から渡り廊下が伸び、離れが立っている。
どうなってるんだ、ここの立地条件。屋敷は広さだけなら孤児院よりもずっと広く、そのくせ人の気配は院よりもずっと少ない。湖のほうも虫の鳴き声も、鳥のさえずりすら聞こえない。
クレスはすでに見慣れているのか、特に反応なく縁側を進んでいく。片手だというのに、やけにバランスよく持ち上げられているので、迂闊に動く気にならない。
仕方ないので移動はクレスに任せ、手持ち無沙汰な私が湖を眺めていたとき、まさかの光景が目に入った。
数フォル規模の水弾四発が、離れへ向かって勢いよく撃ち込まれたのだ。
「……え?」
目を疑った。次の瞬間更に疑った。
扉を突き破って飛び込んだはずの水弾が、今度は離れの壁を四方から突き破って飛び出してきた。しかもそのうち一発はこともあろうにこっちへ向かって飛んできた。
「…………っ」
舌打ちが聞こえたかと思うと、目の前に迫っていた水弾が急速に勢いを殺し、ピタリと鼻先少し手前で止まった。
「…………」
……………………………事態の把握が、出来ません。
屋敷の構造については大分アバウトです。そういうものなんだという認識でお読みください。




