形勢逆転
意識を失い、わずかに重みを増した少女の体を片手で支え、メルティアを眠らせた張本人――――双子神の片割れ、サシャは無意識に安堵の溜息をついた。
先程街でメルティアと遭遇した時と比べて、彼女の顔に装着している仮面こそ同じものだが、その身に纏っている服装は、街に自然に溶け込めるような平凡なブラウスとスカートといったものから、彼女の髪色と全く同じ色をした、動きやすい膝丈のスラックスと、メルティアの前世で言う、和装の要素をところどころ洋装に混ぜてアレンジしたような不思議なデザインの上着に変わっていた。
メルティアの怪我の具合を診て、サシャは痛みを与えないような体勢に抱え直す。その際、メルティアの足にまとわりついていた薄氷が軽い音をたてて剥がれ落ちた。
「――そこの嬢ちゃんが、この状況を引き起こしたってんですかい?」
「であろうな。残りの者にこれほどのことを起こせる腕はなかろう。みな、揃いも揃って『特化型』であるようじゃからの」
不意に、サシャの頭上から声が響いたが、サシャは特に驚くこともなく応える。
「ほー、すげえなあその嬢ちゃん、逸材じゃねえすか」
「阿呆が。暴走していただけよ。長くはもたぬ」
呆れた声を隠すことなく出し、サシャは辺りを見渡す。
先程までは嵐と言っていいほどに天気は崩れ、海は荒れていたが、今それは収まっていた。……いや、収められた、というのが正しい。
天に広がっていた分厚い雲は、船の丁度真上のあたりからスッパリと切られたかのように裂け、切れ目からは青空がのぞいていて、その青空から照らされる日光が海面に広がる氷原に反射して辺り一面がキラキラと光っている。
――そう、氷原だ。辺り一面、ざっと見て半径70フォル程の規模の海面が、流氷漂う氷原と化していた。
氷の発生源はこの船――もっと詳しくいえば、今サシャが抱えている少女の足元だろう。
メルティアの足元から発生した氷は彼らを拘束するだけに止まらず、瞬く間に甲板を覆い、船だけでなく海上までも氷結させていたのだ。
当然、船自体も氷に捕まっており、中途半端に氷上に乗り出した形で固まっている。
「チャグ。替われ」
「へいへい」
サシャの命令に軽い返事で答えた存在は、空中からサシャのすぐそばへ軽やかに四肢を使い、音をたてずに降り立つと、背中に乗せろ、というように尻尾をぺしぺしと振った。
その姿はどこからどう見ても、大型の白い虎である。しかしただの虎でもない。普通の獣と違う点をあげるとすれば、額からまっすぐと突き出るように飛び出た角だろうか。しかも、小さな幼児など一口で呑み込んでしまいそうなほど大型の虎である。その虎が、さあ乗せろ! と言わんばかりに尻尾で催促してきている。
「…………」
ゲシッ
「あでっ!?」
サシャが容赦なくチャグと呼ばれた白虎の顎をけっ飛ばした。
「……何すんすか姐さん!」
「何をするとはこちらの言葉じゃ。おぬし阿呆だけでなく莫迦でもあったか」
「なんでいきなり辛辣!?」
「ではおぬしはその状態でこのか弱い女子の傷に障ることなく、揺らさず、安全に運べるというのだな? それはすまなかったの。よもやおぬしがそこまで器用になっておろうとは気付かんであった」
「ぐ………………わ、わかりましたって! 人型になりますよ、なりゃいいんっしょ!」
「始めからそうせい」
ボン、と音をたててチャグの姿が煙に包まれた。煙はさほど時間をおくことなく薄れて行ったが、煙のなくなったそこに立っていたのは大型の一角獣……ではなく、一人の男性だった。
チャグが変化した人型は、スタイルのよさを示すようなシンプルなシャツとズボンを身につけ、煌めく金髪に、鮮やかな碧色の瞳をもち、爽やかな風貌をした二十代後半ぐらいの青年だった。
「…………」
「……なんすか、黙り込んで」
サシャはチャグの変化に驚くことなく、むしろじとーっ、とした視線を向けていた。
「いや……、おぬしのその姿は何度見ても納得がいかぬな、と」
一見、チャグの人型はどこかの国の王子と言っても通じそうな風貌であり、その雰囲気は礼儀正しく、老若男女分け隔てなく接するような人柄がにじみ出ていた。だが実際は………、
「ひでえよ姐さん! 俺だって好き好んでこんな格好になってんじゃねえし!」
「わめくでない。鬱陶しい」
「ひでえ!」
出てくるのはイメージとは全く異なる粗暴な言葉や態度であり、いろいろと台無しにしていた。
「ほれ。おぬしをいつまでもいじる程時間はない。はよう受け取れ」
「へーい……」
両手を床につきうなだれていたチャグはしぶしぶと立ち上がり、言葉とは裏腹に意外と丁寧な手つきでサシャからメルティアを受け取ろうとして――――、
ヒュッ
がしっ
「うぉわっ!?」
チャグ目がけて飛んできた水の矢を、サシャの手がつかみ取った。
水の矢はサシャが触れたところから凍りついて行き、たちまち氷の矢へと変化していった。
完全に凍り付いたのを見届けると、サシャは手を放しポイと矢を捨て踏み砕く。
「あっぶねえ! 誰だ今の」
「……黙り込んでいるかと思えば、少しは頭が冷えたかの?」
矢を踏み潰し視線を向けた先、そこには首の付け根まで氷が這い登り、手足も動けない程度に束縛されたクレスと、更にその向こう、クレスよりも厳重に束縛された上、全方位から薄皮一枚の距離に氷の棘の切っ先が突きつけられ、喋るどころか指先を僅かたりとも動かすことが出来なくなっている双子の姿があった。
「……」
クレスが敵意むき出しの目つきでサシャを睨み付けているが、サシャにこたえた様子はない。が、おどけたような態度で喋りかける。
「そうにらむでない。生憎、妾はおぬしの言いたいことなどわからんのでな」
そう告げると、クレスは視線をずらし、サシャではなくチャグを睨み付ける。
「おや、愛しい女子が、同性ならともかく、男に触れられるのは我慢がならんと?」
サシャの口元がニヤリ、と面白そうにつり上がる。
「はっはっは。今代の"水ノ神"は噂に聞く通り、随分と強くその性質を引き継いでおるようだの」
「…………!?」
「しかし、おぬしにも手当が必要な状態であることに変わりはないの。気に入らぬであろうが、こちらへ来い。後程、ほどくのも手助けしてやろう」
サシャがつま先で床を小突くと、クレスを拘束していた氷のみが砕け散った。
「……っ」
クレスは突然の解放にわずかに眼をまるくしたが、すぐに元の無表情へと戻りメルティアの元へ駆け寄る。すれ違いざま、訝しむようにサシャのほうを見ながらも、チャグの腕からメルティアを奪い取る。
「ってあぶねえな! ちょ、そっと抱えろって。怪我人だぞ」
「……」
チャグが慌てて注意すれば、お前に言われなくてもわかってる、と言わんばかりの視線が返ってきた。
「んのクソガキ……っ」
「チャグ、後々診ゆるからそこの坊も含めて手当だけでもしておけ。坊は変化がそれ以上進まぬようにしておれ」
「くっ………………あいよ。ほれ、こっち来い坊主」
「……」
チャグがクレスの襟をつかみ引き摺って行く。クレスも手当には賛成なのか抵抗はしない。
「さて……」
クレスの事はチャグにまかせ、サシャは双子の方へ向き直り近づく。
「……妾はおぬしらに、動いてよいとも、喋ってよいとも、許しをを出してはおらぬぞ」
サシャの視線の先には、いつの間にか氷の棘に腕を貫かれて呻き声をあげる双子の姿があった。
「坊に注意が逸れて好機とでも思うたか? 生憎、そこまで甘い対応はしておらぬぞ。おぬしらが技を発動させるよりも、こちらが貫く方が速い」
双子の周りに切っ先を向け空中に停止している氷の棘は、ほとんどがまだ双子を取り囲んでいるだけだったが、そのうち二つの棘が、双子のそれぞれの片腕を貫いていた。
「…………うぅっ」
「…………ぅあ…」
「……ほう、痛覚は残っておるのか。……では、そうだな、口を開くのは許してやろう」
サシャが手を振り上げると、鼻先まで突きつけられていた氷の棘が一斉に離れる。
突き刺さった棘はそのままなので、双子の足元には血だまりが出来始めている。
「ど……して、おまえが……操って、っ」
「ふむ。それはあの娘が召喚した氷を妾が操っていることに対してか? なに、おぬしらと同じことよ。妾も、支配権を奪っただけにすぎぬ。――――さて」
サシャは身動きすることができない双子に近づき、それぞれの前髪を掴み、引っ張り上げた。
髪の毛だけを掴まれて強制的に立ち上がることになった双子は、氷でその場に縫いとめられていることもあり、体中で発生した痛みに呻き声を上げるが、動こうとすれば即座に殺されることを悟っているため、逆らえない。
「ぐっ……」
「ぅがっ……」
髪の毛を掴みあげられ、強制的に素顔が露わになった双子だったが、その素顔は異様なものであった。
それぞれの前髪に隠れていた、それぞれの眼にあたる部分には眼球がなく、代わりにネーアの右目には緑色の石が、ミーアの左目には赤色の石がはめ込まれていた。付け加えてネーアの方にはもう完治はしているようだが、目の上を一直線に走る裂傷があり、その付近の肌はひきつったまま痕が残っている。
「……ふむ。以前も人の子でありながら何故か"最上位"の力を操っていたので予測をつけてはいたが、やはりな」
しかしサシャは双子の素顔にさほど動揺することなく納得したかのように頷いた。
「――――精霊種めが。乗っ取りに失敗しおったな?」
舌打ちがセットしていてもおかしくない口調で、サシャは誰に向けるでもなく文句を言った。
「以…前? 僕たちはお前なんか見たこと……っ」
「そ、そうだよ……! 誰だよお前! 関係ない奴が…………くっ」
サシャは双子の髪を掴む手をさらに上へとあげ、双子と自分の目線を合わせた。
「……誰だ、とはつれないことを言う。己がむざむざと逃げる原因となった者の顔を、もう忘れてしまったのか?」
「――――っ!?」
「――――なっ、」
サシャがそう告げると同時に、彼女の姿に変化が起こり始めた。
胸元あたりまでだった長髪はさらに伸び腰元へ、耳は人の形のものから位置は変わらぬものの獣のそれへ、さらに右の額部分の仮面がパキリと押し出されるように割れ、その下から頭部に沿う形で、真っ白で少しねじれた角が生えてきた。
「さあ、これで妾のことを思い出せたか?」
「おまえ、は…………!」
「あのときの、………この、ケモノがよくも!!」
サシャの姿に眼を丸くし驚いた双子だったが、すぐさま二人とも眦をつりあげ、憎しみの籠った目つきで睨み返す。
ザンッ
風の刃が、サシャの両手が掴んでいた双子の髪を切り裂いた。
「ケモノは全て!!」
「滅べえっ!!」
サシャの手から逃れ、体勢を立て直した双子はすぐさま、ネーアは風を、ミーアは炎を即座に組み上げ、己がもてる最大限の威力を持って放った。
双子の攻撃は自分たちも巻き添えになってしまう威力のものだったが、双子にそれを躊躇した様子はない。完全に目の前の存在を滅ぼすことに夢中だった。体の痛みさえももう頭の中から過ぎ去っている。
――――自分たちも巻き込まれて構わない。このケモノさえ殺すことができれば、後はどうでもいい!
直撃する。避けようがない。そう確信した。
だが、至近距離で放たれた攻撃がサシャに直撃する瞬間、双子の耳はたしかに、眼前に立つサシャの、まったく焦燥感のない声を聞いた。
「――――たかだか、一つや二つの属性で上位にたった程度で、勝てるとでも思うたか? …………――笑わせるな」
――直後、甲板は爆発による閃光と衝撃に包まれ、なにも見えなくなった。




