怒りの声
――――クレ、ス…………?
そう、確かにそこにいるのは、クレスだった。クレスの、はずなのだ。
「(クレス……、…………!?)」
呼びかけようとして、声が出ない。
どうして…………って、クレスの魔声のせいか! そういやコントロールできないって前に言ってたな、確か。
本人もそれを自覚しているから声なんて滅多に(というか全く)出さないのに、そのことにすら躊躇しないほど、クレスはキレている。こんなにも感情をむき出しにしたクレス、見たことがない。
見たことがないといえば、その姿もそうだ。
飛行魔術の類を使おうとすると背中がむず痒くなる、というわけのわからん理由でずっとクレスが空を飛ぶときは私が浮かしてたぐらい、飛ぶ手段のなかったクレスが今、自力で空に浮いている。
背中からは鳥とも違う、強いて言えば蝙蝠に似たような翼が生えている。こう、羽毛じゃなくて膜が張ってあるという感じの。
ただ、蝙蝠とは違うようなのは、翼の骨部分を覆っているのが何やら堅い鱗のようであり、全体的に水色っぽく、光沢を放っている。まるで、クレスの髪の毛みたいに。
「…………っなんなの~? おまえ。今の『魔声』?」
「邪魔しないでよー。水棲種に用なんてないんだからさー」
早い。もうクレスの魔声を打ち破って喋ってきた。
「【俺モお前タチに興味ハない。けど……】」
「【俺の大切ナモのに手を出シた。ソの報イを受けロ……!!!】」
クレスが怒気もあらわに叫んだ瞬間。
――突然、船が大きく揺れた。
突然の出来事に、双子はその場から大きく跳び退り、そのまま空中に留まる。
私は体勢のせいもあってその場に留まる事が出来ず、縁まで滑り落ちそうになっていたところを、降りてきたクレスが助けてくれた。
「……何が起きたの~!?」
「海が……!?」
双子から聞こえた驚きの声につられ、双子の視線の先に視線を向ける。
「(なに、あれ…………!?)」
視線の先――海は、さっきまでの穏やかな波が嘘のように荒波に変わっていた。心なしか雲も集まってきて遠くで雷鳴が鳴っているような気がする。
クレスがサッと右手を振り上げる。それにつられて海面がうなりを上げるように盛り上がる。
瞬く間に海水が槍のような形に形成され、その全ての矛先が双子へと向かう。
その時、双子が初めて、そのこちらを見下し嘲笑っている表情を焦りを含んだものに変えた。
「ネ、ネーア! 僕水はマズいよー!?」
「だ、大丈夫だよミーア。こんなの、僕が……!!」
ネーアと呼ばれた右目の隠れた方が、ミーアと呼ばれた左目が隠れた方を抱えあげ、移動しながら左手をかざす。
「こんなもの……!」
今まさに貫こうとしていた何本もの水の槍が、見えない何かに押しつぶされるようにして霧散した。
「(あれは……)」
私を襲った見えない攻撃は、ネーアの方が操っていたらしい。今ではもう大体の見当がついていた。
――ネーアが操っているのは"風"だ。それも、こちらの風魔術の制御を奪うくらいに強力なもの。
そして、クレスの繰り出した水を見て慌てたミーアの方は、多分"炎"。
なんであんな幼い外見の二人がそんな強力な魔術を操れるのかはわからない。
…………そうだ。強力といえばクレスもそうだ。さっきクレスが創り出した水の槍は一目で強力なものとわかった。今までクレスがあんなものを使ったところは見たことがない。
双子が水の方に気を取られている間に、クレスは静かに私の体勢を手すりに背を預けた負担の少ないものへ変える。
私の姿を見て、クレスはまるで自分が怪我をしたみたいに顔を歪めた。
「【メルティア……。遅クナってゴめン……】」
「(遅くなんて…………)」
だめだ。やっぱり声が出ない。魔声を打ち破るだけの魔力がもうないようだ。
口をパクパクと開け閉めを繰り返す私の頬に、クレスはそっと手のひらをあててきた。
「…………」
――冷たくて、気持ちいい……。
炎と熱によって上がった体温にクレスの体温はほどよい温度で、無意識にクレスの方へ体を寄せる。
「…………っ」
「【……っ!?】」
……ようとしたところで火傷の痛みがぶり返し、小さく呻く。
その反応にクレスの顔色がサッと変わり腕をとられる。
「(え……っ。クレス…………?)」
「【ヨくも……】」
え。クレスの怒気がさらにあがり、無言で立ち上がる。
「(ちょ……クレスっ)」
再び水の槍が創られる。けれどネーアの方に怯んだ様子はない。
「……いい加減にしなよ~? 地の利はそっちにあるかもしれないけど、風だって溢れてるんだから! ミーア、しっかり掴まってて~!」
「うん!」
ミーアを掴んでいた手を離し、ネーアは両手を空へ振り上げる。
「そこのケモノごと~、君も消してやる!!!」
ネーアの手の先から風が渦巻き始めたのを肌で感じる。渦巻く風はすぐさま竜巻へと変わり、こちらに襲い掛かってきた。
「【波よ渦巻ケ!!】」
クレスの言葉と共にまた船体が大きく揺れる。
「(…………っ)」
咄嗟に無事な方の手で手すりをつかみ、体勢を整える。
もう完全に嵐のような状態となった海面には渦潮が生じていて、水の槍の生成時のようにどんどん盛り上がっていく。
「【……呑ミ込め】」
渦と竜巻が船の上空でぶつかり合う。その余波で三度船が大きく揺れる。
「ぅああっ!!」
「……ネーアッ!!?」
突然双子の悲鳴が響いた。見れば、いつの間にか双子の傍へ接近していたクレスの手がネーアの左の二の腕を切り裂いていた。………………え、切り裂いていた?
何故かクレスの腕は見慣れない、なにか鎧のような手の先まで覆う籠手らしきものに包まれてている。いや、鎧じゃなくて何だろ…………鱗、かな? 遠目でもわかる硬質な鱗が皮膚となり、クレスの腕を異形のものへと変えていた。
「な、なんなんだよお前ぇっ!!?」
「く、くるなぁっ!!?」
ネーアに抱えられていたミーアが至近距離から火球を放つ。
「【消エロ】」
クレスは慌てず騒がず、数歩分移動して体の位置をずらし、目標を見失った火球をすれ違いざまにその腕で薙ぎ払い、霧散させた。
降りかかる火の粉を払い、鋭い切っ先と化し、血が付着しているクレスの爪を見て、私はある嫌な予感を感じた。
――――あれは、もしかして………………。
「もうやめた~! 謝れば考えてやってもよかったけど、もういいや! オマエもいらない!」
「ネーア……!」
「ミーア、合わせて!!」
「う、うん!」
ネーアの手の動きに合わせて、さっきの竜巻の1.5倍くらいの規模の竜巻が双子の周囲や海上に現れる。
当然、船も大きく揺れて、いつ沈んでもおかしくない状況になりつつある。
「えーい!!」
ミーアも同じように手を動かして炎の渦を創り出す。
「み、水なんて蒸発させれば……!」
炎の渦に竜巻が重なって炎の勢いが爆発的に上がった。
「【…………】」
ざわり、とクレスの周りの空気が変化すると同時に波も荒れていき、海上の多数の場所で渦が巻き始める。船は最早完全に舵を取れてはおらず、さっきまではクレスが巻き込まれないよう調整をしてくれていたみたいなんだけど、今は多分無理だ。完全にキレてる。
クレスも腕を振り上げる。空や海上はもはや天災の域へと達していて、降ってくる雨がしょっぱい。地味に体温が奪われてつらい。ついでに身体が限界を迎えかけているのか、意識が若干朦朧としかけてきている。
だけど意識を失う前にやらなければならないことがある。クレスを止めなくてはならない。クレスの腕は、少し前まで肘まで覆われていたものが、今は右肩へと伸び始めている。
「(クレス…………! それ以上、"変化"しちゃダメ……!!)」
………………"変化"。それは人の姿から獣の姿へと変わることであり、またはその逆の事である。
この世界には多種多様の人種・種族が存在している。その多くが人型の姿をしているけれど、勿論獣のような四足の姿もあれば二足歩行でも人とは全く違う姿の異形種もいる。というよりも獣人種や魔獣種のように、モデルともいえる獣や生き物の特徴を持つ種族などは、人型や獣型など複数の姿を持つのが当たり前の世界でもある。
けれど、大半の種族が成人するまで、人型や獣型などどれか一つの形態のみで過ごす。まず成人前に変化を行うことはありえないと言っていい。どうしてかって?
人から獣の姿へ、獣から人の姿へ変わるには当然ながら骨格から筋組織、臓器に至るまで構造をまるっと組み換えなければならない。そんな体内構造の大幅な組換えを成長期も終わっておらず骨格も安定していない成人前に繰り返したらどうなるか。結果、手や足が戻らなくなったなんてのは軽いほうだ。最悪な例だと、外見は人、中身の背骨は四足歩行の動物のもの、なんてこともあったそうだ。
なので大半の種族が物心ついた頃には厳しく躾けられる。勿論、スフェック孤児院でも、だ。
やろうと思ったことはないけど、私もやろうと思えばできるにはできる、らしい。ただ、この姿以外のもの、というのがあまり想像できず、やり方がよくわからない。
まあとにかく、クレスの腕は今、変化しかかっている。リクウやさっきのクレスのように人型にはない翼を生やすまでならともかく、腕の構造を組み換えているのはマズい。…………最悪、腕が戻らなくなる。
そもそもクレスは水棲種なのになんであんな爪があるんだ。鱗は分かるとしても、何をモデルとした水棲種なの?
「(――――クレス、止まって! 私は平気、だから……!)」
ダメだ。全然聞こえてない。天候はいつの間にか雷が落ち、本格的な嵐へとなりつつあって、クレスや双子たちの声や音もかき消されている。
「(クレ、ス……っ)」
立ち上がろうとして、視界がぶれる。頬が硬質で冷たいものに当たる。倒れたと気づくのに数秒かかった。そう自覚したと同時に身体に力が入らなくなった。
「(う……)」
あー、無理。もう無理。起き上がる気力がない。けど、クレスを止めなきゃ……。
しかし本当にマズい。なんか幻覚っぽいものも見え始めてるし。なにかふんわりとした丸っこいものがあちこちに漂っているのが見える。
そのふわふわしたものが指先に触れる。あ、心なしかひやひやする。
冷たいなあ……。もっといっぱいあったら気持ちいかなあ……。
そしたらまるでこっちの気持ちがわかったみたいに、あちこちを漂っていたふわふわがいくつも寄ってきた。
冷たいなぁ……、気持ちいなぁ……、何だかふわふわが可愛く見えてくる。
冷たくて、丸っこく可愛くて、何だかとっても…………――――オイシソウ。
「…………ん」
って、あれ? 一瞬意識飛んでた? ……って、
「声、が……」
出てる。ついでに幾分魔力も回復してる。どゆこと?
腕に力を入れて、上半身を起こし上げようとしたところで、またもや船が大きく揺れた。
慌てて手すりに腕を引っ掛ける。その際火傷が痛んだが、悠長なことは言ってられない。じゃないと船から落ちるところだったんだから。
クレスは………………いた。あれ、完全に我を忘れてるよ。今は昨日見せてくれた水蛇の上位版…………いや、狂暴版が何体も暴れまわってるし。
浸食はさらに進んで、右目の辺りにも変化が起きている。右半分にちらほらと鱗が現れ始め、眼の本来白目にあたる部分の色が、真っ黒な色になりつつある。
「クレ、ス…………クレス! それ以上は駄目! クレス!」
声を絞り出して叫ぶが雷鳴や嵐の音でかき消されてしまい、届かない。
こうなったら実力行使で止めるしかないのかな。いや、難しいのは分かってる。いくらか回復したとはいえ、魔力は全然足りず、三人の扱っている魔術が強すぎてその属性を私が発動させるのは無茶し過ぎる。
だけど、やるしかない。今の状態でもやばいっていうのに、これ以上マズくなる前にクレスには頭を冷やしてもらわないと。
「【属性は……】」
うん? 構えた手の先を、何かがかすめていった。ふわふわした感触だったな。
これは…………さっきの謎のふわふわか。まだあったんだ。
あれ、さっきは一瞬気絶したからわかんなかったけど、これに触れた後、何故か魔力を回復してたよね。もしかしてこれのせい?
「…………魔力、くれるの?」
手を出してみたら、どこにいたのかってぐらいふわふわがあちこちから飛んできて手のひらの上に積もって行った。あ、下の方か少しずつ溶けるように消えていく。それと同時に少しずつ、私の魔力が増えていくのを感じた。どうやらこのふわふわは魔力を回復させてくれるもの(?)らしい。
「もう少し……」
もらえないかな、と思ったらどんどん手のひらに乗っていっては消えていく。比例して、回復していく私の魔力。
これならいけるかもしれない、と思って顔を上げた瞬間――、
ぐらり、と視界が揺れた。
「え……」
少しへたり込んでしまったらしい。もう一度体を起こそうとして、再び揺れる視界。まるで酔ってしまったかのように、平衡感覚がおかしい。続いて、少しずつ頭痛がし始めてきた。
なんで、どうして…………いや、心当たりはある、原因は一つしかない。手に視線を向ける。ふわふわは勢いをさらに増して、もう手に触れたそばから消えている。速度を増す回復量。
ちょっとまって、このままいったら限界超える。もういい、もういいから!
止まってくれと念を出したり唱えても見たけど、消える速度は減るどころかさらに増え、それに伴い頭痛も眩暈もひどくなる。
――まって、もう無理、もうこな…………、
ブツリ、という音が聞こえた気がした。そのまま、私の意識は限界を超えた魔力に呑み込まれてしまった。
あ、れ…………。
わたしは、ぼんやりとめをひらいた。
なにをしてたんだっけ。あたまがぼぅっとして、よくわからない。
めのまえのそらには、くれすとだれかがけんかをしていた。
あ、そっか。くれすをとめなきゃいけないんだっけ。
…………どうやってだっけ。くれすをきずつけたくはないなあ。
くれすやけんかしてるこのまわりにはみずがいっぱいある。
……そうだ。みずをこおらせればうごけなくなるよね。
――――こおって。
じんをだそうとおもったら、それよりもまえにかってにこおりがのびていって、くれすたちのまわりにとどいてみずもほのおもこおちゃった。
こおりのおりにとじこめられちゃったくれすたちがみんなどうじにこっちをふりむいた。
あれ? なにかいってるみたいだけどよくきこえない。
そのうちくれすとけんかをしてたこがせっかくつくったこおりのおりをこわしてそとにでようとしてきた。
だめだようごいちゃ。またとめなくちゃ。
あれ? どうしてとめなくちゃいけないんだっけ?
「…………そこまでじゃ」
とつぜん、めのまえがまっくらになった。
いっしょにきこえたこえは、どこかできいたような――――、
「さ…しゃ、さ……?」
「――――忘れよ。
おぬしにそれは、まだ早い」
おでこにとん、となにかがあたった。
そうしたら、きゅうにねむくなって、わたしはめをとじた…………。
次回、三人称(の予定)




