第9話 栗毛は二頭、どちらへ
〈結納目録 第四十一項から第六十項まで ――本日、二十点〉
小物は速うございます。
銀の匙、燭皿、香箱、筆筒、硯、水滴、鎮子。一点にかかるのは半刻もございません。開けて、見て、書いて、戻す。それだけでございます。
開けて、見て、書いて、戻す。ございません。
開けて、見て、書いて、戻す。ございません。
午前のうちに、十四点を検めました。ございましたのは三点でございます。
「お嬢様」
「はい」
「今日はもう、丸を書いておられませんね」
「三つ書きました」
「三つでございますか」
「三つでございます」
昼を過ぎて、残りは厩の分でございました。
結納の品に馬が入りますのは、この地方の習いでございます。婚礼のとき、新しい家へ嫁ぐ者が乗ってまいる馬を、先に贈っておくのでございます。
第五十九項と第六十項。栗毛の牝が二頭。受領時の評価は、二頭で金貨百六十枚でございました。
厩は蔵の東でございます。馬房が十ございました。
馬は六頭おりました。
栗毛は、おりませんでした。
「厩番の方はいらっしゃいますか」
厩の奥から、若い男が出てまいりました。二十歳ほどでございましょうか。手に藁を持ったままでございます。
「十年前の栗毛が二頭、こちらにおりましたはずでございます。額に白い星のあるほうと、無いほうと」
「……星のあるほうは、存じております」
「いつまでおりましたか」
「四年ほど前まででございます」
「その後は」
厩番は、後ろを振り返りました。振り返った先には誰もおりません。誰もいないところを振り返る方は、たいてい、いつもそこに誰かがいらっしゃるのでございます。
「……お売りになりました」
「どちらへ」
「隣領の、ノエル様のところへ」
「二頭ともでございますか」
「二頭ともでございます」
厩番は藁を持ち直しました。
「……星のあるほうは、マノンと申しました」
「名を、お付けになったのですね」
「わたくしが付けたのではございません。前の厩番でございます。十年前に来たときから、そう呼んでおりました」
「よく走る馬でございましたか」
「気の優しい馬でございました。人の手を怖がりませんでしたので、若い者に乗せる馬にしておりました」
わたくしはその話を、書きませんでした。
書く欄がございませんし、書きましても金貨には換わりません。
ただ、聞いておりました。十年前にうちから贈られた馬に、この家の者が名を付けて、若い者を乗せていた。それは、この八日で伺ったことの中では、いちばん結構な話でございました。
「売られる日は、ご存じでしたか」
「朝に、荷馬車が来ておりました」
「見送られましたか」
厩番は、答えませんでした。
答えないというのは、見送ったということでございます。
わたくしは帳面に書きました。第五十九項、第六十項、所在不明。売却。ノエル男爵家。四年前。
「厩の帳面はございますか」
「ございます」
厩番が奥から一冊持ってまいりました。表紙の擦れた薄い帳面でございます。馬の出入りを書くもので、どの家の厩にもございます。
四年前の頁を開きますと、二頭ぶんの行がございました。行の下に、紙が一枚貼り付けてございます。
譲渡の届出の、写しでございました。
家畜を領をまたいで譲りますときは、届出をいたします。届けを受けた側が写しを一枚返してまいりますので、それを帳面に貼るのでございます。
写しの下のところに、受付の印と署名がございました。
王室財務局 登録係
検分官 レオン・デュボワ
わたくしはその名を、少し長く見ておりました。
王室財務局は、両家の婚約契約の届出を預かっているところでございます。第九条の原本があるのも、あちらでございます。
同じ役所が、この馬の届出も受けております。
同じ役所が、というより、同じ係が、でございます。
「ジョゼット」
「はい」
「この名を、覚えられますか」
「字は」
「レオン・デュボワ」
「レオン・デュボワ」
「はい」
「レオン・デュボワ。……お偉い方でございますか」
「存じません」
存じませんが、この方の署名は二か所にございます。婚約の届出と、馬の届出と。
二か所に署名がある方は、二つを並べてご覧になれる方でございます。
わたくしは写しの日付を書き写しました。それから、帳面をお返しいたしました。
厩を出ますと、日が傾いておりました。
その日の分を数えました。二十点検めて、ございましたのは六点。所在不明が十四点でございます。
これまでの合計は、五十六点。
ございませんものと、別のものと、合わせて三十点でございます。
評価額を足しました。六百枚を、超えました。
馬車のところまで戻りますと、バルテル様がお立ちでございました。
立っておられる場所が、いつもと違っておりました。いつもは玄関の内にお立ちでいらっしゃいますが、その日は外の石段の下でございました。
「セリーヌ様」
「はい」
「奥様が、お呼びでございます」
わたくしは帳面を持ち直しました。
「ただいまでございますか」
「明朝、とのことでございます。応接の間へ」
「かしこまりました」
バルテル様は深く頭を下げられました。三度目でございます。
下げてから、こう仰いました。
「……帳面は、お持ちになったほうがよろしゅうございます」
持ってくるな、ではございませんでした。
わたくしは馬車に乗って、膝の上に帳面を置きました。
置いてから、いま伺った言葉をもう一度読みました。読み返してよい言葉と、そうでない言葉がございます。これは、読み返してよいほうでございました。
開けて、見て、書いて、ございません。開けて、見て、書いて、ございません。二十点検めて、丸は六つでございました。届出の写しに、覚えておいていただきたいお名前がひとつ出てまいります。レオン・デュボワ。次回、応接の間へ呼ばれます。家令が「帳面は、お持ちになったほうがよろしゅうございます」と申しました。持ってまいります。




