第7話 木箱の底に、三年前の秋
〈結納目録 第三十六項 真珠の首飾り 一連 ――本日、一点〉
真珠の箱は、蔵の棚の二段目にございました。
箱はございました。
桐の箱で、面に紋が焼き印してございます。グランシャン家の紋でございます。紐は掛けたままでございました。
「紐が結んでございますね」
「ええ」
「結んであるものは、たいてい中がございます」
ジョゼットはそう申しまして、両手で箱を下ろしました。下ろして、底を見て、それから紐をほどきました。
中に、白い絹が敷いてございました。
絹の上に、窪みがございました。首飾りの形の窪みでございます。
窪みだけでございました。
「……ございませんね」
「ええ」
わたくしは箱を覗き込みました。絹には皺が寄っております。物を長く置いておりますと、その形に沈みます。沈んだ形が残っているということは、そこに長くあった、ということでございます。
長くあって、それから、無くなった。
「所在不明でございますか」
「まだ書きません」
「はい」
わたくしは箱を持ち上げて、光にかざしました。
絹の敷布は二重になっておりました。上の一枚をめくりますと、下にもう一枚。その下が箱の底板でございます。
底板と敷布のあいだに、紙が一枚挟まっておりました。
小さな紙でございます。指の二本ぶんほどの幅で、上のところに穴が開いております。穴には麻の紐が通してあったらしく、切れ端が残っておりました。
ジョゼットがその紙をつまみ上げて、わたくしのほうへ差し出しました。
差し出して、こう申しました。
「お嬢様。わたくし、字は」
「読みます」
わたくしは受け取りました。
紙には、こう書いてございました。
王都南 質屋 モラン
真珠一連(白・大粒二十四)
金貨百二十枚
三年前 九の月 十一日
流質期限 翌年 三の月 十一日
わたくしは三度読みました。三度読みましたのは、読み違えていないか確かめるためでございます。
質札でございます。
品を預けて金子を借りるときに、質屋が出す札でございます。これが箱の底に残っているということは、この札を持って質屋へ行き、品を出して戻る者がいなかった、ということでございます。
流質期限は、翌年の三の月十一日。
いまは、それから二年半でございます。
「お嬢様」
「はい」
「お顔の色が」
「変わっておりますか」
「白うございます」
わたくしは箱を膝に置いて、少しのあいだそのままでおりました。
驚いたのではございません。無いことは、もう分かっておりました。
驚いたのは、札が残っていたことでございます。
持ち出して売る方でしたら、札は捨てます。捨てるか、燃やします。残しておく理由がございません。
残っているということは、いつか出して戻すおつもりだった、ということでございます。
出して戻すおつもりで、三年、戻さなかった。
わたくしは帳面を開いて、第三十六項に書きました。
所在不明。質札あり。王都南モラン。三年前九の月十一日。流質。
目録には、こう書いてございます。第三十六項、真珠の首飾り一連、白の大粒二十四。受領時の評価、金貨百五十枚。
札には、百二十枚とございます。
質屋は、品の値の八掛けまでしか出しません。出しすぎますと、流れたときに損をいたしますので。百五十枚の品に百二十枚でしたら、まっとうなご商売でございます。
まっとうな商いのところへ、まっとうに預けて、まっとうに流れた。
流れました品は、質屋のものになります。質屋のものになりましたら、売られます。売られましたら、いまはどなたかの首にございます。
どなたの首かは、もう分かりません。
「お嬢様」
「はい」
「取り返せますか」
「取り返せません」
「では」
「金子で頂戴いたします。百五十枚でございます」
「札は百二十枚でございましたよ」
「札の額は、質屋がお貸しになった額でございます。こちらが頂戴いたしますのは、受領時の評価でございますので」
ジョゼットは箱の縁に指を掛けたまま、少し考えておりました。
「三十枚、多うございますね」
「多うございます。ただ、その三十枚は、誰の得にもなっておりません」
品は流れて、金子は使われて、札だけが箱の底に残っております。
「バルテル様をお呼びしましょうか」
「いいえ」
「なぜでございます」
「呼びますと、この方はお答えになります」
わたくしは札を紙で包みました。包んで、懐へ入れようとして、それから手を止めました。
これは伯爵家の蔵にございました品でございます。中の物はうちの家のものでございますが、札は伯爵家の紙でございます。
持ち出せば、こちらが疑われます。
「ジョゼット。この札を、いま見たとおりに覚えられますか」
「字は読めません」
「では、形を」
「形でしたら」
「幅は指二本、上に穴、紐の切れ端。紙の色は生成り。角が一つ折れております」
ジョゼットは札を両手で受け取って、両面を見ました。裏も見ました。それから、返してよこしました。
「覚えました」
「では、戻します」
わたくしは札を絹の下へ戻しました。戻して、敷布を元のとおりにして、紐を結びました。
結び方は、ほどく前と同じにいたしました。ジョゼットがほどく前に見ておりましたので、同じに結べます。
「戻してよろしいのでございますか」
「よろしいのです」
「無くなりましたら」
「無くなりましたら、そのことが分かります」
箱を棚へ戻しますと、二段目の埃に、箱の形の抜けがぴたりと合いました。
合ってしまいますと、何も起きていないように見えるものでございます。
その日の帰り、馬車の中でわたくしは書き足しました。
三年前の九の月。
三年前の九の月に何があったかは、覚えております。この家に伺って署名を頂戴した年でございます。玄関で帳面をお渡しして、玄関でお返しいただきました。あのとき、バルテル様のお手が少し震えておられたのを覚えております。
寒い日でございましたので、そのせいだと思っておりました。
質札というものは、捨ててしまえば足がつきません。捨てなかった方が、この家にいらっしゃいました。なぜ捨てなかったのかは、もう少し先でお話しいたします。次回は少しだけ息をつく回でございます。蔵の入口から若いお嬢様が覗いて、「これ、ぜんぶ数えるのですか」とお尋ねになります。ぜんぶ数えます。




