第6話 お使いでございますね
〈結納目録 第三十項から第三十五項まで ――本日、六点。蔵の外にて〉
婚礼の支度品は、蔵にはございませんでした。
ございませんでしたが、これは所在不明ではございません。二階の東の間にございました。
バルテル様が扉をお開けになったとき、まず匂いがいたしました。人がいる部屋の匂いでございます。
衣装箱が二棹、窓のそばに並べて置いてございました。上に燭台が乗っております。硝子の台のほうでございます。
寝台の脇には、螺鈿の鏡台。第三十二項でございます。鏡の面に、白粉の粉が薄く積もっておりました。
「お使いでございますね」
わたくしが申しますと、バルテル様は「はい」と仰いました。
言い訳をなさいませんでした。この方は言い訳をなさらない方だと、この五日で分かってまいりました。
「どなた様が」
「奥様が、こちらをお使いでございます」
「いつからでございましょう」
「……六年ほど前からと存じます」
「六年」
「日付は、控えてございます」
わたくしは顔を上げました。
バルテル様は窓のほうをご覧になっておりました。ご覧になっているだけで、こちらへは向かれません。
「控えていらっしゃると仰いますと」
「家の物を動かしましたときは、いつどこへ動かしたかを控えるのが決まりでございます。この家では、家令がそれをいたします」
「それは、お屋敷の帳面でございますね」
「さようでございます」
「拝見はできませんね」
「できません」
「はい」
わたくしはそれ以上伺いませんでした。伺えば、この方はお答えになるかもしれません。お答えになれば、この方はお立場を失われます。
失わせてまで見たいものかと申しますと、そうではございません。いま分かればよいことは、控えがある、ということだけでございます。
ある、と分かっておりますものは、いつか出てまいります。
わたくしは支度品を一点ずつ検めました。衣装箱二棹、鏡台一つ、姫鏡台一つ、屏風一双、長持一棹。六点、すべてございます。
ございますので、丸を書きました。
ただ、丸の横に注を入れました。
衣装箱――蝶番のうち二つ、外れ。上面に輪染み三つ。
鏡台――鏡面に曇り。縁の螺鈿、四枚剥落。
屏風――下段に破れ二寸。
長持――底板に亀裂。
「お嬢様。これは、返していただいて嬉しいものでございましょうか」
ジョゼットが屏風の裏を覗きながら申しました。
「嬉しくはございません」
「では」
「嬉しくはございませんが、返していただきます」
わたくしは筆を止めて、屏風の破れをもう一度見ました。二寸ほどの裂けでございます。誰かが足を引っかけたのでございましょう。引っかければ破れます。人の住む部屋にございますので、破れるのは当たり前のことでございます。
当たり前のことでございますが、これは婚礼の日まで蔵に納めておく約束の品でございました。
蔵に納めてございましたら、破れませんでした。
わたくしは、その一行を書くべきかどうか少し迷いました。
迷いましたが、書きませんでした。書きますと、それは責める言葉になります。責める言葉は帳面には要りません。要りますのは、破れが二寸ということだけでございます。
階下へ降りますと、廊下の突きあたりにアルド様がお立ちでいらっしゃいました。
「東の間に入ったそうだな」
「はい。第三十項から第三十五項まで、六点ございました」
「あった、のだな」
「ございました」
アルド様のお顔が、少し明るくなりました。この方は、数がそろっていれば済むと思っていらっしゃいます。
「それはよかった」
「はい。ただ、鏡の螺鈿が四枚落ちてございます」
「……四枚」
「屏風は下段に二寸の破れ。長持は底板が割れております。衣装箱は蝶番が二つ外れております」
アルド様は黙られました。
「返していただくものでございますので、そのまま書きました」
「……直せばよいのだろう」
「直していただけますなら、直った形で書き直します」
「では直す」
「かしこまりました。どなたが直されますか」
アルド様は、答えられませんでした。
わたくしは待ちました。この方が黙られるときは、二つのうちどちらかでございます。分からないときと、分かっているけれど言えないときと。
この日は、分からないときのほうでございました。
「……バルテルに言っておく」
「かしこまりました」
その日、蔵へは戻りませんでした。戻る用がございませんでしたので。
馬車を待つあいだ、ジョゼットが手のひらを見ておりました。
「どうしました」
「白粉が、ついてしまいました」
「鏡台に触れましたか」
「触れておりません。屏風の裏でございます」
わたくしはその手を見ました。指の腹に、白いものが薄くついております。
「屏風の裏に、白粉がつくものでしょうか」
「つきませんですねえ」
ジョゼットは手を払って、それから、こう申しました。
「どなたか、あの裏に立っておられたのではございませんか。近ごろ」
わたくしは屏風の破れを思い出しました。下段でございます。人が立てば、裾が当たるところでございます。
明日は、第三十六項でございます。真珠の首飾り一連。
箱ごと蔵に納めてございます。
返していただく約束の品が、六年前から使われておりました。破れは二寸、螺鈿は四枚落ち。「直せばよいのだろう」と仰る方に「どなたが直されますか」と伺いますと、たいてい黙られます。次回、木箱の底に紙が一枚ございます。三年前の秋の日付が入っております。




