第14話 条文どおりに読み上げます
〈婚約契約 第七条・第九条 ――本日、読み上げ〉
検分官は、朝の九刻にお見えになりました。レオン・デュボワ様と仰います。四十前後でいらっしゃいましょうか。灰色の上着に、鞄を一つ。鞄から出されたのは、綴じた書類が三束でございました。
「王室財務局、登録係のデュボワと申します。両家の婚約契約、その解消の届出につき、条文の履行を検分に参りました」
応接の間には、伯爵様とミレーユ様とアルド様。こちらは父とわたくし。壁際にバルテル様がお立ちでいらっしゃいます。
「原本を持参しております。第七条と第九条を、条文どおりに読み上げます」
デュボワ様は書類の一束を開かれました。
「第七条。結納の品は、婚礼の日まで婚家の蔵に預け置くものとする。第九条。解消のときは、受領した結納を現物にて返す。現物なきときは、受領時の評価額をもって充てる」
読み上げて、顔を上げられました。
「まず伺います。結納の品は、現在どちらにございますか」
伯爵様がお答えになりました。
「蔵にある」
「何点でございますか」
「……七十二点だ」
「そうですか」
デュボワ様は二束目を開かれました。
「ヴァルモン家より、検分の控えが提出されております。七十二点のうち、現物のあるもの三十一点。無いもの、および別品と認められるもの四十一点。評価額の合計、金貨八百九十枚」
伯爵様がミレーユ様のほうをご覧になりました。この方は、この十日あまり、一度も蔵へおいでになっておりません。
「その控えは、どなたが作られましたか」
「わたくしでございます」
わたくしは膝の上で手を重ねました。
「セリーヌ・ヴァルモンと申します」
「日付ごとに、検めた項目と結果が入っております。項目の順は、目録の順でございますね」
「はい」
「これは、いつから付けておられますか」
「十年前でございます。受領のときから」
デュボワ様は控えの後ろの頁を開かれました。
署名が十、並んでおります。
「この署名は」
バルテル様が壁際から一歩お出になりました。
「わたくしのものでございます。グランシャン家家令、バルテルと申します」
「毎年、確認して署名なさった」
「さようでございます」
「では、預かり物であることに争いはございませんね」
誰も、争われませんでした。ミレーユ様も、でございます。
「ではもう一点。四十一点の品は、いつ、どのように蔵から出ましたか」
その問いのあと、部屋の中で誰も口をお開きになりませんでした。デュボワ様は待っておられました。急かされません。この方は、待つことに慣れておられるご様子でございました。
「お答えがなければ、結構でございます。無いという事実は、控えで足ります。ただ」
三束目をお開きになりました。
「無くなった経緯が不明のまま処理いたしますと、この件は盗難の疑いとして別の係へ回ります。そちらは、わたくしの係ではございません」
ミレーユ様の指が、椅子の肘のところで動きました。
わたくしは、そのとき何も申し上げませんでした。申し上げることがございませんでしたので。わたくしの役目は、検めて、書いて、渡すところまででございます。そこから先は、読んだ方のものになります。
壁際から、声がいたしました。
「デュボワ様」
バルテル様でございました。この方は、懐から薄い帳面を一冊お出しになりました。表紙には何も書いてございません。
「わたくしの手控えでございます。三十年、毎晩つけてまいりました。家の帳面ではございませんので、どなたにお見せするものでもございませんが」
デュボワ様が手を出されました。
「お見せいたします」
「バルテル」
ミレーユ様が仰いました。バルテル様は、そちらへ向き直られました。それから、深く頭を下げられました。わたくしがこの十日あまりのあいだに三度見た、あの下げ方でございます。
「奥様。わたくしは、売れと申しつかりましたので、売ってまいりました。それは家令の役目でございます」
「では」
「ただ、いつ、何を、どこへ売ったかは、書いてございます。書くなとは、申しつかっておりませんでしたので」
ミレーユ様は、何も仰いませんでした。デュボワ様は帳面を受け取って、頁を繰られました。繰る速さが一定でございます。読んでおられるというより、日付を拾っておられるご様子でございました。
「六年前の三の月、銀器四点。三年前の九の月、真珠一連、王都南モラン。四年前の五の月、栗毛二頭、ノエル男爵家。……ええ、控えと合います」
デュボワ様は帳面を閉じて、バルテル様にお返しになりました。
「経緯は明らかです。盗難ではございません。家の中で、家の者が処分しております」
それから、こちらをご覧になりました。
「もう一束、ヴァルモン家から提出がございます。贈答の控えでございますね」
「はい」
「十年で四十度。評価額、金貨三百十枚。現物は、いずれも残っておりません」
「炭と新穀と、器と反物でございますので」
「使うために贈るものは、返らない。これは慣例上も同じ扱いでございます。第九条により、評価額をもって充てます」
デュボワ様は紙を一枚出されて、筆を執られました。
「では、条文どおりに」
書きながら、読み上げられます。
「結納のうち現物なきもの、金貨八百九十枚。贈答のうち現物なきもの、金貨三百十枚。合わせて、グランシャン伯爵家よりヴァルモン子爵家へ、金貨千二百枚」
筆が止まりました。止まったのは、書き終わったからではございません。デュボワ様が、ご自分で書いた数をご覧になっておられました。
「……ヴァルモン殿。受領時の結納の総評価は」
父が答えました。
「千二百枚だ」
「同額でございますね」
部屋の中で、誰かが息を吸われました。十年前、グランシャン伯爵家がヴァルモン子爵家へ贈られたのは、金貨千二百枚ぶんの品でございました。
その七十二点を数え直して、返せない分と、こちらから贈った分を足しますと、金貨千二百枚でございます。贈られた額を、そのまま金でお返しになる。そういう形になりました。
ミレーユ様が立ち上がられました。
「そんな金子は、ありません」
「では、分割の届けをお出しください。第九条には期限の定めがございませんので、両家の合意があれば年賦で結構です」
デュボワ様は書類をそろえて、鞄へお戻しになりました。
「合意ができませんときは、こちらで期限を定めます。そのときは、わたくしの係ではなくなります」
伯爵様が、はじめて口をお開きになりました。
「……何年だ」
「六年でお組みになる家が多うございます」
六年でございます。わたくしは膝の上の帳面を見ておりました。表紙の字は、母のものでございます。
この帳面をお開けになった方は、この十年、この家にお一人もいらっしゃいませんでした。
今日、三人が開かれました。
八百九十枚と、三百十枚。足しますと、十年前に頂戴した額とちょうど同じでございます。三度数え直したのはセリーヌだけではございません。作者も三度数えました。次回、最終話。荷馬車が二台、門を入ってまいります。――ブックマークと評価は、六年の年賦ではなく本日ぶん一括で頂戴できますと、たいへん嬉しゅうございます。




