第13話 母の字と、わたくしの字
〈贈答控 第一年より第十年まで ――本日、四十度〉
朝餉の前に、父が包みを持ってまいりました。
紙の包みでございます。紐は掛けてございません。掛けてあった跡だけがございました。
「これを」
「なんでございましょう」
「お前の母さんのだ」
開けますと、薄い帳面が一冊。表紙に『贈答控』とございます。母の字でございました。『結納目録』の表紙と、同じ手でございます。
「一冊目でございますね」
「うむ」
「どちらにございましたか」
「私の机の、下の引き出しだ」
父は、そこで少し黙りました。
「十年、そこにあった」
わたくしは頁を開きました。最初の頁は、婚約の年の春でございます。ヴィレの反物を二反、こちらからお贈りしております。母の字で、品名と、日と、こちらでつけた値が書いてございます。
二枚目は夏。氷菓の器を一揃い。
三枚目は秋。新穀を五俵。
四枚目は冬。炭を三十俵。
年に四度でございます。母の字は、二年目の春で終わっておりました。そこから先は、わたくしの字でございます。
わたくしは自分の帳面――こちらは家に置いてまいりましたほう――を持ってきて、並べました。
十年ぶんを数えました。四十度でございます。
値を足しました。金貨三百十枚でございました。
「セリーヌ」
「はい」
「それは、返してもらえるものなのか」
わたくしは頁を繰る手を止めました。
「炭は、燃やされております」
「うむ」
「新穀は、召し上がっております」
「うむ」
「氷菓の器は割れやすうございます。反物は、仕立ててお召しになっております」
贈るというのは、そういうことでございます。使っていただくために贈るのでございますから、無くなって当たり前でございます。無くならなければ、贈った甲斐がございません。
「では、どうする」
「第九条でございます」
わたくしは薄いほうの写しを開きました。
「現物なきときは、受領時の評価額をもって充てる。結納も、贈答も、同じ条でございます」
父はしばらく黙って、それから、こう申しました。
「……昨日、届けを出してきた」
「届け」
「婚約解消の届けだ。財務局に」
わたくしは顔を上げました。
「お一人で、でございますか」
「当主がするものだと、あちらの奥方が仰ったのだろう。ならば、私がする」
父は杖を持ち直しました。
「明日、検分官が来るそうだ。両家に一人ずつ」
その日の午後、わたくしは二冊の帳面を持って伯爵家へ伺いました。応接の間には、アルド様がお一人でいらっしゃいました。
「母上は」
「奥様は、お部屋でございます」
バルテル様がそうお答えになりました。わたくしは卓に二冊を並べました。左が結納の目録、右が贈答の控えでございます。
「こちらが、頂戴した分でございます。七十二点、金貨千二百枚」
「うむ」
「こちらが、お贈りした分でございます。十年で四十度、金貨三百十枚」
アルド様は右のほうをご覧になりました。
「……四十度」
「春に反物、夏に器、秋に新穀、冬に炭でございます」
「毎年か」
「毎年でございます」
アルド様は頁をお繰りになりました。今度は、お開けになりました。繰る手が、七年目のところで止まりました。
「これは」
「七年目の冬でございます。硯を一面、お贈りしております」
「……この硯は」
「お使いでいらっしゃいますか」
アルド様は答えられませんでした。答えられませんでしたが、お手が机のほうへ動きかけました。書斎にございますのでしょう。
「五年目の秋には、外套を一領」
「……」
「三年目の春には、鞍を一具。栗毛の背に合わせて作らせたものでございます」
その栗毛は、四年前に隣領へまいりました。鞍だけが、どこかに残っております。
アルド様は帳面から目を上げられませんでした。
「セリーヌ」
「はい」
「これは、全部……お前の家からか」
「はい」
「私は、知らなかった」
「はい」
わたくしは、そこで一つだけ申し上げました。十年、申し上げずにおいたことでございます。
「存じております。ですから、控えてまいりました」
扉が叩かれました。オレリー様でいらっしゃいました。入っていらして、卓の上の二冊をご覧になって、それから、髪に手をやられました。
結んであるところから、銀の飾りをお外しになりました。
「これも、そうなのですね」
わたくしは、その飾りを見ました。
「三年目の冬の、年始の品でございます」
「やっぱり」
オレリー様は両手でそれを持って、卓の上に置かれました。
「お返しします」
「よろしいのでございますか」
「よくないです。気に入っていましたから」
この方は、そういう仰りようをなさいます。
「でも、知ってしまったので」
わたくしは飾りを受け取って、贈答の控えの、三年目の頁を開きました。
三年目の冬、銀の枝飾り、一つ。
その横に、丸を書きました。この十日あまりで、返却の丸を書きましたのは、これがはじめてでございます。
年始の品は、返還を求めない習いでございます。四季の四十度とは別の頁に控えてございまして、解消のときの数には入りません。入りませんので、この丸は、どこにも足されません。足されませんが、書きました。
オレリー様は、その丸をご覧になっておりました。
「一つだけ、戻りましたね」
「はい」
わたくしは筆を置きました。
「一つだけ、戻りました」
明日は、財務局の方がお見えになります。わたくしのすることは、もうございません。数え終えておりますので。
十年で四十度。春に反物、夏に器、秋に新穀、冬に炭。使っていただくために贈るものでございますから、無くなって当たり前でございます。無くなって当たり前のものを、なぜ十年も控えていたのか。本日、ようやく申し上げました。この十日で増えた丸がたった一つで、しかもそれが金貨に足されない丸だというのが、作者はどうにも気に入っております。次回、財務局の検分官が、条文どおりに読み上げます。




