第11話 書かなかったことも、残っております
〈結納目録 第六十一項から第六十八項まで ――本日、八点〉
翌日、蔵の鍵はバルテル様ご自身が開けてくださいました。
いつもと同じでございます。ただ、いつもと違いましたのは、この方が中へお入りになったことでございます。
二歩ではございません。奥まで、でございます。
「お手伝いをいたします」
「よろしいのでございますか」
「本日は、そのように申しつかっております」
どなたに、とは伺いませんでした。
第六十一項から第六十八項までは、書物と巻物でございます。家史の写しが三巻、祈祷書が二冊、暦の綴りが三冊。
書物は重うございます。バルテル様が下ろして、わたくしが開いて、ジョゼットが埃を払いました。三人でやりますと、速うございます。
八点のうち、ございましたのは五点でございました。三点、ございませんでした。
家史の写しは三巻のうち二巻。祈祷書は二冊とも。暦の綴りは三冊のうち一冊でございます。
家史の欠けておりましたのは、中の一巻でございました。
「一巻目と三巻目がございまして、二巻目がございません」
「……さようでございますか」
「二巻目には、系図が入っております」
バルテル様は棚のほうをご覧になったまま、こう仰いました。
「系図の写しは、方々でご入用になるものでございます」
「ご入用と申しますと」
「縁組のときでございます」
わたくしは筆を止めました。
縁組のときに要りますのは、こちらの家の系図ではございません。要りますのは、次のお相手の側でございます。
二巻目には、うちの家とこちらの家が並んで載っております。十年前に、婚約が調いましたときに書き足したものでございます。
それが、無くなっております。わたくしは所在不明と書きました。
書きながら、これは売られたものではないかもしれないと思いました。売って金子になるものではございませんので。
ただ、無いものは無いのでございます。無い理由を書く欄は、この帳面にはございません。
わたくしが所在不明と書きますあいだ、バルテル様は棚の前に立っておられました。
「セリーヌ様」
「はい」
「三年前の九の月に、わたくしはお嬢様から帳面をお預かりいたしました」
わたくしは筆を止めました。
「玄関で、でございますね」
「さようでございます。あの日、わたくしは署名をいたしました」
「はい」
「あの日の朝に、真珠を出してまいれと申しつかっておりました」
蔵の中は、日が斜めに入っております。埃が、その光の中をゆっくり動いておりました。
「王都南のモランへ、でございますね」
バルテル様が、わたくしのほうをご覧になりました。
「……ご存じでいらっしゃいましたか」
「札が、箱の底にございました」
「戻しておられますか」
「戻してございます」
バルテル様は目を伏せられました。
「捨てられませんでした」
「はい」
「捨てれば、出せなくなりますので。いつか、お戻しできると思っておりました」
わたくしは筆を置きました。
置いて、少し考えました。考えましたのは、この方に何を伺うかではなく、何を伺わないかでございます。
「バルテル様」
「はい」
「あなたは、なぜ署名を続けられたのですか」
これは、伺ってよいことでございます。この方ご自身のことでございますので。
バルテル様は、しばらく答えられませんでした。
「……わたくしは、家令でございます」
「はい」
「家令は、命じられたことをいたします。売れと申しつかれば、売ってまいります。それが役目でございます」
「はい」
「ただ、書けと申しつかっていないことは、書きません。書くなと申しつかったことも、書きません」
この方は、棚のほうを向いておられました。
「わたくしは、書けと言われたことしか書いておりません。書かなかったことも、残っております」
わたくしは、その言葉の意味を二度考えました。一度目は、言葉のとおりに。二度目は、この方の三十年のほうから。
「お屋敷の帳面には、何を書いておられますか」
「動かしたものと、日付と、行き先でございます」
「命じた方のお名前は」
「……書けと申しつかっておりません」
「では、書いておられませんね」
「書いておりません」
バルテル様は、そこで一度言葉を切られました。
「わたくしの手控えのほうには、書いてございます」
埃が、まだ光の中を動いておりました。
「手控えは、家の帳面ではございません。わたくしのものでございます。三十年、毎晩つけております。誰にお見せするものでもございません」
「はい」
「お見せするものではございませんが、お尋ねになる方がいらっしゃいましたら、お見せいたします」
わたくしは帳面を閉じました。
「わたくしは、お尋ねいたしません」
バルテル様がこちらを向かれました。
「なぜでございます」
「わたくしがお尋ねしますと、あなたはわたくしのためにお出しになったことになります」
わたくしは立ち上がって、埃を払いました。
「そうなりますと、あなたはこの家に居られなくなります。わたくしは、あなたのお勤めを終わらせに来たのではございません」
バルテル様は、何も仰いませんでした。仰らないまま、次の箱をお下ろしになりました。
その日の帰りがけ、玄関でアルド様とすれ違いました。
「セリーヌ」
「はい」
「明日、銀器を返す」
わたくしは足を止めました。
「返す、と仰いますと」
「母上が、返すと仰った。蔵に無かったぶんのうち、銀のものは戻せると」
「戻せる、と仰いますと」
「……そう仰った」
アルド様は、それ以上ご存じないご様子でございました。
わたくしは頭を下げました。
「では、明朝伺います。目録と照らしてまいります」
馬車の中で、ジョゼットが申しました。
「お嬢様。戻せるものなら、はじめから戻しておられます」
「そうですね」
「戻すと仰るのは、戻せるものが手元にできたということでございます」
「そうですね」
「銀は、どこにでもございます」
ジョゼットは窓の外を見たまま、そう申しました。
わたくしは膝の帳面を開いて、明日の頁に何も書かずにおきました。書く欄は、明日つくればよろしいのです。
三十年、毎晩つけている手控えがあるそうでございます。お尋ねになれば、お見せくださるそうでございます。ですからセリーヌは、お尋ねいたしません。尋ねてしまえば、この方はこの家に居られなくなりますので。次回、銀器が返ってまいります。返ってはまいりますが、ジョゼットが台の裏を見たがっております。




