嘯く数字
父上からの書状は、思っていたよりも短く、そして冷静な文面だった。
「灰の谷において、独断で税制と農地運用を変更しているとの報告を受けた。詳細を説明せよ」
叱責というより、確認を求める内容だった。誰かが、俺の動きを本領に伝えたことは間違いない。ただ、その報告がどこまで正確なものだったかは分からなかった。
俺はその夜、フィリアとダレン、ハロルドを会議室に集めた。
「本領から、説明を求める書状が届きました。これを機に、これまでの改革の結果を、一度きちんと数字にまとめておきたいと思います」
ダレンが僅かに顔を上げた。
「――報告書を送ったのは、私です」
意外な告白だった。誰もが息を止めて彼の言葉を待った。
「独断で制度を変えることに、正直まだ不安がありました。もし失敗すれば、私が責任を問われると思ったからです。それで、本領に事前に知らせておくべきだと考え、書状を出しました」
「妨害するつもりだったわけではない、と」
「はい。ただ、ご不快に思われたなら、お詫びいたします」
俺はしばらく黙り、それからゆっくりと頷いた。
「不快には思っていません。むしろ、ちょうど良い機会です。あなたが不安に思っている以上のことを、数字で示せば済む話です」
フィリアが帳面を開き、この一ヶ月の変化を順に読み上げていった。分割課税の試験導入によって、種籾の確保に困る農家が減ったこと。北側四区画のヨルガ草への転作によって、これまで赤字だった区画が、初めて収支の見通しを立てられるようになったこと。洪水対策によって、今年の収穫が例年より安定する見込みであること。
「これらはまだ、成果が確定したわけではありません。ですが、少なくとも、これまでの『前例通り』のやり方より、悪くなっている部分は一つもありません」
ダレンは帳面の数字を、一つ一つ食い入るように見つめていた。
「――五年前、私は同じような数字の違和感に気づいていました。モーガン様の代官時代、税収の記録に不自然な項目があったことを。ですが、当時の私には、それを声に出す勇気がありませんでした」
ダレンの声は、次第に震えを帯びていった。
「モーガン様に直接尋ねたことがあります。『特別経費とは何ですか』と。あの方は笑って、『会計官が細かいことを気にするな』とだけ仰いました。私はそれ以上、追及できませんでした。あの方の後ろに、本領の誰かがいるのではないかと、疑っていたからです」
「本領の誰か、というのは」
「分かりません。ただ、モーガン様が異動された先は、本来なら格上げとは言えない小さな領地でした。それなのに、あの方はずいぶんと満足そうにしておられました。今思えば、あれは罰ではなく、何かの見返りだったのかもしれません」
その話を聞いて、俺は灰の谷の問題が、単なる一人の不正な代官の話では済まないかもしれないという予感を覚えた。だが、今はまだ、確証のない話だ。
会議室が静まった。俺は何も言わず、彼の言葉を待った。
「声を上げれば、自分の立場が危うくなる。それが怖くて、見て見ぬふりをしました。今回も、同じことをしてしまったのだと思います。変化を恐れて、先に本領へ知らせることで、自分の身を守ろうとしました」
「あなたを責めるつもりはありません。ただ、これから先は、俺に直接言ってください。あなたの懸念は、いつも的確です。ただ、それを本領に投げる前に、俺たちに投げてほしい」
ダレンは深く頭を下げた。
「承知いたしました。……これからは、代理領主様の下で、正式に仕事をさせていただきたく存じます」
その言葉を聞いて、フィリアが小さく息を吐き出す音がした。
翌日、俺は父上への返書を書いた。改革の内容、根拠となる数字、そしてダレンが自ら報告した経緯まで、すべてを正直に記した。誠実さが評価されるかどうかは分からない。だが、隠して後で問題になるよりは、今すべてを見せておく方がいい。前世でも、悪い情報ほど早く報告した方が、結局は信頼を失わずに済むものだった。
書状を送り出した夜、俺は窓の外に広がるヨルガ草の畑を眺めながら、フィリアに尋ねた。
「本領は、これをどう受け取るでしょうか」
「分かりません。ですが、少なくとも今の灰の谷には、隠すべきことは何もありません」
フィリアの声には、以前にはなかった確かな響きがあった。
「ダレンさんが話してくれた、モーガン様の件は、どう思われますか」
フィリアが静かに尋ねた。
「今すぐに動く話ではないと思います。ただ、頭の片隅には置いておくべきでしょう。もし本領の誰かが関わっているなら、灰の谷の改革そのものが、誰かにとって都合の悪い話になる可能性があります」
「私たちが結果を出せば出すほど、その誰かにとっては脅威になる、ということですね」
「その可能性はあります。だからこそ、数字はいつも正確に、隠さず残しておく必要があります。何かあった時に、俺たちを守ってくれるのは、結局この帳面だけですから」
フィリアは自分の帳面を、両手で少し強く抱き直した。




