答えを出す前に
ダンスコット子爵家への返答をどうするか、俺たちはその夜から、具体的な検討を始めた。単に「婚約を続けたい」と伝えるだけでは、家同士の政略の論理には対抗できない。フィリアの実家が縁談に傾く理由――家の再興――そのものに対して、何か答えを示す必要があった。
「ダンスコット家の財政状況は、どの程度分かりますか」
俺が尋ねると、フィリアは少し驚いた顔をしたが、すぐに冷静な口調で答えた。
「詳しくは分かりませんが、私が実家にいた頃から、決して良くはありませんでした。灰の谷ほど深刻ではありませんが、似たような苦しさはあったと思います」
「もし、ダンスコット家の財政再建に、灰の谷の知見を役立てられるとしたら、話は変わってくるかもしれません」
「――実家を助ける、ということですか」
「あなたの家が再興できれば、フェアバンク家に頼らずとも、家の体面は保てます。縁談を受け入れる理由の一つが、消えることになります」
フィリアはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。窓の外、月明かりが、彼女の横顔を、静かに照らしていた。
「父が、私の提案を素直に聞くとは思えません。ですが、試す価値はあると思います」
俺は、その決意を、静かに支えたいと思った。彼女が「無価値」と呼ばれ続けた年月を思えば、この挑戦は、単なる財政再建の提案以上の意味を持つはずだった。
俺たちは、ダレンにダンスコット家の領地について、可能な範囲で情報を集めてもらうことにした。数日後に届いた報告によると、ダンスコット家の領地も、灰の谷と似たような構造的な問題――非効率な税制と、活用されていない資源――を抱えていることが分かった。
「ヨルガ草に似た薬草が、ダンスコット領にも自生している可能性があります」
フィリアが、実家の領地の地形を思い出しながら言った。彼女の記憶の中には、幼い頃に見た、実家の裏山の風景が、まだ確かに残っているようだった。
「もしそうなら、灰の谷の栽培技術と、フィリア嬢自身の知見を持って、実家の再建を手伝う提案ができます。あなたの価値を、家柄ではなく、実務の力で示す機会になります」
「私が、実家を助ける立場になる、ということですか」
「そうです。無価値と呼ばれてきた娘が、実は家を救う力を持っていた。それを、誰よりも実家の人間に、直接示す機会です」
フィリアの表情に、これまでとは違う強さが浮かんだ。それは、単なる決意というより、長年押し込めてきた何かが、静かに解き放たれていくような表情だった。
「――やってみます。今度は、誰かに決められる前に、自分から動いてみたいです」
翌日から、俺たちはダンスコット領の情報をさらに集めることにした。ダレンの伝手と、フィリア自身の記憶を頼りに、領地の地形、気候、そして過去の収穫記録を可能な限り洗い出す。灰の谷で積み上げてきた手法が、そのまま応用できるかどうかを見極める作業だった。
「実家の領地は、灰の谷ほど土地が痩せているわけではありません。ただ、税の取り方が古いままで、農家の負担が大きいという点は、似ています」
フィリアが、記憶の中の実家の様子を、一つずつ数字に変換していく。灰の谷で身につけた分析の型が、彼女自身の言葉の中に、確かに根付いていることが分かった。灰の谷に来た当初、彼女の言葉には、いつも遠慮と自己否定の色が滲んでいた。今、彼女の言葉には、確かな根拠に支えられた、静かな自信がある。
「準備が整ったら、俺も一緒に行きます。あなた一人に、この交渉を背負わせるつもりはありません」
「――ありがとうございます。正直、少し心強いです」
フィリアの声には、これまでの不安げな響きではなく、静かな決意が滲んでいた。
俺たちは、その後数日をかけて、ダンスコット領へ持参する資料を、丁寧に仕上げていった。灰の谷の改革の記録、想定される薬草の栽培計画、そして税制の見直し案。フィリアは、これまでの経験を総動員し、実家の帳簿の癖や、父の性格まで踏まえた、説得力のある資料を作り上げていった。夜遅くまで作業が続く日も少なくなかったが、その表情に疲労以上の充実が滲んでいるのを、俺は何度も見た。
「父は、体面を気にする人です。だから、感情的な訴えではなく、確かな数字と、家の再興という、体面を保てる結果を、示すべきだと思います」
「その通りだと思います。俺の父も、同じでした。数字と、家の名誉。その両方が満たされれば、判断は、驚くほどあっさりと動くものです」
フィリアは、その言葉に、小さく笑った。
「私たちも、こうして、二つの家の事情を、それぞれ抱えることになりましたね」
「そうですね。でも、それぞれの事情に、丁寧に向き合っていけば、きっと、両方とも、良い方向に進められると思います」
翌日、俺たちは、これまでまとめた資料を、改めて見返した。数字の一つ一つに、根拠と、実現可能性の両方が、丁寧に示されていることを、俺は、静かに確認していった。灯りの下、紙面に整然と並んだ数字の列は、フィリアという人間の、これまでの歩みそのものを、映し出しているようだった。
「これなら、父上も、単なる思いつきだとは、判断しないはずです」
フィリアの言葉に、俺は頷いた。灰の谷とダンスコット領、二つの土地の未来が、この資料に、確かに込められていた。窓の外、夜明け前の薄明かりが、少しずつ、部屋の中に差し込み始めていた。俺たちは、その光を見ながら、しばらく無言のまま、これから訪れる旅路への、静かな決意を確かめ合っていた。




