無能と呼ばれた俺、辺境へ送られる
「……検出値、ゼロ」
サイラス老がそう告げた瞬間、大広間の空気が凍りついた。
一瞬の静寂の後、親族席から漏れ出したのは、失望と嘲笑の入り混じったざわめきだった。
「ゼロ、だと……?」
「まさか、貴族の子で魔力ゼロなど、聞いたこともない」
「兄君とは大違いだな」
「これでは婚約の話も、白紙に戻さざるを得ないのでは」
父上の顔から、みるみる血の気が引いていく。次に浮かんだのは、隠しきれない苛立ちと、恥辱の色だった。
「サイラス殿。測定に誤りがあったのではないか」
父上がそう問い詰めるのも無理はない。この世界で「魔力ゼロ」というのは、単に魔法が使えないという以上の意味を持つ。貴族としての存在そのものを否定される烙印だ。前世でいうなら、査定表の全項目に大きくバツ印を付けられて、あらゆる会議の場で名前を呼ばれなくなるようなものだろう。
俺自身は、意外と冷静だった。予想はしていた、というのが大きい。それに、この「詰んだ」という感覚は、前世でも何度も味わってきた。灰谷店の四半期報告を本部に出す時の空気と、そう変わらない。数字が悪い時に必要なのは、動揺ではなく、次の一手だ。
親族席の奥から、伯父の一人が皮肉げに呟くのが聞こえた。
「ヴァイグレンの家に、無能な子が生まれるとはな。ゲイリウス殿も、飼い犬に手を噛まれるとはこのことか」
父上はその言葉に何も返さなかった。ただ、こめかみのあたりが微かに震えていた。悪意そのものよりも、それに黙って耐えるしかない父上の立場の方が、俺には堪えた。
食後、俺は自室に戻る前に、ふと兄の部屋の前で足を止めた。クレインが出てきて、いつもの余裕のある表情ではなく、少し困ったような顔でこちらを見た。
「……お前を笑うつもりはなかった。ただ、驚いただけだ」
「分かっています。気にしていません」
「これからどうする。父上は、お前を辺境に出すつもりらしいぞ」
「そのようですね」
クレインは何か言いたげな顔をしたが、結局それ以上は何も言わず、俺の肩を一度だけ叩いて自室に戻っていった。悪い兄ではない。ただ、生まれた場所が違うだけの人間だった。
「もう一度、測定させていただきたい」
サイラス老はそう言うと、俺の前にしゃがみ込み、水晶の杖ではなく、懐から取り出した小さな金属の板を俺の足元に置いた。彼の目つきが、それまでの儀式的な様子とは違う、鋭い研究者のものに変わっている。
板の表面に、うっすらと光の筋が走った。誰の目にも留まらないほど、微かな光だった。
「……ふむ。やはりな」
サイラス老は小さく呟き、それ以上は何も言わずに立ち上がった。
「測定に誤りはございません、子爵。ルーク様の魔力量は、確かにゼロと計測されます」
大広間がまた騒がしくなる。父上は苦い顔で頷き、儀式はそのまま打ち切られた。招待客たちは、憐憫と侮蔑の混じった視線を俺に向けながら、次々と大広間を後にしていった。
その夜の夕食の席は、これ以上ないほど気まずいものだった。父上はほとんど言葉を発さず、兄クレインだけが、妙に機嫌の良い調子で話し続けていた。
「魔力ゼロとは、さすがに予想していなかったな。ルーク、これから先どうするつもりだ」
悪意があるとも言い切れない、無邪気な問いだった。それが余計に堪えるのだと、クレイン自身は気づいていない様子だった。俺は無言でスープを口に運びながら、内心では既に別の計算を始めていた。この家にいる限り、自分の評価はこれ以上上がらない。ならば、評価される場所そのものを変える必要がある。前世で異動願いを出す時の心境と、驚くほど近かった。
その夜、俺は屋敷の裏庭でひとり空を眺めていた。前世の記憶からすれば、こういう時に頭の中で「反省会」をやるのが癖だった。何がまずかったのか。次にどう動くべきか。だが今回に限って言えば、対策の立てようがない。魔力がないという事実は、発注ミスとは違って、明日から改善できるものではないからだ。
「――少し、話を聞いてもよいですか」
声をかけてきたのは、サイラス老だった。他の客はすでに引き上げている頃合いだ。
「あの金属板は何です」
俺が聞くと、サイラス老は僅かに口の端を上げた。
「地脈計です。地中の魔力の流れを可視化する道具でしてね。ルーク様が杖の前に立った瞬間、地面の魔力の流れが、明らかに乱れました」
「乱れた?」
「普通、人の魔力は体内に留まり、必要な時に外へ放出される。しかしルーク様の場合は違う。魔力を留めることができず、絶えず大地へ流れ込んでしまっている。杖が検出できなかったのは当然です。あなたの魔力は、あなたの中にはないのですから」
俺は思わず息を呑んだ。
「歴史上、記録に残っているのは三人だけです。そのうち二人は、当時の権力者に土地の資源として扱われ、生涯領地から出ることを許されなかったと伝えられています」
サイラス老の口調は、淡々としているだけに、余計に重みがあった。
「三人目は、どうなったんですか」
俺が尋ねると、サイラス老は少し口を閉ざし、それから静かに続けた。
「三人目は、自らの体質を隠し通し、辺境の小さな土地で誰にも知られず生涯を終えたと伝わっています。彼が治めていた土地は、彼の死後何十年も、周辺のどの土地よりも豊かだったそうです。誰も理由を知らなかった、ただそれだけの記録です」
その話を聞いて、俺はふと自分の指先を見た。まだ何も起きているようには見えない、ごく普通の手だ。だが、その下には、目には見えない流れが確かにあるのだという。
その夜、俺は屋敷の裏庭の隅に生えていた、明らかに元気のない一本の若木の根元に、こっそりと両手をついてみた。何が起きるという確証もなかったが、試さずにはいられなかった。しばらく集中を続けると、若木の葉先が、わずかに色を濃くしたような気がした。気のせいかもしれない。それでも、俺は確かな手触りのようなものを感じていた。
「――つまり、俺には魔力がないわけじゃなく、地面に流れ続けているということですか」
「その通り。文献の上でしか語られてこなかった、いわゆる『浸透型』の体質です。数百年に一人現れるかどうかという、極めて稀有な性質でしてな」
前世の記憶が、頭の中で勝手に何かを組み立て始めた。土地に魔力が流れ込む。土地が豊かになる。これは、灰の谷のような痩せた土地にとって――
「サイラス殿。この話、他には」
「今のところ、私だけです。しかし、正直に申し上げれば……このことを公にするのは、おすすめしません」
サイラス老の声が、急に低くなった。
「浸透型の体質は、歴史上、しばしば為政者に利用されてきました。土地を富ませる道具として、本人の意志を無視して扱われる。あなたがまだ何の後ろ盾も持たない次男である今、この事実が知れれば、良くて政略の駒、悪くて研究材料として扱われかねません」
つまり、俺自身の身のためには、無能のレッテルを甘んじて受けたほうがいい、ということだ。前世でいうなら、実力を隠して評価を落としておいた方が、無理な異動や過剰な期待を避けられる、というのに近い理屈だった。
「もう一つ、覚えておいてほしいことがあります」
サイラス老が声を落として続けた。
「浸透型の力は、土地との相性に大きく左右されます。豊かな土地では大した変化を生みませんが、痩せた土地、荒れた土地であればあるほど、変化は大きく現れる。もしあなたが辺境に送られるようなことがあれば――それは、不幸中の幸いになるかもしれません」
その言葉を、当時の俺はただの慰めだと思って聞いていた。まさか三日後に、その通りの展開が待っているとは思っていなかった。
「わかりました。このことは、俺からは誰にも言いません」
「賢明です。ただ――」
サイラス老は俺の顔をまじまじと見て、それから小さく笑った。
「あなたはずいぶんと、落ち着いておられますな。この年で魔力ゼロと言われて、絶望するどころか、算段を立てているような顔をしている。もし、いつか私の助けが必要になった時は、王都の研究院に文を送りなさい。私の名前を出せば、届きます」
俺は深く頭を下げて礼を言った。この老学者が、どうやら見た目以上に信頼できる人物だということだけは、はっきりと分かった。
翌朝、若木を見に行くと、昨夜よりも明らかに葉の色が良くなっていた。庭師も気づいたのか、不思議そうな顔でその木を見つめていたが、まさか俺のせいだとは思いもしていないようだった。俺はその様子を見て、内心で小さく確信を深めていた。派手さはない。誰の目にも留まらない。だが、確実に何かが変わっている。前世の店舗改善と、まったく同じ手触りだった。
三日後、父上は俺を書斎に呼び出した。用件はわかっていた。
「ルーク。魔力ゼロの息子を、このまま本領に置いておくわけにはいかない。お前も分かっているだろう」
父上の声には、申し訳なさと、体面を守りたい気持ちが半々に混じっていた。書斎の壁には、代々の当主の肖像画が並んでいる。その視線が、まるで俺を値踏みしているようにも見えた。
「北の飛び地――灰の谷を、お前に任せる。代理領主として、あそこで好きにやるがいい」
事実上の追放だった。誰も欲しがらない土地に、誰も期待していない息子を送る。合理的といえば合理的な人事だ。父上なりに、俺を完全に見捨てたわけではなく、名目上の役目を与えてくれた、ということなのだろう。
「なお、お前の婚約者――ダンスコット子爵家のフィリア嬢も、すでに灰の谷に発たれている。あちらの家も、事情があってな」
俺は初めて、自分に婚約者がいたことをはっきりと意識した。政略結婚というのは、この世界の貴族社会では当然の仕組みだが、当人の実感としては薄いものだった。
俺は深く頭を下げた。表向きは、しおらしく。
だが内心では、まったく違う感情が沸き上がっていた。
灰の谷。財政破綻寸前、洪水と旱毫に苦しむ辺境領地。俺は前世で、これよりずっと厳しい「立て直し不能」と言われた店舗を、何度も黒字化してきた。
無能の烙印を押されたまま、誰も見ていない場所で好きにやれる。これは、追放ではない。
――願ってもない、最初の配属先だ。




