不穏な調査
父上への返書を送った後、俺たちはグレッグ商会について、独自に調べを進めることにした。表向きは取引条件の確認という体裁を取りながら、実際にはこの商会がモーガン元代官の不正とどう繋がっているのかを探る作業だった。会議室の卓には、これまでダレンが密かに保管してきた古い帳簿が、日に日に高く積まれていった。
「グレッグ商会の主な取引先を、ダレンさんの記録から洗い出しています」
フィリアが古い帳簿と、最近届いた取引書類を並べて比較していた。数字の並びを見比べるだけで、彼女には見えてくるものがあるらしい。彼女の指が、帳面のページを行き来する様子を、俺はしばらく黙って見ていた。細い指先が、古い紙の上を滑るたびに、僅かに乾いた音が鳴った。
「五年前、モーガン様の時代に結ばれた『特別経費』の記録と、今回グレッグ商会が提示してきた取引条件には、価格の決め方に共通する癖があります。相場よりわずかに高い価格を提示して、その差額の一部を、別の名目で戻す形になっているようです」
「つまり、表向きは灰の谷が得をする取引に見えて、実際には裏で何かが動いている、ということですね」
「断定はまだできません。ですが、可能性は高いと思います」
俺たちはその晩、サイラス老に宛てて、グレッグ商会と本領の商取引担当との関係について、可能な範囲で調べてもらえないかという手紙を書いた。老学者は魔導研究に籍を置く立場だが、王都の人脈は広い。こういう調べ物には、彼以上に頼れる相手が今のところいなかった。手紙を書きながら、俺は、サイラス老が浸透体質の秘密を知る唯一の人物であることも、改めて思い出していた。信頼できる相手が、この土地の外にもいるという事実は、思っていたよりも大きな安心感を、俺に与えていた。
手紙を書き終えた後、フィリアが、ふと手を止めて言った。
「――こんなに、誰かの裏の顔を探るようなことをするのは、初めてです。数字を数えることと、こうして誰かの意図を探ることは、また違う種類の緊張がありますね」
「慣れなくていいと思います。ただ、必要な場面では、こうして向き合わなければならないことも、これからは増えるかもしれません」
数日後、意外な形で手がかりが増えた。ダレンが、以前から付き合いのあった商人経由で、グレッグ商会の資本の一部が、王国中央の貴族家に繋がっているという噪しを掴んできたのだ。彼が会議室に入ってきた時の表情には、これまでにない緊迫感が滲んでいた。
「貴族家の名前までは分かりませんが、少なくとも一つの商会だけの話ではないようです」
その情報を聞いて、俺は改めて灰の谷の問題の大きさを感じた。単なる一領地の財政難ではなく、もっと広い範囲に及ぶ利害の網が、この土地の下に潜んでいるのかもしれない。窓の外の静かな畑の風景と、その裏に潜む複雑な利害関係との落差に、俺は改めて、背筋の冷たくなるような感覚を覚えた。
「今すぐにどうにかできる話ではありません。ただ、この情報は必ず記録として残しておきましょう」
フィリアが頷き、新しい帳面の一頁を、そのためだけに割いた。灰の谷の帳簿には、いつの間にか、作物の収支だけでなく、目に見えない力関係の記録まで積み重ねられるようになっていた。
「この帳面が、いつか、俺たちを守る武器になるかもしれません」
俺の言葉に、フィリアは静かに頷き、丁寧な筆致で、その日知った情報を、一つずつ書き留めていった。窓の外、夜の畑には、変わらず穏やかな風が吹いていたが、俺たちの視線は、少しずつ、灰の谷の外の、もっと広い世界へと向けられるようになっていた。
数日後、ダレンが、王都の会計仲間からの返信を持ってきた。
「グレッグ商会の帳簿には、いくつかの領地との取引で、同じような価格操作の癖が見られるようです。灰の谷だけが、特別に狙われているわけではないのかもしれません」
「他の領地も、同じように、気づかないまま損をしている可能性がある、ということですね」
「そうだと思います。ただ、証拠として使えるほど、確かなものは、まだ手元にありません」
俺は、この情報を、灰の谷だけの問題として扱うのではなく、いずれ、同じ苦しみを抱える他の領地とも、共有すべき情報だと感じていた。ただ、今はまだ、動くには材料が足りない。前世でも、不正の全容を暴くには、感情に任せた行動よりも、確かな証拠を、一つずつ積み上げる地道な作業が必要だった。焦って動けば、むしろ証拠を握る側に警戒され、真実そのものが、闇の中に隠されてしまう危険がある。
「焦らず、少しずつ、確かな証拠を積み重ねていきましょう。今のところ、俺たちにできることは、それだけです」
フィリアが、静かに頷いた。灯りを落とした会議室に、夜の静けさが、ゆっくりと広がっていった。蝋燭の芯が、時折小さく爆ぜる音だけが、部屋の中に響いていた。この静かな時間の裏で、灰の谷を取り巻く事情は、確かに、少しずつ、その輪郭を明らかにし始めていた。
部屋を出る前、ダレンが、珍しく自分のことを口にした。
「私は、モーガン様の不正を、見抜いていながら、見過ごしてきた人間です。今こうして、同じような不正の影を追う側に立てていることが、正直、少し不思議な気持ちです」
「過去のことを、悔やんでいますか」
「悔やんでいます。ですが、悔やむだけでは、何も変わりません。今、私にできることをやる。それが、せめてもの償いになると思っています」
ダレンの声には、これまでの卑屈さは、もうほとんど残っていなかった。俺は、その変化を、静かに嬉しく思った。過去の過ちを抱えたまま、それでも前を向いて動き続ける人間の姿は、前世でも、何度か目にしたことがあった。そういう人間こそが、組織にとって、最も頼りになる存在に育っていくものだ。
「ダレンさんがいなければ、この帳簿の記録も、ここまで揃わなかったはずです。過去のことより、これからのことを、一緒に見ていきましょう」
俺の言葉に、ダレンは深く頭を下げ、静かに会議室を出ていった。その後ろ姿を見送りながら、俺は、灰の谷がこの一年で得たものの中で、こうした人の変化こそが、何よりも大きな成果なのだと、改めて感じていた。




