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満月の夜の祭り

満月の夜、灰の谷の広場には、この数年見られなかった数の灯りが並んだ。村の家々から持ち出された提灯、ハロルドが手配した薪の炎、そして各農家が持ち寄った収穫物の山。麦だけでなく、ヨルガ草の乾燥した束や、試験的に育てた豆の初収穫までが、テーブルの上に誇らしげに並べられていた。夜風が提灯の灯りを揺らし、その度に、広場全体が呼吸するように、ゆっくりと明暗を繰り返していた。

「これだけの品が並ぶのは、私が覚えている限り、十年以上前の話です」

ハロルドが感慨深げに呟いた。老執事の目には、隠しきれない喜びの色があった。彼は若い頃から、この土地の衰退を、ずっと近くで見てきた人間だった。豊かだった頃の収穫祭の記憶と、今夜の光景を、静かに重ねているのだろう。皺の増えた手で、彼は何度も、テーブルに並んだ麦の穂を、確かめるように触れていた。

祭りの準備は、この二週間、村中を巻き込んで進められてきた。テーブルの配置、料理の分担、そして子どもたちの出し物まで、誰もが自分の役割を、進んで見つけていった。前世で言うなら、店舗の周年祭の準備に、パート従業員から本部社員まで、皆が自然と協力し合う空気に似ていた。危機感を共有した組織は、余裕が生まれた瞬間、その分だけ強い結束を見せる。俺は準備の間、何度もそのことを思い出しながら、村人たちの動きを見守っていた。誰かに指示を出す必要はほとんどなく、それぞれが、自分にできることを、自然と探し始めていた。

祭りの中盤、俺は村人たちの前に立ち、この一年の改革について簡単に話をした。篝火の熱が頬に伝わり、集まった村人たちの顔が、炎の光でオレンジ色に染まっていた。数字の詳細は語らず、代わりに実物を示しながら伝えた。北側の畑から採れたヨルガ草の束を掲げ、東側の試験区画で初めて実った豆の袋を回し、そして分割課税によって蔵に残った種籾の量を、去年と比べて見せた。

「去年の今頃、この蔵に残っていた種籾は、こんな小さな樽一つでした。今年は、この大きな樽が三つあります」

俺がそう言って、実際の樽を示すと、村人たちの間から、素直な驚きの声が上がった。数字の説明よりも、目の前の量の差の方が、はるかに強く、皆の心に届いていた。誰かが小さく口笛を吹き、それに応じるように、あちこちから拍手のような音が沸き上がった。

「これは、俺一人の力ではありません。ダレンさんの十二年分の記録、オズワルドさんの土地への知識、そして――」

俺はフィリアの方を見た。彼女は緊張した面持ちで、帳面を胸に抱えていた。その手が、僅かに震えているのが、篝火の光の中でも分かった。

「この一年、灰の谷のすべての数字を記録し、どこに手を入れるべきかを示してくれたのは、フィリア嬢です。彼女の力がなければ、俺は何も始められませんでした」

広場がざわめいた。誰も、無価値と呼ばれてきた令嬢が、この変化の中心にいたとは思っていなかったのだろう。あちこちから小さな囁きが漏れ、それが波紋のように、広場の端まで広がっていった。フィリアは一瞬、たじろいだように見えたが、それでも一歩前に出て、小さく頭を下げた。

「――私は、ただ数字を数えていただけです。それを役立てる形にしてくださったのは、ルーク様と、皆さんの働きです」

謙遜しながらも、その声はしっかりと村人たちに届いていた。拍手が起きるまでに、少し時間がかかった。だが、一度誰かが手を叩き始めると、それはすぐに広場全体に広がっていった。中には、涙を拭う老婆の姿もあった。その拍手の音が広場に響き渡る中、フィリアは目を閉じ、その音を、まるで初めて聞く音楽のように、じっと受け止めていた。

祭りの終わり際、オズワルドが杯を掲げてこう言った。

「灰の谷は、もう終わった土地だと、誰もが思っておりました。私自身も、そう思っておりました。ですが、今夜だけは、来年がどうなるか、楽しみに思えます」

その言葉に、村人たちの間から静かな笑い声と、いくつかの涙が上がった。ミラが、大人たちの合間を縫って、祭りの飾りを配って歩く姿も見えた。小さな花冠を手渡された老婆が、皺を深くして笑う様子を、俺はしばらく眺めていた。この光景の一つ一つが、この一年、俺たちが積み上げてきたものの、確かな証だった。

祭りの後、片付けを終えた広場で、俺とフィリアは並んで空を見上げていた。満月が、片付けの終わった広場を、静かに照らしていた。

「人前で話すのは、思っていたより怖くありませんでした」

フィリアがぽつりと言った。

「よくやりました。あなたの言葉が、あなた自身の名前を、この土地に刻んだと思います」

「――名前、ですか」

「これまで、あなたは無価値の令嬢と呼ばれてきました。今夜からは、フィリア・ダンスコットという名前で、この土地に記憶されるはずです」

フィリアは何も言わず、ただ小さく微笑んだ。満月の光が、その顔を柔らかく照らしていた。片付けの済んだ広場には、まだ、祭りの余韻を惜しむように、いくつかの提灯が灯り続けていた。風が吹くたび、提灯の灯りが、小さく揺れて、二人の影を、地面の上でゆっくりと動かしていた。

翌朝、まだ夜明け前の薄暗い時間に、俺は一人で畑に出た。祭りの熱気の残る村は、まだ静かに眠っていた。空気は冷たく、草の先には、まだ小さな夜露が残っていた。土に手をつけ、目を閉じる。この一年で、地面から返ってくる感覚は、着任した頃とは、明らかに違うものになっていた。乾いて、ひび割れたような感触ではなく、しっとりと、確かな重みを持った土の気配。手のひらから伝わるその感触に、俺は改めて、この土地が確かに変わり始めていることを、実感していた。

「――この土地も、ようやく息を吹き返してきたのかもしれない」

俺は、そう独り言を呟きながら、朝日が畑を照らし始めるのを、しばらく眺めていた。東の山の稜線から、光が少しずつ畑全体に広がっていく様子は、何度見ても、飽きることのない光景だった。この静かな時間もまた、灰の谷が積み上げてきた、確かな一日の始まりだった。


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