6.静かな憤り
仕事を始めて、半日が経った。
広げた書類の中で、違和感のある部分に印を付け、深掘りしている。
「――それと、こちらの数字も微妙に合いません」
「……ケイト。頼んだ資料を確認できたか?」
机の上には、イースタン側監査官の承認印が押された書類。見事に、搬入記録の日付と一致しない。
偶然では済まされない数だった。
「こちらから確認書を送った際、“記録ミスの可能性”として処理をされた痕跡があります」
「……確定ですね」
低く落ちたリク様の声に、顔を上げた。
それは、あまりに怒りを含んだ静かな声だったから。
「つまり、発覚前提で揉み消すつもりだった、と」
「その可能性が高いかと」
沈黙が落ちる。
怒鳴り声はない。
机を叩くこともない。
「……随分と、軽く見られたものですね」
ウェルネシカは、各国に大使館を置く外交経験が豊富な国。
それに比べて……イースタンは昨年までどの国とも繋がりを持たなかった閉鎖国……。相手を甘く見るにも、程がある。
「リク様……」
思わず名前を呼んでしまった。
けれど彼は怒気を見せないまま、整然と資料を閉じた。
「こちらが交渉して国を開いてもらったので、侮られるのは構いません」
「……」
「ですが、誠実に築こうとしている関係を利用されるなら、話は別です」
静かな声音が、冷えるほど冷たい。
「証拠を固めます……こちらが、“気付いていない”と思っている内に」
「どうするのですか?」
問いかけると、リク様は閉じた資料の上に指先を置いたまま、僅かに視線を細めた。
「まず、偶然かどうかを切り分けます」
「……偶然ではない可能性が高いのでは?」
「ええ。ですが、高い……という事だけでは足りません」
その言葉に、背筋が自然と伸びる。
「外交は、疑いだけで相手を追及出来るほど単純ではありません。相手が否定出来ない形の証拠が必要です」
感情的になっていないからこそ、本気なのが分かる。
「アイリさん。不正処理された案件だけを抜き出して、共通点を洗えますか?」
「承知しました」
再び資料へ目を落として一件ずつ追っていけば、微かな癖が見え始めた。
決算締め直前。
同じ運搬業者。
そして――承認欄に押された、同じ監査官の印。
「……こちらです」
纏めた紙を差し出すと、リク様は目を通し、小さく息を吐いた。
「やはり同一人物ですか」
「この監査官を通った案件だけ、不自然な数字の動きがあります」
「なるほど……随分と分かりやすい」
腕を組んで、不敵な笑みを浮かべたリク様が「ならば……」と言った。
「ケイト、イースタン側へ連絡を。来週、別案件の監査確認を行う予定がある、そう伝えてくれ」
「……別案件、ですか?」
「こちらが気付いているとは思わせません」
そこでようやく、リク様の意図が見えた。
監査が入ると知れば、相手は動く。もし不正があるなら……尚更。
「証拠隠滅を誘うのですね」
「はい。焦った人間は、必ず余計なことをします」
その言葉に、ぞくりとした。
静かに、確実に、逃げ道を塞ごうとしている。
「では、私は倉庫記録と搬入記録を再確認します」
「お願いします。……ああ、それと」
呼び止められ、顔を上げる。
「おそらく相手は、貴女を警戒していません」
「……はい」
「補佐官として紹介しても、“飾り”程度にしか見ていないでしょう。だからこそ、見落とす」
美人は嫌われる。
そして同時に、中身を見ようとされない。
「利用出来るものは利用します」
そう告げたリク様の声音に、迷いはなかった。
「分かりました」
小さく頷きながら、胸の奥が妙に熱くなる。だって、初めてだから……この容姿を、“武器”として扱われたのは。
リク様は、そんなつもりないかもしれない。けれど、私にとってリク様の言葉と提案は、今までの人生を丸ごと救ってくれるような……そんな気がした。
***
会計監査部も優秀な人間が多い。
それなのに、見落とした穴を小一時間で見つけた上に、今日の今日で打開策まで辿り着いた。
これが……彼女の力。
「これが上手く運べば、今後の交渉も我々に有利に働きます」
「あぁ。彼女のおかげでウェルネシカが得る利益がどれだけ増えるか」
「……それだけじゃ、なさそうですね」
ケイトは、本当に僕の表情を読むのが上手い。
「彼女の名誉も、回復出来たら……とは思ってる」
「その件なのですが」
周囲に誰もいないのを確認して、耳打ちする。
「不自然な程、同じような扱いの女性が多いので内偵したところ……どうやら、過去に女性問題で歪んだ歴史があると」
「歴史か……」
「ただ、情報は厚く隠蔽されており、解明までには時間が掛かりそうです」
「分かった。引き続き、頼む」
「お任せを。明日から不在にしますので、十分ご注意下さい」
こちらが辿り着けない情報……とは、相当手強い。
とにかく今は、一つでも前に進むことを優先しよう。解決しなければならない問題が、山積だ。




