4.安心するために
いつも執務を行う部屋の扉を開けただけなのに、彼女の表情がとても明るくなった。
自分にとっては、いつもの光景。だけど、宝物でも見つけた、子供のような笑み……。そういえば、湖を見た時も同じ顔をしてたっけ。
ソファに掛けた彼女の前に、ケイトが飲み物を出し、僕は幾つかの書類を並べた。
「早速だけど、業務内容を軽く説明しても?」
「大丈夫です」
「大使館は、さっきも伝えた通りウェルネシカの領土。昨年まで閉鎖的だったイースタンに、初めて設けられた大使館です。双方の技術提供の場を設けたり、輸出入の円滑な取引も引き受けています」
並べた書類を選別しながら、丁寧に説明していく。
「ケイトは、実際に現場で聞き取りや経過観察なんかもしています。大使館の中に設けた各部署から回ってくる書類の整理や、訂正が貴女の仕事です。僕の欲しいデータをまとめてくれると、尚嬉しいですね」
「書式やフォーマットは決まっていますか?」
「決まってるものもありますが、見極めてもらって構いません」
何人かに同じ説明をした。実際に雇ったりもしたけど、結局自分で作った方が早いし、こちらが望む形にならないものも多かった。
「慣れるまでお時間を頂くかもしれません」
「それは、想定の範囲内です」
「試用期間を作って頂けませんか?」
「……試用期間?」
「はい。何人もの方がお辞めになったと仰っていました。私も例外ではないかもしれません。それなら、試用期間で判断して欲しいのです」
「僕の基準に満たなければ、解雇……と?」
「はい。国同士の機密も出てくるでしょう。信頼と信用を得た上で、お仕事したいのです」
待遇交渉ではなく、責任範囲を確認する。能力を誇示するでもなく、信用を積み上げようとする。
……やはり、彼女を選んで正解だった。
「分かりました。では、試用期間は一ヶ月。履行なら契約続行、不履行なら次の職場をご提案しましょう」
「ありがとうございます」
安心したのか、そっとカップに口を付けてくれた。
「それと、住まいについてですが。女性が少なく、寮の空きがないんです。用意出来るまで、大使が使う建物の客間で過ごしてもらえますか?」
「リク様のご迷惑にならないのなら、宜しくお願いします」
「これから準備をするので、良かったら整うまでの間に買い物をしませんか? 一人では不安でしょうし、僕も同行しますから」
「お仕事は……」
「会議のために急ぎの分は終わらせましたので、大丈夫です」
買い物は、大使館の外に出ざるを得ない。
不安をこれ以上増やさないためにも、同行が賢明だろう。
彼女の希望で、少し深めの帽子を用意し、街に出た。
特段大きな問題もなく、日常に使う物は大半用意出来たが、遠慮してか衣服の数がまだ少ない。無理強いしたいわけではないから、今は彼女の希望に沿って行こう。
「お支払いの分は、給金から差し引いて下さい」
「分かりました。あ……その給金の話をすっかり忘れていました」
「後からでも――」
「いけません。仕事には、それ相応の対価が必要です。そうだ、夕食を取りながら詰めませんか?」
「……ご一緒して……宜しいのですか?」
また、だ。
時々、不安になると見せる表情がある。
食事に不安があるのか、一緒に食べることに不安があるのか……どちらにしても、種は早めに摘めば良い。
「勿論です。料理長もウェルネシカから来てるんですが、絶品ですよ」
和らいだのを確認して、用意の整った客間に案内した。
買い物をした荷物も運び入れ、食堂の場所も伝えた。あとは、時間通り、彼女が来てくれるのを待つだけ。
「……ケイト、急ぎ調べて欲しいことがある」
「イースタンの歴史、でしょうか」
「さすがだね。昨年から抱いてきた違和感が、点と線で繋がるかもしれない」
「お任せ下さい」
彼女のように、容姿の整った女性ばかりが後ろに立ち、地味な装いをする……。これが何を物語ってるのか、僕には知る理由が出来た。
***
誰かと取る食事に……良い思い出は、一つもない。
家では、家族と同室しても距離を離され、冷たい食事だけを口にしてきた。元婚約者と……食事をしたこともない。
もし……粗相でもしたら――
その時、不意にノックが叩かれた。
「ケイトです。少し宜しいでしょうか」
「……はい、何かありましたでしょうか」
「本を数冊お持ちしました。仕事に役立つと思いますので、食事の前にお渡ししておきます」
「ご丁寧に、ありがとうございます」
「それと、まだお約束の時間ではありませんが、料理長が張り切っておりまして」
「……?」
「すでに支度が整いつつあります。もし、準備が終えられているようでしたら食堂へ向かうことをお勧めします」
「わ、分かりました」
着替えも必要ないし、いつも通り。
念のため鏡で身だしなみを確認してから、気持ち早めに廊下を進んだ。廊下に香る良い匂い……今までお腹なんて鳴ったことがないのに、初めて『きゅ〜』と鳴った。
“は、恥ずかしい……“
食堂の前に立つケイト様が扉を開け、長いテーブルの前方に座ったリク様が手を挙げた。
「急かしてしまって、すいません」
「いえ、遅くなってしまって……」
「料理長が張り切っただけですから」
ケイト様が引いてくれた椅子は、リク様の向かい側。
恐る恐る……座って、そっとリク様を見上げた。
"大丈夫。きっと、大丈夫……"
「失礼します、前菜から――」
目の前に色鮮やかな料理が並ぶ。リク様がカラトリーを手に取ったのを確認して、私も――
カラーン……
緊張のあまり震えた手からすり抜けて、フォークが落ちてしまった。一気に血の気が引いて、慌てて謝ろうとした時。
「アイリさん、落ち着いて。大丈夫。料理長、すまないが料理を並べたら二人にしてくれないか?」
「それでは、すぐ並べましょう。少しお待ちください」
側にいたケイト様がフォークを拾い、あっという間に料理が並べられた。そして、リク様と私を残して部屋から誰もいなくなった。
「何も気にしなくて良いですよ。話しても無言でも、僕は気にしません。本当に美味しいので、好きな物から食べてみて下さい」
「あの……ありがとう、ございます」
改めて、湯気の立つスープを一口。
「……美味しい……」
優しくて、滑らかな野菜のスープ。
他にもナイフで簡単に切れる柔らかなお肉に、ふわふわのパン……どれも……温かい。
「暫くの間は、二人で食事しても良いですね」
食事を口にしながら、リク様が言った。
本当は、呆れられても仕方ない失敗をしたのに、それを咎めるどころか、次があるような言い方。
「私……このスープが好きです……」
「えぇ、僕もお気に入りです」
誰かと食べる温かい食事の美味しさを、知った瞬間だった――




