3.休憩の概念
馬車に乗り込んですぐ、みるみる景色が変わっていく。普段帰る領地とは、真逆に進むから。
「大使館は、二つ先の街、ヴェリーダ領にあります。こちらの方面に来たことは?」
「……ありません。用事を済ませるのは、基本王都でしたから」
「ならば、新鮮でしょう。景色を楽しむのも休息の一つです」
……この方は、どうして平気なの?
この十数年間、ずっと……ずっと人から避けられてきた。美人は無能、顔が整ってるだけで役に立たない、厄が移ると。それなのに、大使様もケント様も、まるで普通に接している。
もう、すでに……夢が叶ったのかもしれない。
少しすると、窓の向こうに大きな湖が見えてきた。
初めて見る景色に、思わず口元が緩んでしまう。
「あそこで少し降りますね」
「良い……のですか?」
「だって――」
大使様がクスッと笑った。
「そんな顔をされては、止めないわけにいきません」
確かに口元が緩んでた自覚は、ある。急いで大使館に帰らなければいけない雰囲気でも無さそう。
「ここで止めてくれ」
「かしこまりました」
御者台に乗るケント様の声が外から聞こえた。
扉が開いた向こうに広がる、キラキラ水面が反射した湖に、思わず「わ……」と声が漏れた。
周囲に人はおらず、湖を囲む様に歩道も整備されていて、その美しい光景に目頭が熱くなってしまう。
「気に入りましたか?」
「えぇ……とても。素敵な所ですね」
「アロマ湖と言う名で、透明度が高くて有名なんです」
「確かに、湖の下までとても綺麗に見えます」
「もう少し季節が進めば、お祭りで幻想的な景色を見ることも出来るんですよ」
「それは、ぜひ見てみたいですね」
――今、自分が……普通に話せてたことに、ハッとした。こんな自然な会話……何年ぶりだろう。
「少し遊歩道を歩きませんか?」
「……ぜひ」
大使様の進む方へ、相変わらず少し距離を空けて歩き始めた。これは……もう癖のようなもの。隣を歩くなんて、私には許されなかったから。
「……どこで」
「え?」
「どこで仕事を覚えたんですか?」
「……卒業後、職に就けなくて。父から家の仕事を任されるようになりました。細かくは教えてもらえませんでしたので、書物や過去のデータを解析して……」
「過去のデータの解析?」
「はい。過去10年の記録を分析したり、報告したデータを照合して学んできました」
図書館の出入りも、家族がいない時に限られたし、他に教えてくれる人もいなかった。あの頃は、慣れない数字を必死に覚えて、朝から晩まで篭ってたっけ。
「統計を取ると、見えてくるものがあります。周期や翌年の予測、それらを生かして領民へ還元していました」
「……すごい」
「……生きる、術でしたから」
出来なければ食事はない。
収入を増やせなければ、服も買えない。
「複雑ですね。貴女がその状況だったから、ここまでの資料が作れるようになったのに。そんな状況に追い込んだ伯爵らが憎い」
「……矛盾、ですね」
「確かに」
いつの間にか空けてた距離が縮まり、ほとんど隣にいるような……。それを咎めるでも、指摘するでもない。
「大使の仕事は、主に国同士の仲介を担っています。政治的な交渉役でもあり、トラブルが起きた際の指示役でもあります」
「……難しいお仕事ですね」
それでも大使様が微笑む。
「難しいけど、楽しい。また矛盾ですね」
世の中は、矛盾だらけ……。
だけど、大使様はその矛盾を否定しない。
「優しいのに……孤独……」
「それも矛盾ですね。あとは、美しいのに不幸」
「……それは、矛盾ですか?」
「矛盾です。良いものがあるのに、掴みきれてないからです」
「……苦しいのに……生きたい」
ずっと……言葉にしてこなかった矛盾。
別に涙を流したいわけじゃない。下を向いても、負けたくはないから。
「生きる理由を探しに行きましょう」
そう言って、馬車を指差した。
来た道を戻るだけなのに、見える景色が明るくハッキリと見える。気持ち一つで……こんなに変わるんだと、感動すら覚えた。
「僕のことは、リクと呼んでください」
「……リク様」
「はい。貴女のことは、アイリさん……と呼んでも良いですか?」
「……構いません」
「それは、良かった」
――こうして、再び景色を眺めながら大使館のあるヴェリーダの街までやってきた。
王都よりも統一された美しい街並みを抜け、端から端まで見えないほどの高い柵に囲われた門を抜けた。
「ここが、大使館の敷地です」
「広い……ですね」
呆気に取られてしまう程、広大な敷地。
左右対称に整えられた庭園に、白塗りの美しい建物が見えてきた。
「ここは、例え王族であっても許可なく入ることを許されていません。この中で罪を犯せば、ウェルネシカ国の刑罰が課せられます」
「つまり此処は、ウェルネシカの領地なんですね?」
「そういうことです」
高い木に囲まれて、外部と遮断された空間。
……だから、息がしやすいのかもしれない。
「敷地内には、大使館と職員の寮、それに大使である僕の住まいがあります」
止まった馬車の扉が開き、入り口を開けるドアマンが頭を下げた。誰も、私を見ても眉間に皺を寄せたり、睨んだりする人がいない。それが逆に、とても違和感だ。
「まずは、お茶でも飲みながら仕事内容について話をしましょう。契約するかしないかの、判断材料にしてください」
一歩部屋に入った私は、今まで生きてきた中で一番……笑顔になったかもしれない。




