2.理解し難い価値観
大使に任命されたのは、丁度一年前。
初めてイースタン王国に足を踏み入れた時の違和感を、今でも覚えてる。
そして今、目の前でも。
嘲笑うように女性を眺め、口々に言う。
「だから顔が良い奴はダメなんだ」
テーブルに広げられた資料を集めようとする彼女を、軽蔑の眼差しで通り過ぎる、彼らの異様な雰囲気。
彼女の的確な差し込みがなければ、あれだけ鋭い王太子の質疑応答にも対応出来なかっただろう。その事実に、誰も気付かない――
領主の返答は、酷く曖昧だった。
だが、質問が飛ぶ度に後方に座る彼女が、一枚ずつ資料を差し込んでいく。
税率推移。
他領比較。
災害時の備蓄計画。
……普通なら、領主本人が把握しているべき内容だ。
なのに誰も、それを不自然だと思っていない。
案の定、声を掛けて資料を見れば、幾つもの対応策や今後の展望が何パターンも構成されている。
これこそ、まさに探してた人材……!
「……帰りたい、ですか?」
「え……?」
「僕の、秘書になりませんか?」
ずっと下を向いてた彼女が、漸く僕を見た瞬間だった。領主は先に帰り、地味な装い……あまり良い待遇をされてないのは明白。
ならいっそ、彼女にも選択肢を与えるべきだ。
「僕は、隣のウェルネシカ国から、こちらに大使として派遣されている、リク・ブレスと言います。貴女のような優秀な人材を探していました」
「……大使、様?」
「はい」
大使は、国交における要だ。外交官よりも高い地位に立ち、各国を回る。
この一年、見合う秘書に出会えず、已む無く過ごしてきたが……この好機は逃せない。
「……私には不向きかと。ご覧の通り……この容姿ですから」
「容姿? 何か問題が?」
俯くのは、そのせいなのか?
「貴女の懸念事項は解りかねますが、僕は容姿より能力を見て声を掛けました。察するに、あまり家での待遇が良くないのでは?」
「それは……」
会議に参加するための必要最低限の装い。
貴族の一人として、質を見れば大体想像出来る。
「それだけ聡明なら、さぞ夢もお持ちでしょう。叶えませんか? その片手間に、僕の仕事を手伝って欲しいのです。それに見合う報酬もお約束します」
「……大使様に、きちんとメリットはありますか?」
「勿論。むしろ、メリットしかありませんね」
手元の資料に視線を落とした彼女が、小さく深呼吸をして僕を見た。
「……ご迷惑で、なければ」
「こちらこそ、です。では、善は急げです。家から持ち出す私物はありますか?」
家で肩身の狭い思いをする人間は、荷物の持ち出しにも敏感だ。家がそれを許さないことが多いから。彼女もまた例外なく、首を横に振った。
「大使館は、王都ではありません。貴女さえ良ければ、必要なものは現地で揃えましょう。ウォルティス伯……でしたよね?」
「はい」
「後で、書簡を送ります」
今、挨拶だと言って家を訪ねれば、恐らく彼女を手放さないとごねるだろう。これだけ優秀なんだ。相当数の仕事をこなしてたはずだし、当主がそれに気付いてないなら尚のこと、理不尽な理由を突き付けられるのは目に見えている。
「さぁ、馬車はこちらです。その書類も書簡と送りますから、僕が預かりましょう」
「あ、ありがとうございます」
「先に紹介しておきます。僕の補佐をしているケントです」
補佐は、僕の実務をこなすため外に出ていることが多い。秘書のように、常に側で仕事は出来ない。
「ケントです。仕事ぶり、期待してますよ」
「……アイリです。よろしく、お願いします」
対人恐怖症……と言う訳ではなさそうだが、対面する者に下を向くところは早急に改善する必要があるな。
「少しの間、馬車に揺られますが我慢して下さいね」
僕に気を使うのか、少し後ろを歩く彼女を確かめながら廊下を歩く。
ケントも恐らく同じことを察しているだろうが……彼女の怯え方は異常だ。
「ケント……注意しててくれ」
「はい。お任せを」
馬車に着く直前で、顔見知りの貴族から声を掛けられた。
「大使、今日はお疲れ様でした。これからお帰りで?」
「えぇ。有意義な時間になりました。貴殿の国には優秀な人材がいて羨ましい」
そう伝えて彼女を見た。
すると……男は表情を変え、こう口にする。
「美人には能がない」
彼女に向けて、そう言い放った。
「……何故、そう思うのですか?」
あれだけの資料を作る人間に向ける言葉とは、到底思えなかった。
***
今も、なるべく迷惑の掛からない様に距離を取っていたのに、結局……。
「ああいう顔立ちは苦手だ。大使も随分と趣味が悪い」
……やはり、秘書となれば多くの人と対面しなければいけない。いくら大使様が優秀と褒めて下さっても――
「顔で判断されるとは、残念ですね。いずれ気付いた時には、手遅れと思いますが。では、これで。行きましょう」
手招きされるがまま、頭を下げて通り過ぎたが、舌打ちだけが耳に残った。
家に未練もないが、大使様の未来を曇らせるようなことだけはしたくない。
「あの……」
馬車の扉を開けた大使様を引き留めた。
「どうか、されましたか?」
「……これから先、巻き込んでしまったら耐えられません」
「少し伺いたいこともあります。まだ、秘書として契約してもいません。これは、否定的な言葉ではなく、契約するまでに必要な情報交換をした上で、貴女には選択肢があるのです。辞退されるなら自宅まで届けましょう。契約して下さるなら、僕と貴女は上司と部下」
「……」
「部下を守るのもまた、上司の務めと認識しています。つまり――」
「守って……下さる」
「そう言うことです。馬車に乗って、大使館に着くまでの間、人生のほんのいっ時だけ休憩しませんか?」
――なんて、心を落ち着かせる言葉選びなんだろう。
確かに何十年とある人生の中で、馬車に乗るのは“ほんのいっ時“だ。その時間を休憩と表現してくれる。
「分かりました。では、お言葉に甘えて休憩させて頂きます」
「良かった。足元に気をつけて」
軋む踏み台を鳴らし、私は……人生の選択をするための馬車に乗り込んだのだった。




