25.帳消しの褒美
「入りなさい」
部屋の中の誰かが口にした。低く響く、命令口調。
言われるがまま会議室の中へ何歩か進んで、背後の扉が音を立てて閉まった。振り向きもしない私に、「大した娘だ」と誰かが言う。
「ウェルネシカの大使館にいた、アイリ・ウォルティスだな?」
「……はい」
「何故、大使の側近をやっていた」
「……声を掛けてもらったからです」
「親に許可もなく出ていけば、それは誘拐ではないのか?」
「許可を頂くための手紙は出しました。こうして、大使館から連れて来られるのは誘拐ではないと?」
聞かれたことに淡々と答える。
隙は……見せたくない。
「……質問を変えよう。其方は、何カ国の言葉を理解している?」
「……四ヶ国語です」
室内の空気が、ザワッと揺れた。
小さな声で、有り得ない……とか、どうして……なんて声が聞こえる。
「其方はイースタンの人間だ。その能力は、この国で身に付けたもの。よって、今この瞬間からウェルネシカの大使館に戻ることを禁ずる」
「……」
「罪は無かったこととし、其方には褒美として渡したいものがある故、しばし城内の客間で待つように」
一方的で、理不尽な言葉なはずなのに、その場にいる誰一人として顔色を変えない。まるで、最初からわかっていたように。
「お言葉ですが、納得出来る説明をお願いします」
「……言った通りだ」
「ではまず、褒美とは何の褒美でしょう。身に覚えがありません」
「その能力を領地経営に活かし、延いてはウェルネシカ大使館のために発揮した功績だ」
「……では、罪――とは?」
私が一体、どんな罪を犯したと言うのだろう。
「其方のような顔の人種は、生まれた時から管理が義務付けられている。管理下に置かれた者の保護者は、如何なる場合も報告する義務があり、報告を怠れば刑罰が課せられる。つまり、ウォルティス伯夫妻は現在、管理を怠った罪に問われ、其方もまた親への同意を得ずに行動した責任を問われている。しかし――」
恰も、当たり前のように説明した最後、こう言った。
「褒美を受け取れば、全ての罪を帳消しにしよう。よって、ウォルティス伯夫妻に課せられる罪も取り消すことが出来る」
「褒美を……受け取らなければ……?」
「受け取らぬ理由があるのか? 其方の家は処罰対象となり、其方も監督不行届として裁かれる。……もっとも、褒美を受け取れば全て解決する」
普通、褒美とは無償に与えられるものであって、対価にはならない。それを……罪を帳消しにするための餌にするなんて。
ウォルティス伯夫妻が罪に問われる。そう聞かされても、胸は不思議なほど静かで、心配……ともまた違う感情に気付く。
幼い頃から向けられてきた視線も、言葉も、あまりに遠くて。気付けば、家族という存在に何かを期待することをやめていたから……かもしれない。
こういう場合、なんと応えるのが正解なんだろうか。
いくら考えても、私には分からない。
罪だとか、褒美だとか、管理だとか。
次々と並べられる言葉は、どれも私抜きで決められている。私はただ、大使館に帰りたいだけ。
明日もいつも通り出勤して、積み上がった資料を整理して、隣り合うリク様と議論を交わす――
そんな当たり前の毎日を望んでいるだけなのに。
それなのに、「帰りたい」の一言が、とても言い出しにくい。
「明後日、其方の部屋に迎えを寄越す。準備をして待てば良い」
「……」
「話しは以上だ。誰か部屋に案内してやれ」
私の同意などお構い無しに、促される様に会議室を後にした。歩く廊下も、匂いも、何もかも大使館と比べてしまう。前を歩く人でさえ、リク様やケイト様とは違う。
私の日常を……返して――
***
「殿下、イースタン王国から書簡です」
「……イースタン、ねぇ……」
渡された封蝋を外し、中を確認する。
「……俺に、婚約者を宛てがいたいらしい」
「イースタン……。こう言っては何ですが……容姿に期待は出来ませんね」
「いや、そうとも限らない」
「え?」
「アイリ・ウォルティス……彼女は、特別だ」
「……その方の名前が書かれているのですか?」
「あぁ。前に一度会ったが、美しく聡明な娘だった。だが……」
随分とリク大使が可愛がっていたように見えた。どうやって大使館から切り離したんだか。
「サリム殿下が受け入れたとして、どんな交換条件を言ってきてるんですか?」
「……見るか? 娘一人に相当の価値を背負わせてるらしい」
側近であるラジールが、中身を目で追った。
「港湾利用権に関税優遇、それに鉱物輸出枠の拡大……? これを婚約一つの条件に? 随分と足元を見ていますね」
「許可してやっても良いけど、俺は面白いのが好きなんでね。アイリの気持ちを聞いてから考えるかな」
「……サリム殿下、それでは乗り気に見えます」
「ハハッ」
椅子に座り、返事を考えた。
さて……これは、面白くなってきた。




