21.邪魔させない
試用期間の一ヶ月が、あっという間に最終日を迎えた。
朝から、変わらずリク様の隣で作業を進めていく。
結局、約束の二日を過ぎてもデスクの位置は変えてもらえなかった。だけど、体調が戻ったと安心したのか、その後は以前と同様の仕事量をこなしても文句は言われずに済んでいる。
「リク様、頼まれた書類が出来ました」
「ありがとう……うん。上出来だ。次は、これも頼む」
「はい」
幾つかのファイルに綴られた数字を見て、改善案を模索する。
……書き出しながら、昨日のリク様をふと思い出した。出先から帰られたリク様が、仕事終わりの私に「夕食は何が良い?」と聞いた。
「何でも……大丈夫です」
「貴女の食べたい物が、食べたくなりました」
「そっ……そんな急に……聞かれても」
「今ならまだリクエストが聞ける時間です。さぁ、早く」
「ん……では、ムニエルと、ミネストローネが……」
「良いですね」
ニコッと微笑んで、ケイト様に伝言を頼んだ。
「リク様、何かあったのですか?」
「別に何もありませんよ。ただ、メニューが決められなかっただけです。では、また夕食の席で」
……美味しそうに食べながら、「絶品ですね」と笑ったリク様の顔が、暫く頭から離れなかった。
今だって――
「アイリさん?」
「は、はいっ」
「僕の顔に、何か付いてますか?」
「いいえ……何も」
気付けば、リク様の顔が随分近くまで迫っていた。
「本当に、何も?」
「……っ、な、何も付いてません。リク様、近いです……」
「あまりに見つめるので、つい」
クスッと笑ったリク様は、自分の資料に視線を戻した。
そうして集中しきれないまま使用期間が終了し、他の職員が帰った執務室に、私とリク様、そしてケイト様の三人だけが残った。
どう評価されたか……自信はあるのに、不安ばかりが推し寄せる。
「アイリさん」
「はい……」
「一ヶ月間、お疲れ様でした。大使館での仕事、いかがでしたか?」
「とても……とても有意義な時間でした。貴重な機会を与えて下さり、感謝してもしきれません」
「そう言って貰えて、良かったです」
胸元から封書を取り出したリク様が、中身を取り出した。それは、少し前に届いたイースタンからの手紙。
「あの後、何通も貴女に自国で働いて欲しいと要請がありました」
それは、私に知らされていない情報。
「その類稀なる能力を、イースタンで活かして欲しい……そう書かれています」
「……」
「試用期間を終え、この手紙を見た上で、アイリさんの働きたい場所を決めて下さい」
「……リク様。最初のお話では、試用期間が終わった際には、リク様が決める……そういうお話だったかと」
自分に自信の持てなかった私が出した提案に、リク様は快く乗ってくれた。でも、最終的に決めるのは私ではなくリク様のはず。
「僕の気持ちは既に伝えてます」
「えっ……いえ、聞いていません」
「貴女が病床に臥せった際、『評価なら既に十分――』と伝えました」
状況を思い出しても、『十分――』の先は……聞いてない。
「評価なら既に十分……得ました。そう伝えていたつもりです。ですが、評価したのは僕だけではありません。悔しい思いもしたかもしれませんが、こうして貴女を必要とする場所が他にもあります。だから、選ぶのは貴女です」
封書を私に差し出した。
そこに書かれた文面を流し見する。
「……本当に、どちらを選んでも宜しいのですか?」
「はい」
「それなら――」
封書を、ぎゅっと掴んでリク様を見た。
「それなら、私は……ここで働きたいです。ウェルネシカの大使館で、自分の出来ることをしたいです。迎え入れてくれた仲間と、そして――リク様のお役に立ちたい」
執務室の中を見渡して、どこに何が仕舞ってあるか全てを把握したこの部屋への思い入れと、隣に並んだ自分のデスクに触れた。
「ここが好きです。正式に、雇って貰えませんでしょうか」
リク様が目を見開いた。
「……えぇ。こちらこそ、お願いします。アイリさん」
今まで見た中で一番、心を動かされた笑みだった――
***
ベッドに入った今も、彼女の言葉が脳裏を過ぎる。
『ここが好きです――』
簡単な仕事なんて一つもなかった。それなのに、誰よりも真摯に、誰よりも誠実に、僕の隣にいてくれた。
彼女を思うだけで、こんなにも心が動く。
以前、ケイトが「それだけ、ですか?」と僕に説いたことがあった。本当に仕事に必要なだけなのか、仕事の同僚で終われるかと。
「……これが、愛という感情なのか」
数日前まで、ここに寝ていた彼女を薄ら想像し、思わず口元を押さえた。使用人によって洗濯され、すっかり彼女の匂いなんて消えてるはず。
それなのに、思い描くだけで自然とどこかから彼女の香りを感じてしまう。
「……守る理由、くらいにはなるよな」
彼女の邪魔はしたくない。
目指す未来があるなら、いくらでも応援して支援してあげられる。だから、ここを離れるその時までは――
「誰にも、邪魔させない」




