17.無自覚の愛情
“私は、何もしていません! ただ、この国が……好きなだけなのに……“
……ふと、夢から覚めて現実に返った。
顔も見えない、誰かの叫び――
「ん……」
耳に残った声に、額を押さえた。
資料を読みすぎたせいで、過去の出来事と重なったのかもしれない……。それにしても、随分と身体が重い。
いつものルーティンすら抜けてしまう。
大丈夫、このくらい大丈夫。
そう言い聞かせて、廊下を進んでいるのに視界がグラッと揺れる。思わず壁に手をついて、呼吸を整えるのに力が入らない……
あっ……だめだ――
「危ないっ!」
温かい何かに包まれて、聞き覚えのある私を呼ぶ声。
ふわふわした心地に身を委ねて、言う事を聞かない瞼。
……リク様だったら、良いのに……。
***
「ケイト、すぐ医者を!」
「はいっ」
腕の中で荒い呼吸を繰り返す彼女を、強く抱きしめた。
「アイリさん……」
こうなる事を予想出来なかったわけじゃないのに、無理をさせてしまった……!
卒なくこなしてしまう彼女に甘えて、抑制出来ないなんて大使失格だ。
「とにかく――」
部屋に運ぼう。
彼女の部屋……は、無断で女性の部屋に入るわけにはいかない。執務室は慌ただしい……客間は、目が届かない……。
「……っ、ごめんね」
届かないと分かって、小さく謝罪の言葉を口にした。
彼女を抱えて入った、自分の私室。
起きてから暫く経つからか、冷えていたけど、ゆっくり下ろして布団を掛けた。
「リク様、まもなく医者が来ます」
ドアの向こうから聞こえたケイトの声に、ハッとした。
医者を呼びに行った時には、どこに運ぶかも伝えていなかったのに――あたかも当たり前のように、ケイトはここに来た。
「……よく、ここだと分かったな」
「……本当ですね。迷いなくこちらに来てしまいました。でも、リク様ならそうされると思っていました」
思わず口元から小さな笑いが漏れた。
迷いなく……か。少しは迷った気もするけど、僕の思考は案外単純らしい。
きっと彼女は、目を覚ましたら真っ先に言う。
『申し訳ありませんでした』
……って。僕のベッドを独占した謝罪をするんだ。
慌てて降りようとする彼女を引き止めて、「良くなるまで、ここにいて良いですよ」なんて――
「ケイト、彼女の仕事を減らしてくれ」
「今までの倍くらい時間掛かりますが、宜しいですか?」
「構わない。彼女が納得してくれるかは、分からないが……それでも、納得してもらえるまで話すさ」
奴ら……イースタンの狙いは分かってる。
彼女の評価が変わったんじゃない。
「医者が到着しましたので、我々は外に」
「あぁ」
部屋を出て、廊下で待つ間、ケイトがジャケットの内ポケットからメモを差し出した。
走り書きで書かれた字。
“イースタンが、動き始めた。何かを利用して、国益と軍事力の強化を上げようとしている“
「……これは」
「内偵の調査員が持ってきました。不審な動きがあるそうです」
「何かを利用して……か。彼女、なんだろうな」
彼女の評価が変わったんじゃない。彼女の利用価値を理解したんだ。
「イースタンとは、良い関係が築けると……思ってたんだけどな」
「どうされるんですか? このままでは……」
正直に彼女に話すべきか、悩む。
聡明な彼女のことだ。きっと、裏があると既に気付いてるだろう。それでも……純粋に、国を信じたいと思う気持ちだってあるはずだ。
その時、部屋の扉が開き、医者が頭を下げて出てきた。
「彼女の具合は?」
「異常は然程見当たりませんでした。恐らく、過労と……心労でしょう。睡眠を十分に取って休めば、回復すると思います」
「そうか……」
「念のため、薬を置いておきます。目を覚まされたら――」
目を向けると、ベッドサイドに薬袋が置かれている。
……それがまた、心に追い打ちをかけた。
「ありがとう」
医者が帰ると同時に、彼女のそばへ歩み寄った。
穏やかに眠る目元には、確かに薄ら寝不足の痕跡もある。夫婦となれば、同室で睡眠が取れているか確認出来るのに――
……ん?
「ケイト……」
「はい」
「僕も疲れてるらしい」
「……ですが、仕事は山のように残っています」
僕も、仕事を早く終わらせて、早く寝よう。
「今日、リク様はどちらでお休みになるのですか?」
「そう……だな。客間を一つ、用意してくれ」
「かしこまりました」
彼女の頭に触れ、柔らかな髪を撫でた。
大丈夫、熱はない。仕事が一区切りついたら、また様子を見にくれば良い。
約束した試用期間の期限も、あと数日。
ここにきて仕事量を減らすと話したら、失望するかもしれないけど……もう、彼女を手放す未来はない。それは、僕の仕事に絶対必要だから――
「それだけ、ですか?」
「ん?」
「リク様。心の声が漏れております。仕事量を減らしても、アイリさんはリク様を信頼していますし、ここでの仕事も楽しんでいると思います」
「ケイトの『それだけですか?』の意味は?」
「……本当に、仕事に必要なだけですか? 仕事の同僚、で終われますか?」
「……っ、それは――」
ケイトが真剣な表情で、僕に問い掛けた。
「アイリさんがいなくなって困るのは、大使としてですか? それとも、リク様としてですか?」
……答えられなかった。
大使として必要なのは、事実だ。
彼女ほど優秀な人材は……そういない。
けれど……何故か、眠る彼女へ向けた視線をどうしても逸らせなかった――




