完結編第18話 追いつけなくても
まだ夜の色が残る早朝。
訓練所の空気は冷たく、静かだった。
誰もいないはずの訓練場に、乾いた音だけが響いている。
——バシッ。
——バシッ。
木刀を振るう誠の手には、赤く潰れた豆が浮かんでいた。
額から落ちる汗が地面に染みる。
呼吸は荒い。
それでも、止めなかった。
「……まだ、足りない」
小さく呟き、もう一度振る。
——バシッ!
その時だった。
「うわ、もういるのかよ」
気の抜けた声に、誠が肩を揺らす。
振り向けば、奏が大きな欠伸をしながら立っていた。
その後ろには蓮がいる。
「……奏さん」
「何時からやってんの?」
「今、来たところです」
嘘だった。
蓮は誠の手元へ視線を落とす。
潰れた豆。
震える握り。
何も言わない。
「真面目だねぇ」
奏が笑いながら木刀を肩に乗せた。
「そこまでやっても、俺には勝てねぇのに」
「……朝から嫌なこと言いますね」
誠は苦笑した。
だが、その胸には小さな棘が刺さる。
蓮が短く言う。
「始めるぞ」
朝焼けが空を染め始めていた。
模擬戦は、誠と奏から始まった。
「手加減しませんよ」
誠が構える。
「してくれなくていいよ」
奏が笑う。
開始の合図と同時に、誠が踏み込んだ。
速くはない。
だが、丁寧で無駄のない一撃。
奏はそれを軽く流す。
「固い」
次の瞬間、誠の懐へ潜り込んだ。
「……っ!」
慌てて下がる。
そこへ追撃。
木刀が手首を打つ。
誠の木刀が宙へ跳ねた。
カラン、と乾いた音が響く。
「一本」
奏がにやりと笑った。
誠は息を呑んだまま、自分の手を見つめる。
また、届かなかった。
「お前、考えすぎなんだよ」
奏は木刀を肩へ担いだ。
「頭ん中で勝ってから来いよ」
「意味分かりません」
「俺も分かんない」
「なんなんですか!」
「蒼真さんみたいに言ってみた」
思わず声を荒げると、奏は楽しそうに笑った。
その横で蓮が静かに口を開く。
「誠」
「……はい」
「型は悪くない」
誠の顔が上がる。
「だが、勝ちたい気持ちを隠すな」
それだけ言って、蓮は背を向けると木刀を振り始めた。
誠は何も返せなかった。
——夜。
訓練所の廊下に、一人座り込む誠の姿があった。
握った拳が、膝の上で震えている。
「……頑張ってるのに」
声にならない声だった。
「なんで……」
才能があるのは奏だ。
感覚で戦える。
伸びるのも早い。
自分は違う。
積み上げても、積み上げても届かない。
「……情けないな」
ふいに、隣へ誰かが腰を下ろした。
蒼真だった。
ひょいっと誠へシュークリームを差し出す。
「食べる?」
「……いえ」
「あ、こっちにするか?」
今度はマヨネーズを差し出した。
蓮専用、触るな。と書かれている。
「いや、それ蓮さんの…」
「真面目か」
蒼真はシュークリームを無邪気に頬張りだした。
「部屋で食うとさぁ、蓮に怒られるんだよ」
ニヤッと蒼真が笑う。
「ムカつくから、冷蔵庫から出して隠してきた」
誠は思わず小さく笑う。
その笑いが消える前に、ぽつりと零した。
「僕には、才能ないですよね」
蒼真は少しだけ黙った。
「あるよ」
「慰めはいりません」
即答だった。
蒼真は夜空を見上げる。
「才能ってさ」
静かな声だった。
「続けられる奴のことだと思う」
誠は顔を上げる。
「奏はセンスはあると思うよ」
「……はい」
「でも、突っ込みすぎる。気持ちが先走りすぎだ」
「誠はちゃんと努力してる。冷静に物事を見れてる」
風が吹く。
「それ、かなり強ぇよ」
誠の喉が鳴った。
胸の奥で、何かがほどけていく。
「……追いつけますかね」
蒼真は笑った。
「知らん」
「ひどい……」
「でも、お前なら面白くなる、と思う」
立ち上がり、蒼真は背を向ける。
「悩めるうちは、まだ伸びるだろ」
「俺ら2人とお前と奏は違うからよ」
去っていく背中を、誠はしばらく見つめていた。
やがて、ゆっくり立ち上がる。
訓練場へ向かう足取りは、朝より少しだけ軽かった。
「……追いつけなくてもいい」
木刀を握る。
「止まらなければ」
夜の訓練場に、再び3つの音が響き始めた。
日課である木刀を振り姿勢を確認する蓮。
模擬戦を繰り返す誠と奏。
何度目かの模擬戦の後、蓮が休憩だ。と2人にスポーツドリンクを手渡した。
「ずっと思ってたんですけど…蓮さんって蒼真さんとなんで仲良いんですか?」
タイプ真逆じゃないですか。と誠が問う。
「仲良くない。それは間違いない」
ドリンクを飲みながら蓮は真顔で話す。
「あー確かに。2人って組み合わせ不思議っすね」
「……まぁ、嫌いから始まった関係で今も嫌いだけど」
ドリンクを飲み干し、蓮は続けた。
「蒼真は、だらしないけど間違った事は言わねぇし。俺と互角に渡り合うのはあいつだけだし。……まぁ…根っこが腐ってない奴だからかな」
「いや、大好きじゃないすか」
奏がニヤニヤしている。
誠はうるうるしている。
この2人の反応も真逆で面白いんだがな…と蓮は思う。
「…助けられたり、助けたり。一緒に前向いて、進んでるだけだ」
「へぇ…」
「なんか…青春ですね」
2人の反応に蓮は少しだけ肩をすくめた。
「…あ」
誠が何かを思い出したように口を開いた。
「蒼真さん、マヨネーズ冷蔵庫から全部出したって言ってました…」
悪くなって食べれなくなるんじゃ…と心配する誠。
瞬間、蓮の表情は鬼となった。
「蒼真ー!!!!やっぱ根っこ腐ってやがる!!!!」
と叫びながら、蓮は訓練場から飛び出していった。
そんな蓮を見送りながら、誠と奏は腹を抱えて笑っていた。




