完結編第16話 折れそうになったら叫べ
「……屋敷警備?」
奏は露骨に顔をしかめた。
「初任務がそれ? もっとこう……敵をバッタバッタ倒す感じじゃないんすか」
「お前は何しに行くつもりだ」
蓮の冷たい声が飛ぶ。
「そもそも、俺たちは執事訓練生だぞ」
訓練場の朝。
整列した訓練生たちの前で、橘が腕を組んで立っていた。
「今回の任務は、東雲家の屋敷警備だ。今夜、親族を集めた会食がある。来客も多い」
橘の視線が、奏と誠へ向く。
「お前ら二人にとっては初任務になる」
誠は背筋を伸ばし、大きく返事をした。
「はい!」
その横で奏は、まだ不満そうに口を尖らせている。
「立ってるだけで終わりそう……」
「終わらせられるなら上出来だ」
静かに言ったのは蓮だった。
奏はむっとして睨み返す。
「また説教ですか、クソ真面目」
「奏」
低い声で名前を呼ばれ、奏は肩をびくっと揺らした。
「……なんすか」
「現場で勝手な行動をするな。持ち場を離れるな。余計なこともするな」
「多いです」
「まだ足りない」
そのやり取りを見て、蒼真が欠伸をしながら笑った。
「はは、今日も仲いいな、お前ら」
「蒼真さん!」
奏の顔がぱっと明るくなる。
「聞いてくださいよ、この人感じ悪いっす」
「お前が悪い」
蓮が即答する。
蒼真は頭をかきながら、誠の肩を軽く叩いた。
「誠、お前は緊張しすぎんなよ」
「は、はい……!」
「失敗しても死なねぇ」
「縁起でもないこと言わないでください!」
訓練生たちの間に小さな笑いが起きた。
だが次の瞬間、橘の低い声が空気を締める。
「笑ってる暇があるなら覚えとけ」
全員の視線が橘へ集まる。
「警備任務ってのは、何も起きないのが成功だ」
その一言で、奏の表情が少しだけ変わった。
橘は続ける。
「敵を倒して終わりじゃねぇ。誰かが安心して一日を終える。そのために立つ仕事だ」
静まり返る場。
蒼真も、欠伸を止めていた。
「……出発は夕方だ。準備しておけ」
そう告げると、橘は背を向ける。
奏はしばらく黙っていたが、やがてぼそりと呟いた。
「……なんか、思ってたのと違ぇな」
蓮はそれを聞き、短く返した。
「任務ってのは、だいたいそうだ」
蒼真は笑いながら、奏の背中を叩いた。
「大丈夫だ。初任務なんて、だいたい失敗する」
「えっ」
その言葉を聞いた誠の顔色が変わる。
「それ、大丈夫って言いませんよ…」
「安心しろ」
蒼真はにやりと笑った。
「その失敗をフォローするのが先輩の仕事だ」
その言葉に、誠は少しだけ肩の力を抜いた。
奏は腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。
「じゃあ俺が一番活躍してやります」
「活躍するな。動くな」
「マジでなんなんすか、あんた…」
奏は蓮をじとっと睨みつけたが、蓮は目を閉じていた。
夕方。
四人の初任務が、静かに始まろうとしていた。
指示通りに配置へつく。
普段は緩い雰囲気の蒼真がしっかりとネクタイを締めていることに誠は驚いた。
蒼真は通信機の確認を行っていた。
蓮と短いやり取りをしていた。
「蒼真さん…もしも、何かあった時、僕は足手まといですか?」
誠が恐る恐る蒼真へ問いかけた。
蒼真の瞳が一瞬揺れたが、すぐに誠の目を真っ直ぐに見つめた。
「フォローするって言ったろ」
確かに誠は奏と比べると戦闘センスは悪い。
だがー心が弱いわけじゃない。
「折れそうになったら叫べ」
「止まれなくなったら叫べ」
「止まりたくなっても叫べ」
「俺が一緒に背負ってやるから」
蒼真が誠へ微笑みかけた。
緊張と不安で支配されていた誠の心が解けていく。
「はい…」
いつも適当なのに、こういう時はちゃんと締めてくれる。
東雲家の屋敷には、華やかな灯りがともっていた。
広い玄関。
磨き上げられた廊下。
談笑する親族たち。
その空気の中で、四人はそれぞれ持ち場についていた。
「……退屈っすね」
玄関脇に立つ奏が、小声でぼやく。
「警備任務は退屈なくらいでいい」
通信機越しに返ってきたのは蓮の声だった。
「またそれですか」
「私語を慎め」
「うわ、感じ悪……」
奏が舌打ちすると、少し離れた位置で誠が慌てて小声を飛ばす。
「奏さん!聞こえますって!」
「聞かせてんだよ」
「やめてくださいよ……!」
そのやり取りに、別の場所で待機していた蒼真の声が通信機から聞こえる。
「元気だな、お前ら」
「蒼真さん、マジで暇なんですけど」
「暇なら立っとけ。それが仕事だ」
「えぇ……」
奏が肩を落とした、その時だった。
屋敷の奥から、女性の悲鳴が響いた。
「——あの子がいないの!!」
場の空気が一変する。
親族たちがざわつき、使用人たちが慌ただしく動き出した。
「どうされました!」
誠が駆け寄る。
涙目の女性が震える声で訴えた。
「娘が……さっきまでここにいたのに……!」
幼い少女の姿が見えない。
すぐに奏は駆け出そうとしたが
「……奏、その場を動くな」
通信機から蓮の低い声が飛ぶ。
「は? 子どもいなくなってんすよ!?」
「持ち場を離れるな。出入口の確認が先だ」
「そんな悠長な——!」
奏は舌打ちすると、制止を振り切って走り出した。
「奏さん!!」
誠の声も届かない。
「……馬鹿が」
蓮の声だけが、冷たく落ちた。
誠は迷った。
追うべきか。
ここに残るべきか。
泣き崩れそうな母親。
騒ぎ始める親族たち。
開け放たれた玄関。
喉が鳴る。
それでも誠は、拳を握った。
「……大丈夫です」
震える声だった。
だが、女性の前に立つ。
「必ず、見つけます」
その言葉に、女性は小さく頷いた。
誠は使用人へ指示を出す。
「屋敷内を確認してください! 出入口は閉鎖を!」
自分の声まで震えていた。
それでも、止まらなかった。
その頃——
庭園を走る奏は苛立っていた。
「クソ真面目……!」
蓮の顔を思い出し、さらに腹が立つ。
だが次の瞬間。
池のほとりで、小さな泣き声が聞こえた。
「……ひっく……」
振り向く。
幼い少女が、池の縁でしゃがみ込んでいた。
その足元はぬかるみ、今にも滑り落ちそうだった。
「おい、危ねぇ!」
奏が駆け出す——
その前に、一つの影が少女を抱き上げていた。
「……ったく」
蒼真だった。
少女を軽々と抱え、肩をすくめる。
「大丈夫だ。お母さん待ってるぞー」
優しい微笑みを少女へ向けている。
少女はきょとんとし、やがて泣き止んだ。
「蒼真さん……!」
駆け寄る奏に、蒼真はちらりと視線を向ける。
「で、お前。持ち場は?」
「……っ」
言葉に詰まる。
蒼真は少女を抱いたまま、静かに言った。
「守るってのはな」
夜風が木々を揺らす。
「突っ走ることじゃねぇんだ」
「……」
「誰が一番危ないか、そのために何ができるのか。自分の役割も理解する」
奏は拳を握りしめた。
何も言い返せなかった。
屋敷へ戻ると、玄関前で蓮が待っていた。
無言のまま、奏を見る。
その視線が痛い。
「……見つかったなら結果オーライだろ」
やっと絞り出した言葉だった。
不敵に笑って見せた。
蓮は短く答える。
「違う」
一歩、近づく。
「お前が持ち場を離れた間、正面は空いた」
奏の顔から笑みが消える。
「もし別口が来ていたら?」
何も言えない。
「……誠が埋めた」
玄関では、まだ緊張した顔の誠が立っていた。
蒼真は少女を母親へ返しながら、笑った。
「蓮、あんま怒んなよ。俺らの初任務だってさー」
「いや、あれはお前が100%悪い」
即答だった。
奏は俯いたまま、小さく舌打ちした。
「……クソ」
その声は、悔しさで震えていた。




