地獄もり虫虫地獄。抜け出せぬ蟻地獄鍋むしろ蟻ごと
【特徴のない石畳の通路】
予想だにしていなかった問題に直面したが、エレベーターが使えないのではそれをスタンに報告する術すらない。
ひとまず、眼前のタスクをこなさねばということで、
建成は『嘘こそ真の鍵』をベーゼンドルファーから受け取り、
通路に入って右側の扉を開けた。
【赤か黒か! の間】
赤と黒と、どっちをとったって辛いものは辛いのだ。
建成は両方まとめて口に含んでしまったら辛い時間も短くなるだろうかと、赤と黒両方とってみたが、
レギュレーション違反で納豆の雨がふる部屋に送られることを警戒して赤い粒は皿に戻した。
息を止め、目を閉じてなるべく舌の上に乗せないように、喉に流し込む。
苦い風邪薬を飲むときの要領だ。
「ぶほ!!」
喉に強力な痛みを感じ、思わず黒い粒を吹き出しそうになるが、そこは根性で腹に収めた。
辛味が喉から鼻、目、そして耳にまで突き抜けてきた。
一般的に、『辛味』という味覚は存在しない。
それは舌に対する『痛み』である。それが喉にきた。
建成は大粒の涙を貯めて地面に突っ伏した。
ゴゴゴゴゴ……と、『黒側』の壁から扉が現れる。建成は芋虫のように情けなく這って扉のほうに進み、
呼吸をすればそれだけで顔中が痛くなるので、それこそ虫の息で暗い部屋の中をで探り『鯨の模型』を探した。
涙で目も開けることが困難だった。
『鯨の模型』を見つけても、まだ建成は立ち上がることができなかった。
『ムカつく猫からの攻撃』『裏声で歌う』この二つの試練は免除されたようなものだが、
その分味覚の試練が手痛く感じる。人間とはつくづく、ストレスに弱い生き物なのだと、建成は感じた。
二つの皿の元に戻ってきても、赤い粒を飲み込む気にはなれなかった。
もちろん、心や理性では、辛味くらい我慢せい。我慢せねば先に進めぬ。と理解はしているのだけれど、
どうしても体が拒絶するのだ。
悶えながら建成は皿の元に座り込んで、なんとか口の中を乾かそうとするが、
痛い喉の癒し方などわからなかった。
異世界の片隅で、帰るために辛さと闘っている。こんな転生者は自分だけだろう。
いや、もう『ここ』を異世界と認めることなど遠に放棄した。ここは地獄だ。現実でもない。煉獄だ。
勝手に流れる涙をこぼしながら、建成は膝を抱えた。
【異界の日替わりランチを出す定食屋】
さて、泣きたいのは、こちらも同じである。
頬をさする。それは、ベーゼンドルファーが生まれて初めて受ける、女性からの本気のビンタだった。
しかし、自分の職業は盗賊だ。……この城を出たら引退することはできても、過去までは変えられない。
食っていくために、これしかできなかった。
合理的な思考しかできないベーゼンドルファーでも、もう2度とエリーの笑顔を見られないのではないかと思うと、何度も涙が滲み、
耐えられなくなり何度か涙を拭っていた。
……周りからの視線が気になり出す。それはそうだ。こんな……綺麗な手形がついた顔。
「これが失恋か……」
ベーゼンドルファーは、すでに自暴自棄になっていた。
心なしか、ホール担当の店員も戸惑っている様子だった。
「えっと…… チャレンジに挑戦するんですかい?」
ベーゼンドルファーは、男らしさとは遠く離れた形相で、返事もせず頷いた。
メニューも聞かずに……。
ホール担当は、ひとまず、今回のチャレンジをベーゼンドルファーに伝えた。
「えっと……今回はっすねえ……『地獄もり虫虫地獄。抜け出せぬ蟻地獄鍋むしろ蟻ごと』ですが……よろしいですか?」
ベーゼンドルファーは頷く。今の彼に、いくら『地獄』を強調されてもどれも同じだった。
「へえ……じゃあ……ご用意します……」
ホール担当がキッチンに向かうと、「この馬鹿野郎!!」 という店主の声が響いた気がした。
……エリーとのこれまでを思い出していた。
二人の思い出はもっぱら、エレベーターの中だ。何も変わらない空間の中で、彼女の表情だけがだんだんと変わっていき、
変わり映えのしない無機質な部屋の中で、生きているのは彼女の豊かな表情と、豊かな内面だった。
そんな思い出の断片を女々しく回想するたび、
一体、俺は何を間違えたのだと、やりきれない葛藤が襲ってくる。
……元々、一匹狼の悪党と、お城の職員の恋愛など、叶うはずもなかったのだ。
昨日までの俺が聞いたら呆れて物も言えないはずである。わかっているのだが……
大団円などあり得なかったのかもしれない。でも、これに代わる幕引きがあってもいいじゃないか。
これではあまりに……
悶々とするベーゼンドルファーの鼻口を、とても食欲のそそる匂いがやってきた。
……これは鶏ガラの匂いだろうか?そして暖かい湯気だ。
目を開けると、自分の顔ほどの器に、透明なスープ。そしてこれは虫……にも見えるが違うもののような気がする。
それから、山盛りの肉。
なんだか、ここで出してくるいつものゲテモノ料理とは色の違う物が出てきた。そんな気がする。
顔を上げると、店主が重々しい顔で、料理を出していた。
「食いな。今日だけはウチは、『失恋レストラン』だ」
「……なんだって?」
「これはな、『塩ラーメン』っつって、俺の故郷じゃあ失恋した奴は男も女もコイツを掻っ込むって相場が決まってるのよ。
……流した涙の分、塩分をこれで補いな」
そう言って、店主はキッチンに消えていった。
一口、『塩ラーメン』を口に含んでみる。
料理なんてただの栄養摂取で味なんて関係ない。そんな世界で生きていたベーゼンドルファーにとってそれは、
生まれてから初めて感じる味覚だった。
うめえ……
うめえよ……
でもなんでだろう。涙止まらねえよ……
気がつけば嗚咽を漏らしていたベーゼンドルファー。泣きながらラーメンを腹に収める。




