チクリ屋 ベヒシュタイン
「おい。起きな」
地下牢獄、その中の一つの房の隅で小さく横たわっている男に、ベーゼンドルファーは話しかけた。
「ヒ!」
突然呼びかけられたため、横になっている痩せた男はビクッと跳ね起き、ベーゼンドルファーを見た。
暗闇の影になっているため、男の姿がよく見えない。
そして男は、どのようにしてベーゼンドルファーがこの房に入って来たのかわからなかった。
「オドオドすんな往生際が悪いな。それでも悪党かい」
「……お、お、俺になんのようだ」
ベーゼンドルファーは、社交辞令的にタバコを差し出したが、その動作にさえ男は怯えてしまっていた。
「……お前、知ってるぜ。ベヒシュタインと仕事してたって奴だよな。『チクリ屋』の」
「し、しらん!」
「あー怯える必要はねえぜ。俺にダチなんかいねえよ。誰がお前らにそそのかされて、兵士に売られたかなんか興味ねえ」
男は暗闇からしばらくベーゼンドルファーを眺めていたが、自分に復讐する気がないことがわかるとタバコを受け取った。
「……なんの用だ」
「まあ正直なところ、お前には用はねえ。お前のボスに聞きたいことがあってな」
「じゃあ直接会いに行けばいいだろう。この地下牢のどこかにいる」
「知ってるよ。どこかわからねえからお前に会いに来たんじゃねえか。俺はおたくのボスになんか会ったこともねえ」
男は、ゆっくり、ゆっくり、少しずつ息を吸い、タバコを後生大事に吸っている。
シケた小物だ。ベーゼンドルファーはこういう悪党は好きではなかった。
「……お前、『ユーレイ』だな?」
「へえ。俺も有名なんだね」
「そんなに、『隣の房の奴のいびきがうるさい』か?」
「……まあそんなとこだ。なんとかしたいね。そのためにはなんだ?
おたくのとこのボスが重要なんだってな?」
「……ボスの居場所を知らないということは、お前さてはこの城がマズいことになってるって知らないな?
『ユーレイ』も地に落ちたな」
ベーゼンドルファーは頭を掻いた。
「言ってくれるな。まあ、城のことは知ってるよ。でもそのことで頭が痛いのが正直なところだ
同業者なら、情報交換に応じてくれるだろ?おたくのボスの房を教えてくれ」
すると、男は煙をベーゼンドルファーに吹きかけた。
ベーゼンドルファーは煙を払う。
「彼の事は売れない」
「はあ? ……立派な心掛けだがね、言う相手を間違えちゃいないか?
俺は兵士に買収されただけじゃねえよ。ただ、『隣の房のいびきがうるさい』のをどうにかしたいんだ。
……お前もそうなんじゃないのか?」
すると、先ほどまで小物らしくちびちびとタバコを吸っていた男の態度が豹変した。
まだ火のついたタバコを指で弾く。火の粉がベーゼンドルファーの頬をかすめた。
「無理だユーレイ。諦めろ」
「ああ?」
「俺はあと一歩のところまで行った。だが……どうしても一人じゃここは突破できないんだ。
かといって、他人を信用などできない。悪党とはそういう生き物だ」
ベーゼンドルファーは、ようやく目の前の男の正体が飲み込めてきた。
「……探してもいねえわけだ。おめえがベヒシュタインかい」
「気安く呼ぶな悪党」
「一人じゃここは突破できないって? あんたらしくない言葉だな。
……いやあんたらしいか。いつも大勢の取り巻き連中に囲まれて、裏切って裏切られて今のあんたがいるわけだからな」
「なんとでも言え。確かに俺は少なくともバカじゃない。
稼ぐためならなんでも使うさ。
……その上で、この城は一人じゃ抜け出せないと言ってるんだ」
ベーゼンドルファーは大きなため息をついた。
「どうやら、あんたっていう人間を高く見積りすぎてたみてえだな俺は。
期待はずれだぜ。あばよ」
「待て『ユーレイ』」
「ああ?」
「……『【正直村と嘘つき村の分岐点】にはどちらかの村の出身者が立っている』」
「……なんだ?そりゃあ。」
「タバコのお礼だ。それと……『立っている人間が正直村の人間なら、そいつにはおばあちゃんがいる』覚えておけ。
ユーレイ」
ベーゼンドルファーはこめかみに手を当てた。
「……なんだか最近、覚えておかなければならないことが多すぎてな……。しかもどれもこれも要領を得ない。
困るぜ」
「……うまいタバコだった。いいか。誰にも心を許すな。
信じられるのは……うまいタバコだけ。そう言うことだ」
「……親切にどうも。おたくも元気でな。あばよ」




