61話 婚約解消
クレアの父はエマーソン伯爵に『娘の婚約のことで、会って話がしたいのでお時間をいただきたい』と言う内容の手紙を書いた。
しかし返事は来なかった。
卒業式は八月だから、それまでには婚約を解消したい。
その思いでクレアも伯爵に手紙を書いた。
『お願いです。会ってください。内容はお会いしてからお話します』
なかなか返事が来なくてやきもきしていたが、五月が終わる頃にやっと返事が届いた。
『六月四日に私がフォーサイスに行きましょう』
その日に合わせて、クレアもシンディーも王都を出てフォーサイスに戻った。
エマーソン伯爵とクレアの父親、クレア、シンディーが面を合わせた。
「わざわざ来ていただいて申し訳ない。クレアとの婚約のことなのですが、婚約解消をお願いしたいのです」
「おそらくその話だろうと思っておりました。しかし私は既にフォーサイス家の負債を全額支払いましたが、それはどうなさるおつもりですか?」
「それについては本当に感謝しております。ですがこの度、全額お返しできるようになりました。本当に申し訳なく思うのですが、立て替えていただいた全額に慰謝料も加えてお返しいたしますので、婚約を解消していただけないでしょうか?」
エマーソン伯爵はしばらく無言で何かを考えていたようであったが、にこりと微笑んだ。
「慰謝料まで払っていただけるとは。よほどの方の支援があったようですね。どなたかお伺いしても?」
「いえ、それは申し上げられません」
「そうですか。いいでしょう。婚約を解消して差し上げましょう。私はクレア嬢の幸せを一番に考えていますので」
それまで不安そうに目を伏せていたクレアの顔がぱあっと明るくなり、顔を上げ、目の前のエマーソン伯爵を見つめた。
「あの、ありがとうございます。私のわがままを聞いていただいて……。エマーソン伯爵、本当に心から感謝申し上げます」
クレアは深く頭を下げた。
「私たちの婚約届は二か所に提出しているので、書類作成に多少時間がかかりますが、書類ができたらお見せしますよ」
エマーソン伯爵は、居合わせた皆が驚くほど始終にこやかであった。
エマーソン伯爵が帰ってから、クレアもシンディーもアカデミーに戻った。
馬車の中で、クレアは何度も同じ言葉を呟いた。
「ああ、早くネッドに報告したい。婚約は解消できるって。王都まで三日もかかるなんてもどかしいわ」
学生寮に戻った翌日の六月八日、休日だったこの日、クレアは男子寮にいるネッドを誘って二人で町に出た。
婚約が無事に解消できることになった報告と、二人のこれからを祝うデートである。
「寮長には連絡しておくけど、あまり遅くならないでね」
シンディーはクレアの幸せそうな顔を見て、ほっこりとして送り出す。
その夜遅くにクレアは帰って来た。
門限ぎりぎりでシンディーは焦っていたのだが、当のクレアはほわわんと夢の中にいるみたいで、しきりに自分の手の甲をうっとりと見つめている。
よく見ると、左手の薬指にアメジストの指輪がはめられていた。
「まあ、それネッドにもらったの?」
「そう。結婚指輪だって」
「結婚? 婚約じゃなくて?」
「ふふっ、そうよ」
幸せそうに微笑むクレアを見ていると、言いたいことが言えなくなった。
小粒のアメジストだけの結婚指輪だなんて、一国の王太子が贈るにしては物足りないわ。
「ふふっ、シンディーが言いたいことわかるわよ。でもほら、この指輪、ネッドの瞳と同じ色をしてるでしょう? とっても美しいわ。ふふっ」
「はいはい」
幸せいっぱいのクレアは、紫色なら何でも喜んで受け取りそうだ。
「でもね。明日から、またしばらく会えないの。私と結婚できることになったことを国に帰って報告するんですって。お金もエマーソン伯爵に返さないといけないし」
「そうね。ネッドはあなたのためにいろいろ動かないといけないものね」
「ええ。寂しくなるけど我慢するわ」
この二日後の六月十日、シンディーがクレアを見たのは、一緒に昼食をとったそのときが最後となった。




