28話 獣
俺がマキ割りをしていたら、お嬢様が現れた。
いつ見ても可愛くて美しいお嬢様。
美しいおしゃれなドレスでなくても、まるで輝く宝石のようだ。
いやいや、宝石では足りない。
もう女神そのものだよね。
「エルヴィン、これから森に薬草を摘みに行くのだけれど、忙しそうですね」
今はマキ割りの最中で確かに忙しいけれど、仕事なんて放り出して、今すぐお嬢様のお供をしたい。
だけど、そんなことをしたら、お嬢様が困った顔をする。
いつも微笑みを絶やさず表情を変えないお嬢様だけど、俺は微妙な変化もわかるんだ。
だから俺は、急いで仕事を終わらせることにしている。
「すぐ終わりますから、少しだけ待っていてください」
「森の入り口近くにある薬草を摘みながら待ってます」
俺はお嬢様を待たせたくなくて、超高速でマキ割りを終えた。
弓矢と斧を背に担ぎ、さあ、行こうと思ったら、使用人のトムさんがやって来た。
以前、美術館に行く際の、従者役に必要な黒のスーツを貸してくれた恩人である。
「ベンジャミンさんに用事があるんだけど」
「じいちゃんはちょうど今、マキ小屋にマキを運んでいるから、ここにはいませんよ。話があるんだったら、マキ小屋に行けば会えると思いますよ」
俺は早くお嬢様のもとに駆けつけたくて、焦ってそう答えた。
「いや、大したことではないんで、エルヴィンがベンジャミンさんに伝えてくれたらいいよ」
本当は断りたかったけど、スーツを貸してもらった恩がある。
だから、話を聞くことにした。
たいしたことじゃないんだったら、どうせすぐに終わるだろう。
「それじゃあ、話すけど……、……、……、まあそう言うことだから、ちゃんとベンジャミンさんに伝えておいてくれよ」
長かった。
すぐに終わると思っていたのに、どこが大したことではない、だ。
俺は慌てて森に走った。
だけど、入り口にいると思っていた場所に、お嬢様はいなかった。
待っててくれるんじゃなかったのか?
一人で奥へ行ってしまったのか?
森の奥にはどんな獣がいるのかわからない。
だから絶対に一人で行かないようにと、念押ししていたのに……。
不安を抱えながら走って行くと、真っ黒い大きな獣が目の前に見えた。
獣は今まさに獲物にとびかかろうとしている。
ガルルガルルと恐ろしい唸り声を上げているその視線の先には、お嬢様がいた。
「お嬢様!」
獣がお嬢様に飛びかかったのと、お嬢様の悲鳴と、俺が飛び込むのは同時だった。
俺はお嬢さまと獣の間に飛び込み、斧で獣を切り倒した。
本当に危機一髪だった。
ほんの一瞬でも遅れていたらと思うと、背筋が凍る思いがする。
ほっとしてお嬢様にけがはないかと尋ねたら、大丈夫だと答えが返って来た。
その顔は今にも泣きそうな顔をしている。
きっと怖くて仕方がなかったのだろう。
「歩けますか?」
尋ねて手を差し出したら、お嬢様は手を握ってくれた。
けれど、立ち上がることはできなかった。
「あ、あの…、どうしましょう。足が震えて力が入らなくて…」
ああ、お嬢様は恐怖で腰が抜けてしまったのだな。
「お嬢様、失礼します」
俺はお嬢様の膝下に手を添えて、ひょいと身体を抱き上げた。
か、軽い! まるで羽根みたいだ。
「エ、エルヴィン!?」
お嬢様は恥ずかしがって真っ赤になって俺の名前を呼んだけど、今は、そんなことを気にしている場合ではない。
群れで動く獣だったら、まだ近くにいるかもしれないのだ。
俺はお嬢様を一刻も早く、この場から遠ざける必要があった。
「恥ずかしいとは思いますが、我慢してください」
薬草は後から届けることを約束して、俺は急いで出口に向かった。
「エルヴィン、ありがとう」
お嬢様はそう言って俺の肩に顔を預けてくれたけど、喜んでいる余裕なんてなかった。
お嬢様の羽根のように軽くて華奢な体が、儚く消えてしまいそうで怖くなった。
俺が間に合わなかったら、その命が本当に消えてしまったかもしれないのだ。
森を出てお嬢様をベンチに座らせて、俺はやっと安心することができた。
「お嬢様、ここまで来たらもう大丈夫ですよ」
お嬢様もやっと緊張が解けたようで、いつもの笑みに戻った。
「エルヴィン、ごめんなさい。待っててって言ってくれたのに、わたくしが勝手に奥まで行ってしまって」
「謝らないでください。お嬢様は一生懸命に薬草を摘んでいたのでしょう? でも、これからは絶対に一人で奥まで行かないでくださいね」
安心したからか、手の甲に痛みを感じた。
チラリと見ると擦り傷がある。
「まあ、エルヴィン、あなたケガをしているわ。さっきの戦いで?」
「いや、違います。きっと慌てて走ったから木でこすったのだと思います」
「ごめんなさい。わたくしのために……」
お嬢様はスカートのポケットから、見慣れた小さなケースを取り出した。
お嬢様がいつも持ち歩いている傷薬である。
「エルヴィン、薬を塗りましょう」
お嬢様は薬を指にとると、俺の手を取り手の甲にスリスリと塗り始めた。
握られた手は温かく、傷は痛いと言うよりも、くすぐったい。
指を動かすお嬢様の真剣な顔が、すごく可愛らしい。
俺がお嬢様に初めて会ったときも、薬を塗ってもらった。
あの日のことは忘れたことがない。
あれがお嬢様に恋をした瞬間だったんだ。




