105話 救護院
レンガ造りの救護院の施設内に入ると、マスク越しでも異臭を感じた。
糞尿と膿の匂いが鼻を刺激する。
救護院には、事前にセレスティアの訪問を伝えている。
出迎えた院長は困った顔でセレスティアを見つめた。
「まさかこんなところに王女殿下が来られるとは思いませんでした。ご気分が悪くなるでしょう? もう帰られた方が良いのでは?」
「いえ、帰りません。まずは全体を見学させてください」
セレスティアは、初めて見る救護院の悲惨な光景に目を疑った。
あまりにもそこにいる人々の姿が痛々しい。
狭いベッドに病人が二人寝かされているのは当たり前で、三人で寝ているベッドもあった。
皆十分な食事を与えられていないのか、やせ細り骨と皮ばかりになっている。
病気の者にもケガをしている者にも、満足な治療をしていないのは明らかだった。
「病人以外はどうしているのですか?」
「外で仕事を得られない者ばかりなので、ここで岩を砕く仕事を与えています」
「案内してください」
作業場まで行くと、頬がこけ骨の形が浮き出ているほどのやせ細った男たちが、重いハンマーを持ち上げ、大きな岩に向かって苦しそうに振り下ろしている。
少し離れた場所では、同じく病的にやせ細った女たちがハンマーを振り下ろして、大岩を砕いていた。
ガチン! ゴチン! ジャリッ パラパラ……
ハンマーが岩に当たる度に音が響くだけで、そこは誰もしゃべらない無言の世界になっていた。
皆うつろな目をして、ハンマーで岩を叩き続けている。
一通り見学を終えたセレスティア一行は、院長に応接室で話を聞くことにした。
「ともかくお金がないのです。国から下りる給付金が少なすぎます。食べ物だって薬だって満足に買えやしない。国王陛下に何度お願いしても、一向に改善されません。もう何年も王族の方が来たこともありません。無理だとはわかっていますが、王女殿下、陛下にもっと給付金を増やすようにお願いしてくださいますか?」
「あの、院長は直接陛下に申し上げたのですか?」
「えっ? 私が直接? そんな恐れ多いこと、めっそうもございません」
「わかりました。わたくしから陛下にお願いしてみましょう」
この日は、セレスティア一人では対応しきれないと判断し、できる限りの食料と薬を渡して、急いで王城へと戻った。
城に戻るとすぐにセレスティアは宰相ゼラリウスを訪ね、救護院の予算がどうなっているのか調べた。
現状を知らされたゼラリウスは、それはおかしいと首をひねる。
予算と現状があまりにもかけ離れている。
書類の上では、ベッドも食料も十分に買えるほどの予算が組み込まれているのだ。
「これは、誰かが給付金を横領しているようですな。王女殿下、私が責任を持って調べましょう。ご報告、ありがとうございました」
ゼラリウスは頭が切れる男で、早速横領している犯人をあぶりだした。
犯人は一人ではなく、救護院に関わる貴族と食料や薬を届けている業者も合わせた広範囲な人間の所業であった。
院長は、まんまと皆に騙されていたのである。
ゼラリウスの手腕は的確で迅速、救護院のベッドは増え、食事も改善された。
複数のベテラン医師が派遣され、一人一人に適切な処置が施された。
横領に関わった犯人たちは処罰され、彼らに替わって信頼できる貴族と業者が新しく抜擢された。
これにより、院長がセレスティアと国王陛下に感謝したことは言うまでもない。
貧民街を訪問した一週間後、セレスティアたちは約束通り再度訪問した。
馬車を見た少年は急いで駆け寄り、馬車から降りて来たセレスティアに嬉しそうに手を振っている。
「妹の病気が治ったよ。元気になったんだ。ありがとう」
「そうですか。それは良かったですね。きっとあなたの祈りが通じたのだと思いますよ」
「違うよ。お姉さんのお陰だよ」
「まあ、ありがとう」
セレスティアと少年は、にっこりと微笑み合った。
セレスティアたちが広場にテントを張って、簡易診療所を設置したときだった。
男たちの怒鳴り声が聞こえて来た。
姿は見えないが、かなり激しい言い争いをしている。
「ケンカだ!」
やじ馬たちが怖いもの見たさに、声のする方に吸い寄せられていく。
護衛騎士たちに緊張が走る。
「王女殿下、テントの中にお入りください」
セレスティアと侍女の三人は、言われた通りにテントの中に入って身を隠した。




