EP 4
ダメバイト・ルチアナと、銅貨1枚(100円)の肩こり解消グッズ
「あぁぁぁ……死ぬぅ……。私の、神聖なる腰と肩が、砕け散るぅぅ……」
ホームセンター・タローマンのバックヤード(休憩室)。
パイプ椅子を二つ並べた上に、ピンクの芋ジャージにエプロン姿の女神ルチアナが、まるで水揚げされた深海魚のようにぐったりと横たわっていた。
午前中の4時間。
彼女はリーザの指導のもと、平台車を駆使して園芸コーナーの化成肥料(20kg)と、建築資材コーナーのセメント袋の品出しをひたすら行わされていた。
もちろん魔法の使用はアラトによって固く禁じられているため、すべて完全な『手作業(物理)』である。
日頃、天界のフカフカなソファでアップルティーを飲みながら地球の猫動画を見るか、推しのアイドル『朝倉月人』のソシャゲでガチャを回すことしかしていない彼女の貧弱な肉体にとって、それはまさに地獄の責め苦だった。
「……ううっ、指先がプルプルするわ。箸を持つのも辛い……。なんで世界神であるこの私が、こんな目に……」
「ルチアナ様、お疲れ様ですわ! はい、お昼の配給の塩おにぎりですわよ!」
ルチアナの隣では、同じく4時間の肉体労働をこなしたはずのリーザが、ケロッとした顔で塩おにぎりを頬張っていた。
日々のサバイバルとタローソンの廃棄弁当争奪戦で鍛え上げられた貧困アイドルの体力は、堕落した女神のそれを遥かに凌駕していたのである。
「ありがとう、リーザ……。でも私、全身の筋肉が悲鳴を上げてて、食欲すら……」
「ダメですわ! 肉体労働の後に炭水化物と塩分を補給しないと、午後のシフトで確実に倒れますわよ! ほら、お口を開けて!」
「あむっ……もぐもぐ……おいひい……」
リーザに無理やり塩おにぎりを口に押し込まれ、涙目で咀嚼するルチアナ。
そこへ、「ガラッ」と休憩室の引き戸が開いて、俺が足を踏み入れた。
「午前中のシフト、ご苦労さん。アラトの報告によれば、魔法のズルなしで規定のノルマを達成したそうだな。……ほらよ、店長からの福利厚生だ」
俺はパイプ椅子で呻いているルチアナの顔の横に、いくつかのアイテムをポンッと置いた。
一つは、よく冷えた麦茶の入ったペットボトル。
そしてもう一つは、不透明なプラスチックのパッケージに入った謎の器具と、四角い袋だった。
「……何よ、これ。拷問器具?」
ルチアナは、胡乱な目でプラスチックの器具を睨みつけた。
それは、地球の100円ショップでよく売られている、Y字型をしたプラスチック製の『ツボ押しローラー』だった。先端にはイボイボのついた二つのローラーが付いている。
「拷問じゃねえよ。肩こり解消用のツボ押しローラーと、冷感湿布だ。肉体労働で筋肉が張ってるんだろ? 騙されたと思って、そのローラーで首から肩にかけてコロコロしてみろ」
「はぁ? こんな安っぽいプラスチックの棒で、神の肉体の疲労が取れるわけ――」
疑心暗鬼のまま、ルチアナはY字のローラーを手に取り、自分の首筋から肩のラインに当てて、軽く上下に転がしてみた。
コロコロコロッ……。
「…………え?」
ルチアナの動きが、ピタリと止まった。
プラスチックのイボイボが、凝り固まった肩の筋肉の筋を、絶妙な圧力で捉えてほぐしていく。
それは、魔法の癒やしとは違う、物理的な『ツボへの的確なアプローチ』だった。
「こ、これは……? 嘘でしょ、なんか、すっごく……」
ルチアナは目を見開き、今度は少し力を入れて、首筋から肩甲骨の裏側にかけてローラーを激しく往復させ始めた。
コロコロコロコロコロッ!!
「あぁぁぁぁぁっ……! そこっ! そこいいわぁぁっ! ゴリゴリ言ってるぅぅ! あぁぁ、効くぅぅぅぅっ!!」
休憩室に、女神の官能的(?)な叫び声が響き渡った。
彼女はパイプ椅子から転げ落ち、バックヤードの床に座り込みながら、狂ったように自分の肩と腰にツボ押しローラーを走らせている。
「な、なによこれ! ただのプラスチックの棒なのに、天界の専属マッサージ師の指圧より的確にツボに入ってくるじゃないの! あぁっ、首の付け根が……リンパが流れていくのが分かるわぁぁっ!」
「……落ち着け。ただの100円の雑貨だぞ」
俺が呆れて見下ろす中、ルチアナはハァハァと荒い息を吐きながらローラーの動きを止めた。
「100円……つまり銅貨1枚!? 嘘でしょ!? 天界のエステサロンなんて、1回で金貨10枚(10万円)はふんだくられるのに! なんでこんな魔法みたいなアーティファクトが、たったの銅貨1枚で買えるのよ!」
「地球じゃ大量生産されてるからな。……で、ほぐれた後はこっちだ」
俺は四角い袋を開け、中から湿布(ミントの香りがする強力な冷感タイプ)を一枚取り出した。
透明なフィルムを剥がし、ルチアナの肩にペチッ!と貼り付ける。
「ひゃうっ!?」
冷感湿布特有の、強烈なメントールの刺激と冷却効果が、ルチアナの肩の筋肉を一気に包み込んだ。
「つ、冷たぁぁぁい! でも……気持ちいいぃぃぃっ!!」
ルチアナは自分の肩を抱きしめ、ブルブルと震えながら恍惚の表情を浮かべた。
「な、なんなのこれ!? 氷属性の回復魔法!? いえ、それ以上の持続的かつ浸透するような清涼感! まるで、吹雪が吹き荒れる極寒の雪山で、温泉に浸かっているような絶対的な癒やし……っ! あぁぁ、筋肉の熱が、痛みが、嘘みたいに引いていくわ……!」
「だから、ただの湿布だ。炎症を抑える成分が入ってるだけだ」
「信じられない……! 地球の文明って、どうなってるの!? こんな神をも凌駕する癒やしのアイテムが、そこら辺のホームセンターで束になって売られてるっていうの!?」
ルチアナは完全に地球の100円グッズの虜になっていた。
天界で30万円ものリボ払いを背負ってまで通っていた高級エステの施術が、この『100円のローラー』と『数十円の湿布』のコンボに完全に敗北したという事実が、彼女の価値観を根本から破壊してしまったのだ。
「春太さん! 私にも! 私のふくらはぎにもその『湿布』とやらを貼ってくださいませ!」
横で見ていたリーザが、ジャージの裾をまくり上げて目を輝かせている。
「お前も頑張ってたからな。ほらよ」
ペチッ、とリーザのふくらはぎにも湿布を貼ってやる。
「あぁぁぁぁ……! 極楽ですわぁぁ……! タローマンの福利厚生、最高ですわぁ……!」
リーザもまた、床に転がって湿布の冷感に身をよじらせていた。
床に転がる、ピンクと赤の芋ジャージ。
世界神と人魚の姫が、100円の肩こりグッズと湿布に屈伏し、アホ面を晒してだらしなくとろけている。
「……まぁ、なんだ。午後も肥料の搬入がトラック1台分ある。きっちり休んで、しっかり働けよ。時給分の働きを見せたら、帰りにもう一袋、湿布を現物支給で持たせてやるからな」
俺がそう告げると、ルチアナはバッ!と勢いよく立ち上がった。
先程までの二日酔いと疲労感は嘘のように消え去り、その瞳には、かつてないほどの『労働へのモチベーション』が燃え滾っていた。
「……やるわ。私、働くわハルタ!」
「お、おう。急にやる気になったな」
「この『ツボ押しローラー』と『湿布』を天界に持ち帰って、カグヤの泥棒猫に見せつけてやるのよ! 『あんたの通ってる高級エステ、コスパ最悪ね!』って言って、マウントを取ってやるんだから!!」
動機は果てしなく不純だが、労働意欲が湧いたのなら店長としては文句はない。
「ルチアナ様! その意気ですわ! 午後も私と一緒に、平台車の爆速スライド陳列で時給を稼ぎまくりますわよ!」
「ええ、リーザ! 私、絶対にリボ払いの借金を返済してみせるわ!」
固い握手を交わす駄女神と貧困アイドル。
こうして、異世界の神は地球の『100円均一の概念』によって、働くことの喜び(と物欲)を学んだのだった。
「やれやれ……。とりあえず、労働力としては十分に使えそうだな」
俺は休憩室の扉を閉めながら、小さく笑った。
このまま順調にシフトをこなせば、ルチアナの借金もいつかは減っていくだろう。
――だが、俺たちは忘れていた。
リボ払いの滞納という『現実』は、100円の湿布でごまかせるほど、甘いものではないということを。
夕方、タローマンの店内に『天界からの最悪の来訪者』が押し寄せてくることなど、今はまだ誰も知る由もなかった。




