EP 5
労働の後のまかない飯と、忍び寄る黒い影(天界の取り立て屋)
「……お、終わった……。終わったわ……!」
夕暮れ時。茜色に染まるポポロ村の空の下、ホームセンター・タローマンの搬入口で、女神ルチアナは崩れ落ちるように膝をついた。
午後のシフトである「トラック1台分の肥料と土壌改良材の荷下ろし」を、魔法を一切使わずに己の肉体(とリーザの台車テクニック)だけで完遂したのだ。
ピンク色の芋ジャージは汗と土埃で汚れ、額には疲労の汗が張り付いている。
だが、その表情は、今朝の二日酔いで管を巻いていた駄女神のそれではなく、確かな『達成感』に満ちていた。
「お疲れ様ですわ、ルチアナ様! 午後のペース配分、見事でしたわよ!」
同じく汗だくになった赤ジャージのリーザが、タオルで顔を拭きながら労いの言葉をかける。
「ハァ、ハァ……ええ、リーザ。私、なんだか新しい扉を開いた気がするわ。これが『労働』……これが『対価を生み出す』ということなのね……!」
「愚問だ。貴様が今日生み出した価値は、時給計算で銀貨の半分にも満たない。だが、作業効率の向上率は悪くなかった。明日はさらにノルマを15%引き上げる」
タブレットを片手に無慈悲な評価を下すアラトに、ルチアナは「鬼! 悪魔! 元SE!」と文句を言いながらも、どこか誇らしげに笑った。
「お疲れさん。初日にしては逃げ出さずによくやったな」
俺は搬入口から顔を出し、二人の前にスーパーのレジ袋をドンッと置いた。
「ほら、今日の『まかない』だ。タローソン(うちが経営してるコンビニ)の消費期限ギリギリの廃棄弁当だけどな。しっかり食って、体力を回復させろ」
「まかない……! 無料の食事……!」
「春太さん、ありがとうございますわーっ!!」
タダ飯という言葉に、ルチアナとリーザの目が猛禽類のようにギラリと光る。
俺たちはバックヤードの休憩室に戻り、電子レンジ(魔導加熱器)で弁当を温め始めた。
チンッ! という軽快な音と共に、休憩室にジャンクで食欲をそそる香りが充満する。
「本日のメニューは『特盛りデミグラスハンバーグ弁当(目玉焼き乗せ)』ですわ! ルチアナ様、どうぞ!」
「い、いただきます……っ!」
ルチアナは割り箸をパチンと割り、湯気を立てるハンバーグを大きめの一口サイズに切って、白飯と一緒に口の中へ放り込んだ。
「――――ッ!!」
瞬間、ルチアナの瞳孔がカッと見開かれた。
決して高級な肉ではない。つなぎが多く、ソースの味でごまかしているような、地球のコンビニ弁当特有のジャンクな味だ。天界で神々が食べるような、マナを含んだ神秘の料理には到底及ばないはずである。
だが。
「……おいひい……。な、なにこれ……すっごく、おいしい……っ!」
ルチアナの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なんで……? 天界の三ツ星レストランで、リボ払いのカードを切って食べた金貨5枚のフルコースより……こんな安いお弁当の方が、ずっと、ずっと美味しいなんて……っ!」
「ルチアナ様。それが『労働のスパイス』ですわ」
リーザが、自分のハンバーグを大切そうに少しずつかじりながら、優しく微笑んだ。
「自らの肉体を酷使し、汗を流して対価を得る。その極限の疲労状態において摂取する塩分と脂質、そして炭水化物は、どんな高級食材にも勝る『至高の麻薬』へと変化するのです。……ようこそ、労働者の世界へ」
「リーザ……っ! 私、今ならわかるわ! 月人君がライブのMCで『みんなの汗と応援が最高のエネルギーだぜ!』って言ってた意味が! 汗を流すって、こういうことだったのね!」
ルチアナは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ハンバーグ弁当を猛然と掻き込み始めた。
底辺アイドルと駄女神が、ただの廃棄弁当を三ツ星の晩餐のように崇めながら胃袋に収めていく。
「あぁ……お腹いっぱい……。100円の湿布で肩の痛みも引いてきたし……なんだか、すっごく満たされてるわ」
空になった弁当箱を前に、ルチアナは温かいお茶をすすりながら、ふぅっと深い息を吐き出した。
窓の外では、完全に日が落ち、ポポロ村に静かな夜の帳が下りていた。
遠くで虫の音が聞こえ、店内の蛍光灯がわずかにジーッと鳴っている。
「ふふっ……なんだか、こういうのも悪くないわね。見栄を張って高いものを食べなくても、自分の足で立って、働いて、ご飯を食べる……。あぁ、平和だわ」
ルチアナが、心からの安堵と共にそう呟いた。
俺も「まぁ、明日もシフト入ってるから遅刻すんなよ」と笑って缶コーヒーを口に運ぼうとした。
――その、直後だった。
ジジッ……ジジジジジッ!!
突然、休憩室の蛍光灯が激しく明滅し、バチッと音を立てて弾け飛んだ。
「きゃっ!?」とルチアナとリーザが短い悲鳴を上げる。
同時に、バックヤードの空気が、まるで冷凍庫の中に放り込まれたかのように急激に冷え込んだ。
「……ッ! ハルタ!」
タブレットを見ていたアラトが、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。その顔には、かつてないほどの『焦燥』が浮かんでいる。
「空間の歪みだ! だが今朝のルチアナの降臨とは次元が違う! 魔力じゃない……純粋な『強制執行』の干渉波だ! 何かが来るぞ!」
「強制執行……?」
俺は瞬時にベルトのスタンガンと熊避けスプレーに手をかけ、ルチアナたちを背後にかばうように前に出た。
直後。
バックヤードの空間が、ガラスが割れるようにではなく、まるで『空間そのものが黒いインクで塗り潰されるように』ズシンッ! と四角く切り取られた。
重低音。
鼓膜を圧迫するような、威圧的な羽音が響く。
その漆黒のゲートから、三つの巨大な影が、一歩、また一歩と、ホームセンターの床に重々しい足音を立てて降り立った。
「な……っ!?」
俺は目を見開いた。
現れたのは、身長2メートルを優に超える、異常なほど筋肉質な巨漢たちだった。
彼らは全身を漆黒の高級スーツで包み込んでいるが、その下にある鋼のような大胸筋と僧帽筋が、スーツをはち切れんばかりに内側から押し上げている。
頭には、感情を一切読み取らせない真っ黒なサングラス。
手には、禍々しい鎖のついたアタッシュケースが握られていた。
「ア、ア、アァァァァァ…………っ!!」
俺の背後で、先程まで平和に微笑んでいたルチアナが、喉を引き攣らせ、顔面を死人のように蒼白にして震え出した。
『対象を確認。第3種惑星創造神格公務員・ルチアナ』
三人の黒服のうち、中央に立つ最も巨大な男が、機械のように無機質な声で告げた。
その声には、一切の感情が存在しない。ただの『システム(法)』としての絶対的な冷酷さだけが宿っていた。
『我々は、天界財務局・特別回収部隊。ルチアナ、貴女のエンジェルスマートフォン・リボ払い残高、および利息の支払いが、最終通告の期限を完全に超過しました』
「ち、ちがうの! 私は今、ここでバイトをして、少しずつ返済を――」
『弁明は不要です。契約書第48条第2項に基づき、信用スコアの完全凍結、および強制労働執行のプロセスへ移行します』
黒服の男が、アタッシュケースをガチャンと開いた。
中から出てきたのは、禍々しい紫色の光を放つ『拘束具(首輪と手枷)』だった。
「ひぃぃぃぃっ!!」
ルチアナが腰を抜かし、床にへたり込む。
『執行先は、シーラン海域・第8区画。遠洋魔獣捕獲船、通称《マグローザ漁船》。借金総額100万円および利息分を時給換算(時給10円)で労働し、完済するまで天界への帰還は許可されません。期間は推定約300年となります』
「さ、三百年……っ!? マグローザ漁船……!? 嫌っ、嫌ぁぁぁぁっ! そんなの乗ったらお肌がボロボロになっちゃう! 月人君の来年のアリーナツアーに行けなくなっちゃうぅぅぅ!!」
ルチアナの絶叫がバックヤードに響き渡る。
冗談ではない。神様を相手にした、ガチの強制連行(拉致)である。
しかも、相手から放たれるプレッシャーは尋常ではない。ルナミス帝国軍の兵士など赤子に見えるほど、このサングラスの巨漢たちは『絶対的な暴力の概念』そのものだった。
「ルチアナ様っ! ダメですわ、連れて行かれませんわっ!!」
リーザが勇気を振り絞ってルチアナを庇おうとするが、黒服の一人がスッと手をかざしただけで、不可視の壁に弾き飛ばされ、「きゃあっ!」と壁に激突した。
『抵抗は無意味です。我々の周囲には、天界の絶対回収バリアが展開されています。いかなる下界の物理・魔法も干渉することはできません。……さあ、ルチアナ。連行します』
黒服たちが、無感情にルチアナの腕を掴もうと巨大な手を伸ばす。
ルチアナは完全に絶望し、「あぁ……私の人生、終わった……」と瞳から光を失いかけた。
だが。
その巨大な手が、ルチアナの芋ジャージに触れる直前。
「――おい。そいつは今、俺の店のシフトに入ってる従業員だぞ」
冷たく、低く。
しかし、決して揺るがない鋼の意思を込めた声が、黒服たちの動きをピタリと止めた。
俺は、腰のスタンガンに手をかけたまま、ルチアナの前に一歩踏み出し、見上げるほど巨大な天界の取り立て屋たちを真っ直ぐに睨みつけた。
「勝手にうちのバイトを連れて行くな。接客用語から教え直すのに、どれだけ手間がかかると思ってんだ」
平和な日常とまかない飯の時間は終わりだ。
ここからは、理不尽な天界の暴力と、元社畜店長の『意地』を賭けた、仁義なきブラック労働争議の始まりである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




