EP 10
月下の宴――鉄の箱と、当たり前の幸せ
ルナミス魔導自動車教習所を後にし、俺たちはポポロ村の村長宅へと戻っていた。
手には、汗と泥と、ギド教官の涙が染み込んだ『魔導車両運転許可証』がある。
たかが紙切れ一枚だが、これがあればもう交通警察に追い回されることも、無免許運転で冷や汗をかくこともない。
「ハルタ、まずは洗車だ。教習所のコースの泥と、教官のヘドロが車体にこびりついている」
「ああ、そうだな。村の川辺でアラトが洗車してくれ。俺はホームセンターから『洗車用ワックス』と『高圧洗浄機』を召喚する」
ポポロ村の村長宅の裏手、清流のほとりに軽トラを停める。
俺とアラトが手際よく洗車を行っていると、それを見つけた住人たちが次々と集まってきた。
「おお、春太殿! ついにその鉄の箱を合法的に走らせる許可を得たのか!」
村の獣人族たちが興味深そうに軽トラを囲む。
かつては「ゴーレムか!?」と恐れられていた軽トラも、今では村の開拓を象徴する頼もしい相棒として受け入れられていた。
「すごい! 泥が落ちたら本当に白くて輝いていますわ!」
リーザが目を輝かせて車体を撫でる。
「これがあれば、私も明日からパンの耳を買いに行くのに徒歩ではなく、この箱に乗って行けるのかしら?」
「リーザ、これはパンの買い出し用じゃない。村の道路建設用だ」
俺たちが笑い合っていると、キャルルがいつの間にか手作りの『人参のパウンドケーキ』を抱えて駆け寄ってきた。
「春太様、アラト様、免許取得おめでとうございます! お祝いに、ポポロ村の太陽芋を使ったケーキを焼いてみました!」
「サンキュー、キャルル。……おっ、美味そうだな」
「……愚問だ。キャルルのケーキは糖質の配合バランスが完璧だ」
俺とアラトがケーキを一切れずつ頬張る。甘すぎず、それでいて素材の旨味が凝縮された、どこか地球の味を思い出させる安心感。
この味を、今の仲間たちと共有できることが、何よりも嬉しい。
夕暮れが、ポポロ村の空をオレンジ色に染め上げていく。
俺は軽トラの荷台に、ホームセンターの資材館から運び出した『折りたたみ式のテーブル』と『BBQコンロ』、そして『キンキンに冷えた炭酸水』を積み込んだ。
「よし、今夜はポポロ村の山頂で祝杯だ。全員乗れ!」
「全員ですの!? この鉄の箱に?」
「大丈夫だ。アオリ(荷台の縁)を倒せば、大人数でも乗れる設計だ」
リーザ、ルナ、キュララ、キャルル、そしてアラトが、ぎゅうぎゅうになりながら軽トラの荷台に乗り込む。
俺は運転席に座り、キーを回した。
発電機から送られる電気信号で、軽トラのエンジンが心地よい振動を始める。
山道を登る。
夜風が顔を撫でる。ブラック企業時代の残業帰りに、電柱の明かりの下で食べた冷めたおにぎりとは違う、温かい風だ。
山頂の開けた広場に着くと、そこには美しい月が昇っていた。
「……きれい」
リーザがうっとりと空を見上げる。
俺は荷台からホームセンターの「ポータブル照明」を取り出し、広場を暖かな光で包み込んだ。
そして、BBQコンロに炭を熾し、昨日『肉椎茸』や『ロックバイソン』の肉を並べる。
「さあ、宴の始まりだ。免許合格と、開拓の未来に乾杯!」
「「乾杯!!」」
皆で手にしたのは、ポポロ村のイモッカと、俺が持ち込んだ炭酸水で割ったハイボール。
肉椎茸が焼ける香ばしい香りが、夜の空気に混ざり合う。
キュララが「合格祝いの特別配信!」と言って、BBQの様子をG-Tubeで流し始めると、コメント欄は瞬く間に祝福のスパチャで埋め尽くされた。
リーザは「今夜だけは贅沢して良いんですわ!」とロックバイソンの肉を口いっぱいに頬張り、ルナは楽しそうに植物たちと歌を歌い、キャルルは俺の隣で幸せそうに微笑んでいる。
宴もたけなわになった頃。
俺は一本の缶ビールを片手に、少し離れた岩場へ腰を下ろした。
そこに、相棒のアラトがイチゴ味の飴玉を片手にやってくる。
「ハルタ。隣、いいか」
「ああ、座れよ」
二人で、眼下に広がるポポロ村の灯りを見下ろす。
村は、俺が召喚した街灯と、みんなの生活の温もりでキラキラと輝いていた。
「……ハルタ。教習所での試験、そして架橋工事。改めて確認するが、お前は何のためにそこまでして免許を取ろうとした?」
アラトが月を見上げながら、ポツリと聞いた。
この世界で圧倒的な力を持ちながら、俺はなぜ、ただの交通ルールや免許にこだわるのか。
そう思われても不思議はない。
俺は缶ビールを一口飲み、ふっと笑った。
「なあアラト。俺の世界じゃ、朝起きて、仕事に行って、夕方に疲れたら帰ってきて、仲間と美味い飯を食う。それが当たり前の『幸せ』だった。ブラック企業にいた頃は、それすら奪われてたけどな」
俺は自分の手を見つめる。
今は、機械油と土の匂いが染み付いている。
「この世界は理不尽だ。魔獣は出るし、貴族は腐ってるし、神様たちは俺たちを動画の素材だと思ってる。でもな、俺が作りたいのは『支配』じゃない。……この軽トラで、村の端から端までセメントを運んで、みんなの家を直して、夜になったらこうやって月を見上げて『今日も疲れたな』って笑い合える。そんな『当たり前の日常』を、この世界で作りたかったんだよ」
俺の言葉に、アラトは呆れたように肩をすくめた。
だが、その表情は心底から信頼に満ちている。
「矮小だな、ハルタ。世界を支配できるだけのホームセンターの物資と、女神を翻弄する知恵がありながら、目指す先が『晩酌』とはな」
「へへっ、そうだよ。俺はただの店長だ。覇王にはなれねえよ」
「……だが」
アラトは俺の肩を軽く叩き、持っていた飴玉をガリッ! と砕いた。
「貴様と飲むその『当たり前のハイボール』だけは、どこの王侯貴族が飲む最高級のワインよりも美味い。……いいだろう。この『当たり前の日常』を維持するためなら、私はいくらでも無茶をしてやる」
「ああ、頼むぜ、相棒」
俺たちは拳を合わせた。
その時、近くの茂みで「ガサガサッ」という音がした。
「……ん?」
キャルルが耳をぴくぴくさせながら、茂みの方を警戒した。
俺たちの団欒を邪魔する者か? と身構えた俺たちの前に姿を現したのは――。
「……あ、あの。いい匂いがしたので……」
そこにいたのは、ぼろぼろの衣服を纏った一人の少年だった。
見た目は十歳前後だが、その瞳にはどこか影がある。どこかの国から逃げ出してきた戦災孤児だろうか。
彼はBBQの肉椎茸をじっと見つめて、喉を鳴らした。
俺とアラトは顔を見合わせ、笑った。
そして、キャルルが即座に立ち上がり、少年を笑顔で手招きする。
「あら、迷子さんですか? お腹が空いているなら、たくさん食べなさい。私たちの村は、食べるものには困りませんから」
少年は信じられないものを見るような目でキャルルを見つめ、恐る恐る近づいてきた。
彼が肉椎茸を一切れ口に入れると、その瞳から涙がボロボロと溢れ出した。
「う……うぁぁ……」
彼は泣きながら、夢中で食べ始めた。
その様子を見て、キュララがカメラを向けながら小さく呟く。
「……この子、どこから来たのかな。でも、今のこの瞬間は、世界で一番幸せそうだね」
その様子を、遠くの空から何者かが監視しているような「影」を感じた。
だが、俺は気にしなかった。
ここで誰が来ようと、俺の『当たり前の幸せ』を壊すことは誰にもできない。
俺は新しい缶ビールを開け、高く掲げた。
「みんな、明日からもまた忙しくなるぞ! 開拓も、配信も、ポイ活も、サウナも全部やり遂げてやる!」
「「おー!!」」
月明かりの下、俺たちの宴は朝まで続いていた。
ルナミス帝国という巨大な舞台で、神々という最強の視聴者を敵に回しながらも、俺たちの物語は、こうして「今日という一日」を積み重ねていく。




