EP 3
ワイバーン優先!? 狂気の異世界道交法と元SEの論理破壊
「……これより、第1段階の学科教習を始める。心して聞くように」
ルナミス魔導自動車教習所、第一教室。
黒板の前に立つのは、顔に大きな傷跡のある厳つい初老の教官・ギドだった。彼は手にした指示棒で、教卓をバンッ!と叩いた。
教室には俺とアラトの他に、十数名の教習生が座っている。獣人族の若者や、ルナミス軍の若い兵士たちだ。皆、緊張した面持ちで分厚い『ルナミス帝国交通教本・改訂第18版』を開いている。
俺もパラパラと教本をめくってみたが、その内容は地球の常識からかけ離れすぎていて、開始早々頭痛がしてきた。
「いいか貴様ら! 魔導車という鉄の塊を操るということは、常に死と隣り合わせだということだ! 当教習所では、単なる運転技術ではなく『生き残るための交通ルール』を徹底的に叩き込む!」
ギド教官の怒声が響く。
なるほど、異世界における交通安全とは「事故を防ぐ」こと以上に、「魔獣や理不尽な身分制度から命を守る」ことに直結しているらしい。
「では、さっそく貴様らの適性を見る。そこの魔力ゼロの男、カミシロと言ったな。立て!」
「はい」
俺は素直に立ち上がった。
周囲の教習生たちが「あいつが魔力ゼロで教習を受けに来た馬鹿か」とヒソヒソと嘲笑うが、俺は表情一つ変えない。
「問題だ。貴様が制限速度で魔導車を走らせていると、前方の横断歩道に空から『野生のワイバーン』が降りてきた。この場合、運転手として取るべき正しい行動を答えろ!」
……なんだその状況。地球ならせいぜい「横断歩道に歩行者がいる場合」だぞ。
だが、俺は常識的に考え、もっとも安全な選択肢を口にした。
「横断歩道の手前で一時停止し、ワイバーンが飛び立つまで安全に待機します」
「大馬鹿者ッ!!」
ギド教官の怒号が教室を震わせた。
「一時停止だと!? 貴様、魔導車の中で大人しく座っていれば安全だとでも思っているのか! ワイバーンの顎は魔導車の装甲など紙くずのように噛み砕く! 正解は『直ちにギアをバックに入れ、フルスロットルで時速60キロで逆走して逃げる』だ! 待機などしていれば、貴様はワイバーンのランチタイムのメインディッシュだぞ!」
「……横断歩道での逆走は、後続車との事故になりませんか?」
「後続車は後続車で、自分の判断で勝手に逃げる! ルナミス帝国の道路において、弱者は強者から『逃げる』のが絶対の交通ルールだ! この程度も分からんとは、やはり魔力ゼロの人間には魔導車の運転など無理だな!」
教官が鼻で笑い、周囲の教習生たちもドッと笑い声を上げた。
理不尽な見下し。完全に常識が崩壊している。
だが、俺は72時間連続残業を強いるブラック企業で、社長の理不尽な「俺ルール」に耐え抜いた男だ。
『明日までにこの500ページの社内コンプライアンス規程を全部暗記しろ。一言でも間違えたら減給だ』というパワハラに比べれば、ワイバーンからバックで逃げるルールなど、ただの仕様変更に過ぎない。
「ふざけんなよ……」
俺は小さく呟くと、ドンッ!と机に手をつき、教官を真っ直ぐに見据えた。
「なるほど、理解しました。要するに、この世界の交通ルールは『生存確率の高い行動』を最優先とし、平時の法規(一時停止など)は緊急事態において完全に無視されるという『例外処理』が基本なのですね。なら、そのルール通りに動くだけです。……次、出してください」
「な、なに……?」
俺が一切折れず、土下座も命乞いもせずに淡々と食い下がったことに、ギド教官は一瞬だけたじろいだ。
だが、すぐに気を取り直し、意地悪な笑みを浮かべた。
「ほう、口の減らない奴だ。ならば、教本85ページに記載されている『複合的危機状況』の問題を出してやる! これが解けなければ、貴様の頭は空っぽだということだ!」
教官は黒板に、チョークで図を描き始めた。
「交差点だ。貴様は直進しようとしている。だが、魔力不足により魔導信号機は消灯している! そこへ、左からは『ルナミス帝国・貴族の馬車』が、右からは暴走した『ロックバイソン(牛型魔獣)』が突進してきている! さあ、誰が優先だ!? 貴様はどう動く!?」
うわぁ、完全に無理ゲーだ。
貴族を優先すればバイソンに轢かれるし、バイソンを避けようとすれば貴族の馬車と激突して不敬罪で死刑だ。
俺が眉をひそめて解答を考えていた、その時だった。
「――ギド教官とやら。その問題、条件設定に致命的なバグ(欠陥)があるぞ」
ガリッ!!
静まり返った教室に、イチゴ味の飴玉を噛み砕く鋭い音が響いた。
エプロン姿のアラト・バレンタインが、机の上に足を組みながら、呆れたような視線を教官に向けていた。
「き、貴様! 教官に向かってバグとは何事だ!」
「愚問だ。事実を指摘しているだけだ。……ハルタ、少し黒板を借りるぞ」
アラトはスッと立ち上がると、教卓の前に歩み寄り、チョークを手に取った。
そして、教官が描いた図の横に、凄まじい速度で数式と「フローチャート(論理回路)」を描き始めた。
「いいか? 教本42ページには『貴族の馬車は絶対優先であり、進路を妨害した者は重罪』とある。だが、教本68ページには『暴走した魔獣に遭遇した場合、周囲の被害を最小限に抑えるため、軍属または教習中の車両は盾となってこれを阻止する義務がある』と記載されている」
「そ、それがどうした!」
「論理的な矛盾が起きていると言っているんだ。もし我々が貴族を優先して停止すれば、暴走バイソンは貴族の馬車に激突し、貴族は死ぬ。我々が盾になれば、我々は重傷を負う上に、結果的に交差点の中央で道を塞ぐことになり、貴族の『絶対優先の進路』を妨害したとして重罪になる」
カツカツカツ!とアラトのチョークが黒板を叩く。
黒板には、完璧な条件分岐のプログラムコードのような図式が完成していた。
「つまり、この教本のルールに則って行動した場合、どちらを選択しても『死亡』または『重罪』というエンド(無限ループ)に直行する。これは法務省が策定したルールシステムの致命的なスパゲッティコードだ。こんな欠陥マニュアルで運用を続ければ、いずれシステム全体がクラッシュするぞ」
「なっ……!? そ、それは……!」
ギド教官は、黒板に書かれた完璧な論理の前に、冷や汗を流して言葉を失った。
周囲の教習生たちも、「た、確かに……」「俺たち、どっちにしても死ぬじゃねえか……」とざわめき始めている。
アラトはチョークを置き、フッと笑った。
「システムエンジニアの観点から言わせてもらえば、こんな教本はゴミ箱行きだ。……だが安心しろ。私が今から15分で、この狂った交通ルールの矛盾をすべて解消する『最適化パッチ(修正案)』をこの黒板に記述してやる。貴様らはそれを丸暗記すればいい」
「じゅ、15分で、帝国の道交法の矛盾を解き明かすだと……!?」
そこからのアラトの独壇場は凄まじかった。
「ワイバーン遭遇時のバック走行による後続車衝突の過失割合」から「スライムがフロントガラスに張り付いた際のワイパー使用の是非」に至るまで、教本に隠されたあらゆるバグを指摘し、完璧な論理で最適解を導き出していく。
俺は黙ってノートを開き、アラトが黒板に書き殴っていくその「修正版・交通ルール」を、脳に直接刻み込むように暗記していった。
『気合で覚える』のではない。理不尽なブラック企業の業務マニュアルを一夜で頭に叩き込んだ、あの社畜時代で培った『絶対記憶術』の応用だ。
教室の窓の外では、空を飛んでいるキュララのエンジェルスマホ(ドローンカメラ代わり)がこちらを覗き込み、配信のコメント欄が『元SEの論理破壊キター!』『エプロン姿の男、頭良すぎワロタ』と大いに盛り上がっているのが見えた。
◆
数時間後。
学科教習の最後に行われた「修了テスト(筆記)」。
結果は言うまでもなかった。
「……信じられん。アラト・バレンタイン、100点満点。カミシロ・ハルタ……貴様も、100点満点だ」
ギド教官は、俺たちの答案用紙を震える手で持ちながら、呆然と呟いた。
周囲の教習生たちは半分以上が赤点(ワイバーンの問題で死んだ)だったにもかかわらず、俺たちは教官が仕掛けたあらゆる引っかけ問題を、完璧な論理と暗記力でノーミスで突破してみせたのだ。
「ふざけんなよ。こんなもん、深夜3時に寝不足の頭で読まされた『社長訓示とクレーム対応マニュアル』に比べりゃ、絵本みたいなもんだ」
「ふっ、システムが理解できれば、あとは単純なデバッグ作業に過ぎん。当然の結果だ」
俺とアラトが涼しい顔で立ち上がると、ギド教官は悔しそうに歯を食いしばった。
「……学科は合格だ。だがな、カミシロ! 勘違いするなよ。学科試験などただの座学だ! 次はついにコースに出ての『実車教習(第1段階)』だ!」
教官が俺に向かってビシッと指を突きつける。
「実車では、ごまかしは一切効かん! 貴様のような『魔力ゼロ』の人間は、魔導車の運転席に座った瞬間、エンジン一つかけられずに絶望することになるぞ! 座学の秀才が実技で泣いて逃げ出す姿を、たっぷり見せてもらうからな!」
教官の捨て台詞を背に受けながら、俺はポケットに手をつっこみ、小さく鼻で笑った。
「エンジンがかからない、ねぇ……。アラト、アレの出番だな」
「愚問だ。ホームセンターのインフラ技術が、異世界の魔法に後れを取るはずがない。完璧にセッティングしてやる」
魔力がないなら、物理で動かせばいい。
俺のユニークスキル【マンション】に眠る、圧倒的な現代文明のツール。その真価を、この異世界の教習所に見せつける時が来たようだ。
俺とアラトは、待合室で特製キャンディーを山のようにポケットに詰め込んでいるリーザたちを回収し、いよいよ恐怖の「実車教習」へと足を踏み入れた。
読んでいただきありがとうございます。
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