EP 5
『イモッカの洗礼!成金社長の脳みそメルトダウン』
――ズズズズズッ!!!
特設VIPルームに、行儀の悪い、しかしひどく食欲をそそる吸引音が響き渡った。
ゴルド商会のオロチ会長は、色付きサングラスが真っ白に曇るのも構わず、熱々の湯気を立てる『ワンカップラーメン』のちぢれ麺を、黄金色の特製スープごと一気に口の中へと吸い込んだ。
「…………っ!!」
麺を飲み込んだ瞬間、オロチの動きがピタリと止まった。
サングラスの奥の蛇目が、限界まで見開かれている。
……沈黙が落ちた。
背後に立つ二人のオーク族の護衛が「か、会長?」と不安げに声をかける。
俺とアラトは、息を潜めてターゲットの反応を待った。
「お……おぉぉっ……!」
オロチの喉の奥から、低く震えるような声が漏れた。
「う、うみゃあ! どえりゃあうみゃあだぎゃあ!!」
オロチが、歓喜に満ちた叫び声を上げた。
「なんちゅー強烈なパンチ力だぎゃ! ロックバイソンの濃厚な脂の甘みと、椎茸のドス黒いまでの旨味が、舌の上で爆発しとる! それに、このスープ! 熱々のスープを飲み込んだ瞬間、胃袋の中から『カァァァッ!』と燃え上がるような、未知の刺激とコクがあるだぎゃあ!」
彼は興奮した様子で、再び割り箸を動かし、ズズズッ! と二口目、三口目を豪快にすすり始めた。
「ワシは今まで、金貨何十枚もするキャビアやら、幻のドラゴンの卵やら、帝国の宮廷料理を腐るほど食ってきただぎゃ。だが……こんな、脳髄を直接ぶん殴ってくるような野蛮で強烈な旨味は初めてだわ! 気取ったフレンチなんぞより、よっぽどワシの血と肉が喜んどるだぎゃあ!!」
「オロチ会長のお口に合いましたようで、何よりでございます!」
俺は最高の営業スマイルを浮かべながら、心の中でガッツポーズを取った。
アラトの料理人としての腕前が、見事にオロチの警戒心を『ゼロ』にしたのだ。
料理の美味さに脳を騙されたオロチは、自分が今すすっている汁が『アルコール度数40の酒を熱した劇薬』であることに全く気づいていない。
強烈な旨味成分が、酒の匂いと刺激をギリギリのところでカモフラージュし、「未知のコク」と「スパイスの熱さ」として脳に誤認させているのだ。
「フンガーッ! うみゃあ! うみゃあだぎゃあ!」
オロチは豚のように鼻息を荒くしながら、ワンカップ容器を傾け、残っていた熱々のイモッカ・スープをごきゅごきゅと一気に飲み干した。
「プハァァァァッ!! 食っただぎゃ! この料理、絶対にワシのゴルド商会で独占販売したるでな! 大ヒット間違いなしだわ!」
ドンッ、と空になったガラス瓶がテーブルに叩きつけられる。
致死量とも言える熱燗の劇薬が、大企業の親玉の胃袋へと完全に収まった瞬間であった。
「……さて。お腹も膨れたことだし、早速契約書のサインを――」
オロチが懐から新しい契約書を取り出そうとした、まさにその時だった。
「……ん?」
オロチの動きが、不自然に止まった。
「……みゃあ? なんだか、急に、視界が歪んできただぎゃ……?」
ピクッ、ピクッ、とオロチの顔の筋肉が痙攣し始める。
そして、彼の土気色の肌が、まるで沸騰したヤカンや茹でダコのように、首の根元から一気に真っ赤に染まり始めたのだ。
「あ、暑い……! どえりゃあ暑いだぎゃあ! この部屋、暖房がガンガンに効きすぎとらんかや!?」
オロチは苦しそうに首を振り、極太の金ネックレスをジャラジャラと鳴らしながら、紫のダブルスーツのボタンをむしり取るように外し始めた。
彼の額からは滝のような汗が噴き出し、頭頂部のパンチパーマからは、漫画のようにシューシューと白い湯気(アルコール蒸気)が立ち上っている。
「いえいえ、オロチ会長。暖房など入れておりません。夜風が入って涼しいくらいですよ」
俺はニコニコと笑いながら答えた。
「きっと、会長のビジネスに対する熱い『情熱』が、お身体の中から燃え上がっている証拠でございます!」
「そ、そうかや!? 情熱……ワシの情熱が燃え上がっとるのかだぎゃ!?」
オロチは焦点の合わない目で俺を見つめ、ヘラヘラと笑い始めた。
前世の飲み会でも、テキーラやウォッカをイッキ飲みしてぶっ倒れる体育会系のバカを何度も見てきた。
だが、冷たい酒を胃袋で消化するのとはワケが違う。
熱々に熱した度数40のアルコールは、胃壁からの吸収スピードが異常なまでに早く、さらに気化したアルコール蒸気が鼻腔の粘膜から直接脳の『前頭葉(理性を司る部分)』を凄まじい速度で破壊するのだ。
わずか一分。
一杯のラーメンを平らげてから一分足らずで、ゴルド商会の冷酷な会長の理性は、イモッカの洗礼によって完全にメルトダウンを起こしていた。
「か、会長? お顔が真っ赤ですが……大丈夫ですか?」
異変に気づいたオークの護衛が、オロチの肩に手を伸ばした。
「うるしゃあだぎゃッ!! ワシの情熱に触るなッ!!」
オロチは護衛の手をバシッと払い除け、突然、パイプ椅子から立ち上がった。
だが、足元が完全にふらついており、テーブルに手をついて辛うじて倒れるのを防いでいる状態だ。
「みゃあぁぁっ!? な、なんだこの美味さと熱さは……! ワシの頭の中で、金貨が、金貨が踊っとるだぎゃ! 世界が、ぐるぐる回るだぎゃあぁぁっ!!」
オロチが叫びながら、色付きのサングラスを床に投げ捨てた。
露出した蛇の目は、完全に斜視状態になっており、よだれが口の端からだらしなく垂れ下がっている。
「ほら、アラト。見ろよ」
俺は、ドン引きしている護衛たちから隠れるように、厨房ののれんの奥にいるアラトに小声で囁いた。
「大企業の親玉が、自分の足元にある落とし穴に気づかず、自らドブに飛び込んで最高のダンスを踊り始めたぜ」
「ひはははっ。傑作だな店長。俺のスープは、人間の『隠していた本性』をむき出しにする最高のエリクサーだ。さあ、こっからどう料理してやる?」
「決まってるだろ。あいつの『社会的な尊厳』を、一ミクロンも残さず粉砕してやるのさ」
俺は冷たい笑みを浮かべたまま、再び営業スマイルを顔面に貼り付け、オロチの方へと振り返った。
「オロチ会長! 素晴らしい食べっぷりでした! やはり会長には、これくらいの刺激がお似合いですね!」
「あひゃひゃひゃひゃっ! そうだぎゃ、そうだぎゃあ! ワシはすごいんだわ! ルナミス帝国中の金は、み~んなワシのゴルド商会のものだぎゃあ!」
完全にタガが外れ、幼児退行と誇大妄想が入り混じったような状態のオロチ。
もはや、さっきまでの「冷徹に買収を迫る大物社長」の面影は微塵もなかった。
「……うぐっ!? ぐおぉぉぉっ!?」
その時。
オロチが突然、自分の右手を押さえ、大げさに苦しみ始めた。
「か、会長!? どうされました!?」
オークの護衛たちが慌てて駆け寄る。
「毒か!? 貴様ら、会長の食事に何か入れたな!」
護衛が剣の柄に手をかけ、俺を睨みつけた。
マズい、ここで護衛に暴れられては、せっかくの『自滅シナリオ』が台無しになってしまう。
俺が口を開こうとした、その瞬間だった。
「ちがぁぁぁぁうだぎゃあッ!!」
オロチが、護衛たちを突き飛ばし、自分の右手首を左手でギリギリと強く握りしめながら、天を仰いで絶叫した。
「静まれ……! 静まれだぎゃ、ワシの右腕ェッ! 今ここで『力』を解放すれば、この村が消し飛んでしまうだぎゃあ……ッ!!」
「……は?」
護衛のオークたちが、ポカンと口を開けた。
壁の裏で待機していたキャルルも、厨房のアラトも、そして俺も、完全に予想外のセリフに一瞬だけ動きを止めた。
オロチは、大量の汗をかきながら、痛くもないはずの右腕を庇うようにうずくまり、苦悶の表情を浮かべている。
その目は完全にイッており、見えない何かと必死に戦っているようだった。
(……おいおい。マジかよ)
俺は前世の記憶から、この症状の『名前』を瞬時に導き出した。
極度のアルコール摂取により、抑圧されていた深層心理の願望が爆発する現象。
金と権力で他人を支配してきた男の心の奥底に眠っていた、最高に痛々しい願望。
それは――『中二病』の発症であった。
「……フッフッフ。ついに、この時が来てしまったようだぎゃ」
オロチはゆっくりと立ち上がり、紫のジャケットをバサリと床に脱ぎ捨てた。
「ワシは……ワシはただの商会の会長なんかじゃにゃあ! 今こそ、真の姿を現す時だぎゃあッ!!」
特設VIPルームの空気が、別の意味で張り詰める。
イモッカの洗礼を受けた成金社長の脳みそは完全にメルトダウンし、俺たちの想像を遥かに超える、最悪で最高に滑稽な『狂乱のステージ』へと突入しようとしていた。
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