EP 9
『キャルルの本音と、五円(御縁)クラッシャーの強欲寝言』
相棒のアラトがいつの間にか屋上の隅で丸くなってイビキをかき始め、ポポロ村のホムセン屋上には、秋の涼やかな夜風だけが吹き抜けていた。
俺は人工芝の上に大の字に寝転がり、両手を後頭部で組んで夜空を見上げていた。
雲一つない夜空には、煌びやかな星屑と、白く輝く巨大な満月が浮かんでいる。
度数40の『イモッカ仕立てのワンカップラーメン』という名のバイオテロによって、タガが外れて暴れ回っていた女子たちも、陽薬草の解毒ドリンクと疲労のおかげで、今はすっかり大人しくなっている。
「……静かなもんだな。さっきまでの地獄絵図が嘘みたいだ」
俺はポツリと呟き、ゆっくりと息を吐き出した。
ブラック企業時代の激務の疲れとも、昨日の死闘の疲れとも違う、どこか心地よい疲労感が全身を包み込んでいる。
「……ん、うぅ……」
その時、俺のすぐ近くで、衣擦れの音がした。
身を起こして視線を向けると、先ほどまで俺の太ももに頬をすり寄せてデレデレに甘えていたウサギ――村長のキャルルが、眉根を寄せてゆっくりと上半身を起こすところだった。
「お、起きたか、村長サマ。気分はどうだ? まだ頭が痛いか?」
「……春太? あれ、私……」
キャルルは寝ぼけ眼をこすりながら、周囲を見回した。
倒れているルナやキュララ、そしてクリームまみれのリーザを見て、彼女の月兎族特有の長い耳が、ピクッと反応する。
「私、確かラーメンのスープを飲んで……そこから、どうなったんだっけ? なんだかすごくフワフワして、誰かに頭を撫でられてたような……」
「……」
俺は視線を逸らした。
あの『しゅんたぁ……ナデナデしてぇ……』という破壊力抜群の甘えん坊モードの記憶は、本人の尊厳のためにも、俺の命のためにも、絶対に墓場まで持っていくべきだろう。
「いや、何もねえよ。お前ら全員、強い酒のせいで速攻でぶっ倒れただけだ。……ほら、水でも飲め」
俺は傍らに置いてあった、冷たい井戸水の入った水筒をキャルルに差し出した。
「あ、ありがとう……」
キャルルは両手で水筒を受け取ると、コクコクと喉を鳴らして水を飲んだ。
満月の光を浴びているおかげか、月兎族の彼女は、他のヒロインたちよりもアルコールの抜けと体力の回復が早いようだ。顔の赤みも引き、いつもの凛とした表情に戻りつつある。
キャルルは口元を手の甲で拭うと、俺の隣まで移動し、膝を抱えるようにしてちょこんと座り直した。
「……はぁ。村長たる私が、みんなの前で酔い潰れるなんて。一生の不覚だわ。春太にまで迷惑かけちゃって、ごめんなさい」
「気にするな。今日の宴はそういう趣旨(バカ騒ぎ)だ。それに、昨日あれだけ体を張って村を守ってくれたんだ。少しくらい羽目を外したって、誰も文句は言わねえよ」
「……そうね」
キャルルは膝に顎を乗せ、夜のポポロ村を見下ろした。
屋上のフェンス越しに見える村の風景。修繕中の防壁、静かに眠る家々、そして、月明かりに照らされたホムセンの看板。
「……私ね。昨日の戦いの時、本当に怖かったのよ」
ぽつりと、夜風に溶けるような小さな声で、彼女が話し始めた。
「あんなに分厚いコンクリートの壁が、豆腐みたいに斬り裂かれて。私の一番の武器のダブルトンファーも、魔将軍の前じゃ木の枝みたいに折られちゃって……」
キャルルの声が、微かに震えていた。
「月兎族の戦士として、この村の村長として、みんなを守らなきゃいけないってずっと思ってた。でも、上には上がいて、理不尽な暴力の前じゃ、私の力なんてちっぽけで……」
「キャルル……」
「もし、春太たちが来てくれなかったら。あのまま、村が燃やされて、ルナちゃんやリーザちゃんたちが傷つけられていたら……って思うと、今でも足がすくむの」
彼女はギュッと膝を抱きしめ、ウサギ耳を力なく垂れ下げた。
いつも強気で、先陣を切って魔物をぶっ飛ばす頼もしい村長。だが、彼女だってまだ若い女の子なのだ。自分の非力さを痛感し、背負っているものの重さに押しつぶされそうになる夜だってある。
「……バカだな、お前は」
俺は、キャルルの頭にポンと手を乗せた。
「えっ?」
「お前一人で全部背負い込む必要なんてねえんだよ。この村は、お前だけの村じゃない。俺たちの村だ」
俺の言葉に、キャルルが顔を上げる。その大きな瞳が、月明かりを反射して潤んでいた。
「魔物を倒すのはお前の役目かもしれない。でも、壁を直すのは俺たちの役目だ。美味しい飯を作るのはアラトの役目で、配信で村を宣伝するのはキュララやリーザの役目だ。……そうやって、みんなで足りないところを補い合って、バカみたいに騒ぎながら生きていく。それが『ポポロ村』ってもんだろ?」
俺はキャルルの髪を、不器用ながらも少しだけワシャワシャと撫でた。
「だから、そんなに気を張るな。お前がピンチの時は、俺がホムセンの防犯グッズとインフラ全部使って、どんな理不尽なチート野郎でもぶっ飛ばしてやるよ」
「……春太」
キャルルの瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
彼女は俺の手を両手でそっと包み込み、そのまま自分の頬へと引き寄せた。
「……ありがとう。アンタがいてくれて、この村は本当に強くなったわね」
その言葉は、いつも俺を「ヘタレ店長」とからかう時の声とは全く違う、優しくて、熱を帯びた、一人の女性としての声だった。
「私……アンタがこの村に来てくれて、本当に良かったって、心から思ってる」
キャルルの顔が、ゆっくりと俺に近づいてくる。
月明かりの下、ほんのりと赤く染まった彼女の頬と、少しだけ開いた唇。石鹸と、微かなエールの甘い香りが俺の鼻をくすぐる。
(……お、おいおいおい。なんだこの展開。まさか俺の人生に、ラブコメのフラグが立つ日が来るなんて……ッ!?)
俺の心臓が、早鐘のようにドクドクと鳴り始めた。
前世の社畜時代を含めても、こんなに女の子といい雰囲気になったことなど一度もない。俺は柄にもなく緊張で身体をこわばらせながら、キャルルの瞳に吸い込まれるように、自然と目を閉じた。
顔と顔の距離が、あと数センチに迫る。
静かな夜の屋上で、二人の影が重なり合おうとした。
まさに、その、決定的な刹那――。
――ガシッ!!
「……っ!?」
突然、俺の右足首を、何者かの『冷たくてべっとりとした手』が、万力のような力で掴み取った。
「五円……」
「……は?」
「五円……五円……ください、まし……」
俺とキャルルが驚いて視線を下げると、そこには、人工芝の上を這いつくばって移動してきた『青い芋ジャージの塊』がいた。
顔面にカピカピに乾いた罰ゲームのクリームをこびりつかせ、口から一筋のよだれを垂らした底辺アイドル、リーザである。
彼女は完全に目を閉じた爆睡状態(夢遊病)のまま、俺の足首に頬を擦り付け、怨念のような声でうわ言を繰り返していた。
「ああっ……素晴らしい輝き……これこそが、五円……ごえん……」
「おいッ! リーザ!? お前、寝てんのか!?」
「御縁……ごえん……春太プロデューサーの奢りという名の……圧倒的な、御縁(五円)……。ハイッ! 私とあなたに……五円! 五円! ごえーん……むにゃむにゃ」
最悪のタイミング。
最悪のギャグ。
そして、最悪の『五円(御縁)クラッシャー』である。
「……っ!!!!」
その光景を見た瞬間、キャルルの顔が、ポンッと音を立てるような勢いで真っ赤に沸騰した。
自分が今、ムードに流されて春太とキスの一歩手前までいっていたという事実に、急激に現実へと引き戻されてしまったのだ。
「あ、あああ、違うの! 今のは、その、目にゴミが……ッ! そう、ゴミが入ったから、見てもらおうと近づいただけよ!!」
キャルルがパニックを起こし、ものすごい勢いで俺から距離を取る。
「えっ、いや、キャルル、別に俺は……」
「ななな、なにもないわよ! バカ! 変態! しゅんたのバカァァッ!!」
ドゴォォォンッ!!
照れ隠しと羞恥心が限界突破したキャルルの放った『月影流・裏拳』が、俺の顔面にクリーンヒットした。
「ぶふぇっ!?」
俺は哀れにも鼻血を吹き出しながら、人工芝の上を三メートルほど転がっていった。
「わ、私、もう寝るから! 顔洗って寝るからァッ!!」
キャルルは顔から火が出るほど真っ赤にしたまま、バタバタと猛スピードで階段を駆け下り、ホムセンの一階へと逃げ去っていってしまった。
「……」
鼻を押さえながら起き上がった俺の足元では、リーザがいまだに俺のズボンの裾を握りしめ、「ふふっ……これで高級肉が……ごえん……」と幸せそうに笑っている。
「……てめぇ、このクソ人魚が。俺の数少ないラブコメフラグを……五円玉一枚の価値と一緒に粉砕しやがって……!」
俺は絶望と理不尽な暴力の痛みに涙をこぼしながら、リーザの頬を両手でムニィィッと力一杯つねり上げた。
「むぎゅぅぅっ……? お金が……逃げますの……」
静かで胸熱だった月下の語らいは、強欲アイドルの錬金術的な寝言によって、ものの見事に木端微塵に打ち砕かれた。
やはり俺には、カッコいい主人公のようなロマンチックな展開は似合わないらしい。
この騒がしくて、色気がなくて、容赦のないバカ騒ぎこそが、俺たちポポロ村の揺るぎない『日常』なのだと、痛感させられた夜だった。
俺はため息をつきながら、夜露に濡れないよう、リーザやルナたちに毛布をかけて回り、自分も人工芝の隅で眠りについた。
こうして、狂騒と笑いと少しの涙に包まれた第六章の『月下の打ち上げ大宴会』は、波乱のままに夜明けを迎えようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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