EP 3
【居場所のない相棒】無償の愛と、4LDKの鍵
冷暖房が完璧に効いたホムセンの床は、驚くほど平らで歩きやすい。
「ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
自動ドアのセンサーが反応した先で、血まみれの青年が死にそうな顔で突っ伏して胃袋の限界を訴えていた。
「おい、大丈夫か!?」
俺とキャルルは慌てて駆け寄った。
倒れていたのは、動きやすい革鎧を着て、背中に弓矢を背負った二十代半ばの男だった。あちこち擦り傷だらけだが、致命傷はない。ただ、極限まで腹を空かせて餓死寸前のようだった。
「あ……ああ……。三日、何も食ってない……。魔獣に追われて、罠にかかって、財布も落として……最悪のクソデスマ進行だ……」
「デスマ……?」
男の口から出た『デスマーチ』という、地球のIT業界特有のスラングに俺は耳を疑った。
ひとまず彼をマンション一階、ホームセンターの休憩スペース(実演販売用のパイプ椅子とテーブル)に担ぎ込む。
俺はスポーツ飲料のゼリーパウチと、レトルトの雑炊を開けて男の前に差し出した。
「ほら、食えるか?」
「……なんだこれ、ポーション……? う、うまい。五臓六腑に染み渡る……!」
男はゼリーを吸引し、レトルト雑炊をむせながらも貪り食った。
「生き返った……。恩に着る。俺はアラト。アラト・バレンタインだ」
人心地ついた男――アラトは、ため息をつきながら自分の身の上を語った。
彼はバレンタイン伯爵家の三男坊だという。しかし、家督を継ぐこともできず、居場所がなかったため家を飛び出し、冒険者として日銭を稼いでいた。
「ま、要するに厄介払いさ。行くあてなんてどこにもない、その日暮らしのしがない冒険者だよ」
自嘲気味に笑うアラトの瞳には、深い疲労と諦めが滲んでいた。
「ちなみに俺、前世は日本の社畜SEでね。連日徹夜のデスマーチの末に、キーボードに突っ伏して過労死したんだわ。せっかく異世界に転生したってのに、今世でも居場所がなくて泥水すすってる。笑えるだろ?」
やっぱり同郷か。
俺はアラトの肩をポンと叩いた。
「笑えないよ。俺もついさっき、七十二時間連続勤務の末に過労死してこっちに来た、元ホームセンターの店長だからな」
「……は? マジかよ」
社畜同士の奇妙な連帯感が、俺とアラトの間に生まれた。
「行くあてがないなら、ここに住めばいい」
俺はポケットを探り、さっきマンションを顕現させた時に一緒に出てきた予備のディンプルキーを一本取り出し、アラトの前にポンと投げた。
「俺のスキルがこの『マンション』だ。空き部屋はいくらでもある。四LDKでいいか? 水道光熱費は無限に出るからタダでいいぞ」
「……はぁっ!?」
アラトは目を丸くして、鍵と俺の顔を交互に見た。
「お、おい! 初対面の、しかも素性の怪しい冒険者に、いきなり拠点の鍵を渡すやつがいるか!? 俺が夜中にアンタの寝首を掻いて、このすげえ施設を乗っ取るかもしれないんだぞ!?」
「そんなことしないだろ。お前、さっき俺がレトルト飯を出した時、泣きそうな顔で『ありがとう』って言ったじゃないか」
「うっ……!」
「それに、行くあてがなくて死にそうな同郷の奴を見捨てる店長はいないよ。まあ、気が向いたらホムセンの品出しでも手伝ってくれ」
俺は何の打算もなく、ただ笑って言った。
前世でも今世でも、誰からも居場所を与えられなかった男。
そんな男から、何かを奪おうなんて気はこれっぽっちも起きなかった。
アラトは鍵を握りしめ、ワナワナと肩を震わせていた。そして、ポケットから小さな飴玉を取り出すと、口に放り込んだ。
ガリッ!!
鋭い音を立てて、飴玉を噛み砕く。
それが彼の『スイッチ』だった。
「……あんた、バカみたいにお人好しだな」
アラトは涙を隠すように、ニヤリと不敵に笑った。
「俺は、損得なしの無償の愛を見せられると、そいつのために計算を弾きたくなる性分でね。いいだろう。なら俺が、あんたのために算盤を合わせてやる。最高の相棒になってやるよ」
アラトは立ち上がると、どこからともなく『エプロン』を取り出し、身に着けた。
「とりあえず、さっきのレトルトの礼だ。あんたたち、俺がもっと美味いもん食わせてやるよ。――ユニークスキル【家庭科】、発動」
「家庭科ぁ!?」
キャルルが素っ頓狂な声を上げた直後だった。
アラトのエプロンのポケットが淡く光り、そこから次々と信じられないものが出てきた。
炊飯器、フライパン、包丁、まな板。そして、見慣れた日本の食材たち。
「俺の【家庭科】は、俺の所持金を消費することで、日本の食材や調理器具、掃除道具なんかを呼び出せるスキルでね。料理、裁縫、家計管理に至るまで、エプロンを着けている間は完璧にこなせる」
アラトは手際よく鮭を焼き、卵を巻き、味噌汁を作り始めた。
マンションの備え付けキッチンから、異世界にあるはずのない出汁の香りが漂ってくる。
「お、おいしそう……。なにこれ、お腹が鳴っちゃうわ……!」
キャルルがウサギ耳をピンと立てて、涎を垂らさんばかりにキッチンを覗き込む。
「はい、お待ち。日本の朝食セットだ」
テーブルに並べられたのは、ふっくら炊き上がった白米、油の乗った塩鮭、ネギの入った甘い卵焼き、そして豆腐とワカメの味噌汁。
俺とキャルルは無言で箸を取り、一口食べた。
「う……うっま……!」
「なんだこれぇぇぇ!? こんな美味しいお魚、王宮でも食べたことないわよぉ!」
気が付けば、俺とキャルルは涙を流しながら朝食を無心で掻き込んでいた。
聖剣? 全属性魔法? いやいや。
『日本の調味料・食材』×『異世界の疲弊した味覚』=『胃袋の完全支配』。
この過酷な異世界において、美味い飯を作れる【家庭科】スキルこそが、ある意味で最強のチートなのかもしれない。俺は心からそう思った。
「喜んでもらえて何よりだ」
アラトは満足そうに俺たちが食べるのを見ていたが、やがてスッと目を細めた。
「飯の礼だ。あんたのそのスキル……『マンション』と一階のこの品揃えは、確実に目をつけられる。あんたがこの理不尽な世界で死なないように、俺が戦い方を叩き込んでやる」
「えっ?」
「明日から地獄の特訓だぞ、店長。俺の弓と罠の技術、全部仕込んでやるからな」
不敵に笑うアラトの顔を見て、俺の社畜の血が、嫌な予感と共に激しく騒ぎ出した。
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