EP 8
ざまぁの後のセーフティ――月兎のハンカチと、天界ブラック企業の涙
「……さて。これで少しは、他人の店で暴れることの重大さが身に染みたか?」
ホームセンター・タローマンのバックヤード。
俺は、防刃ネットの中で白目を剥き、口から一筋の煙を吐き出している三人の巨漢(天界の取り立て屋)を見下ろして、冷たく言い放った。
彼らの周囲には、絶対回収バリアをすり抜けた『カラーボールのネオン塗料』と『超悪臭・催眠果汁』がべっとりとこびりついている。さらに100万ボルトのスタンガンによる電撃を食らい、その漆黒の高級スーツは所々焦げてボロボロになっていた。
圧倒的な威圧感を放っていた神の使いの面影は、もはや微塵もない。ただの惨めな敗北者である。
「う、ううっ……。バカな……天界の絶対システムが……下界の、物理的なおもちゃに……」
リーダー格の黒服が、痙攣する体を無理やり動かし、呻き声を上げた。
俺はバインダーに挟んだレシート(手書き)を、ピラリと彼らの目の前に落とした。
「カラーボール使用料、スタンガンのバッテリー減価償却費、工業用潤滑剤の代金。それに、うちの床を汚した清掃費と、悪臭に対する危険手当だ。合計で銀貨3枚。きっちり天界財務局に請求させてもらうからな」
「き、貴様……っ! 我々をここまでコケにして……天界が黙っていると……!」
「黙ってようがどうしようが、正当な業務防衛だ。次来たら、防鳥ネットじゃなくて対獣用のトラバサミを仕掛けておくからな」
俺が容赦なく冷酷な言葉を浴びせると、黒服たちは絶望に顔を歪めた。
彼らにとって、ここで借金滞納者の回収に失敗したことは、単なる敗北ではない。天界という巨大な組織における「完全なる失態」を意味するのだ。
「……終わった……。我々回収部隊のエリートとしてのキャリアが……」
「帰ったら、査問委員会にかけられ、最悪の場合我々がマグローザ漁船行きだ……」
「ボーナスも全額カット……。子供の進学費用が……」
悪臭と塗料にまみれながら、巨漢の黒服たちがボロボロと涙を流し、絶望の淵で項垂れ始めた。
その泣き言は、神の使いというよりも、完全に「ノルマを達成できなかったブラック企業の営業マン」のそれである。
「うわぁ……。なんか、あんなに怖かった人たちが、急に可哀想なおじさんたちに見えてきましたわ……」
壁際で見ていたリーザが、少しだけ同情の目を向ける。
「自業自得よ! 私をマグローザ漁船に連れて行こうとしたんだから!」
ルチアナは俺の背中に隠れたまま、キャンキャンと吠えている。
俺もアラトも、彼らに同情する気は毛頭なかった。力で他人の日常を奪おうとした奴には、完膚なきまでにその力をへし折って現実を突きつける。それが俺たちの流儀だからだ。
だが。
このシェアハウスには、俺たちのように「損得」や「敵味方」で動かない、圧倒的な『善性』を持った女が一人いる。
コツッ、コツッ。
タローマン特注の安全靴を鳴らし、一人の少女が前に進み出た。
月兎族の村長、キャルル・ムーンハートである。
「……おい、キャルル。そいつらはまだ危険かもしれないぞ」
俺が制止しようと声をかけるが、キャルルは振り返らず、ただ静かに微笑んだ。
「大丈夫です、春太様。彼らはもう、戦う意思を持っていません。……それに、そのまま放置するには、あまりにも痛ましくて」
キャルルは、防刃ネットに包まれて悪臭と塗料にまみれている黒服たちの目の前で、スッと膝をついた。
「な、なんだお前は……。我々に、情けでもかけるつもりか……。触るな……下界の獣人風情が……っ!」
強がる黒服のリーダー。
だが、キャルルはその棘のある言葉を完全にスルーし、エプロンのポケットから、彼女がお手製で刺繍した『人参柄のハンカチ』を取り出した。
そして、黒服の顔面にべっとりと張り付いたオレンジ色の塗料と、腐った生ゴミのような悪臭を放つ果汁を、一切の嫌な顔をせずに、優しく拭い始めたのだ。
「え……?」
黒服の目が、驚愕に見開かれた。
「痛かったですよね。目に塗料が入っていませんか? しばらくはヒリヒリすると思いますが、すぐに良くなりますからね」
キャルルの声は、どこまでも優しかった。
自分たちを捕らえに来た敵であるにもかかわらず、彼女の瞳には「敵意」や「見下し」の感情は1ミリも存在しない。
ただ純粋に、傷つき、惨めな姿を晒している目の前の人間(神の使い)を案じているのだ。
「……あ、あの……我々は、あなた方の敵だぞ……。なぜ、そんな……臭くないのか……?」
「臭いですよ。でも、そんなこと関係ありません。あなたは今、怪我をして苦しんでいるのですから」
キャルルはハンカチで汚れを大まかに拭き取ると、彼らの焦げたスーツの上から、そっと両手を当てた。
「少し、温かくなりますよ」
彼女の手のひらから、淡く、神聖な『月光』の魔力が溢れ出した。
満月時のハイテンション状態による暴力的な回復(強制全回復)ではない。今の彼女の魔力は、冷え切った心と体をじんわりと解きほぐすような、春の陽だまりのような優しい癒やしだった。
「……あぁ……」
黒服たちの口から、スタンガンの火傷の痛みがスッと引いていく安堵の吐息が漏れた。
同時に、彼らの中で張り詰めていた「天界の執行官」としての冷酷な仮面が、ボロボロと崩れ去っていくのが分かった。
キャルルは、ネット越しに彼らの背中を優しくポンポンと叩いた。
「お仕事、大変ですよね。天界という大きな組織の中で、上からの理不尽な命令や厳しいノルマに追われて……。ご家族の生活もかかっているのでしょう?」
「……っ!!」
その言葉が、完全に彼らの心のダムを決壊させた。
2メートルを超える漆黒の巨漢たちが、子どものように顔を歪め、ボロボロと大粒の涙を流して嗚咽し始めたのだ。
「う、うあぁぁぁぁっ! 辛かった……! オリン局長は『PV率が足りない! 予算を回収してこい!』と無茶ばかり言うし……我々だって、好きで人をマグローザ漁船に送っているわけじゃないんですぅぅ!」
「先月なんて、残業代も出ないまま異空間を300時間も飛び回らされて……有給休暇なんて、もう300年取ってない……っ!」
「家に帰っても、妻には『あんたは取り立てしか能がないのね』って冷たくされて……うっ、うううっ!」
なんという天界のブラック労働環境。
俺は思わず同情しそうになった。神々の世界も、結局は組織の歯車として苦しむサラリーマン(黒服)の血と汗で回っているのだ。
「よしよし、大変でしたね。でも、あなたは一人じゃありません。ご家族のために一生懸命働いているあなたは、とても立派ですよ」
キャルルは嫌な顔一つせず、号泣する黒服たちの頭を、まるで聖母のように撫でていた。
「あぁ……なんという温かさだ……。我々は、女神ルチアナ様を連行しに来たのに……このウサギのお嬢さんの方が、よっぽど本物の女神様じゃないか……っ!」
「ううっ、心が洗われる……! もう取り立てなんて嫌だ……! 田舎に帰って、農業がしたい……っ!」
完全に毒気(ブラック企業の洗脳)を抜かれた黒服たち。
俺とアラトは無言で顔を見合わせ、防刃ネットのロックを解除してやった。
「……ハルタ。彼らの戦意は完全にゼロ(システムダウン)だ。これ以上の防衛行動は不要だな」
「ああ。やれやれ、相変わらずキャルルの『優しさ』は、どんな武器よりも強烈だぜ」
俺は、ホームセンターの冷蔵ケースから『エナジードリンク(タローマン特製・疲労回復用)』を三本取り出し、起き上がった黒服たちに投げて渡した。
「ほらよ。お前らも大変なんだな。……ルチアナの借金は、俺の店で働かせて、きっちり真っ当な金(労働対価)で少しずつ返済させる。リボ払いの過払い金請求と利息の再計算の手続きは、そっちの法務部でやっておけ。これで上司にも顔が立つだろ?」
俺がそう告げると、黒服たちはエナジードリンクを両手でしっかりと握りしめ、深く、深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……! 神城店長……そして、ウサギの女神様……っ!」
「ルチアナ様の件、我々の権限で『労働による分割返済プロセス』として処理しておきます! 本日は、誠に申し訳ありませんでしたぁぁっ!」
直角90度の見事なお辞儀。
彼らは涙を拭いながら、現れた時と同じ空間のゲートを開き、ボロボロのスーツのまま、何度もキャルルに手を振りながら天界へと帰っていった。
バックヤードには、再び静寂が戻った。
「……終わった、のね」
ルチアナが、へたり込んでいた床からゆっくりと立ち上がり、信じられないものを見るような目で俺とキャルルを見た。
「なによ、あんたたち……。絶対回収バリアを物理でぶち破ったかと思えば、最後は取り立て屋を泣かせて帰すなんて……。めちゃくちゃじゃないの……」
「これが俺たちのやり方だ。理不尽には屈しないし、勝っても威張らない。……そして、困ってる奴がいたら、敵だろうが助けちまう馬鹿がいるからな」
俺が笑いながらキャルルを見ると、彼女は「えへへ」と照れくさそうに笑い、人参柄のハンカチを丁寧に折りたたんでいた。
「でも、ルチアナ様。黒服さんたちがあれだけ泣いて帰ったのですから、リボ払いの件はもう安心ですね!」
キャルルが朗らかに言うと、ルチアナはビクッと肩を揺らした。
「……い、いや。安心じゃないわ。あいつらが『労働での返済』を認めたってことは……私、借金が完済するまで、ずっとこの店で時給800円で働かなくちゃいけないってことじゃないのよぉぉぉ!!」
ルチアナの絶望の叫びが、ポポロ村の夜空に響き渡った。
「当たり前だ。俺が庇ってやったんだから、死ぬ気で働け。明日は朝6時から陳列棚のワックスがけだ。遅刻したら時給減額だからな」
「鬼! 悪魔! ハルタのブラック店長ぉぉぉ!!」
かくして、天界からの理不尽な強制執行は、俺の知恵とアラトの技術、そしてキャルルの無償の優しさによって、血を流すことなく完璧に退けられた。
残ったのは、莫大な借金を抱えたまま俺の店の絶対的なアルバイトとなった、一人の駄女神だけである。
「さあ、お前ら! ひと仕事終えた後のメシにするぞ! 今日はルチアナの初任給のお祝いで、屋上でBBQだ!」
「「おーっ!!」」
「ちょっと、私の初任給を勝手に使わないでよぉぉっ!」
騒がしい日常が、再びポポロ村の夜に帰ってきた。
俺たちは笑い合いながら、ホームセンターの屋上ビアガーデンへと向かうのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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