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9/20

ゴブリン村

 翌朝、アシネ村に着き、スコルがエマの家の戸を叩こうとした、その瞬間――


 がらり、と戸が開き、中から背負子しょいこを抱えたエマが姿を現した。


「おはようございます。白い狐を倒したばかりなのに、今日も早いんですね」


 エマは少し驚いたように目を丸くして言った。


「おはよう、エマちゃん。狐の件は片付いたけど、今度はゴブリンのことがあるからね」


 とスコルは笑って答える。


 その時、エマが背負子を背負うのを見て、スコルは首を傾げた。


「森に薪を取りに行くの?」


「ええ。実は……スコルさんからたくさんパン粉をいただいてから、子供の頃の夢を思い出しちゃったんです」


 エマは少し照れくさそうに微笑む。


「昔、パン屋さんになりたかったんですよ。それで最近、前よりたくさんパンを焼くようになって……薪が足りなくなっちゃって」


「そっか。夢、いいね」


 スコルがそう言うと、エマは嬉しそうに頬を緩めた。


「今日のお昼も、ごちそうしますからね」


 そう言い残し、エマは背負子を揺らしながら森の方へ歩いていった。


 すると家の奥から、小さな足音がぱたぱたと近づいてくる。


「おはよう、スコルお兄ちゃん!」


 元気いっぱいに顔を出したのはサラだった。


「おはよう、サラちゃん。そうだ、今日はプレゼントを持ってきたんだ」


 スコルはそう言うと、縮界シュリンクスフィアから二冊の本を取り出した。


 一冊は『銀の調合書』。

 もう一冊は、薬草について詳しく書かれた『千草図説』だった。


「わぁ……!」


 サラの瞳が星のようにきらめいた。


「将来、薬師になりたいって言ってたでしょ? だから、勉強に使えるかなって思って」


 サラは震える手で本を受け取り、表紙を何度も見つめた。


「す、すごい……! これ、本物の薬師さんが読む本だよね!? こんなの高かったんじゃ……」


「大丈夫。サラちゃんには頑張ってほしいから」


「……ありがとう、スコルお兄ちゃん!」


 サラはぎゅっと本を抱きしめたあと、嬉しさを隠しきれない様子でページをめくり始めた。


「この草、見たことある! 森の川辺に生えてるやつだ!」


「へぇ、もう知ってるんだ」


「うん! おばあちゃんと薬草を摘みに行ったことあるの!」


 夢中になって本を読むサラを見て、スコルは自然と笑みを浮かべる。


 するとその時、家の奥から祖母のミアが姿を現した。


「あら、スコルさん。おはよう。今日はゴブリンの調査に行ってくださるのでしたね」


「おはようございます、ミアさん。実は調査に向かう前に、渡しておきたいものがあって……」


 スコルは軽く頭を下げると、縮界シュリンクスフィアから一枚の金貨を取り出した。


 陽の光を受けて、金貨がきらりと輝く。


「あの白い狐――カゼカマイタチが、思っていた以上の値で売れたんです。だから、これを受け取ってください」


 そう言って差し出された金貨を見て、ミアは目を丸くした。


「ええっ!? こ、こんな大金、とても受け取れないよ!」


「いいんですよ。ミアさんたちが白い狐の情報を教えてくれなかったら、あいつを見つけることもできませんでしたから」


 スコルは穏やかに笑う。


「そのおかげで、装備もかなり揃えられました。これは情報提供のお礼です。ぜひ受け取ってください」


 ミアはしばらく戸惑ったように金貨を見つめていたが、やがて申し訳なさそうに微笑んだ。


「……そこまで言ってくれるなら、ありがたく頂戴しますよ。実は、ゴブリンや白い狐に畑を荒らされてから、収穫が減って苦しかったんです」


 そう言って、ミアは大切そうに金貨を両手で包み込んだ。


「これで生活も楽になるよ。本当にありがとうねぇ」


「力になれたならよかったです。

それじゃあ、ゴブリンの調査に行ってきます。何かわかったら、すぐ報告しますね」


「気をつけてお行き。無茶だけはしないんだよ」


 ミアとサラに見送られながら、スコルは家を後にした。


 向かう先は、北西の山を越えた先にあるという谷――ゴブリンたちの巣があるという場所だ。



『金貨を渡すとは、お主もずいぶん気前がいいな』


 とフェルが感心したように言った。


「そうかな? 実際、ミアさんたちがいなかったら、あんな大金は手に入らなかったからね」


 スコルはそう答えると、ふと思い出したように続けた。


「そういえば、万屋の店主さんもかなり気前が良かったよ。こんな剣までくれたんだから」


 そう言って、縮界シュリンクスフィアから一本の剣を取り出す。


 鈍い銀色の刀身を持つ、ドワーフ王国製の魔法剣だった。


『いや、あの店主の場合は、少し事情が違うな』


 フェルは静かに言った。


「どういうこと?」


『その剣は魔法剣だ。普通の剣士が扱っても、本来の性能を引き出せぬ。魔力を流し込み、初めて真価を発揮する武器だからな』


「……つまり?」


『魔法剣とは魔法剣士の剣。魔法剣士になるには、体内に二つのマナ回路を持っておる必要がある。お主のようにな』


 フェルは淡々と説明を続ける。


『だが、二重のマナ回路を持つ者は極めて少ない。つまり、使い手が少ないということだ。どれほど優れた武器でも、扱える者がおらねば売れぬ』


 スコルは手にした剣を見下ろした。


 確かに、普通の武器とは違う、不思議な圧のようなものを感じる。


『買い手がおらず、おそらく、長いこと店の奥で眠っていたのだろう。どうせ売れぬなら、見込みのある若者に渡した方が良い――そう考えたのではないか?』


「なるほどねぇ……」


 スコルは感心したように剣を眺めたあと、苦笑する。


『ふふ、それだけお主に価値を見出したということだ。商人というのは、得になる相手には案外大胆なものだからな』


 フェルはどこか愉快そうに笑った。



 そして、ミアが言っていた北西の山――その頂へ差しかかった頃、スコルたちの視界の先に、それは現れた。


 木々の切れ間の向こう。灰色の煙が、空へ細く立ちのぼっている。


「あそこ……煙が上がってる」


 スコルは目を凝らしながら言った。


『うむ。おそらく、あれがゴブリンどもの住処であろうな』


 フェルが低く唸る。


「でも、まだ結構距離があるよ?」


 スコルは眉をひそめた。山をいくつも越えた先に見えるその煙は、思った以上に遠く感じられた。


『いや、むしろ近いくらいだ。あの程度の距離なら、奴らにとってこの一帯は庭も同然だろう』


 フェルの声には、わずかな警戒が滲んでいた。


『おそらく周囲には見張りも配置されておる。一度、スキルであの辺りまで接近し、様子を探るぞ』


「え、近づくの!?」


『案ずるな。確認したらすぐ戻る。敵の数も縄張りの広さも分からぬまま突っ込むのは愚策だからな』


 フェルの言葉を聞いて、スコルは煙の上がる方角へ向かって、スキルを使いながら静かに距離を詰めていった。


『止まってくれ』


 不意にフェルが低い声で言った。


 スコルはぴたりと足を止める。


『……気配が多い。これ以上近づくのは危険だ。あのでかい木に登って様子を見よう』


「わかった」


 スコルは言われるまま、大木によじ登った。


 枝葉の隙間から谷の麓を見下ろした瞬間、スコルは思わず息を呑んだ。


 そこには、柵で囲まれた集落のようなものが広がっていた。


 粗末な監視塔が何本も立ち並び、泥を塗り固めて作った小屋が密集している。中央には煮炊き場らしき広場があり、灰色の煙が絶えず立ち上っていた。


 耳を澄ませば、怒鳴り合うような声や、金属を打ち鳴らす甲高い音まで聞こえてくる。


「あれが……ゴブリンの村?」


 スコルが小声で呟く。


『あれだけ小屋があるとなると……三百体はおるのではないか』


 フェルが重々しく言った。


 その時だった。


 一匹のゴブリンが、木の近くへ歩いてくるのが見えた。


 スコルは反射的に剣へ手を伸ばしかける。


 だが、


『手を出すな。今は刺激せぬほうが良い』


 フェルが鋭く制した。


 ゴブリンは周囲を警戒する様子もなく、そのまま森の奥へ歩き去っていった。


『他にも拠点があるやもしれん。……ひとまず周辺を探ってみるぞ』


 フェルの言葉に、スコルは静かに頷いた。


 こうして、ゴブリンたちに気づかれぬよう細心の注意を払いながら、周囲の探索を始めた。



 その後、ゴブリンの村をぐるりと囲むように移動しながら、隠れた拠点や見張り場がないか入念に調べて回った。


 だが、別の集落らしきものはどこにも見当たらなかった。


「四、五体ずつ倒しては逃げる、っていうゲリラ戦法も考えてたんだけど……やっぱり手を出さないほうがいいんだよね?」


 スコルが声を潜めて言った。


『うむ。たとえ小規模でも、中途半端な攻撃は悪手だ。やるなら一気に壊滅させるしかない』


 フェルは低く唸るように続ける。


『半端に刺激すれば、怒りの矛先はアシネ村へ向かう。……ただでさえ、いつ襲撃が始まってもおかしくない状況だからな』


 その言葉に、スコルの表情が曇った。


「ホブゴブリンとか、バグベアみたいな上位種って……やっぱりいるのかな?」


『あれだけの規模だ。おると見てまず間違いないであろう』


 フェルは険しい声で答えた。


『もし上位種がおらぬなら、数が多くとも、お主ひとりでもどうにかなったかもしれん。だが――そう甘くはあるまい』


 スコルはゴブリンの村へ視線を向けた。


 柵の向こうには、無数の小屋と、絶えず立ち上る煙。


 あの中に、どれほど危険な魔物が潜んでいるのか想像もつかない。


「やっぱり……冒険者をたくさん雇わないと駄目か……。でも、それにはお金が必要になるよね」


 スコルは小さく息を吐きながら呟いた。


 その後、とりあえずスコルは、一度アシネ村へ戻ることにした。



 エマの家へ着くと、祖母のミアが心配そうな顔で出迎えてくれた。


「どうだったんだい? 何かわかったのかい?」


「ちょうどパンが焼けたところなんです。よかったら食べていってください」


 エマがそう言って、焼きたてのパンをテーブルへ並べる。


 香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がったが、スコルの表情は重かった。


 スコルはパンを口に運びながら、ゴブリンの村で見たものを静かに話し始めた。


 柵に囲まれた集落のこと。

 無数の小屋。

 そして、三百体はいるであろうゴブリンたちの存在を――。


「さ、三百体もいるのかい……!?」


 話を聞いたミアは、顔を青ざめさせた。


「はい……。だから、いつ襲撃が起きてもおかしくない状態なんです」


 スコルは真剣な表情で続ける。


「できれば、何かあった時にすぐ避難できるよう、準備だけでもしておいたほうがいいかもしれません」


 だが、ミアは力なく目を伏せた。


「避難と言ってもねぇ……。私たちには、他に行く当てもないからさ……」


 その言葉には、この一年、朽ちかけた村で生きてきた者の諦めが滲んでいた。


 アシネ村に残っている時点で、貧しく、他所へ移る余裕もない。

 だからこそ、崩れかけた家々の並ぶこの村で、細々と暮らし続けているのだ。


 重い空気が部屋を包む。


 その空気を振り払うように、スコルは立ち上がった。


「とりあえず、もう少し調べてきます。……何か、いい方法が見つかるかもしれないので」


 そう言って、スコルは家を後にした。



「……やっぱり、冒険者を雇うしかないのかな……」


 スコルは俯きがちに呟く。


『とにかく時間がない。もう少し敵の戦力を分析し、なにか突破口を探るしかあるまい』


 フェルの言葉に、スコルは小さく息を呑む。


 突破口。


 本当に、そんなものがあるのだろうか。


『敵を知り、地形を知り、弱点を探る。それが弱者が強者に勝つ唯一の道だ』


 とフェルが静かに言った。


 その言葉は冷酷な現実そのものだった。

 だが同時に――消えかけていたスコルの胸の奥に、小さな火種のような闘志を灯していた。


 スコルは気配を極限まで殺し、スキルを駆使しながら、再び慎重にゴブリン村の周囲を探り始めた。


 気配を雑木林へ溶け込ませ、見張りの視線を縫うように進む。ここまでは完璧だった。


 少なくとも、スコル自身はそう思っていた。


 だが次の瞬間――運命は、最悪の形で牙を剥く。


「――ッ!?」


 鼻腔を焼くような獣臭。

 同時に、頭上から叩きつけられる圧倒的な威圧感。


 反射的に振り返ったスコルの視界を、巨大な影が覆った。


 筋骨隆々の巨体。

 針金のような剛毛。

 潰れた鼻面から覗く、濁った黄色の瞳。


 そこに立っていたのは、醜悪な怪物――バグベアだった。


 ゴブリンの上位種。

 単独で遭遇した時点で、戦闘を避けねばならない絶対的捕食者。


「グォォォオオオッ!!」


 濁った咆哮が森を揺らす。


 次の瞬間、丸太のような腕が唸りを上げて振り下ろされた。


「うわっ!!」


 スコルは咄嗟に横へ飛び、直撃を免れた。


 だが――。


 ドゴォンッ!!


 地面が爆ぜ、衝撃だけで肺の空気が押し出される。


「はぁっ……はぁっ……!」


 呼吸が乱れ、足が震える。


 強い。あまりにも強すぎる。


「まずい……逃げなきゃ……!」


 スコルは必死に退路を探した。


 その時だった。


――カサ、カサカサ……。


 枯れ葉を踏む不気味な音が、四方から湧き上がる。


「……え?」


 茂みの奥。木々の隙間。暗がりの中に、一つ、また一つと濁った黄色の瞳が浮かび上がった。


 ゴブリン。


 一体ではない。十……二十……いや、もっといる。


「ギギッ!」

「ギャウッ!」


 下卑た笑い声を漏らしながら、包囲網がゆっくりと狭まっていく。


 バグベアに足を止められた、その一瞬が、致命的だった。


『囲まれたか……!』


 とフェルが低く唸る。


 その刹那。


 一体のゴブリンが地を蹴った。


「ギィィッ!!」


 剣を構えるスコルの死角から、一気に飛びかかってくる。


「く、来るなァッ!!」


 半ば恐慌状態のまま、スコルは反射的に剣を突き出した。


 ズブリ――。


 鈍い感触が腕に伝わる。


「あ……」


 剣の切っ先は、飛び込んできたゴブリンの喉を正確に貫いていた。


「ガ……ぁ……」


 緑色の血が飛び散る。


 ゴブリンは短く痙攣すると、白目を剥き、そのまま地面へ崩れ落ちた。


「どうしよう……倒しちゃった……」


 とスコルが震える声で言った。


『……まずいな』


 フェルが呟く。


 その一言を境に、空気が変わった。


 ゴブリンたちは倒れた仲間を見つめている。


 だが、その瞳から先程までの嘲笑は消えていた。


 代わりに浮かび上がったのは――剥き出しの殺意。


「……ア……ギ……」


 一匹のゴブリンの肩が、小刻みに震える。


 そして。


「ギギィィィィイイイイイイッ!!!」


 絶叫。


 それを合図にしたかのように、森全体が震えた。


 ゴブリンたちが一斉に武器を地面へ叩きつける。


 ガン! ガン! ガン!!


 牙を剥き、唾液を撒き散らしながら狂乱の咆哮を上げた。


 バグベアまでもが興奮したように胸を叩き、血走った眼でスコルを睨みつける。


 数瞬前まで「狡猾な魔物」だった者たちは、今や理性を失った「災厄の濁流」と化そうとしていた。


「あ……ああ……」


 スコルの喉から、乾ききった悲鳴が漏れる。



『とりあえず、この場をすぐに離れろ!』


 とフェルが鋭く叫んだ。


「そ、そうだ……逃げなきゃ……!」


 我に返ったスコルは、迫り来るゴブリンたちの隙を突き、スキルを発動する。


 次の瞬間、風を裂くように森の中を駆け抜けた。


 背後では怒号と咆哮が入り混じり、木々を揺らしている。

 何度も枝に肩をぶつけながら、それでもスコルは振り返らなかった。


 やがて――辿り着いたのは、アシネ村北西にそびえる山の中腹だった。


「はぁっ……はぁっ……」


 足も震えている。


 それでも、どうにか追手は撒けたらしい。


 スコルは木にもたれかかるようにして、その場へ崩れ落ちた。


「ちくしょう……しくじった……」


 震える声が漏れる。


 脳裏に焼き付いて離れないのは、仲間を殺された瞬間に激昂したゴブリンたちの姿だった。


「あいつら……今夜にでも、アシネ村を襲うかもしれない……。今日は町の宿にでも泊まってもらったほうがいいかもね」


 とスコルは青ざめた表情で呟いた。


『そんな時間はないかもしれぬぞ……。猛スピードでこちらへ向かってくる気配がある。数は七、八体ほどだ』


 フェルが低い声で言った。


「えっ!? もうアシネ村を襲いに来てるってこと!?」


『お主の気配を追えるとは思えぬ……。おそらく奴らは、この先にある村へ向かっているのだろう』


 フェルの言葉に、スコルの背筋を冷たいものが走った。


 もしこのまま奴らを通せば、アシネ村に被害が出るかもしれない。


「ど、どうする……? もう倒すしかないの?」


 スコルは唇を震わせながら言った。


『……仕方あるまい』


 フェルの声が重く沈む。


『ここで奴らを迎え撃つ。そして、片をつけ次第、急いで村へ戻り避難させる』


 その言葉に、スコルはごくりと唾を飲み込んだ。


 逃げるだけでは、もう終わらない。今度は、自分から戦わなければならなかった。



 ゴブリンたちの姿が木々の隙間から見えた瞬間――スコルは先手を取るように飛び出した。


「はぁぁッ!!」


 鋭い踏み込みとともに剣が閃く。


 一体。また一体。


 スコルは勢いのまま、次々とゴブリンを斬り伏せていった。


 先ほど遭遇したバグベアの圧倒的な威圧感に比べれば、動きも力も遥かに鈍い。


「この程度なら――!」


 ゴブリンの棍棒を躱し、その喉元へ剣を突き立てる。


 断末魔が森に響き、最後の一体が崩れ落ちた。


「あのデカいやつに比べれば、大したことないや。……じゃあ、急いで戻ろう」


 スコルが荒い息を吐きながら、言った。


『いや――待て!!』


 突然、フェルが鋭い声を上げた。


 その声音に、スコルの背筋がびくりと震える。


「ど、どうしたの?」


 スコルは慌てて周囲を見回した。


 その時だった。


 バグベアが咆哮をあげ、スコルへ飛びかかってきた。

 その手には、先ほどまでとは比べものにならないほど巨大な剣が握られている。


「っ――!」


 振り下ろされた一撃を、スコルは間一髪で剣を滑り込ませ、なんとか受け流した。


 だが、衝撃は凄まじく、腕が痺れる。


 地面を削りながら後退したスコルへ、バグベアは間髪入れずに追撃を仕掛けてくる。


 巨大な剣が唸りを上げ、再び振り下ろされた。


「うおおおっ!!」


 スコルは迎え撃つように剣を振るった。


 次の瞬間――


 バキィッ!!


 激突と同時に、スコルの剣が真っ二つに砕け散った。


「なっ――!?」


 砕けた衝撃のまま、スコルの身体は茂みの中へ吹き飛ばされる。


 背中を強く打ちつけ、呼吸が止まった。


「ぐっ……!」


 起き上がろうとした瞬間、右腕に激痛が走る。


「剣が……折れた……それに、右手まで……」


 右腕は不自然な方向に曲がっており、骨が折れている。


『ポーションだ! 早く使え!』


 フェルが叫んだ。


「でも、手が……!」


『いいから使え!! ポーションを!!』


 フェルの怒声に押されるように、スコルはポーションを取り出し、栓を抜き、一気に流し込む。


 すると、焼けつくようだった痛みが、みるみるうちに引いていった。


 しかし、その瞬間――山の奥深くから、仲間を呼ぶ鋭い笛の音が響き渡った。


 甲高い音は何度も木霊し、それに応えるように、無数の足音が闇の向こうでうねり始める。


 復讐に狂った軍勢が迫ってくる。


 その地響きは、まるで死へ向かう刻を数える“破滅の鐘”のように、じわじわと大地を震わせていた。


『……とんでもない数だ。撤退するぞ!』


 フェルが叫んだ。


 だが、スコルは首を横に振った。


「駄目だよ……。アシネ村までは、もうすぐそこなんだ」


 スコルは立ち上がり、折れた剣の残骸を握り締める。


「僕一人なら逃げられる。でも、三人全員を連れて逃げるのは無理だ。だったら――ここで戦うしかない!」


『ならん!』


 フェルの声が鋭く響く。


『今のお主では勝てぬ! まだ間に合う、今なら助かるのだ!』


「どうやって!? 三人を連れて逃げるなんて無理だよ! 戦うしかないんだ! 魔法剣だってある!」


 スコルは叫ぶように言った。


『いや、可能だ』


 フェルは落ち着いた声で告げる。


『ミア殿がサラを抱き、背負子しょいこに乗せればよい。それなら問題なく運べる』


「じゃ、じゃあ……エマちゃんは!?」


『お主が抱えて走れ』


 フェルは即座に答えた。


「――っ!」


 その瞬間、スコルの脳裏に活路が見えた。


「うん……分かった!」


 スコルは強く頷く。


 そして次の瞬間、スキルを発動した。


 風が爆ぜる。


 スコルは、一気にアシネ村へと駆け戻った。



 家へたどり着くと、ちょうどサラが家の前に立っていた。


「サラちゃん! みんなを呼んできて!! ゴブリンの大群が、この村に向かってるんだ!!」


 スコルが叫ぶと、サラは顔色を変え、慌てて家の中へ駆け込んだ。


 ほどなくして、祖母のミアが飛び出してくる。


「ゴブリンの大群が来てるって、本当なのかい!? エマなら、今、森へキノコを採りに行ってるよ!」


「はい……! 僕、ゴブリンと戦って、一体倒してしまったんです。そしたら連中、怒り狂って……!」


 息を切らしながら答えると、スコルはすぐに続けた。


「説明は後です! 僕のスキルで避難します! だから、とにかくミアさん、サラちゃんを抱いて、そこの背負子しょいこに座ってください!」


「もう時間がないんです!」


 その切迫した声に押されるように、ミアはサラを抱きかかえ、背負子へ腰を下ろした。


 スコルは二人を乗せたまま、筋肉強化により軽々と背負い上げる。


 さらに、走る途中で落ちないよう、紐で二人と自分の身体をしっかりと固定した。


「サラちゃん、ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してね」


「うん……! 大丈夫だよ!」


 サラは不安を隠すように、小さく頷いた。


 ――その時だった。


 山の奥から、耳障りな叫び声が幾重にも重なって響いてきた。


 ギャアアアアアッ――!!


 ゴブリンたちの咆哮。もう、すぐそこまで迫ってきている。


「すごい声だねぇ……」


 ミアが青ざめた顔で呟く。


 するとその時、森の方角から籠を抱えたエマが戻ってきた。


 背負子にミアとサラを乗せているスコルの姿を見て、きょとんとした表情を浮かべる。


「……何の遊びですか? それ……」


「よかった、エマちゃん! ゴブリンの大群が、もうそこまで来てるんだ! 今すぐ避難するよ!!」


 スコルが叫ぶと、エマの表情が一瞬で凍りついた。


「ちょ、ちょっと待って! お母さんの腕輪を取ってくるから――」


 その瞬間。


 ――ドスッ!!


 一本の矢が、地面へ突き刺さった。


 全員の動きが止まる。


 スコルが振り向くと、そこには、無数のゴブリンたちと、それを率いる巨大なバグベアの姿があった。


「ッ――!!」


 次の瞬間、バグベアが大地を砕く勢いで跳躍する。


 巨大な剣を振りかざし、そのままスコルたちへ叩きつけようとしていた。


「ごめん、エマちゃん!!」


 スコルは叫ぶと同時に、エマの身体を抱きかかえる。


 そして――



「――牙王疾風ファングロード・ゲイル!!」


 爆風のような風圧が巻き起こった。


 直後、バグベアの大剣が地面へ激突し、大地を大きく抉る。


 しかし、その時にはもう、スコルたちの姿はそこにはなかった。


 疾風と化したスコルは、三人を抱えたまま山道を一気に駆け抜ける。


 まるで大地を滑るような速さで駆け下り、瞬く間に街道へと飛び出した。


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