ゴブリン村
翌朝、アシネ村に着き、スコルがエマの家の戸を叩こうとした、その瞬間――
がらり、と戸が開き、中から背負子を抱えたエマが姿を現した。
「おはようございます。白い狐を倒したばかりなのに、今日も早いんですね」
エマは少し驚いたように目を丸くして言った。
「おはよう、エマちゃん。狐の件は片付いたけど、今度はゴブリンのことがあるからね」
とスコルは笑って答える。
その時、エマが背負子を背負うのを見て、スコルは首を傾げた。
「森に薪を取りに行くの?」
「ええ。実は……スコルさんからたくさんパン粉をいただいてから、子供の頃の夢を思い出しちゃったんです」
エマは少し照れくさそうに微笑む。
「昔、パン屋さんになりたかったんですよ。それで最近、前よりたくさんパンを焼くようになって……薪が足りなくなっちゃって」
「そっか。夢、いいね」
スコルがそう言うと、エマは嬉しそうに頬を緩めた。
「今日のお昼も、ごちそうしますからね」
そう言い残し、エマは背負子を揺らしながら森の方へ歩いていった。
すると家の奥から、小さな足音がぱたぱたと近づいてくる。
「おはよう、スコルお兄ちゃん!」
元気いっぱいに顔を出したのはサラだった。
「おはよう、サラちゃん。そうだ、今日はプレゼントを持ってきたんだ」
スコルはそう言うと、縮界から二冊の本を取り出した。
一冊は『銀の調合書』。
もう一冊は、薬草について詳しく書かれた『千草図説』だった。
「わぁ……!」
サラの瞳が星のようにきらめいた。
「将来、薬師になりたいって言ってたでしょ? だから、勉強に使えるかなって思って」
サラは震える手で本を受け取り、表紙を何度も見つめた。
「す、すごい……! これ、本物の薬師さんが読む本だよね!? こんなの高かったんじゃ……」
「大丈夫。サラちゃんには頑張ってほしいから」
「……ありがとう、スコルお兄ちゃん!」
サラはぎゅっと本を抱きしめたあと、嬉しさを隠しきれない様子でページをめくり始めた。
「この草、見たことある! 森の川辺に生えてるやつだ!」
「へぇ、もう知ってるんだ」
「うん! おばあちゃんと薬草を摘みに行ったことあるの!」
夢中になって本を読むサラを見て、スコルは自然と笑みを浮かべる。
するとその時、家の奥から祖母のミアが姿を現した。
「あら、スコルさん。おはよう。今日はゴブリンの調査に行ってくださるのでしたね」
「おはようございます、ミアさん。実は調査に向かう前に、渡しておきたいものがあって……」
スコルは軽く頭を下げると、縮界から一枚の金貨を取り出した。
陽の光を受けて、金貨がきらりと輝く。
「あの白い狐――カゼカマイタチが、思っていた以上の値で売れたんです。だから、これを受け取ってください」
そう言って差し出された金貨を見て、ミアは目を丸くした。
「ええっ!? こ、こんな大金、とても受け取れないよ!」
「いいんですよ。ミアさんたちが白い狐の情報を教えてくれなかったら、あいつを見つけることもできませんでしたから」
スコルは穏やかに笑う。
「そのおかげで、装備もかなり揃えられました。これは情報提供のお礼です。ぜひ受け取ってください」
ミアはしばらく戸惑ったように金貨を見つめていたが、やがて申し訳なさそうに微笑んだ。
「……そこまで言ってくれるなら、ありがたく頂戴しますよ。実は、ゴブリンや白い狐に畑を荒らされてから、収穫が減って苦しかったんです」
そう言って、ミアは大切そうに金貨を両手で包み込んだ。
「これで生活も楽になるよ。本当にありがとうねぇ」
「力になれたならよかったです。
それじゃあ、ゴブリンの調査に行ってきます。何かわかったら、すぐ報告しますね」
「気をつけてお行き。無茶だけはしないんだよ」
ミアとサラに見送られながら、スコルは家を後にした。
向かう先は、北西の山を越えた先にあるという谷――ゴブリンたちの巣があるという場所だ。
『金貨を渡すとは、お主もずいぶん気前がいいな』
とフェルが感心したように言った。
「そうかな? 実際、ミアさんたちがいなかったら、あんな大金は手に入らなかったからね」
スコルはそう答えると、ふと思い出したように続けた。
「そういえば、万屋の店主さんもかなり気前が良かったよ。こんな剣までくれたんだから」
そう言って、縮界から一本の剣を取り出す。
鈍い銀色の刀身を持つ、ドワーフ王国製の魔法剣だった。
『いや、あの店主の場合は、少し事情が違うな』
フェルは静かに言った。
「どういうこと?」
『その剣は魔法剣だ。普通の剣士が扱っても、本来の性能を引き出せぬ。魔力を流し込み、初めて真価を発揮する武器だからな』
「……つまり?」
『魔法剣とは魔法剣士の剣。魔法剣士になるには、体内に二つのマナ回路を持っておる必要がある。お主のようにな』
フェルは淡々と説明を続ける。
『だが、二重のマナ回路を持つ者は極めて少ない。つまり、使い手が少ないということだ。どれほど優れた武器でも、扱える者がおらねば売れぬ』
スコルは手にした剣を見下ろした。
確かに、普通の武器とは違う、不思議な圧のようなものを感じる。
『買い手がおらず、おそらく、長いこと店の奥で眠っていたのだろう。どうせ売れぬなら、見込みのある若者に渡した方が良い――そう考えたのではないか?』
「なるほどねぇ……」
スコルは感心したように剣を眺めたあと、苦笑する。
『ふふ、それだけお主に価値を見出したということだ。商人というのは、得になる相手には案外大胆なものだからな』
フェルはどこか愉快そうに笑った。
そして、ミアが言っていた北西の山――その頂へ差しかかった頃、スコルたちの視界の先に、それは現れた。
木々の切れ間の向こう。灰色の煙が、空へ細く立ちのぼっている。
「あそこ……煙が上がってる」
スコルは目を凝らしながら言った。
『うむ。おそらく、あれがゴブリンどもの住処であろうな』
フェルが低く唸る。
「でも、まだ結構距離があるよ?」
スコルは眉をひそめた。山をいくつも越えた先に見えるその煙は、思った以上に遠く感じられた。
『いや、むしろ近いくらいだ。あの程度の距離なら、奴らにとってこの一帯は庭も同然だろう』
フェルの声には、わずかな警戒が滲んでいた。
『おそらく周囲には見張りも配置されておる。一度、スキルであの辺りまで接近し、様子を探るぞ』
「え、近づくの!?」
『案ずるな。確認したらすぐ戻る。敵の数も縄張りの広さも分からぬまま突っ込むのは愚策だからな』
フェルの言葉を聞いて、スコルは煙の上がる方角へ向かって、スキルを使いながら静かに距離を詰めていった。
『止まってくれ』
不意にフェルが低い声で言った。
スコルはぴたりと足を止める。
『……気配が多い。これ以上近づくのは危険だ。あのでかい木に登って様子を見よう』
「わかった」
スコルは言われるまま、大木によじ登った。
枝葉の隙間から谷の麓を見下ろした瞬間、スコルは思わず息を呑んだ。
そこには、柵で囲まれた集落のようなものが広がっていた。
粗末な監視塔が何本も立ち並び、泥を塗り固めて作った小屋が密集している。中央には煮炊き場らしき広場があり、灰色の煙が絶えず立ち上っていた。
耳を澄ませば、怒鳴り合うような声や、金属を打ち鳴らす甲高い音まで聞こえてくる。
「あれが……ゴブリンの村?」
スコルが小声で呟く。
『あれだけ小屋があるとなると……三百体はおるのではないか』
フェルが重々しく言った。
その時だった。
一匹のゴブリンが、木の近くへ歩いてくるのが見えた。
スコルは反射的に剣へ手を伸ばしかける。
だが、
『手を出すな。今は刺激せぬほうが良い』
フェルが鋭く制した。
ゴブリンは周囲を警戒する様子もなく、そのまま森の奥へ歩き去っていった。
『他にも拠点があるやもしれん。……ひとまず周辺を探ってみるぞ』
フェルの言葉に、スコルは静かに頷いた。
こうして、ゴブリンたちに気づかれぬよう細心の注意を払いながら、周囲の探索を始めた。
その後、ゴブリンの村をぐるりと囲むように移動しながら、隠れた拠点や見張り場がないか入念に調べて回った。
だが、別の集落らしきものはどこにも見当たらなかった。
「四、五体ずつ倒しては逃げる、っていうゲリラ戦法も考えてたんだけど……やっぱり手を出さないほうがいいんだよね?」
スコルが声を潜めて言った。
『うむ。たとえ小規模でも、中途半端な攻撃は悪手だ。やるなら一気に壊滅させるしかない』
フェルは低く唸るように続ける。
『半端に刺激すれば、怒りの矛先はアシネ村へ向かう。……ただでさえ、いつ襲撃が始まってもおかしくない状況だからな』
その言葉に、スコルの表情が曇った。
「ホブゴブリンとか、バグベアみたいな上位種って……やっぱりいるのかな?」
『あれだけの規模だ。おると見てまず間違いないであろう』
フェルは険しい声で答えた。
『もし上位種がおらぬなら、数が多くとも、お主ひとりでもどうにかなったかもしれん。だが――そう甘くはあるまい』
スコルはゴブリンの村へ視線を向けた。
柵の向こうには、無数の小屋と、絶えず立ち上る煙。
あの中に、どれほど危険な魔物が潜んでいるのか想像もつかない。
「やっぱり……冒険者をたくさん雇わないと駄目か……。でも、それにはお金が必要になるよね」
スコルは小さく息を吐きながら呟いた。
その後、とりあえずスコルは、一度アシネ村へ戻ることにした。
エマの家へ着くと、祖母のミアが心配そうな顔で出迎えてくれた。
「どうだったんだい? 何かわかったのかい?」
「ちょうどパンが焼けたところなんです。よかったら食べていってください」
エマがそう言って、焼きたてのパンをテーブルへ並べる。
香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がったが、スコルの表情は重かった。
スコルはパンを口に運びながら、ゴブリンの村で見たものを静かに話し始めた。
柵に囲まれた集落のこと。
無数の小屋。
そして、三百体はいるであろうゴブリンたちの存在を――。
「さ、三百体もいるのかい……!?」
話を聞いたミアは、顔を青ざめさせた。
「はい……。だから、いつ襲撃が起きてもおかしくない状態なんです」
スコルは真剣な表情で続ける。
「できれば、何かあった時にすぐ避難できるよう、準備だけでもしておいたほうがいいかもしれません」
だが、ミアは力なく目を伏せた。
「避難と言ってもねぇ……。私たちには、他に行く当てもないからさ……」
その言葉には、この一年、朽ちかけた村で生きてきた者の諦めが滲んでいた。
アシネ村に残っている時点で、貧しく、他所へ移る余裕もない。
だからこそ、崩れかけた家々の並ぶこの村で、細々と暮らし続けているのだ。
重い空気が部屋を包む。
その空気を振り払うように、スコルは立ち上がった。
「とりあえず、もう少し調べてきます。……何か、いい方法が見つかるかもしれないので」
そう言って、スコルは家を後にした。
「……やっぱり、冒険者を雇うしかないのかな……」
スコルは俯きがちに呟く。
『とにかく時間がない。もう少し敵の戦力を分析し、なにか突破口を探るしかあるまい』
フェルの言葉に、スコルは小さく息を呑む。
突破口。
本当に、そんなものがあるのだろうか。
『敵を知り、地形を知り、弱点を探る。それが弱者が強者に勝つ唯一の道だ』
とフェルが静かに言った。
その言葉は冷酷な現実そのものだった。
だが同時に――消えかけていたスコルの胸の奥に、小さな火種のような闘志を灯していた。
スコルは気配を極限まで殺し、スキルを駆使しながら、再び慎重にゴブリン村の周囲を探り始めた。
気配を雑木林へ溶け込ませ、見張りの視線を縫うように進む。ここまでは完璧だった。
少なくとも、スコル自身はそう思っていた。
だが次の瞬間――運命は、最悪の形で牙を剥く。
「――ッ!?」
鼻腔を焼くような獣臭。
同時に、頭上から叩きつけられる圧倒的な威圧感。
反射的に振り返ったスコルの視界を、巨大な影が覆った。
筋骨隆々の巨体。
針金のような剛毛。
潰れた鼻面から覗く、濁った黄色の瞳。
そこに立っていたのは、醜悪な怪物――バグベアだった。
ゴブリンの上位種。
単独で遭遇した時点で、戦闘を避けねばならない絶対的捕食者。
「グォォォオオオッ!!」
濁った咆哮が森を揺らす。
次の瞬間、丸太のような腕が唸りを上げて振り下ろされた。
「うわっ!!」
スコルは咄嗟に横へ飛び、直撃を免れた。
だが――。
ドゴォンッ!!
地面が爆ぜ、衝撃だけで肺の空気が押し出される。
「はぁっ……はぁっ……!」
呼吸が乱れ、足が震える。
強い。あまりにも強すぎる。
「まずい……逃げなきゃ……!」
スコルは必死に退路を探した。
その時だった。
――カサ、カサカサ……。
枯れ葉を踏む不気味な音が、四方から湧き上がる。
「……え?」
茂みの奥。木々の隙間。暗がりの中に、一つ、また一つと濁った黄色の瞳が浮かび上がった。
ゴブリン。
一体ではない。十……二十……いや、もっといる。
「ギギッ!」
「ギャウッ!」
下卑た笑い声を漏らしながら、包囲網がゆっくりと狭まっていく。
バグベアに足を止められた、その一瞬が、致命的だった。
『囲まれたか……!』
とフェルが低く唸る。
その刹那。
一体のゴブリンが地を蹴った。
「ギィィッ!!」
剣を構えるスコルの死角から、一気に飛びかかってくる。
「く、来るなァッ!!」
半ば恐慌状態のまま、スコルは反射的に剣を突き出した。
ズブリ――。
鈍い感触が腕に伝わる。
「あ……」
剣の切っ先は、飛び込んできたゴブリンの喉を正確に貫いていた。
「ガ……ぁ……」
緑色の血が飛び散る。
ゴブリンは短く痙攣すると、白目を剥き、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「どうしよう……倒しちゃった……」
とスコルが震える声で言った。
『……まずいな』
フェルが呟く。
その一言を境に、空気が変わった。
ゴブリンたちは倒れた仲間を見つめている。
だが、その瞳から先程までの嘲笑は消えていた。
代わりに浮かび上がったのは――剥き出しの殺意。
「……ア……ギ……」
一匹のゴブリンの肩が、小刻みに震える。
そして。
「ギギィィィィイイイイイイッ!!!」
絶叫。
それを合図にしたかのように、森全体が震えた。
ゴブリンたちが一斉に武器を地面へ叩きつける。
ガン! ガン! ガン!!
牙を剥き、唾液を撒き散らしながら狂乱の咆哮を上げた。
バグベアまでもが興奮したように胸を叩き、血走った眼でスコルを睨みつける。
数瞬前まで「狡猾な魔物」だった者たちは、今や理性を失った「災厄の濁流」と化そうとしていた。
「あ……ああ……」
スコルの喉から、乾ききった悲鳴が漏れる。
『とりあえず、この場をすぐに離れろ!』
とフェルが鋭く叫んだ。
「そ、そうだ……逃げなきゃ……!」
我に返ったスコルは、迫り来るゴブリンたちの隙を突き、スキルを発動する。
次の瞬間、風を裂くように森の中を駆け抜けた。
背後では怒号と咆哮が入り混じり、木々を揺らしている。
何度も枝に肩をぶつけながら、それでもスコルは振り返らなかった。
やがて――辿り着いたのは、アシネ村北西にそびえる山の中腹だった。
「はぁっ……はぁっ……」
足も震えている。
それでも、どうにか追手は撒けたらしい。
スコルは木にもたれかかるようにして、その場へ崩れ落ちた。
「ちくしょう……しくじった……」
震える声が漏れる。
脳裏に焼き付いて離れないのは、仲間を殺された瞬間に激昂したゴブリンたちの姿だった。
「あいつら……今夜にでも、アシネ村を襲うかもしれない……。今日は町の宿にでも泊まってもらったほうがいいかもね」
とスコルは青ざめた表情で呟いた。
『そんな時間はないかもしれぬぞ……。猛スピードでこちらへ向かってくる気配がある。数は七、八体ほどだ』
フェルが低い声で言った。
「えっ!? もうアシネ村を襲いに来てるってこと!?」
『お主の気配を追えるとは思えぬ……。おそらく奴らは、この先にある村へ向かっているのだろう』
フェルの言葉に、スコルの背筋を冷たいものが走った。
もしこのまま奴らを通せば、アシネ村に被害が出るかもしれない。
「ど、どうする……? もう倒すしかないの?」
スコルは唇を震わせながら言った。
『……仕方あるまい』
フェルの声が重く沈む。
『ここで奴らを迎え撃つ。そして、片をつけ次第、急いで村へ戻り避難させる』
その言葉に、スコルはごくりと唾を飲み込んだ。
逃げるだけでは、もう終わらない。今度は、自分から戦わなければならなかった。
ゴブリンたちの姿が木々の隙間から見えた瞬間――スコルは先手を取るように飛び出した。
「はぁぁッ!!」
鋭い踏み込みとともに剣が閃く。
一体。また一体。
スコルは勢いのまま、次々とゴブリンを斬り伏せていった。
先ほど遭遇したバグベアの圧倒的な威圧感に比べれば、動きも力も遥かに鈍い。
「この程度なら――!」
ゴブリンの棍棒を躱し、その喉元へ剣を突き立てる。
断末魔が森に響き、最後の一体が崩れ落ちた。
「あのデカいやつに比べれば、大したことないや。……じゃあ、急いで戻ろう」
スコルが荒い息を吐きながら、言った。
『いや――待て!!』
突然、フェルが鋭い声を上げた。
その声音に、スコルの背筋がびくりと震える。
「ど、どうしたの?」
スコルは慌てて周囲を見回した。
その時だった。
バグベアが咆哮をあげ、スコルへ飛びかかってきた。
その手には、先ほどまでとは比べものにならないほど巨大な剣が握られている。
「っ――!」
振り下ろされた一撃を、スコルは間一髪で剣を滑り込ませ、なんとか受け流した。
だが、衝撃は凄まじく、腕が痺れる。
地面を削りながら後退したスコルへ、バグベアは間髪入れずに追撃を仕掛けてくる。
巨大な剣が唸りを上げ、再び振り下ろされた。
「うおおおっ!!」
スコルは迎え撃つように剣を振るった。
次の瞬間――
バキィッ!!
激突と同時に、スコルの剣が真っ二つに砕け散った。
「なっ――!?」
砕けた衝撃のまま、スコルの身体は茂みの中へ吹き飛ばされる。
背中を強く打ちつけ、呼吸が止まった。
「ぐっ……!」
起き上がろうとした瞬間、右腕に激痛が走る。
「剣が……折れた……それに、右手まで……」
右腕は不自然な方向に曲がっており、骨が折れている。
『ポーションだ! 早く使え!』
フェルが叫んだ。
「でも、手が……!」
『いいから使え!! ポーションを!!』
フェルの怒声に押されるように、スコルはポーションを取り出し、栓を抜き、一気に流し込む。
すると、焼けつくようだった痛みが、みるみるうちに引いていった。
しかし、その瞬間――山の奥深くから、仲間を呼ぶ鋭い笛の音が響き渡った。
甲高い音は何度も木霊し、それに応えるように、無数の足音が闇の向こうでうねり始める。
復讐に狂った軍勢が迫ってくる。
その地響きは、まるで死へ向かう刻を数える“破滅の鐘”のように、じわじわと大地を震わせていた。
『……とんでもない数だ。撤退するぞ!』
フェルが叫んだ。
だが、スコルは首を横に振った。
「駄目だよ……。アシネ村までは、もうすぐそこなんだ」
スコルは立ち上がり、折れた剣の残骸を握り締める。
「僕一人なら逃げられる。でも、三人全員を連れて逃げるのは無理だ。だったら――ここで戦うしかない!」
『ならん!』
フェルの声が鋭く響く。
『今のお主では勝てぬ! まだ間に合う、今なら助かるのだ!』
「どうやって!? 三人を連れて逃げるなんて無理だよ! 戦うしかないんだ! 魔法剣だってある!」
スコルは叫ぶように言った。
『いや、可能だ』
フェルは落ち着いた声で告げる。
『ミア殿がサラを抱き、背負子に乗せればよい。それなら問題なく運べる』
「じゃ、じゃあ……エマちゃんは!?」
『お主が抱えて走れ』
フェルは即座に答えた。
「――っ!」
その瞬間、スコルの脳裏に活路が見えた。
「うん……分かった!」
スコルは強く頷く。
そして次の瞬間、スキルを発動した。
風が爆ぜる。
スコルは、一気にアシネ村へと駆け戻った。
家へたどり着くと、ちょうどサラが家の前に立っていた。
「サラちゃん! みんなを呼んできて!! ゴブリンの大群が、この村に向かってるんだ!!」
スコルが叫ぶと、サラは顔色を変え、慌てて家の中へ駆け込んだ。
ほどなくして、祖母のミアが飛び出してくる。
「ゴブリンの大群が来てるって、本当なのかい!? エマなら、今、森へキノコを採りに行ってるよ!」
「はい……! 僕、ゴブリンと戦って、一体倒してしまったんです。そしたら連中、怒り狂って……!」
息を切らしながら答えると、スコルはすぐに続けた。
「説明は後です! 僕のスキルで避難します! だから、とにかくミアさん、サラちゃんを抱いて、そこの背負子に座ってください!」
「もう時間がないんです!」
その切迫した声に押されるように、ミアはサラを抱きかかえ、背負子へ腰を下ろした。
スコルは二人を乗せたまま、筋肉強化により軽々と背負い上げる。
さらに、走る途中で落ちないよう、紐で二人と自分の身体をしっかりと固定した。
「サラちゃん、ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してね」
「うん……! 大丈夫だよ!」
サラは不安を隠すように、小さく頷いた。
――その時だった。
山の奥から、耳障りな叫び声が幾重にも重なって響いてきた。
ギャアアアアアッ――!!
ゴブリンたちの咆哮。もう、すぐそこまで迫ってきている。
「すごい声だねぇ……」
ミアが青ざめた顔で呟く。
するとその時、森の方角から籠を抱えたエマが戻ってきた。
背負子にミアとサラを乗せているスコルの姿を見て、きょとんとした表情を浮かべる。
「……何の遊びですか? それ……」
「よかった、エマちゃん! ゴブリンの大群が、もうそこまで来てるんだ! 今すぐ避難するよ!!」
スコルが叫ぶと、エマの表情が一瞬で凍りついた。
「ちょ、ちょっと待って! お母さんの腕輪を取ってくるから――」
その瞬間。
――ドスッ!!
一本の矢が、地面へ突き刺さった。
全員の動きが止まる。
スコルが振り向くと、そこには、無数のゴブリンたちと、それを率いる巨大なバグベアの姿があった。
「ッ――!!」
次の瞬間、バグベアが大地を砕く勢いで跳躍する。
巨大な剣を振りかざし、そのままスコルたちへ叩きつけようとしていた。
「ごめん、エマちゃん!!」
スコルは叫ぶと同時に、エマの身体を抱きかかえる。
そして――
「――牙王疾風!!」
爆風のような風圧が巻き起こった。
直後、バグベアの大剣が地面へ激突し、大地を大きく抉る。
しかし、その時にはもう、スコルたちの姿はそこにはなかった。
疾風と化したスコルは、三人を抱えたまま山道を一気に駆け抜ける。
まるで大地を滑るような速さで駆け下り、瞬く間に街道へと飛び出した。




