縮界(シュリンクスフィア)
スコルが巨大なカゼカマイタチを担ぎ、ストライザードの町を歩いていくと、道行く人々が次々と足を止めた。
「なんだ、あの魔物……?」
「見たことねぇぞ」
「おい、あれ担いでるの、ガキじゃねぇか……」
ざわめきが広がる中、スコルは少し照れくさそうにしながらも、どこか誇らしげに胸を張って歩いていた。
やがて解体屋へ辿り着く。
店に入った瞬間、作業台を拭いていた店主が目を丸くした。
「……なんだ、そりゃ?」
スコルは背負っていた巨体を慎重に作業台の上へ降ろす。
どしり、と鈍い音が響いた。
「カゼカマイタチです」
スコルがそう言うと、店主は一瞬ぽかんと口を開け――次の瞬間、目を剥いた。
「カゼカマイタチだぁ!? って、おい……こいつ、アルビノ個体じゃねぇか!!」
店主は慌てた様子で駆け寄り、白銀の毛並みに触れた。
「捕まえるのに五日かかりましたよ」
スコルが苦笑混じりに言う。
「五日だと……? 何十年ぶりだ、こんなの見るのは……。やっぱおめぇ、すげぇなホティ」
店主は感嘆を漏らしながら、巨大な身体を隅々まで確認していく。
「傷も少ねぇ……。毛並みも極上だ。こりゃとんでもねぇ値がつくぞ……」
そう呟く店主の目は、まるで宝石でも眺めるかのように輝いていた。
「こりゃ最高級品になるぞ……。金貨九枚でどうだ!?」
店主が興奮気味に言った。
「き、金貨九枚ですか!?」
スコルは思わず声を裏返らせた。
金貨九枚――それは、今までの彼には想像もできない大金だった。
「おう。この毛並み、この保存状態、それにアルビノ個体だ。むしろ安いくらいだぜ?」
店主はニヤリと笑う。
『良かったな、スコル』
フェルが満足そうに言う。
「そ、それでお願いします!」
スコルは慌てて頭を下げた。
「よっしゃ、契約成立だ! ちょっと待ってな、金を持ってくる!」
そう言って店主は店の奥へ引っ込む。
しばらくして、重そうな木箱を抱えて戻ってきた。箱を開けると、眩い黄金色が覗く。
店主は金貨を一枚ずつ数えながら、テーブルへ並べていった。カラン、カラン、と澄んだ音が響く。
「――これで九枚だ」
スコルはごくりと喉を鳴らした。
恐る恐る一枚手に取る。ずっしりとした重みと冷たい感触が掌に伝わり、胸が高鳴った。
「す、すごい……」
思わず漏れた呟きに、店主が豪快に笑う。
スコルは金貨を大事そうに革袋へしまうと、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「おう、また頼むぜ。次はどんな獲物を持ってくるか楽しみにしてるぜ!」
店主は上機嫌で手を振った。スコルは解体屋を後にする。
店の扉を開けた瞬間、外に立っていた人物を見て、思わず足を止めた。
「――あっ」
そこにいたのは、見覚えのある万屋の店主だった。
「――ホティ殿、ですね?」
解体屋を出たスコルに、万屋の店主が穏やかな笑みを浮かべながら声をかけた。
「はい……」
スコルは小さく頷いた。名乗った覚えはない。それなのに、なぜ自分の名前を知っているのか――そんな疑問が胸をよぎる。
店主はどこか楽しげに目を細めた。
「やはり、あなたが噂のホティ殿でしたか。あれから珍しい品をいくつも仕入れましてね。よろしければ、ぜひ我が店を見ていきませんか?」
『ふむ……カゼカマイタチを担いでおるところを見たのだろう。大金を手にしたと踏んで、商売を仕掛けに来たか。なかなかしたたかな店主だ』
フェルが呆れ半分、感心半分といった声音で言った。
『だが、前に訪れた時はコートと鎖帷子に気を取られて、店をろくに見ておらなんだ。ワシも一度、じっくり覗いてみたいと思っておったところだ。せっかくだ、行ってみるとよい』
「じゃあ……少しだけ」
スコルが答えると、店主は満足そうに頷いた。
こうしてスコルは、店主に案内されるまま万屋へ向かうことになった。歩きながら、スコルはふと気になっていたことを口にする。
「ところで、僕の噂って……どんな噂なんですか?」
「ああ、狭い町ですからねぇ」
店主は苦笑しながら肩をすくめた。
「最近、大量の魔物を売りに来る少年がいる、と町中で話題になっていたんですよ。中には“盗んでるんじゃないか”なんて疑う者もいましたが……」
「ぬ、盗みなんてしてませんよ!」
スコルは慌てて声を上げた。
店主は穏やかに笑う。
「ええ、もちろん分かっています。盗まれたと名乗り出る者もいませんでしたし、そもそも一人で盗める量ではありませんからね」
そう言って、店主はスコルをじっと見つめた。
「それに以前お会いした時より、ずいぶん逞しくなられた。目つきも違う」
「……そうですか?」
「ええ。自信がついた者の顔をしています」
店主はそう言って、木製の扉に手をかけた。
ギィ、と音を立てて扉が開く。
「――ようこそ、“万屋ナンデス商会”へ」
店に入るなり、フェルが言った。
『スコルよ、“縮界”を扱っておらぬか、聞いてみてくれぬか?』
「あの、縮界って置いてますか?」
スコルが尋ねると、店主はにこりと笑った。
「ええ、ございますよ。何点か取り揃えております」
そう言って店主はショーケースの奥から、こぶし大ほどの魔石を取り出した。
淡い光を内側に宿したその石には、複雑な紋様が幾重にも刻まれている。
「おすすめはこちらですね。“縮界の魔魂石”です」
店主は丁寧に布の上へ置いた。
「へえ……。これ、どうやって使うんですか?」
スコルは恐る恐る手に取りながら尋ねた。
「お持ちになり“スピリトゥス・ウニオ”と唱えるだけで結構です。魂に直接装備されますので」
「スピリトゥス・ウニオ……?」
スコルがその言葉を口にした瞬間――
魔魂石が淡く輝き、粒子のようにほどけて消えた。
「あっ……」
店主が引きつった声を漏らす。
「き、消えちゃったんですけど……?」
スコルが戸惑いながら手のひらを見る。
店主は気まずそうに咳払いした。
「縮界の魔魂石は、“魂装型”の次元折畳器でして……一度装備すると、他者への譲渡はできない仕様なのです」
「えっ、それって……外したらどうなるんですか?」
「収納した物を取り出すことは可能ですが、再装備は不可能になります。つまり……その……」
店主は申し訳なさそうに目を逸らした。
「お買い上げ、という形になります……」
「ええぇっ!?」
スコルは思わず声を上げた。
「ちなみに、おいくらですか……?」
「金貨二枚になります」
「金貨二枚ぃっ!?」
スコルの顔が青ざめる。
するとフェルが、どこか呆れたように鼻を鳴らした。
『縮界の魔魂石はいずれ手に入れるつもりだった品だ。魔道具屋では金貨四枚しておったからな。金貨二枚なら、ずいぶんと安いではないか』
『それと、腕輪型のものがないかも聞いてみてはくれぬか』
「そうですか……。では、買い取ります」
スコルは苦笑しながらそう答える。
「それと、腕輪型のものってありますか?」
「ええ、“縮界の腕輪”ですね。ございますよ」
店主は再びショーケースへ向かい、今度は細かな紋様が刻まれた銀の腕輪を取り出した。
「こちらになります」
「これは、おいくらですか?」
「腕輪型は金貨一枚になります」
店主が答えると、フェルが感心したように声を漏らした。
『ふむ、これも安いな。魔道具屋では、金貨二枚はしておったぞ。これももらおう。さて……せっかく来たのだ、他の品もじっくり見て回ろうではないか』
「じゃあ、その腕輪もください」
スコルはそう言うと、店内を見回した。
「それと、少し店の中を見てもいいですか?」
「もちろんです。気になる品がございましたら、なんなりとお申し付けください」
店主はにこやかに頭を下げた。
店内を見て回っていると、不意にフェルが低く声を漏らした。
『む……? あれは魔魂パペットではないか?』
視線の先には、白い人形が静かに飾られていた。
仮面を被ったその人形は、象牙のようになめらかな光沢を放っている。身体には淡い紋様が刻まれ、関節の継ぎ目すら見当たらない。まるで一つの塊から削り出されたような、流線型の美しい造形だった。
「そんなに珍しいものなの?」
スコルが尋ねると、フェルは珍しく興味を隠さずに言った。
『これはいくらだ?』
スコルが値札を覗き込む。
「金貨二枚みたいだね」
『……ほう』
フェルは感心したように唸った。
『その値なら安い。どうするか……いや、かなり欲しいな』
普段は冷静なフェルが、ぶつぶつと独り言を漏らしている。
「それ、どんな道具なの?」
『魔魂パペットというのはな――装備品を着せた状態で、縮界の魔魂石に収納しておくだけで、その装備の効果を常時得られる古代魔導器だ』
「えっ、装備してなくても?」
『うむ。風呂に入っていようが、眠っていようが効果は消えぬ。寝込みを襲われても即座に戦えるというわけだ』
「それはすごいね……!」
スコルは思わず感嘆の声を漏らした。
『魔道具屋では見かけなかった品だ。この値段なら買っておいて損はあるまい』
「うん。いつでも装備状態になれるなら便利そうだね」
スコルは頷き、店主を呼んだ。
「すみません、これください」
「おお、魔魂パペットをお選びになりますか。さすがスコル殿、お目が高い」
店主は嬉しそうに笑うと、飾り棚から慎重に人形を取り上げた。
「これさえあれば、いかなる状況でも装備の恩恵を失いませんからな」
そう言いながら店主は、ふと思い出したように顔を上げる。
「……そういえば、鎧の方はもうご用意されましたか? もしまだでしたら、ぜひお見せしたい品がございます」
返事を待つ間もなく、店主は店の奥へ消えた。
しばらくして、ゴトゴトと車輪の音が響く。戻ってきた店主は、小型のトロッコに載せた紅い鎧を誇らしげに押していた。
深紅の鱗が鈍く輝き、その隙間から覗く黒い金属が重厚な威圧感を放っている。
「こちらは、深淵で鍛えられた黒鋼製の鎧に、イグニスファルクの鱗を合わせた逸品でございます」
店主は鎧を軽く叩いた。
重々しい金属音が店内に響く。
「黒鋼は非常に重量のある金属ですが、魔魂パペットに装備させ、縮界に収納しておけば重さの問題はございません。それに――炎、水、さらには呪いに対しても高い耐性を持っております」
『ふむ……黒鋼にレッドドラゴンの鱗か。悪くない組み合わせだ』
フェルが感心したように呟く。
「その鎧、いくらなんですか?」
「魔魂パペットと合わせてご購入いただけるのでしたら、こちらも金貨二枚で結構です」
店主は胸を張った。
「とある貴族家の宝物庫に眠っていた品でしてな。実戦で使われたことは一度もない未使用品でございます」
『金貨二枚なら破格だな。これも買っておけ』
フェルは即答した。
「じゃあ、それも買います。あと、少し気になるものがあるので、見てきますね」
そう言って、スコルは書物が並ぶ棚へ向かった。
手に取ったのは『銀の調合書』――初級薬師向けの調合入門書だった。続けて、『千草図説』という、数多の薬草を絵付きで解説した分厚い書物も棚から抜き出す。
『サラへの贈り物か?』
フェルが念話で尋ねる。
「うん。薬草に興味あるみたいだったから」
スコルは微笑みながら、本を抱えて店主のもとへ戻った。
「この本はいくらですか?」
「ほう、ホティ殿は薬師にも興味がおありで?」
店主が感心したように目を細める。
「いえ、知人へのプレゼントです」
「なるほど、そういうことでしたか」
店主は穏やかに頷いた。
「どちらも銀貨十枚になります」
「じゃあ、二冊ともください。……それで、お会計をお願いします」
「ありがとうございます。では、お会計の方を――」
店主は慣れた手つきで品を並べ、指を折りながら数え始めた。
「縮界の魔魂石が金貨二枚。
縮界の腕輪が金貨一枚。
魔魂パペットが金貨二枚。
黒鋼製の鎧が金貨二枚。
そして薬師書二冊で銀貨二十枚。
合計、金貨七枚と銀貨二十枚になります」
「うわぁ……高いなぁ……」
スコルは思わず小声で呻いた。
『とりあえず、金貨五枚で交渉してみるか?』
フェルがぼそりと囁く。
だが、店主はその空気を読んでいたのか、スコルが口を開くより早く笑顔で言った。
「申し訳ございません。こちらの品々は、どれも限界ぎりぎりの価格でして、お値引きは難しいのです」
店主はそう言うと、ふっと意味深に笑った。
「――ですが」
そう言って店の奥から一本の剣を持ってきた。それは普通の剣とはどこか雰囲気が違っていた。
刃には淡い魔力光が走り、鍔には複雑な紋様が刻まれている。
『ほう……ドワーフ王国の魔法剣か』
フェルが感心したように呟いた。
「ドワーフ王国の魔法剣?」
スコルは目を丸くする。
「さすがホティ殿、お気づきになりますか」
店主は嬉しそうに笑った。
「こちらは、ドワーフ王国でも指折りの工房――“頑固者の指先”製の魔法剣でございます」
『……なるほどな。少なく見積もっても金貨一、二枚はする品だ』
フェルの声に、わずかな感心が混じる。
『これをつけるというなら、価格交渉はなしでも悪くあるまい』
「えっ、本当にくれるんですか?」
スコルが驚いて尋ねると、店主は胸に手を当て、にこやかに頷いた。
「もちろんでございます。高額なお買い上げへの、ささやかなサービスです」
「……わかりました」
スコルは覚悟を決めるように息を吐くと、懐から金貨と銀貨を取り出した。
金貨七枚。
そして銀貨二十枚。
重たい音を立てながら、硬貨がテーブルの上へ並べられていった。
「お買い上げ、誠にありがとうございます。では早速ですが、こちらの鎧は魔魂パペットに装備なさいますか?」
店主がそう尋ねた。
『うむ、装備してもらおう』
とフェルが答える。
「お願いします」
スコルが頷くと、店主は奇妙な人形へ、紅きドラゴンの鱗で作られた鎧を一つずつ丁寧に装着していった。
やがて、全ての装備を取り付け終えると、店主は満足げに口を開いた。
「装着は完了しました。ところで、縮界の使い方はご存じですか?」
「いえ、よくわからなくて……」
とスコル。
「使い方は簡単ですよ。収納したい物をイメージしながら、“入れ”と念じるだけです。では試しに、この鎧を見ながらやってみてください」
店主に促され、スコルは鎧を見つめながら意識を集中させた。
――入れ。
その瞬間、鎧はふっと霞むように消え去った。
「おおっ、消えた!」
スコルが目を丸くする。
「成功です。取り出す時も同じですよ。対象を思い浮かべれば、すぐに出せます」
店主は微笑みながら説明した。
スコルは感心した様子で、縮界の腕輪、薬師書二冊、そしてドワーフ王国製の魔法剣を次々と縮界へ収納していった。
しばらくして、店主がふと思い出したように言った。
「ところでホティ殿。そろそろ魔導書や、剣術書なども必要になる頃ではありませんか? 当店でも扱っておりますので、よろしければぜひ」
『魔導書まで置いておるのか。いずれ必要になるとは思っておったが……今回はかなり買ったからな。また次回でよいだろう』
とフェルが言う。
「今回は大丈夫です」
スコルもそう答えた。
するとフェルが、ふと思い出したように言った。
『この店主、なかなか物知りそうだからな。家の相場を聞いてみてはくれぬか』
「あの、話は変わるんですけど……家って、どれくらいで買えるものなんですか?」
スコルが尋ねると、店主は少し意外そうな顔をした。
「家ですか。この町でお探しですか? それとも別の場所でしょうか」
「まだ場所は決めてないです。何人かで住める家を、王国内で探そうかなって」
「なるほど。それでしたら、小さな家なら金貨一枚ほどからありますね。普通の家でも、金貨十枚ほどあれば十分購入できると思います」
「そうなんですね……やっぱり高いなぁ」
スコルは思わず苦笑した。
「さすがに我が商店で家は扱っておりませんが、この町で探すのであれば、公証人をご紹介できますよ。不動産の売買には必要になりますから」
「ノタリー?」
聞き慣れない言葉に、スコルは首を傾げる。
「契約書の作成や、土地の権利関係を確認する専門家です。不動産売買には欠かせませんので」
店主は丁寧に説明したが、スコルはよく理解できなかった。
「そ、そうなんですね。その時はお願いします」
それでも、とりあえずそう返しておく。
「ええ、いつでもご相談ください」
店主が穏やかに微笑む。
「ありがとうございました」
スコルはそう言って店を後にした。
「家のこと聞いてたけど……やっぱり、もうマルビにはいられないの?」
スコルが不安そうに尋ねた。
『そうだな。今のお主の状況と、これから先のことを考えても、どこか別の土地へ移った方がよいだろう』
フェルは静かに答えると、少し間を置いて続けた。
『ところで、この辺りで最も大きな町はどこだ?』
「大きな町かぁ……。この辺の町は、どこもそんなに変わらないかな。強いて言うなら、少し離れてるけど、王都のハヌンだね」
スコルがそう答えた瞬間、
『ハヌンだと!?』
フェルの声に、わずかな驚きが混じった。
『……そうか。この辺りは、ハヌンの近くだったな』
「えっ、ハヌン知ってるの?」
『うむ。昔、少しだけ滞在したことがある。当時はまだ帝国領でな。ハヌンは帝国の北西部最大の都市として栄えておった』
「へぇー、行ったことあるんだ」
スコルは感心したように目を輝かせた。
するとフェルは、どこか楽しげに鼻を鳴らした。
『よし、決めた。いずれはハヌンに住むぞ』
「えっ、本当に?」
『あれほど巨大な都市なら、人の噂などすぐに埋もれる。今のお主は町で妙に目立っておるようだからな。大都市の方が、何かと動きやすいだろう』
フェルの言葉に、スコルは少しだけ胸が高鳴るのを感じていた。
「そうだね……なんだか、僕もハヌンに住んでみたくなってきたよ」
スコルは楽しげに笑みを浮かべる。
『うむ。あれほど大きな都市なら、きっと面白いものも多かろう』
フェルもどこか満足そうに言った。
その後、スコルは弟たちのためにミルクと菓子を買い込み、夕暮れの道を家へと戻っていった。
そして翌朝――。
スコルは再びアシネ村へ向かっていた。
今度の目的は、ゴブリンの調査だ。




