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カゼカマイタチ


 朝の陽射しが窓から差し込み、やわらかな光が部屋を満たしていた。その光を感じながら、スコルはゆっくりと瞼を開く。


『目を覚ましたか、スコル。疲れは残っておらぬか?』


 頭の内側へフェルの念が響く――。


「おはよう。うん、平気だよ」


 スコルは眠気の残る目を軽くこすりながら身体を起こし、いつものように、凝りをほぐすように肩を回した。


 起き上がるとすぐに身支度を整え、弟たちに朝食を食べさせる。そして、アシネ村へ向かう準備を始めた。


 昨日買った鎖帷子の上からコートを羽織り、靴を履き、スコルは家の扉を開け、隠しておいた布で巻いた剣を背負い袋へ入れる。


『準備は済んだか?』


 フェルが問いかける。


「うん。じゃあ、行こうか」


 そう言うと同時に、スコルはスキルを発動した。


――牙王疾風ファングロード・ゲイル


 次の瞬間、轟くように風が唸り、周囲の草木が激しく揺れる。スコルの身体は弾けるような勢いで駆け出した。


 スコルは南へ向かってひたすら走り続けた。ストライザードの町を通り過ぎ、さらにその先へと疾走する。やがて、スコルはアシネ村へ辿り着いた。


 改めて見渡すと、村の荒れ果てた様子が一層目につく。そして、朽ちかけた木のドアの前で、スコルは拳を持ち上げた。


 昨日のことが頭をよぎる。町の外れで荷物を抱えて困っていた少女――サラ。


 夜になれば魔物が出ると知りながら村へ帰ろうとしていた彼女を放っておけず、気づけば村はずれまで送っていた。


 その帰り際、サラの祖母から聞かされた話。この村に出る魔物のこと。


 だから今朝、ここへ来た。


 朝霧がまだ薄く漂う中、スコルは息を整えてドアへ手を伸ばし――


「……あなたが、サラを送ってくれた人ですか?」


 声は、横から来た。


 反射的に振り向いたスコルは、そのまま固まった。家の角から現れたのは、自分と同じくらいの年頃の少女だった。


 ブラウンの髪が朝の淡い光を受けてやわらかく輝き、同じ色の瞳がまっすぐにスコルを映している。


 目鼻立ちは凛と整っていて、薄い唇はかすかに弧を描いていた。肌はどこか透けるように白く、声もわずかに掠れていた。


 それなのに、いや、だからこそかもしれない――朝霧の中に浮かび上がるように際立って見えた。


 綺麗だ、と思った。


 思ってしまった。


 胸の奥で何かが音もなく傾き、そのままゆっくりと落ちていく感覚。スコルはそれが何なのか考える間もなく、ただ立ち尽くしていた。


「え、あ……」


 言葉が出てこない。魔物を前にしても乱れない呼吸が、今は妙に落ち着かない。


 視線をどこへ向ければいいかもわからず、結局また少女の瞳と正面からぶつかってしまう。


「サラから聞きました。昨日、暗くなる前に一人で送ってくれたって」


 少女は静かにそう言って、真っ直ぐな目のまま、小さく頭を下げた。ブラウンの髪がさらりと肩から流れる。


「ありがとうございます。あの子の姉の、エマといいます」


 エマ。


 名前を頭の中で繰り返した瞬間、なぜか胸がまた妙な動き方をした。


「い、いや……妹さんが困ってたから、当然のことをしただけで」


 自分の声が上擦っているのが丸わかりだった。耳の先まで熱い。


「魔物を、退治しに来たんですよね」


 エマの瞳の奥に、静かな切実さが灯っていた。ただ真っ直ぐな眼差し。その美しさに見惚れながらも、スコルはその目の奥にある必死さをちゃんと受け取った。


 一つ深く息を吸い、しっかりと頷く。


「うん。任せて」


 その言葉に、エマが小さく、ほっとしたように目を細めた。


 すると、妹のサラが勢いよく扉を開け、ひょこっと顔を覗かせた。


「あっ、お兄ちゃん! 昨日はありがとう! お婆ちゃん、お兄ちゃんが来たよ!」


「本当に来てくれたんだね。粗末な家だけど、どうぞお入りください」


 サラの祖母が穏やかに頭を下げる。


 スコルは家の中へ通され、古びたテーブルへ腰を下ろした。


「私は、この子たちの祖母で、ミアと申します」


「僕はスコルです」


 思わず本名を口にしてしまい、スコルは内心でしまったと思った。


『ホティではなかったか。……まあ、今さら仕方あるまい』


 フェルがぼそりとこぼした。


「それで、その白い狐というのは、どれくらいの頻度で現れるんですか?」


 スコルが尋ねると、ミアは困ったように表情を曇らせた。


「はっきりとは言えませんが……三、四月ほど前から、南西にある山の方から現れるようになったんです。

 たまに村へ来ては畑を荒らし、作物を盗んでいってしまって…。おかげで、蓄えていた食べ物も底をつきかけていてね……」


「南西の山……」


 スコルは小さく呟いた。


『ひとまず、その山を調べるしかあるまい。それと、ゴブリンについても聞いてくれぬか。いつ頃から現れたのか気になる』


 フェルの言葉に頷き、スコルは再びミアへ視線を向ける。


「ところで、ゴブリンはいつ頃から現れるようになったんですか?」


「そうだね……、一年前くらいでしょうか。村人の一人が、北西の山を越えた先にある谷で、ゴブリンの巣を見つけたんです。

 それ以来、数体のゴブリンが村へ現れては畑を荒らしたり、家畜を盗んだりするようになりましてね……。そんな生活に耐えきれず、多くの村人が村を出ていってしまったんですよ」


 ミアは寂しげに目を伏せながら、そう語った。


『一年前か……それは厄介だな。もはや単なる巣ではなく、“ゴブリン村”が出来上がってる頃かもしれぬな。ところで、その件は、この地の領主へ報告したのか?』


「そのことは、領主様に相談したんですか?」


 スコルが尋ねると、ミアは力なく頷いた。


「ええ……ゴブリン討伐の陳情は出しました。ですが、“対応は難しい”と言われましてね……」


『ゴブリン討伐には兵も金も必要になる。このような小さな村では、徴収できる税と討伐費用が見合わぬのだろう。切り捨てられたわけだ』


 フェルが淡々と言う。


「村に冒険者を雇えるほどのお金なんてありませんし……」


 ミアは申し訳なさそうに俯いた。


「事情は大体わかりました。ゴブリンの件はすぐには難しそうですけど……まずは白い狐のほうをなんとかしてみます」


 そう言ってスコルは席を立つ。


 そして、白い狐が現れるという南西の山へ向け、調査へ向かった。



 山へ向かう途中、スコルはふと不安そうな表情を浮かべた。


「僕一人で、ゴブリン討伐って難しいのかな?」


『お主なら、ゴブリンの一体や二体を倒す程度なら造作もないかもしれぬ。

 だが、一年前から存在している巣となれば話は別だ。おそらく、すでに数百体規模に膨れ上がっておるだろう』


「数百体もいるの!?」


 スコルは思わず声を上げた。


『ゴブリンは繁殖力が異常に強い種族だからな。しかも数が増えるにつれ、ホブゴブリンやバグベアのような、上位種も一定数生まれてくる。

 今のお主では、それらを相手取るのは厳しいだろう』


 フェルの声は冷静だった。


『……もっとも、これはあくまで推測に過ぎぬ。

カマカゼイタチの件が片付き次第、その谷も一度調べに行くとしよう』


 そんな話をしているうちに、二人は南西の山へ辿り着いた。


「何かわかることはある?」


 スコルが周囲を見回しながら尋ねる。


『この山に寝床でもあればよいのだがな。

カマカゼイタチは行動範囲が広い魔物だ。痕跡を見つけられるとは限らぬ』


「じゃあ、どうするの?」


『どのみち、この山一帯は奴の縄張りなのであろう。見たところ、この辺りの魔物は大人しそうだ。

――だが、だからこそだ。


 最近この地を根城にしたカマカゼイタチにとって、ここで獲物を狩る者は縄張りを荒らす侵入者に他ならん。縄張り意識の強い魔物は多い。こちらが狩りを続けていれば、嫌でも向こうから姿を現すはずだ』


「なるほど……おびき寄せるってことか」


 スコルは小さく頷く。


 そして、カマカゼイタチを誘き出すため、この山周辺で狩りを始めることにした。



 例のごとく、フェルが索敵し、スコルが仕留める――そんな連携を何度も繰り返した。


 この辺りは小型の魔物が多く、気づけば背負い袋は獲物でぱんぱんになっていた。


「一度町へ戻って、解体屋に売りに行くか」


 そう思いながら山を下っていると、前方から小さな人影が歩いてくる。


「あれ、サラちゃん? こんなところで何してるの?」


 スコルが声をかけると、サラはぱっと顔を明るくした。


「あ、スコルお兄ちゃん! 魔石を集めてるんだよ」


「魔石を?」


「うん。たまに落ちてるから、それを売って、お姉ちゃんの薬草代にしてるの」


 魔石とは、魔力を宿した石の総称である。魔物が死んだ際に生まれるマナ輝石や、地下から採れるマナ鉱石なども、魔石と呼ばれている。


 魔物の亡骸が朽ちたあとに残ったマナ輝石が、山や森では、時折落ちている。


「でも、こんなところ歩いてて、魔物は大丈夫なの?」


 スコルが心配そうに尋ねると、サラは慣れた様子で頷いた。


「大丈夫だよ。明るいうちは、あんまり襲ってこないもん。

 あ、そういえばね、あっちに魔物が倒れてたよ」


 そう言ってサラが指差した先を見ると、小型の魔物が地面に転がっていた。


 近づいて確認したスコルは、思わず「あ……」と声を漏らす。


 それは先ほど自分がひと刺ししたものの、逃げられてしまった魔物だった。傷を負ったまま逃げ続け、ここで力尽きたのだろう。


「ちょうど今から町に売りに行くところだったし、あれも一緒に持っていくよ。

売れたら、パン粉でも買ってきてあげるから、待っててね」


「ほんと!? わかったー!」


 サラは嬉しそうに笑うと、また地面をきょろきょろ見回しながら魔石探しを始めた。


 その小さな背中を見つめながら、スコルはぽつりと呟く。


「……一人で大丈夫かな」


 すると、フェルの落ち着いた声が響いた。


『案ずるな。この辺りの魔物は大人しく、警戒心も強い。人里の近くでは、むやみに近寄っては来ぬ。日が沈まぬ限りは問題あるまい』


 そこで一度言葉を切り、フェルは静かに続けた。


『だが、人里というものは、人の手で管理されてこそ成り立つものだ。

このまま村が放置され続ければ、いずれ魔物どもが完全に住み着き、外を歩くことすら難しくなるやもしれぬ』


「……村の人たち、戻ってくるといいね」


 スコルはそう呟き、どこか寂しげに山の向こうを見つめた。



 そしてスコルは、ストライザードの解体屋で魔物を売り払ったあと、町の穀物商で大きな麻袋いっぱいのマスリン粉を買った。


 マスリン粉とは、小麦とライ麦を混ぜて挽いた庶民向けのパン粉であり、庶民が日常的に食べるマスリンパンの材料である。


 ずしりと重い袋を背負い、スコルはアシネ村へ戻った。


 やがてエマの家にたどり着くと、戸をこんこんと叩く。


 しばらくして、祖母のミアが顔を出した。


「あら、スコルさん。どうしたんだい?」


「これ、よかったらどうぞ。さっき、取り逃がした魔物をサラちゃんが見つけてくれたんです。そのお礼です」


 そう言って、スコルは麻袋を差し出した。


 ミアは袋の重みに目を丸くする。


「こんなにたくさんかい!? 本当に助かるよ……!

ちょうど今、パンを焼いていたところなんだ。よかったら食べていくかい?」


「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて」


 香ばしい匂いに誘われるまま、スコルはテーブルへ腰を下ろした。


 しばらくして、焼きたてのパンが運ばれてくる。


 その湯気を見つめながら、ミアがぽつりと尋ねた。


「それで……白い狐のことは、何かわかったのかい?」


「おそらく、この辺り一帯が奴の縄張りです。

なので、この近くでしばらく魔物狩りを続けていれば、そのうち向こうから姿を現すと思います」


 ミアは不安げに目を伏せた。


「……白い狐さえいなくなってくれればねぇ」


 その呟きに、スコルの表情も曇る。


「まだ断言はできませんけど……。

もしかしたら、白い狐よりゴブリンの方が厄介かもしれません」


「ゴブリンが?

たしかに畑を荒らしたりはするけど、今まではなんとか追い払えてたんだよ」


 そのとき、フェルの低い声が頭の中に響いた。


『今現れているのは、偵察のようなものだ。いずれ群れを成し、この村へ押し寄せてくるぞ』


 スコルはわずかに息を呑み、それを自分の言葉に変えて伝える。


「今のゴブリンたちは、まだ様子見の段階だと思います。

でも、このまま放っておけば……いずれ集団で村を襲ってくる可能性が高いです」


 部屋の中に、重たい沈黙が落ちた。



 すると、部屋の奥からエマがぱたぱたとやってきた。


「あんなにたくさんのマスリン粉、本当にありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げるエマを見た瞬間、スコルはなぜか勢いよく立ち上がった。


 がたっ、と椅子が鳴る。


「い、いや! その、サラちゃんが魔物を見つけてくれて!

それで、その……外に石窯が見えたから、パンとか焼くのかなーって思って!」


 言い訳なのか説明なのか、自分でもよく分からないまま、スコルはしどろもどろに早口でまくしたてた。


 エマはきょとんと瞬きをする。


「……そうでしたか」


「それで……流行病で母が倒れる前は、よくパンを焼いてくれてたんです」


 スコルは、焼きたてのパンから立ちのぼる香りを吸い込みながら、どこか懐かしそうに言った。


「朝になると、家じゅう、パンの匂いがしてて……」


 エマは静かにその言葉を聞いていたが、やがて少し目を伏せて、小さく口を開いた。


「……うちも、父と母を流行り病で亡くしてるんです」


「……っ」


 スコルの表情が固まる。


 さっきまでの慌てぶりが嘘のように消え、言葉を探すように視線を揺らした。


「ご、ごめん……。その、変なこと言った」


「いえ」


 エマはふるふると首を振った。


「少し、似てるなって思っただけです」


 そう言って、焼きたてのパンをそっと見つめる。


「父が生きてたころは、母と一緒によくパンを焼いてたんです。

私は横で、生地を丸めるのを手伝ってました」


「へぇ……」


「でも、私が作ると形がぐちゃぐちゃになって、父がいつも笑ってて……」


 エマはそこで少しだけ微笑んだ。


 その笑顔を見て、スコルの胸がどくんと跳ねる。


 しかしパンが熱かった。


「あっっっつ!?」


 スコルは涙目になりながら口を押さえ、エマは思わず吹き出した。


「ふふっ……」


 その笑い声を聞いた瞬間、スコルはさらに顔を赤くし、熱々のパンと格闘するのだった。


「そういえば……身体の方は、もう大丈夫なんですか?」


 スコルがそう尋ねると、エマは穏やかに微笑んだ。


「ええ、おかげさまで、だいぶ良くなりました」


 そう言ってから、エマはどこか誇らしげに続ける。


「私が体調を崩すと、いつもサラが薬を作ってくれるんです」


「薬を?」


 スコルは目を丸くした。


「ええ。私は昔から身体が弱くて……。

サラが町の図書館で薬草や調合法を調べて、それで材料を買ってきて、自分で薬を作ってくれるんですよ」


 エマは優しげな目で、奥の部屋の方を見つめた。


「本当に、あの子には助けられてばかりです」


「……それはすごいですね」


 スコルは素直に感心したように言う。


「独学で薬を作れるなんて、かなり才能があるんじゃないですか?

薬師としての才覚があるのかもしれませんね」


「ふふっ、そうかもしれません」


 エマは少し嬉しそうに笑った。


「サラ、昔から妙に凝り性なんです。

一度気になったことは、とことん調べないと気が済まなくて」


「なんとなく想像できます」


「この前なんて、“苦くない薬を作る!”って言って、三日くらい台所を占領してました」


「えっ、成功したんですか?」


「……薬効はありました」


「味は?」


「とても苦かったです」


「ダメじゃないですか」


 思わずスコルが突っ込むと、エマは吹き出した。


「でも、本人は真剣なんですよ?

“次は絶対に美味しくする!”って」


 そのとき、奥の部屋から小さな声が飛んできた。


「聞こえてるよ、お姉ちゃん!」


 どうやらサラに聞かれていたらしい。


 エマは「あら」と口元を押さえ、スコルは思わず笑ってしまった。


 するとフェルが、頭の中でぽつりと呟く。


『ほう。薬学の知識を独学で身につけるとは、なかなか見どころがあるな』


 スコルは心の中で頷きながら、改めてサラの凄さに感心するのだった。



「では、そろそろ狩りに戻りますね」


 そう言ってスコルが立ち上がると、エマは少しだけ迷うように視線を揺らしたあと、柔らかく微笑んだ。


「……よければ、明日のお昼も、うちで食べませんか?」


「――ほんとですか!?」


 スコルは思わず身を乗り出した。


 あまりにも勢いよく反応したせいで、椅子ががたんっと大きな音を立てる。


「あっ……」


「ふふっ」


 エマは思わず吹き出した。


「そんなに驚かれるとは思いませんでした。それじゃあ……明日も、パンを焼いて待ってますね」


「は、はい! ぜひ!」


 そして最後にぺこりと頭を下げると、


「助かります!」


 と満面の笑みで言い、家をあとにした。


 外へ出た瞬間、フェルが呆れ混じりに呟く。


『お主、ワシと初めて出会った時より顔が緩んでおったぞ』


「し、仕方ないだろ……!」


 スコルは赤くなった顔を隠すように、逃げるような足取りで山へ向かっていった。



 それから五日後のことだった。


 いつものようにエマの家で昼食をご馳走になり、スコルが山へ向かおうとした、その時――。


『……!? なにか来るぞ!!』


 突然、フェルの鋭い声が頭の中に響いた。


 スコルは反射的に顔を上げる。


「もしかして……!」


『奴だ。カゼカマイタチだ!』


 その言葉と同時に、遠くの木々の間を、白い影が駆け抜けるのが見えた。


 雪のような銀白色。


 間違いない。


「っ!」


 スコルはすぐに踵を返し、エマの家へ駆け戻った。


 勢いよく戸を開ける。


「白い狐――カゼカマイタチが現れました!

戸締まりをして、絶対に外へ出ないでください!」


「えっ……!?」


 エマとミアの表情が一気に強張る。


「サラちゃんも中へ!」


「う、うん!」


 サラが慌てて家の奥へ駆け込むのを確認すると、スコルは再び外へ飛び出した。


 そして、白い影がいた方角へ視線を向ける。


 ――だが。


「……いない?」


 先ほどまで確かに見えていたはずのカゼカマイタチの姿が消えていた。


 風だけが、ざわりと木々を揺らす。


 スコルは剣に手をかけ、慎重に周囲を見回した。


『気を抜くな……』


 フェルの声が低く響く。


『奴は速い。それに、獲物を狩る時は姿を隠しながら間合いを詰める習性がある』


 その瞬間。


 ――ヒュンッ!!


 鋭い風切り音。


 スコルは咄嗟に身体を捻った。


 次の瞬間、背後の木が斜めに切り裂かれ、ゆっくりと倒れ始める。


「っ……!」


 スコルの額に、一筋の汗が流れた。


 茂みが揺れた。


 次の瞬間、雪のように白い影が地を滑るように飛び出してくる。


 カゼカマイタチ。全身に風刃をまとった、高速で襲いかかる魔物だ。

 しかも目の前にいるのは、珍しいアルビノ個体。


 細長い身体がしなるたび、見えない刃が空気を裂く。


 スコルはすぐに腰を落とし、剣を構えた。


「――牙王疾風ファングロード・ゲイル!」


 足元に風が巻き起こる。


 一瞬で身体が軽くなり、景色が流れた。


 直後、カマイタチの爪がスコルのいた場所を切り裂く。


 速い。


 並の魔物とは比べものにならない。


 カゼカマイタチは着地と同時に向きを変え、再び突っ込んできた。


 横薙ぎの風刃。


 スコルは身体をひねって回避する。


 だが避けきれず、頬が浅く裂けた。


 ひりつく痛み、それでも視線は外さない。


 『――毛皮は傷つけるでないぞ。狙うは首だけだ』


 フェルが念を押す。


 白いカゼカマイタチの毛皮は超が付くほどの高級素材だ。胴を切れば価値が下がる。


 だから首だけを狙わなければならない。だが、その首が厄介だった。絶えず揺れ、止まらない。


 スコルはスキルで円を描くように駆け、側面へ回り込む。


 カゼカマイタチの黒い瞳が、ぴたりと追ってくる。


 次の瞬間――魔物が跳んだ。


 真上。


 スコルは後ろへ逃げなかった。逆に前へ踏み込む。カマイタチの懐へ飛び込んだ。


 予想外の動きだったのか、魔物の身体が空中でわずかにぶれる。


 その瞬間。剣が閃く。狙うのは、風刃の薄い喉元。


 刃が毛並みを裂き、確かな手応えが返ってきた。


 だが、致命傷には浅い。


 カマイタチはすぐに距離を取り、低く唸った。


「……速いな」


 スコルは息を整えながら、魔物を見据える。


 そのときだった。


 三度目の攻撃をかわした直後、スコルは違和感に気づく。


「……あ」


『気づいたか? 奴は跳びかかる直前、ほんの一瞬だけ動きが止まる』


 ほんの刹那。四肢に力を溜めるための、小さな静止。流れるような動きの中に生まれる、わずかな隙。おそらく本人すら気づいていない癖。


 ――そこだ。


 スコルは呼吸を整え、タイミングを待った。


 カマイタチが再び駆ける。風刃が空気を裂き、外套の裾をかすめた。


 黒い瞳が細まる。


 そして――止まった。


「今だ!」


 牙王疾風ファングロード・ゲイルを発動。


 スコルは一気に踏み込む。


 カマイタチが跳ぶ。


 その軌道の内側へ、真正面から飛び込んだ。


 空中の魔物が、わずかに反応を遅らせる。


 首が無防備に晒された。


 十分だった。


 剣が鋭く走る。


 刃は正確に喉元を切り裂いた。


 カゼカマイタチは甲高い悲鳴を上げ、地面へ落ちる。


 四肢が痙攣し――やがて動かなくなった。


 スコルはゆっくり膝をつき、息を吐く。


 銀白色の毛並みは、首元以外は傷ついていない。


「……癖を読めてよかった」


 額の汗を拭いながら、スコルは小さく呟いた。



『見事だ、スコル!』


 フェルの声が響く。


 スコルは肩で息をしながら、倒れたカゼカマイタチを見下ろえた。


「こんな大物を……僕が倒したなんて、まだ信じられないよ」


『ふむ。小物とはいえ、数百もの魔物を狩ってきたからな。

積み重ねた経験が、ちゃんと力になっておるということだ』


「危なかったけど……倒せてよかったぁ」


 スコルは安堵したように息を吐き、カゼカマイタチの巨体へ近づいた。


「これ……持てるかな?」


 そう呟きながら、マナを巡らせる。


 筋肉強化。


 身体の内側から力が湧き上がり、腕に熱が宿る。


「――よっ!」


 スコルはカゼカマイタチを肩へ担ぎ上げた。


 ずしりと重い。だが、持ち上がらないほどではない。


「うん、これなら町まで運べそうだ」


 そう言って、スコルは魔物を担いだままエマの家へ向かった。


 家の前へたどり着くと、大きく声を張り上げる。


「もう大丈夫ですよー!」


 すると、ゆっくりと扉が開き、ミアが恐る恐る顔を覗かせた。


 そして、スコルの肩に担がれた巨大な白い魔物を見た瞬間、目を見開く。


「ほ、本当に倒したのかい!?」


 その声に反応して、エマとサラも家から飛び出してきた。


「スコルさん、すごいです……!」


「スコルお兄ちゃんすごーい!!」


 二人は驚きと尊敬の入り混じった目でスコルを見上げる。


 その反応に、スコルは少し照れくさそうに頭をかいた。


「ありがとうございます。

でも、この魔物、かなり高く売れるみたいなんで……助かったのは、むしろ僕の方ですよ」


「いやいや、それでも村を守ってくれたことには変わりないよ。本当にありがとう」


 ミアは何度も頭を下げた。


 スコルは慌てて手を振る。


「そ、そんな、大げさですよ」


 そう言いながらも、少し誇らしげだった。


「それじゃ、こいつを町へ売りに行ってきます。

明日からは、ゴブリンの調査を始めますね」


 そう告げると、スコルは再び町へ向かって歩き出した。


 山道を進みながら、ふと思い出したように口を開く。


「そういえば、カゼカマイタチと戦ってる時、遠くにゴブリンがいた気がしたんだけど……」


『お主も気づいておったか』


 フェルが低く答える。


『ここ数日、奴らは時折姿を見せては、お主の様子を窺っておった』


「へぇ……そうだったんだ」


 スコルはあまり深刻そうでもなく頷いた。


 だが、フェルの声は重かった。


『この村は、カゼカマイタチの縄張りであると同時に、ゴブリンどもの縄張りでもあるのだろう』


『そして、その均衡が崩れた』


「均衡……?」


『カゼカマイタチという強者が消えた今、奴らは動き出すかもしれぬ。縄張りを奪うためにな』


 フェルの言葉に、スコルの表情が引き締まる。


 山を吹き抜ける風が、どこか不穏に感じられた。


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