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クエスト

 無事に引っ越しを終え、エマ、サラ、ミアとの正式な同居生活が始まった翌日。


 スコルの姿は、ハヌン西支部の冒険者ギルドにあった。


 掲示板の前に立ち、並べられた依頼書を一枚ずつ確認していく。


 だが、その表情は次第に曇っていった。


「討伐依頼で報酬が銅貨三十枚……。やっぱり鉄級スチールで受けられる仕事って、こんなものなんだね……」


 期待していたほどの依頼は見当たらない。


 薬草採取、荷物運び、街道の見回り――どれも駆け出し向けの仕事ばかりだった。


『これでは経験値も雀の涙だな。金にもならんし、レベル上げにもならぬ』


 フェルが呆れたように言う。


『やはり当面は父君の救出を優先すべきだろう。父君の件が片付いてから、改めて冒険者稼業に力を入れればよい』


「そうだね……」


 スコルは小さく頷いた。


 彼には、ダンジョン詐欺に遭い、どこかで奴隷として働かされているであろう父を救い出すという目的がある。


 しかし、鉄級スチールで受けられる依頼はあまりにも小粒だった。


 この程度では実戦経験も積めず、資金も集まらない。



「ところで、どれくらいの強さになったら父さんを助けに行く予定なんだ?」


 スコルが尋ねると、フェルは少し考えてから答えた。


『最低でも白金級プラチナ相当の実力は必要だな』


白金級プラチナ!? それってレベル六百以上じゃなかった?」


 スコルは思わず声を上げた。


『うむ。奴隷商人どもは、用心棒として上級の金級ゴールド冒険者を雇っていることが珍しくない。一人で乗り込むつもりなら、それくらいの力は必要になる』


 この世界の冒険者は、鉄級スチールを初級、銅級ブロンズ銀級シルバーを中級、金級ゴールド白金級プラチナを上級として扱う。


 さらにその上には、聖金級セイント――通称“S級冒険者”と呼ばれる特級が存在している。


 つまり、フェルが求めているのは上級冒険者に匹敵する実力ということになる。


「半年で白金級プラチナレベルまで行けるかな……」


 スコルは不安そうに呟いた。


『ふむ。当初は半年ほどかかると見ておったが――』


 そこでフェルは意味深に笑った。


『お主なら三か月で到達できるかもしれぬぞ』


「三か月!?」


 スコルは目を丸くした。


「それって、とんでもなく厳しい訓練になるんじゃないの!?」


『当然だ。楽をして強くなれるほど、世の中は甘くないからな』


 フェルはそう言うと、少し間を置いて続けた。


『だが、せっかく冒険者になったのだ。一つくらいクエストをこなしてみるのもよかろう。実際に経験してみれば学ぶことも多い』


「そうだね。それじゃあ、何かやってみようか」


 スコルは再び掲示板へ目を向けた。


 しばらく依頼書を眺めていると、一枚の紙が目に留まる。


「フェイドマウスの駆除か。これなんてどうかな?」


 スコルは依頼書を指差した。


「十体駆除で達成扱いになるみたいだし、百体倒せば十案件分の実績になるらしいよ」


『ほう、小麦畑を荒らす害獣の駆除か。悪くないな』


 フェルも賛同する。


 しかし、報酬額を見たスコルは顔をしかめた。


「報酬は銅貨五枚……。さすがに少なすぎない?」


『確かにな。しかし小麦は街の住民にとって重要な食料だからな。半ば公共事業のようなものなのだろう』


 フェルは依頼書を眺めながら言った。


『もっとも、フェイドマウスは素材として売れる。数を狩れば、それなりの稼ぎにはなるはずだ』


「なるほど。じゃあ、この依頼にしよう」


 そうしてスコルは依頼書を受付へ持っていった。


 小麦が青々と成長し始める季節になると、畑には厄介な害獣が現れる。


 フェイドマウス。


 柔らかな新芽を食い荒らし、畑を掘り返しては農家たちを悩ませる鼠型の魔物である。


 その駆除依頼を受けたスコルは、街の東方に広がる一面の小麦畑へと足を向けた。



「これはすごいね……」


 スコルは思わず感嘆の声を漏らした。


 眼前には、見渡す限りの小麦畑が広がっていた。


 初夏の風に揺れる若い麦穂は、まるで緑色の大海原のようだ。


『すぐそこにフェイドマウスがおるが、わかるか?』


 フェルが言った。


「えっ!?」


 スコルは慌てて辺りを見回した。


 しかし、どこを見ても風に揺れる小麦しか見えない。


「いや、全然わからないんだけど……」


『フェイドマウスの体毛は薄茶色でな。大きさは小型犬ほどしかない。動きも鈍く、見つけてしまえば簡単に駆除できる魔物だ』


 フェルはそう説明した後、少し声を低くした。


『だが、奴らは厄介なことに擬態のスキルを持っている。さらに気配を消すのも得意だ。こうして小麦畑に潜まれると、慣れておらぬ者にはまず見つけられん』


「擬態かぁ……」


 スコルは目を凝らして畑を観察する。


 だが、どれが小麦でどれが魔物なのか、まったく見分けがつかなかった。


「うん、さっぱりわからないや」


『よく見ろ。あの穂だけ風の流れと動きが違う』


 フェルに言われ、スコルは目を凝らした。


「……あっ、本当だ!」


 よく見ると、一か所だけ小麦の揺れ方が不自然だった。


 スコルはそっと近づく。


 すると、周囲の景色に溶け込むように身を潜めている奇妙な影を見つけた。


「こいつか!」


 スコルは素早く剣を突き出した。


 次の瞬間、


「チュギィッ!」


 という短い悲鳴とともに、薄茶色の体毛を持つフェイドマウスが姿を現した。


『うむ、その調子だ。そこにも一匹おるぞ』


 フェルが別の方向を示す。


「ほんとだ!」


 スコルは駆け寄り、今度も難なく仕留めた。


 どうやらフェルは、フェイドマウスが発する微弱な気配まで察知できるらしい。


 その索敵能力は驚異的だった。


『あそこだ』


「いた!」


『次は左だ』


「見つけた!」


 フェルの指示に従い、スコルは次々とフェイドマウスを駆除していく。


 最初こそ見つけるのに苦労していたが、数をこなすうちにスコル自身も少しずつコツを掴み始め、

気がつけば、討伐したフェイドマウスの数は二百体を優に超えていた。


「思ったより狩れたね」


 スコルが額の汗を拭った、その時だった。


 ふと街道へ目を向けると、一人の少年が道端に座り込んでいるのが見えた。


 様子がおかしい。


 よく見ると、少年は足を押さえて苦しそうな表情を浮かべている。


「怪我をしてるのか?」


 スコルは急いで駆け寄った。


「大丈夫? どうしたの?」


 声をかけると、少年は顔を上げた。


「あ、はい……」


 少年は痛みに顔をしかめながら答えた。


「さっき馬車を避けようとして転んでしまって……その時に足を怪我したんです」


 見ると、少年の足首は赤く腫れ上がり、ところどころ皮膚が擦りむけて血が滲んでいた。


「血が出てるじゃないか……。ちょっと待ってて」


 スコルはそう言うと、インベントリからポーションを取り出し、少年の足首へそっと振りかけた。


 みるみるうちに腫れが引いていく。やがて傷口も塞がり、痛みは跡形もなく消え去った。


「い、いいんですか!? こんな高価なものを使っちゃって!」


 少年は目を丸くして叫んだ。


「別にいいよ。さっき魔物をたくさん倒したからね」


 スコルは気軽に答えた。


「お兄ちゃん、冒険者なの?」


「そうだよ。まだ駆け出しだけどね」


 そう言ってスコルは笑った。


「ところで、家は近いの?」


 スコルが尋ねると、少年はこくりと頷いた。


 話を聞くと、名はカイロ。九歳になる少年で、西へ徒歩で二時間ほど離れたペティット村からやって来たという。


 目的は、『百夜不倒ひゃくやふとう』という薬を買うためだった。


 しかし、原材料の不足により生産が滞っているらしく、ハヌン中の薬屋を回っても見つけることができなかったそうだ。


「そっか……。せっかく来たのに残念だったね」


 スコルが気の毒そうに言うと、フェルがふと思い出したように口を開いた。


『サラがその薬を持っておるのではないか? 百夜不倒ひゃくやふとうは、百夜喘ひゃくやぜんの治療薬だからな』


(そうなの?)


 スコルは心の中で問い返した。


『うむ。百夜喘ひゃくやぜんは、エマが患っていた病だ』


 フェルの言葉を聞き、スコルは思わず目を見開いた。


 エマは幼い頃から身体が弱く、何度も百夜喘ひゃくやぜんを患っていた。


 百夜喘ひゃくやぜんとは喘息の一種で、薬を服用し、しばらく激しい運動を控えていれば悪化することは少ない。しかし、一度症状が重くなると薬なしでは呼吸もままならなくなり、最悪の場合は命を落とすこともある恐ろしい病だった。


「薬は、今すぐ必要なの?」


 スコルが尋ねると、カイロは不安そうな表情で頷いた。


「はい……。家に残っている分ももう少なくて。それに、お母さん、ここ最近ずっと具合が悪いんです」


 その声には、母親を心配する気持ちが滲んでいた。


「そっか……」


 スコルは少し考え込む。


 するとフェルが言った。


『サラが持っておる薬があったはずだ。もし残っていれば譲ってやれるだろう』


 スコルは顔を上げた。


「それなら――ここで少し待っていてくれれば、薬を用意できるかもしれないけど、どうする?」


「待ちます!」


 カイロは即答し、その瞳には、希望の光が宿っていた。


「よし。じゃあ薬を取ってくるから、ここで待っててね」


「はい!」


 元気よく返事をするカイロを残し、スコルは家へ向かって駆け出した。



 家へ戻ると、サラがほうきを片手に掃除をしていた。


「サラちゃん、百夜不倒ひゃくやふとうって、まだ持ってる?」


 スコルが尋ねると、サラは首を傾げた。


百夜不倒ひゃくやふとう? あの薬のこと?」


「そうそう」


「持ってないけど……。どうしたの?」


 意外な返事に、スコルは目を丸くした。


「えっ!? エマちゃんの病気って百夜喘ひゃくやぜんだよね?」


「そうだよ?」


「だったら百夜不倒を飲んでるんじゃないの?」


 するとサラは苦笑した。


「違うよ。うちは清肺湯せいはいとうを使ってるの」


清肺湯せいはいとう?」


「うん。百夜喘にもちゃんと効く薬だよ。材料から作るなら百夜不倒より安く作れるんだ。それに薬効もほとんど同じだからね」


「そうなんだ」


 スコルは感心したように頷いた。


「それで、その清肺湯って余ってたりする?」


 そう尋ねると、スコルはカイロと出会ったことや、病気の母親のために薬を探していることをサラへ説明した。


 話を聞き終えたサラは、すぐに笑顔になった。


「それなら大丈夫! 清肺湯ならたくさん作り置きがあるから、持っていっていいよ!」


「本当!?」


「うん! ちょっと待っててね。今持ってくるから!」


 そう言うと、サラはぱたぱたと軽い足取りで奥の部屋へ駆けていった。


 スコルはその背中を見送りながら、カイロに良い知らせを届けられそうだと胸をなで下ろした。



 しばらくすると、サラが小さな紙袋を抱えて戻ってきた。


「はい、これ!」


 そう言って差し出された袋の中には、清肺湯せいはいとうが包まれた紙がぎっしりと詰まっていた。


「うわっ、こんなにたくさん!?」


 スコルは思わず目を丸くした。


「これだけあれば、きっと安心するよ」


 しかし、その直後、サラは何かを思い出したように首を傾げた。


「あっ、でも念のため確認してほしいことがあるんだけど……」


「なに?」


「お母さんの病気、本当に百夜喘ひゃくやぜんなんだよね?」


「え?」


百夜不倒ひゃくやふとうは百夜喘にも三月咳みつきぜきにも効くんだけど、清肺湯せいはいとうは百夜喘にしか効かないんだよ」


その言葉に、スコルははっとした。


「そういえば……病名までは聞いてなかったな」


「だったら確認したほうがいいと思う」


「うん、そうするよ。ありがとう、サラちゃん」


 スコルは薬の袋を受け取ると、礼を言って家を飛び出した。


 カイロのもとへ戻ると、少年は言われた通り、その場で大人しく待っていた。


「お待たせ。薬を持ってきたよ」


 スコルがそう言うと、カイロの顔が明るくなった。


「本当ですか! ありがとうございます!」


 何度も頭を下げるカイロに、スコルは苦笑しながら尋ねた。


「それで確認したいんだけど、お母さんの病気って百夜喘ひゃくやぜんで間違いないんだよね?」


 するとカイロは困ったような顔になった。


「うーん……たぶんそうだと思うんですけど……」


「病名は聞いてない?」


「はい……。お母さんが苦しそうに咳をしていたのは知ってるんですけど……」


 自信なさそうに俯くカイロ。


 その時、フェルが口を開いた。


『まだ九歳の子供だ。病名まで把握しておらぬのも無理はない』


(そうだね)


『ペティット村はここからそう遠くない。送ってやって、そのついでに親御さんへ直接確認すればよいのではないか?』


(うん。それが一番確実だね)


 スコルは頷くと、カイロに向き直った。


「病気の名前を確認したいから、家まで送っていくよ」


「えっ、本当ですか!?」


「その代わり――これから見ることは秘密だからね」


 カイロは不思議そうな顔をしながらも、こくりと頷いた。


 スコルは少年を背中へ乗せると、静かにスキルを発動した。



「――牙王疾風ファングロード・ゲイル


 次の瞬間、風が弾ける。


 スコルの身体は疾風と化し、街道を駆け抜けた。


 やがて到着したペティット村は、小麦畑に囲まれた小さな農村だった。


 村に建つ家は十軒ほど、のどかな景色が広がっている。



「ここが僕の家です」


 カイロはそう言って、スコルを家の中へ案内した。


 家の中へ入ると、簡素な寝室のベッドで、一人の女性が横になっていた。顔色は悪く、ときおり苦しそうな咳を漏らしている。


「お母さん」


 カイロが駆け寄る。


「どうしたんだい?」


 母親はゆっくりと身を起こした。


「このお兄ちゃんがね、お母さんの病気のことを知りたいんだって」


 その言葉を聞いて、母親は不思議そうな顔でスコルを見た。


「どちら様ですか?」


「初めまして。僕はスコルといいます」


 スコルは軽く頭を下げた。


「確認したいのですが、お母さんの病気は百夜喘ひゃくやぜんで間違いありませんか?」


「ええ、そうですが……」


 女性はそう答えると、小さく咳き込んだ。


 その返事を聞いて、スコルはほっと胸を撫で下ろした。


「よかった……」


「よかった?」


 母親が首を傾げる。


「実は、カイロ君から薬を探していると聞いたんです。でも、もし別の病気だったら使えないかもしれないので、確認したかったんですよ」


 そう言って、スコルは持っていた紙袋を差し出した。


「これは清肺湯せいはいとうです。百夜不倒ひゃくやふとうと同じ効果があります。よかったら使ってください」


 母親は紙袋を受け取ると、中を覗き込んだ。


 そして、その量を見て目を見開く。


「せ、清肺湯せいはいとうを……こんなにたくさん?」


 信じられないというように袋とスコルを見比べる。


「本当に、いただいてもいいんですか?」


「もちろんです。うちで余っていたものですから」


 すると、カイロが嬉しそうに口を挟んだ。


「それだけじゃないんだよ! お兄ちゃん、僕の足の怪我も治してくれたんだ!」


「えっ……?」


 母親は驚いて息を呑んだ。


 改めて見ると、カイロの足には怪我の跡すら残っていない。


「本当なのかい?」


「うん!」


 元気よく頷くカイロ。


 母親の目にはうっすらと涙が浮かんだ。


「なんとお礼を言ったらいいか……」


 そう言ってベッドから起き上がると、深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございます。薬までいただいて、そのうえ息子まで助けてくださって……」


 スコルは慌てて手を振った。


「そんな、大したことじゃありませんよ」


 しかし、その言葉とは裏腹に、母親の感謝は尽きることがなかった。



「あっ、おじいちゃん!」


 カイロが声を上げた。


 スコルが振り返ると、入り口には畑仕事の帰りだろうか、土の付いた鍬を肩に担いだ年配の男性が立っていた。


 祖父は見慣れないスコルの姿を見て、不思議そうに目を細める。


「どちら様ですかな?」


 するとカイロが嬉しそうに駆け寄った。


「このお兄ちゃんね、冒険者なんだ! お母さんの薬を持ってきてくれたんだよ!」


「ほう、それは……」


 祖父は驚いたように目を見開き、スコルへ向き直った。


「薬をくださったのですか。それは本当にありがとうございます」


 そう言って、深々と頭を下げる。


「いえ、困っていると聞いたので」


 スコルは少し照れくさそうに答えた。


 祖父は顔を上げると、改めてスコルを見つめた。


「しかし、まだお若いように見えますな。本当に冒険者様なのですか?」


「はい。まだ駆け出しですけど」


 スコルが苦笑しながら答えると、男性は感心したように何度も頷いた。


「その歳で人助けのためにわざわざ村まで来てくださるとは……。立派なお方ですな」


 その言葉に、スコルはますます気恥ずかしくなり、頭をかいた。



「ところで、冒険者様」


 しばらく談笑した後、祖父がふと思い出したように口を開いた。


「最近、この近くの森で鰐の魔物が目撃されるようになったのですが、何かご存じありませんかな?」


「鰐の魔物ですか?」


 スコルは首を傾げた。


 その時、フェルが驚いたような声を上げた。


『鰐型の魔物だと? それは妙だな』


(妙って?)


『鰐型の魔物は本来、大陸の南方にしか生息しておらぬ。この辺りで見かけることなど、まずあり得ん』


 スコルは少し気になり、祖父へ視線を戻した。


「僕は何も聞いていません。でも、やっぱり珍しいことなんですね」


「ええ」


 祖父は重々しく頷いた。


「私は生まれた時からこの辺りで暮らしておりますが、そんな魔物を見たのは初めてです。村の者たちも皆、不思議がっております」


『一度も見たことがない、か……』


 フェルは何か考え込むように呟いた。


『少々気になるな。何らかの異変が起きている可能性もある。詳しい場所を聞いてみてくれぬか』


「もしよければ、その魔物が現れた場所を教えてもらえませんか? 少し調べてみたいんです」


 祖父は驚いたような顔をしたが、すぐに頷いた。


「それは助かりますな」


 そう言うと、村の北側を指差した。


「この村を北へ進み、小麦畑を抜けた先に森があります。その森のさらに奥です」


「森の奥ですか」


「ええ。村人たちは怖がって近づこうとしませんが、何人かが確かに目撃しております」


 祖父の表情には、不安の色が浮かんでいた。


 スコルは北の森へ目を向ける。


『面白くなってきたな』


 フェルが意味深に呟く。


 その声を聞きながら、スコルは胸の奥に小さな違和感を覚えていた。


 この辺りにいるはずのない魔物が、なぜそんな場所に現れたのだろうか――。



 スコルは村を後にし、小麦畑の間を抜けて森へと足を踏み入れた。


 木々が生い茂る森の中は薄暗く、昼間だというのにひんやりとした空気が漂っている。


「さっき面白いって言ってたけど、何かわかったの?」


 スコルが尋ねると、フェルは少し間を置いて答えた。


『まだ断定はできぬ。だが、誰かが故意に放したのでないとすれば、可能性は一つしかあるまい』


(可能性って?)


 スコルが聞き返そうとした、その時だった。


 ガサリ――。


 前方の茂みが大きく揺れた。


 次の瞬間、全身を鋭い針のような棘で覆った巨大な鰐が姿を現した。


「なっ!? なんだこいつ!?」


 魔物は低いうなり声を上げながら、黄色い目でスコルを睨みつけている。


『ハリゲーターだな』


 フェルは落ち着いた声で言った。


『大して強い魔物ではない。しかし、やはり妙だ。この魔物は本来、この地方には生息しておらぬ』


「やっぱり珍しい魔物なんだ」


『うむ』


 スコルは剣に手をかけながら尋ねた。


「じゃあ、なんでこんなところにいるんだ?」


 フェルは確信を得たような口調で答えた。


『こんな森でハリゲーターを放し飼いにする酔狂な者でもおらぬ限り、答えは一つだ』


 一拍置いて、フェルは言った。


『おそらく近くに迷宮ダンジョンがある』


迷宮ダンジョンが!?」


 スコルは思わず声を上げた。


 迷宮――それは魔物や財宝を生み出す未知の領域。


『おそらく最近になって、この地に出現したのだろう』


 フェルの声には確信が混じっていた。


『迷宮から溢れ出た魔物が、この森を徘徊していると考えれば辻褄が合う』


 スコルはハリゲーターを見据えながら、ごくりと唾を飲み込んだ。


 もしフェルの推測が正しければ――。


 この森の奥には、まだ誰にも発見されていない迷宮が眠っていることになるのだから。 


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