冒険者
店主が店の奥から戻り、代金の入った袋を差し出した。
スコルはそれを受け取ると、雷、氷、火、風の中級魔法の魔導書と、中級剣術の奥義書を注文した。
「中級は一冊につき銀貨三十枚ですので、五冊で金貨三枚になりますが、よろしいでしょうか?」
「お願いします」
スコルが迷わず頷くと、店主は、五冊の魔導書と奥義書を運んできた。
初級のような紙切れ一枚とは違い、中級はどれも重厚な装丁が施され、本と呼ぶにふさわしい厚みを備えていた。
代金は魔石の売却額から差し引いてもらい、最終的にスコルの手元には金貨三十八枚、銀貨二十九枚、銅貨四十枚が残った。
ちなみに、金殻変異種の魔石だけで金貨五枚の値が付いた。
代金を受け取ったスコルは、今度はゴブリンたちの亡骸を回収するため、再びゴブリン村へと向かった。
まずは周囲に散らばる四十体ほどのゴブリンを手際よく回収し、町の解体屋へ持ち込んで売却する。
そして再び村へ戻り、残されていたゴブリンたちの亡骸に加え、ゴブリンキングとゴブリンシャーマンの遺体も回収した。
それらをまとめて町の解体屋へ運び込むと、店主は目を丸くした。
「お、おい……こいつぁゴブリンキングじゃねえか!」
巨大な亡骸を見上げながら、店主が驚きの声を上げる。
「ホティ、おめえ本当に大したもんだな。その歳でゴブリンキングを狩っちまうとは……」
感心したように何度も頷きながら、店主は査定を進めていった。
結果、ゴブリンキングには銀貨十枚、ゴブリンシャーマンには銀貨三枚の値が付いた。
代金を受け取ったスコルは、少し言いにくそうに口を開いた。
「実は、近いうちに遠くへ行くことになったんです。だから、魔物の解体をお願いするのも、これが最後になるんです」
「なんだって!? そういや、おめえは見習いとして各地を回りながら修行してるって言ってたな」
店主は腕を組み、どこか懐かしそうに笑った。
「最初に拳聖様の名前を出された時は、正直どうしたもんかと思ったが……。今じゃ分かるぜ。これだけの魔物を狩れるんだ。おめえなら、きっと大物の冒険者になれる」
その言葉には、商売相手に向けるものではない、年長者としての温かな期待が込められていた。
「ありがとうございます。今までお世話になりました」
スコルは深く頭を下げる。
「ああ、達者でな。いつか有名になったら、この店のことも思い出してくれよ」
「はい!」
そうしてスコルは解体屋を後にした。
背中に向けられた店主の視線は、店の扉を閉めた後もしばらく続いていた。
その後、スコルは万屋へと向かった。
目的は二つあった。ガラクタの山で見つけた短剣を売ること。そして、世話になった店主へ最後の挨拶をすることだ。
店に入ると、店主がすぐに気づいて顔をほころばせた。
「おお、ホティ殿ではありませんか。いらっしゃいませ」
店主はスコルの姿を見て目を細める。
「魔法剣士になられたようですな。この短期間で、ずいぶん逞しくなられました」
「はい。いろいろありまして」
スコルは苦笑しながら頷いた。
「実はゴブリン退治をしていたんですが、その時にゴブリンたちが集めていたガラクタの中から、こんなものを見つけたんです」
そう言って一本の短剣を取り出し、カウンターの上に置いた。
「これは買い取ってもらえますか?」
店主は短剣を手に取り、興味深そうに眺めた。
「ほう……ゴブリンの収集品ですか」
刃には錆が浮き、柄にも長い年月を感じさせる傷みがある。
「かなり古い品のようですな。しかし状態は思ったほど悪くない。どこかの沼地にでも沈んでいたのでしょうか」
そう呟くと、店主は鑑定スキルを発動させた。
しばらく刃を見つめていたが、やがて驚いたように目を見開く。
「これは……なかなかの業物ですな」
店主は感心したように何度も頷いた。
「こちらは買取をご希望で?」
「そうです。でも、こんなに錆びてますし、高くはならないですよね?」
「いえ、買取は可能です。しかし、このままでは査定額はかなり下がってしまいます」
そう言うと、店主は短剣を丁寧にカウンターへ置いた。
「それよりも、ご自身で使われてはいかがでしょう。この短剣はペテル時代に作られた名品です。長い年月を経ているため錆はありますが、刃こぼれも亀裂も見当たりません。鍛冶屋に持ち込めば、十分実戦で使えるようになるでしょう」
『うむ。かなりの業物だ。余裕があるなら修復して使うのも悪くない』
フェルも賛同する。
スコルは改めて短剣を手に取った。
古びてはいるが、不思議と手に馴染む。
「そうですか。店主がそこまで言うなら、鍛冶屋に直してもらって使ってみようと思います」
「それがよろしいでしょう。こうした名品は、売るより使ってこそ価値がありますからな」
スコルはそれを聞いて、短剣を大事そうにインベントリへ収めた。
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいます」
「ええ。それがその短剣にとっても一番幸せでしょう」
店主は満足そうに頷いた。
そしてスコルは、少しだけ言葉を選ぶように間を置き、それから口を開いた。
「それと、今日はもう一つお話があって来たんです」
「ほう、何でしょう?」
「実は、近いうちに、遠くへ旅立つことになりました。だから、お世話になった皆さんに挨拶をして回っているんです」
その言葉に、店主は少し驚いたような表情を浮かべた。
「そうでしたか……。確かに、ホティ殿ほどの才能をお持ちなら、この小さな町に留まる器ではありませんからな」
「そんな大したものじゃありませんよ」
スコルが照れ臭そうに笑う。
「いえいえ。初めてお会いした頃は、まだ職業の洗礼すら受けておられませんでした。それが今では魔法剣士となり、ゴブリン村まで討伐されるとは……。人の成長というのは実に早いものですな」
店主はどこか感慨深げに目を細めた。
「ホティ殿なら、きっと立派な冒険者になられるでしょう。旅先でもどうかご無事で」
「ありがとうございます。店主さんには本当にお世話になりました」
スコルは深々と頭を下げた。
すると店主は穏やかに微笑んだ。
「こちらこそです。またいつの日か、この町へ戻られた時は、ぜひ顔を見せてください」
「はい。その時はもっと強くなって帰ってきます」
「楽しみにしておりますよ」
店主の言葉を胸に、スコルは万屋を後にした。
扉を閉める直前、店主が小さく手を振っているのが見えた。
スコルもまた笑顔で手を振り返し、町の外へ向けて歩き出した。
『もういいのか?』
フェルが尋ねた。
「うん。この町の人たちは、みんないい人だったね」
スコルはそう言って、ストライザードの町を振り返った。
初めてこの町を訪れた時は、荒くれ者の多い、どこか近寄りがたい場所だと思っていた。
だが、実際には違った。
解体屋の店主は親身になって面倒を見てくれた。
万屋の店主は様々なことを教えてくれた。
そして、それ以外にも多くの人々が温かく接してくれた。
短い滞在だったはずなのに、この町には数え切れないほどの思い出ができていた。
『どこの町も、人も同じよ。見た目だけでは分からぬものだ』
フェルが静かに言う。
「そうだね」
スコルは小さく頷いた。
夕陽に染まる石造りの街並みを目に焼き付ける。
もう戻ってくることはないかもしれない。
だが、この町で過ごした日々を忘れることはないだろう。
「行こうか」
『うむ』
そうしてスコルは踵を返し、新たな旅路へと歩き出した。
背後でストライザードの町が少しずつ遠ざかっていく。
それは別れであると同時に、新たな冒険の始まりでもあった。
それから、スコルは家に着くなり、勢いよく戸を開けた。
「エマちゃん! 形見の腕輪が見つかったよ!」
その声を聞いたエマが、驚いたように顔を上げた。
「ほ、本当ですか!?」
そう言うなり、エマは駆け寄ってくる。
「たぶんこれだと思う。中までは確認してないから、一応見てみて」
スコルはそう言って、縮界の腕輪を差し出した。
エマは震える手で腕輪を受け取る。
「これです……! 間違いありません!」
その声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
「ありがとうございます、本当にありがとうございます!」
何度も頭を下げながら礼を言うと、エマは急いで腕輪の中身を確認し始めた。
しばらくして、エマの表情がぱっと明るくなる。
どうやら中身は無事だったらしい。
大切な品も、思い出の品々も、一つも失われてはいなかった。
「よかった……」
エマは胸の前で腕輪を抱きしめるように握りしめた。
張り詰めていたものが一気にほどけたのだろう。
その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいたが、その顔には安堵の笑みが広がっていた。
『ハヌンへ引っ越すことは、まだ話さぬのだな?』
フェルが尋ねた。
(うん。明日ハヌンへ行って、本当に家を買えたら話すつもりだよ)
スコルは答えた。
(まだ住む場所も決まっていないのに、「一緒に来てほしい」なんて言えないからね)
『ふむ。それもそうだな』
フェルは納得したように頷いた。
三人の了承を得たとしても、家が見つからなければ意味がない。
まずはきちんと生活の基盤を整えることが先だ。
スコルは窓の外へ目を向けた。
エマたちと新しい生活を始めるためにも、必ず良い家を見つけなければならない。
そんなことを考えながら、その日は早めに床についた。
そして翌朝――。
まだ朝露の残る早朝、スコルは誰よりも早く家を出ると、ハヌンへ向けて駆け出した。
やがて視界の先に、大きな湖が見えてきた。
その湖畔には、巨大な大都市が広がっている。
ハヌンだ。
『今回はマナ切れにならなかったようだな』
フェルが感心したように言う。
前回ここへ来た時は、到着する頃にはマナを使い果たし、スコルはふらついていた。
「うん。やっぱりレベルが上がったからだと思う」
スコルは頷いた。
以前よりもマナの総量も体力も増えていた。
そうして今回も西門からハヌンへ入ると、緩やかな坂道を登り、商業地区へ向かった。
『では、まずは冒険者ギルドへ向かうとするか』
フェルが言った。
ハヌンで家を購入するには、職業や身分によって多少の違いはあるものの、この街のいずれかの公認ギルドへ所属していることが条件となっている。
そのためスコルは、まず冒険者ギルドへ加入することにした。
冒険者ギルドへの加入条件は三つ。
一つ、十五歳以上であること。
二つ、戦闘レベルが五十以上であること。
そして三つ、教会で戦職系の職業の洗礼を受けていること。
スコルはそのすべてを満たしていた。
やがて二人は、ひときわ大きな建物の前へ辿り着く。
それが冒険者ギルド西支部だった。
ハヌンには東部地区と西部地区に一つずつ支部があり、ここは西側の冒険者たちが主に利用する拠点である。
スコルは深呼吸すると、ギルドの扉を押し開いた。
広々としたホールには多くの冒険者たちが集まり、依頼の確認や情報交換を行っている。
その光景に少し圧倒されながらも、スコルは受付へ向かった。
「あの、冒険者登録をお願いしたいのですが……」
受付の女性は慣れた様子で微笑んだ。
「ギルドへの加入ですね。それでは、まずあちらの鏡の前へお立ちください」
女性が指差した先には、銀縁の大きな全身鏡が置かれていた。
スコルが鏡の前に立つと、鏡面に淡い光が走る。
次の瞬間、鏡の中にスコルのステータスが浮かび上がった。
どうやらこの鏡は、能力を測定する魂魄の鏡らしい。
スコルが持っているのは携帯用の手鏡だが、こちらは遥かに大型で高性能なもののようだ。
受付の女性は表示された内容を書き留めていく。
「職業は魔法剣士……レベルは百一……」
そこまで読み上げたところで、女性の手が止まった。
「えっ……?」
女性は思わず鏡と書類を見比べる。
そして再び鏡を見た。
「せ、星脈が二つ……?」
驚きのあまり声が裏返る。
「私、二重星脈の方を見たのは初めてです!」
受付の女性は驚きを隠せない様子だった。
そしてカウンターへ戻ると、今度は教会で洗礼を受けた時と同じように尋ねる。
「では、“聖別番号”が記載された聖約証書はお持ちでしょうか?」
聖別番号。
別名“大陸番号”とも呼ばれる、教会が管理する個人識別番号である。
番号は聖約証書と呼ばれる特殊な魔法紙に記されており、極めて高度な術式によって保護されているため、偽造は不可能とされている。
「はい、あります」
スコルはインベントリから聖約証書を取り出し、女性へ差し出した。
女性は証書を受け取ると、小さな魔石を表面へ当てた。
すると、聖約証書の上に七色の文様が浮かび上がる。
それは証書に組み込まれた真贋判定の術式だった。
本来、術式を発動するにはマナを流し込む必要があるが、魔石に蓄えられたマナでも代用できるため、魔法を扱えない者でも真偽を確認できる仕組みになっている。
文様を確認した女性は頷き、証書の内容を用紙へ書き写していった。
「問題ありませんね。それでは最後に、こちらをお願いいたします」
女性が差し出したのは、拳ほどの大きさの透明な水晶だった。
「この水晶に手を置き、ご自身のお名前をおっしゃってください」
「わかりました」
スコルは言われるままに水晶へ手を置く。
「私はスコル・ハーバリーです」
その瞬間、水晶が淡い白色の光を放った。
これは冒険者ギルドが独自に導入している本人確認用の魔道具である。
詳しい仕組みは公表されていないが、正常な場合は白く発光し、不正や虚偽が疑われる場合は黒く変色すると言われている。
女性は光を確認すると、満足そうに頷いた。
「確認できました。ありがとうございます」
そう言って書類をまとめる。
「それでは登録手続きを進めますので、しばらくお待ちください」
女性は書類を抱え、カウンター奥の部屋へと姿を消した。
スコルは近くの椅子へ腰掛ける。
いよいよ、正式な冒険者になるのだ。
幼い頃の僕は、冒険者だった父の背中を追いかけて育った。
いつか自分も父のように剣を手に取り、未知の地を旅し、魔物と戦う冒険者になる――そんな未来を疑ったことはなかった。
だが、成長して自分には才核が存在しないと知った日、その夢は音を立てて崩れ去った。
冒険者になることは叶わない。
そう自分に言い聞かせ、いつしか憧れを心の奥底へ押し込めて生きてきた。
けれど今、その諦めたはずの夢が現実になろうとしている。
そう思った瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
心臓が高鳴り、自然と拳に力が入る。
期待と興奮、そして少しの緊張。
様々な感情が入り混じり、スコルは自分でも抑えきれないほど胸を躍らせていた。
しばらくして、先ほどの女性が戻ってきた。
「スコル・ハーバリーさん。西支部冒険者ギルドへの登録が完了いたしました」
そう言って、彼女はカウンターの上に数枚の書類と金属製のプレートを並べた。
「こちらが登録証です。聖約証書をもとに発行しております。それから、こちらが冒険者プレートになります。紛失されませんよう、ご注意ください」
登録証には僕の名前や聖別番号が記されており、隣には首から下げられる金属製のドッグタグ型プレートが置かれていた。
「そして、ハーバリーさんの現在の冒険者ランクですが――初級の鉄級となります」
女性はそう告げると、冒険者ランクについて説明を始めた。
冒険者には、
鉄級、
銅級、
銀級、
金級、
白金級、
聖金級
の六つの階級が存在するらしい。
新人は例外なく鉄級から始まり、実績を積むことで上位ランクへ昇格していくのだという。
「次の銅級へ昇格する条件は、レベル百以上であること。そのうえで魔物討伐依頼を百件達成するか、あるいは討伐依頼のみを三百件達成することになります」
どうやら僕はすでにレベル百を超えているため、必要なのは討伐依頼を百件こなすことだけらしい。
スコルは改めて鉄級のプレートを握りしめた。
冷たい金属の感触が指先に伝わる。
それは間違いなく、自分が冒険者になった証だった。
「では、何かご質問はございますか?」
女性職員にそう尋ねられたが、今のスコルの頭の中は冒険者になれた喜びでいっぱいだった。
「いえ、ありません」
「承知いたしました。それでは今後、何かお困りのことがございましたら、西支部冒険者ギルドまでお越しください」
そう言って女性職員は丁寧に一礼した。
スコルは礼を返しながらも、手元のプレートから目を離せなかった。
つい頬が緩み、にやけてしまう。
『どうだ? 晴れて冒険者になった感想は』
フェルが尋ねてきた。
「そりゃ嬉しいよ! ずっと夢だったんだから。でも、なんだかまだ実感が湧かないな」
そう言いながら、スコルは依頼掲示板へ視線を向けた。
「せっかくだし、魔物討伐依頼でも見ていこうかな」
『お主の気持ちに水を差すようで悪いが、その前に家を買うのが先だ』
フェルが呆れたように言った。
「あっ、そうだった」
スコルは額に手を当てた。
「家を買いに来たんだった。すっかり忘れてたよ」
そうしてスコルは冒険者ギルドを後にし、不動産を取り扱う商会へと向かった。
目的の店は、大通り沿いに店を構えるレスター商会だった。
店内へ足を踏み入れると、帳簿に目を通していた眼鏡姿の年配の男性が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「家を買いたいんですが」
スコルがそう告げると、店主は少し意外そうな顔をした。
「ほう。親御さんは後からいらっしゃるのですかな?」
スコルの年齢からすれば当然の反応だった。
「いえ、僕一人です。お金ならちゃんと持っています」
店主はスコルをじっと見つめる。
その視線には疑いというより、戸惑いが混じっていた。
やがて店主は顎に手を当てながら尋ねた。
「失礼ですが、お客様はこの街の方で?」
店主は探るような視線を向けてきた。
「いいえ。遠くの町から来ました」
そう答えると、店主の目がわずかに細まる。
「なるほど。でしたら先に申し上げておきますが、ここは王都ハヌンです。土地も家も、地方の町とは相場が違いますよ」
「どれくらいするんですか?」
スコルが尋ねると、店主は指を組みながら答えた。
「この西部地区でしたら、安くても金貨十五枚ほどでしょうな。もっとも、立地や広さによっては、その倍以上する物件も珍しくありません」
「金貨十五枚くらいなら問題ありません。できれば湖が見える場所がいいので、西部地区を希望します」
その言葉に店主はわずかに眉を上げた。
「ハヌン湖をですか。確かに景観は素晴らしい。では、ほかにご希望はございますか?」
「ほかですか?」
「ええ。家というのは長く住む場所です。後になって『あれも欲しかった』『これも必要だった』となることが多いですからな。遠慮なく仰ってください」
スコルは少し考え込んだ。
「そうですね……。湖が見えることが第一で、あとはできるだけ広い家がいいです。それと、なるべく安い方が助かります」
「景色は良く、家は広く、しかも安い――なかなか難しいご注文ですな」
店主は苦笑を浮かべながら帳簿をめくった。
「ご存じの通り、この西部地区は人気があります。特にハヌン湖を一望できる物件となると需要が高く、どうしても相場より高くなってしまうのです」
店主は指で帳簿をなぞりながら続ける。
「正直なところ、その条件ですと金貨五十枚は見ていただきたいですな。ちなみに、ご予算はどのくらいでお考えでしょう?」
「金貨五十枚ですか……」
スコルは思わず顔をしかめた。
「さすがにそこまでは無理ですね。出せても金貨二十枚くらいです」
「金貨二十枚で、湖が見えて、なおかつ広い家……ですか」
店主は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「うーむ……それはかなり厳しい条件ですな」
そう言いながら再び帳簿をめくっていたが、ふと手を止めた。
「ああ……」
店主の表情がわずかに変わる。
「条件だけなら、お客様のご希望にかなり近い物件があります」
「本当ですか? どんな家なんですか?」
スコルは身を乗り出した。
「ええ。当商会が所有している物件なのですが……少々訳ありでしてな」
店主は意味ありげな笑みを浮かべた。
「今から六十年ほど前、とある貴族がアトリエとして建てた屋敷です。湖を見下ろす高台にあり、部屋数は地下室を含めて十五。庭も広く、建物そのものは今でも立派なものですよ」
店主はそう言って帳簿を閉じた。
「その貴族が亡くなった後、三十年ほど前に売りに出されましてな。最初に購入した住人は、入居して間もなく屋敷を手放しました」
「どうしてですか?」
「幽霊が出る、と言うのです」
店主は肩をすくめた。
「それ以来、何人もの所有者が現れましたが、皆同じことを口にしました。夜中に足音が聞こえる、誰もいない部屋から物音がする――と」
「それで、みんな手放したんですか?」
「ええ。結局、二十年ほど前に当商会が格安で買い取ったのですが……」
店主は苦笑する。
「今ではすっかり“幽霊屋敷”として有名になってしまいましてな。立地も広さも申し分ないのですが、その噂のせいで買い手がつかないのです」
『幽霊なら退治すればよいではないか。そんなに難しい相手ではあるまい』
フェルが言った。
スコルは首を傾げた。
「その幽霊、退治できないんですか?」
店主は一瞬だけ表情を曇らせた。
「それが――できないのです」
店主はそう言うと、どこか気味の悪いものを思い出したかのように視線を窓の外へ向けた。
「もちろん、これまで何もしなかったわけではありません。教会にも依頼しましたし、祓魔師や高ランク冒険者まで雇って除霊を試みました。しかし、結果は全て失敗でした」
「高ランク冒険者でも手に負えないんですか?」
スコルが驚いて尋ねる。
「手に負えない、というのとは少し違いますな…」
店主は首を横に振った。
「皆、屋敷の中に何かがいることは感じ取るのです。気配もあるし、物音もする。しかし――」
そこで言葉を切り、店主は肩をすくめた。
「誰一人として、その正体を突き止められなかったのです。居場所が分からない。姿も見えない。結局、何もできないまま帰っていくことになる」
「そんなことって……」
スコルは思わず顔を見合わせた。
『妙な話だな』
フェルが呟く。
『だが、話だけでは判断できぬ。こればかりは実際に屋敷へ行ってみなければ分からんだろう』
すると店主が言った。
「屋敷ならここから近いですよ。もしよろしければ、今から見学なさいますか?」
スコルは少し考えたが、十五部屋もある大きな屋敷が金貨二十枚程度で手に入るかもしれないのだ。
「ぜひ見てみたいです」
「承知しました」
店主は席を立った。
こうしてスコルは、ハヌン西部地区で“幽霊屋敷”と呼ばれている問題の物件へ向かうことになった。




