王の誕生
翌日、スコルは朝一番でアシネ村へ向かった。
朝露に濡れた街道を駆けながら、スコルは昨日習得したばかりの必殺技のことを思い返していた。
『バグベアとの戦いは、まだ避けたほうがよい』
不意にフェルが告げた。
「えっ? 必殺技でも倒せないの?」
スコルは首を傾げた。
『いや、お主の必殺技なら、バグベアの分厚い皮膚すら貫けるであろう』
「じゃあ、問題ないんじゃ……」
『そう単純な話ではない』
フェルは静かに続けた。
『おそらく、あの村を率いているのはホブゴブリンだ。ホブゴブリンは知恵を持つ魔物でな。戦いになれば、配下のゴブリンを盾や肉壁として使うことがある』
「肉壁……」
スコルは顔をしかめた。
『仮に必殺技でバグベアを倒せたとしても、その前に大量のゴブリンに囲まれれば厄介だ。数は力。群れを相手にするなら、まず戦力を削ぐのが定石よ』
フェルはそう言ってから、少し考えるように間を置いた。
『そうだな……ゴブリンの数が五十体を下回るまでは、バグベアやホブゴブリンとの直接対決は避けたほうがよい』
「なるほど。まずは雑魚を減らしてから、親玉を叩くってことだね」
『うむ。そのほうが遥かに勝率は高い』
フェルの言葉に、スコルは力強くうなずいた。
まずは群れの牙を一本ずつ抜いていく。バグベアとの決戦は、その後だ。
ゴブリン村周辺に到着すると、スコルは前回と同じ作戦を繰り返していた。
バグベアが現れるまでの間に、できるだけ多くのゴブリンを狩る。そしてバグベアが姿を現した瞬間、スキルを使って即座に離脱する。
しばらく時間を置いて再び戻り、またゴブリンを狩る。
その繰り返しだった。
インベントリが満杯になる四十体ほどを討伐すると町へ戻って換金し、再び森へ向かう。
それを何度も繰り返した結果――。
気づけば百二十体ものゴブリンを討ち取っていた。
『なかなか良いペースだ。この調子なら、思ったより早く片付きそうだな』
フェルが満足そうに言った。
スコルも同じことを考えていた。
だが、その直後だった。異変が起きた。
ゴブリンの姿が、忽然と消えたのだ。
森の中を探し回る。
いつもならどこかで見つかるはずのゴブリンが、一体もいない。
「おかしいな……」
さらに探索を続けた末、スコルは気づいた。
ゴブリンたちは村の外へ出てこなくなっていたのだ。
柵で囲まれた集落の中に籠もり、身を潜めている。
『短期間で百体以上も狩られればな。さすがに警戒したか』
フェルが感心したように呟く。
『思った以上に統率が取れておる。やはりホブゴブリンがおるのだろう』
スコルは慎重に村へ近づいた。
すると、柵の外に一体のゴブリンが立っているのを見つけた。
まるで獲物を誘うかのように。
「一体だけ……?」
違和感を覚えながらも、スコルは距離を詰める。
その瞬間――
ゴウッ!!
左右の物見台からゴブリンシャーマンの放った火球が飛来した。
「っ!?」
反射的に地面を蹴る。
火球は髪をかすめながら背後で炸裂し、爆炎が巻き上がった。
スコルは転がるようにして距離を取り、辛うじて直撃を免れる。
顔を上げると、先ほどのゴブリンはニヤリと笑ったように見えた。
『罠だ! 下がれ!』
フェルの警告が飛ぶ。
ゴブリンたちは、もはやただの獣ではなかった。彼らは学び、考え、そしてスコルを狩ろうとしていた。
『ゴブリンシャーマンまでいるようだな……。ここは一度引くぞ』
フェルの警告に従い、スコルはその場から離れた。
やがて村を見渡せる大木を見つけると、その枝へよじ登り、様子を窺うことにした。
だが――。
待てど暮らせど、ゴブリンたちは動かない。
柵の内側に籠もったまま、一向に出てくる気配がなかった。
「どうしたらいい?」
スコルはそう言いながら、町で買ってきたパンをインベントリから取り出した。
空腹には勝てない。
観察を続けながら、もそもそとパンをかじる。
『まだ百体近くは残っているはずだ。できれば外へ引っ張り出したいところだが…』
フェルは村を見下ろしながら言った。
「でも、どうやって?」
『うむ……』
フェルはしばし考え込む。
そのとき、パンを頬張るスコルを見て、ふと何かを思い出した。
『そういえば、昨日狩ったダートボアの肉がまだ大量にあったな』
「あるけど?」
『それを餌に使う』
スコルは怪訝そうな顔をした。
「そんなので本当に来るの?」
『来る可能性は十分ある。あやつらは警戒心もあるが、それ以上に食い意地が張っておるからな』
フェルはニヤリと笑った。
「なるほど……」
スコルは村を見下ろした。
『とりあえず、柵の外から中へダートボアの肉を二、三切れ投げ込んでみるのだ』
とフェルが言った。
「中に? それに何の意味があるの?」
スコルは首を傾げる。
『まずは奴らに肉の味と匂いを覚えさせる。そして次に、村の外――風上に肉を置くのだ。そうすれば、匂いに釣られて出てくる可能性が高い』
「そんな上手くいくかな?」
『あやつらは食欲に忠実だからな。我慢できぬ者が必ず出る』
フェルは自信ありげに言った。
「なるほどね」
スコルは頷くと、さっそく作戦を実行することにした。
気配を殺しながら村へ近づき、柵の陰からそっと中を窺う。
幸い、こちらに気づいた様子はない。
「この肉、美味しいから少しもったいないんだけどな……」
そう呟きながら、ダートボアの肉の塊を三切れ、柵の内側へ放り投げた。
肉が地面に落ちる音が響く。
その直後――
ギャアッ!
グギャッ!
柵の向こうから、興奮したゴブリンたちの叫び声が聞こえてきた。
どうやら肉の奪い合いが始まったらしい。
『食いついたようだな』
フェルが満足そうに言う。
スコルはその場を離れ、今度は村から少し離れた風上へと移動した。
そして草むらの中に、さらに大きな肉の塊を二切れ置く。
肉の匂いが風に乗り、村の方へと流れていく。
「さて、これで本当に来るかな?」
スコルは近くの茂みに身を潜め、息を殺した。
『待つのだ。獣も魔物も、腹が減れば理性より本能が勝る』
フェルの言葉を聞きながら、スコルはじっと村の様子を見つめた。
果たして、最初に誘惑に負けるゴブリンは現れるのか――。
その答えは、思いのほか早く出た。
しばらくすると、一体のゴブリンが周囲を警戒しながら村から出てきたのだ。
「うわっ、本当に来た!」
スコルは思わず声を漏らした。
『奴らは光り物と食い物の匂いには目がないからな』
フェルが愉快そうに笑う。
ゴブリンは肉の匂いを辿りながら、ゆっくりと近づいてくる。
スコルは茂みの陰から静かに飛び出した。
ゴブリンが気づいた時には、すでに遅い。
一閃。
剣が喉を裂き、ゴブリンは声を上げる間もなく倒れ伏した。
『倒したらすぐに亡骸をインベントリへ。仲間に見つかれば警戒されるぞ』
「わかった」
スコルは素早く亡骸を収納し、再び茂みに身を潜めた。
すると――。
二体目が現れた。
続いて三体目。
さらに四体目。
肉の誘惑に負けたゴブリンたちが、次々と村から出てくる。
そのたびにスコルは仕留め、亡骸を回収し、再び隠れる。
まるで罠にかかった獲物を狩る猟師のようだった。
『くくっ、予想以上だな』
フェルが呆れ半分に呟く。
やがて倒した数が三十体に達した頃――。
それは現れた。
『おお、大物が来たぞ』
フェルの声に、スコルは息を呑む。
村の門から姿を現したのは、ひときわ巨大な影だった。
黒ずんだ毛皮に覆われた筋骨隆々の肉体。
腕は丸太のように太く、その一歩ごとに地面が沈む。
バグベアだ。
しかも、ただ餌につられて出てきた様子ではない。
鋭い眼光で周囲を見回しながら、慎重に歩いている。
『これは好機だ』
フェルの声が低くなる。
『村から引き離した状態で仕留められる。これ以上の機会はそうあるまい』
スコルは剣の柄を握り締めた。
心臓が高鳴る。
ゴブリンの群れを守る用心棒。
これまで何度も姿を見ては逃げてきた相手だ。
『ここで確実に倒すぞ』
フェルの言葉に、スコルは静かに頷いた。
そして、バグベアへと視線を据えた。
次の瞬間、スコルは地面を蹴った。
一気に間合いを詰め、そのまま鋭い斬撃を繰り出す。
しかし――。
ガキィンッ!!
バグベアは手にした大剣でそれを受け止めた。
「くっ!」
スコルはすぐさま距離を取り、再び斬りかかる。
だが、バグベアも歴戦の猛者だった。
大剣を振るうたびに風が唸り、その一撃一撃が致命傷になりかねない。
スコルは紙一重で攻撃をかわしながら反撃を繰り返した。
激しい剣戟が森に響く。
一進一退の攻防。
どちらも一歩も譲らない。
やがて、幾度目かの打ち合いの最中――。
バグベアの体勢がわずかに崩れた。
その一瞬をスコルは見逃さなかった。
「今だっ!」
全身のマナを脚へ集中させ、一気に踏み込む。
『行け!』
フェルの声が響く。
「徹骨穿心!!」
必殺の突きが放たれた。
鋭い一撃はバグベアの脇腹を貫く。
だが――。
「しまった!」
直前で身を捻られたのだ。
本来なら心臓を貫いていたはずの一撃は、左脇腹を貫通するに留まった。
バグベアは苦悶の咆哮を上げながらも、まだ倒れない。
『怯むな! 畳みかけろ!』
フェルが叫ぶ。
スコルは即座に剣を引き抜いた。
そして再び踏み込む。
残るマナをすべて注ぎ込み、渾身の一撃を放つ。
「徹骨穿心!!」
閃光のような斬撃が走った。
ズドンッ――!
今度は避けきれない。
一撃は正確に胸を捉え、分厚い皮膚と筋肉を貫いた。
バグベアの巨体がぐらりと揺れる。
そして――。
地響きを立てながら、その場に崩れ落ちた。
動かなくなったバグベアを見つめ、スコルは肩で息をした。
「やった……」
全身から力が抜ける。
何度も逃げ続けた強敵。
そのバグベアを、ついに倒したのだ。
『見事だ、スコル』
フェルの声にも満足そうな響きが混じる。
スコルは思わず拳を握りしめた。
「勝ったんだ……僕が、本当に」
胸の奥から込み上げる達成感に、自然と笑みがこぼれた。
かつて初めて対峙した時、スコルはまるで歯が立たなかった。
腕を折られ、剣を砕かれ、命からがら逃げ延びるのが精一杯だった。
だが、今は違う。
それから二百三十体以上のゴブリンを討伐し、ダートボアも狩った。
幾度もの戦いを経て経験を積み、短期間でレベルも技術も前とは比べ物にならないほど成長していた。
だからこそ――今、この勝利を掴むことができたのだ。
『うむ。見事な戦いであった』
フェルが満足そうに言う。
『これでバグベアは片付いた。バグベアはこの個体以外におらぬ。残るはホブゴブリンとゴブリンシャーマンのみだ』
フェルは村の方へ視線を向けた。
『ゴブリンの数も、残り五十から六十体といったところだろう。群れの主戦力は大きく削れた。これなら一気に畳み込めるな』
「いよいよ最後か」
スコルは倒れたバグベアを見下ろした。
ここまで長かった。だが、あと少しで終わる。
『油断は禁物だがな。追い詰められた獣ほど危険なものはない』
「分かってるよ」
そう答えながら、スコルはバグベアの亡骸をインベントリへ収納した。
しかし、それだけで容量はほとんど埋まってしまう。
『一度町へ戻るか』
「そうだね」
スコルは踵を返し、町へ向かった。
バグベアの素材は高く評価され、銀貨六枚で買い取られた。
なかなかの大金だったが、今のスコルの心を占めているのは報酬ではない。
ゴブリン村との決着。それだけだった。
用事を済ませると、スコルは再び森へと足を向ける。
ホブゴブリン。
ゴブリンシャーマン。
そして、残された群れのゴブリンたち。
すべてに決着をつけるため――。
スコルは最終決戦の地、ゴブリン村へと向かった。
村の出入口の両脇には物見台が建てられており、その上には相変わらず二体のゴブリンシャーマンが陣取っていた。
『あのゴブリンシャーマンを何とかできるか? あの位置から魔法を撃たれると厄介だからな』
フェルが言った。スコルは高さを測るように目を細める。
「大丈夫だと思う。あれくらいの高さなら、スキルで加速して、筋力強化を使って跳べば届くよ」
『ふむ。なら先に始末してしまうか』
スコルの未熟な魔法では、この距離から正確に当てるのは難しい。
ならば接近して斬るほうが確実だった。
「行くよ」
そう呟くと、スコルは地面を蹴った。
スキルによる加速。
一瞬でトップスピードに達したスコルは、物見台の直前で大きく跳躍した。
「――!?」
ゴブリンシャーマンが気づいた時には、すでに遅い。
スコルは物見台の上へ飛び乗ると、着地と同時に剣を振るった。
「徹骨穿心!!」
閃光のような一撃が走る。
ゴブリンシャーマンは悲鳴を上げる間もなく両断され、その場に崩れ落ちた。
だが、スコルは止まらない。
そのまま物見台の手すりを蹴り、隣の物見台へ向かって飛び移る。
二体目のゴブリンシャーマンが慌てて杖を構える。
しかし魔法の詠唱が完成するより早く、スコルの剣が振り下ろされた。
ズバッ――!
二体目もまた、一撃のもとに倒れ伏す。
物見台の上に静寂が訪れた。
『よくやった』
フェルが満足そうに頷く。
『これで厄介な遠距離攻撃はなくなったな。残る上位種はホブゴブリンだけだ』
スコルは剣についた血を払う。
そして村の中央へと視線を向けた。
いよいよ、この群れとの決着をつける時だった。
スコルは荒い息を吐きながら、ゴブリン村の中心へと踏み込んだ。
足元には、これまで斬り伏せてきたゴブリンたちの亡骸が幾重にも転がっている。
その先で待ち受けていたのは、他の個体とは明らかに格の違う巨体だった。
肩幅は人の倍近くあり、灰褐色の筋肉が全身を鎧のように覆っている。
この集落の支配者――ホブゴブリンだ。
「見つけた……!」
スコルは地を蹴った。
疲労も傷の痛みも構わず、一気に間合いを詰める。
ホブゴブリンは迫り来るスコルを見ても慌てる様子はない。
むしろ、その醜悪な口元を歪め、不気味な笑みを浮かべていた。
次の瞬間。
ホブゴブリンが太い腕を横へ振るう。
それは攻撃ではなく、命令だった。
「ギッ!?」
「ギャアッ!」
周囲の物陰から飛び出した十数匹のゴブリンが、まるで荷物でも投げ捨てるかのように主の前へ押し出される。
押し合い、折り重なり、悲鳴を上げながら積み上がるゴブリンたち。
それは生きたまま作られた、おぞましい肉の壁だった。
同族を盾にすることに、ホブゴブリンは一片の躊躇も見せない。
「なっ……!?」
スコルの目が見開かれる。
だが、立ち止まれば勢いを失う。
その一瞬の迷いを、自らの咆哮で断ち切った。
「どけぇぇぇッ!!」
渾身の一閃が閃く。
肉を断ち、骨を砕く鈍い感触が手に伝わる。だが、スコルは止まらない。
剣は何匹ものゴブリンをまとめて切り裂きながら、血飛沫の中を強引に突き抜ける。
崩れ落ちる肉の壁。
その向こうで、初めてホブゴブリンの顔から余裕が消えた。
「グルァッ!?」
勝機――!
スコルはさらに踏み込み、剣先をホブゴブリンの喉元へと突き出した。
あと一歩。
あとほんのわずかで届く。
そう確信した、その時だった。
「――キィィィィィッ!!」
甲高い叫びにも似た詠唱が、戦場の空気を震わせた。
背筋を這うような悪寒。
スコルは反射的に視線を向ける。
ホブゴブリンの背後。
崩れた小屋の影から、一体の小柄な影がぬるりと姿を現した。
ゴブリンシャーマンだった。
その杖の先には、すでに不吉な魔力が渦巻いている。
『まだいたのか!』
フェルの声が緊迫した響きを帯びる。
『避けろ、スコル!!』
ゴブリンシャーマンの口元が吊り上がり、杖の先が妖しく輝いた。
次の瞬間、灼熱の火球が唸りを上げて飛来する。
「くっ……!」
スコルはホブゴブリンの首を刎ねる寸前で剣筋を変えた。
攻撃を捨て、防御へ。
火球が剣に激突する。
轟音とともに炎が弾け、凄まじい衝撃が全身を貫いた。
「ぐっ……!」
足が地面を削りながら後退する。
熱風が肌を焼き、視界が炎に染まった。
それでもスコルは倒れない。
歯を食いしばり、その一撃を耐え抜いた。
「ハァ……ハァッ……!」
荒い息を吐きながら顔を上げる。
立ち込める黒煙の向こう――。
そこにホブゴブリンの姿はなかった。
代わりに見えたのは、村の奥にある洞窟へと逃げ込んでいく巨大な背中だった。
「待ちやがれ……!」
スコルは即座に駆け出そうとした。
だが、その前にゴブリンシャーマンが立ちはだかる。
「キキィッ!」
再び杖を掲げ、魔法を放とうとする。
「邪魔だぁぁっ!!」
「徹骨穿心!!」
一瞬で間合いを詰めた剣先が、ゴブリンシャーマンの喉を正確に貫く。
「ギッ……」
断末魔すら上げられず、シャーマンは崩れ落ちた。
スコルは倒れる敵に目もくれない。
視線の先には、洞窟の闇へ消えたホブゴブリンだけがいた。
「逃がすか……!」
剣を握り直し、スコルは洞窟の奥へと飛び込んだ。
「……塞がれてるのか」
スコルは歯噛みした。
洞窟の入口には、巨大な岩が幾重にも積み上げられている。
それだけではない。
岩肌には禍々しい文様が刻まれ、赤黒い光を脈打たせながら結界を形成していた。
おそらくゴブリンシャーマンが残したものだろう。
スコルは剣を振り下ろした。
ガギィンッ!!
鋭い火花が散る。
だが、岩は砕けない。
結界の膜が衝撃を吸収し、刃を容赦なく弾き返した。
「くそっ……!」
再び剣を叩きつけようとした、その時だった。
――ドクン。
スコルの動きが止まる。
――ドクン、ドクン。
地の底から響くような重低音。
それはまるで、巨大な心臓の鼓動だった。
洞窟全体が生き物になったかのように震え、岩壁の隙間から不気味な魔力が滲み出している。
スコルの背筋を冷たいものが走った。
「なんだ……これ?」
『まずいな……』
フェルの声が低く沈む。
『進化が始まったのかもしれぬ』
「進化……?」
スコルは洞窟を睨みつけた。
鼓動は徐々に強くなっている。
まるで何かが内部で目覚めようとしているかのように。
フェルは重々しく続けた。
『ホブゴブリンという種には、忌まわしい生存本能が備わっておる』
『長きにわたり群れを支配し続けるか、あるいは死の淵に追い込まれた時――極めて稀に、種としての限界を超えることがあるのだ』
洞窟の奥から魔力のうねりが溢れ出す。
岩壁が軋み、地面が震えた。
『それはもはやホブゴブリンではない』
フェルの声には、わずかな焦りが滲んでいた。
『群れを率いる長ではなく、種族そのものを支配する絶対の王――』
スコルは唾を飲み込んだ。
「進化すると……何になるんだ?」
しばしの沈黙。
そしてフェルは、忌まわしい名を口にした。
『――ゴブリンキングだ』
その瞬間。
洞窟の奥から、これまでとは比べ物にならないほど巨大な鼓動が轟いた。
――ドゴォンッ!!
まるで王の誕生を告げる産声のように。




