ウルト
学園へと続く大通りは、多くの若者たちで賑わっていた。道行く者の多くが同じ意匠の服を身にまとい、その先には広大な敷地を囲む白亜の石壁がそびえている。
そこは職人、学者、冒険者――あらゆる道を志す者たちが学ぶ、ハヌン屈指の名門校だった。
「“王立創聖ヘファイストス総合学園”……。もしかして、あの大きな建物がそうなのかな?」
スコルは門の向こうに広がる壮大な校舎を見上げながら言った。
「それにしても、みんな似たような服を着てるね。どうして同じ服なんだろう?」
『あれは制服だな』
フェルが答える。
『学校とは学びの場であると同時に、一つの組織でもある。制服には規律や秩序を保つ役割があり、生徒たちに学園への帰属意識を持たせる意味もある。また、身分や家柄、家庭の裕福さの違いを目立たなくするためでもあろうな』
制服という文化は古くから存在し、学びの場における規律や共同体意識を育む目的で用いられてきたと言われている。
「へぇ、そういう理由があったんだ」
スコルは感心したように頷いた。
とりあえず話だけでも聞いてみようと、スコルは学園の受付へ向かった。
すると、窓口にいた女性職員がすぐに声をかけてくる。
「学園の見学をご希望でしょうか?」
「いえ、見学というわけじゃないんですけど……。どんなことが学べる学校なのかなと思って」
「といいますと?」
「パン職人とか、薬師になるための勉強もできるんですか?」
その質問に、女性職員はにこやかに微笑んだ。
「もちろんでございます。当学園には三十近い養成機関が設けられておりますので、職人系から学術系、戦闘職系まで幅広く学ぶことができますよ」
「三十も!?」
スコルは思わず目を丸くした。
田舎の町で育ったスコルにとって、それは想像もつかない規模の学び舎だった。
「この学校を卒業したら、パン職人や薬師になれますか?」
スコルが尋ねると、受付の女性は微笑みながら答えた。
「はい。三年間の課程を修了し、卒業試験に合格された方には、各職業ギルドへの推薦状が発行されます」
冒険者やパン職人、薬師を名乗るだけなら誰にでもできる。
しかし、それを生業として営むとなれば話は別だ。
この大陸で正式に商売を行うためには、それぞれの職業ギルドへの加盟が義務付けられている。
冒険者ギルドなどを除く職人系ギルドへ加入する方法は、大きく二つ。
一つは、その道の親方のもとへ弟子入りし、七年ほど無給で修業を積んだ後、親方からギルドへの推薦状を受け取ること。
そしてもう一つが、専門の養成機関で学ぶこと――つまり学校へ通うことであった。
王立創聖ヘファイストス総合学園は、王家公認の教育機関である。
そのため、卒業生に対して職業ギルドへの推薦状を発行する権限を有していた。
「へぇ……学校って、すごいとこなんだね」
スコルは素直に感心した。弟子入りして何年も下積みを重ねなくても、学園で学び卒業すれば職人への道が開ける。
それは学校を出ても弟子入りが必要だと思っていたスコルにとって、驚くべき話だった。
ひと通り話を聞き終えると、スコルは学園を後にした。白亜の校舎を振り返りながら、ふと思う。
「エマちゃんとサラちゃんに、この学校のことを教えたら喜びそうだね」
『うむ。特にサラは興味を示しそうだな』
フェルの言葉に、スコルは小さく笑った。
二人がこの大きな学園を見たら、どんな顔をするだろう――そんなことを考えながら、スコルは賑やかな通りを歩いていった。
『おおっ、あれは図書館ではないか!?』
突然、フェルが興奮した声を上げた。
視線の先を見ると、学園の隣にひときわ大きな建物が建っている。幾本もの白い柱が並ぶ荘厳な造りで、その入口には多くの人々が出入りしていた。
「図書館に行きたいの?」
スコルが尋ねる。
『うむ。ずっと調べたいことがあってな。すまぬが、少し付き合ってはくれぬか』
珍しく真剣な声音だった。
「いいよ」
スコルは頷き、そのまま図書館へ向かった。
入館料を支払って中へ入ると、思わず目を見張る。
高い天井の下には無数の本棚が立ち並び、ぎっしりと本が詰め込まれている。古びた革表紙の書物から新しい学術書まで、その数はスコルが一生かけても読み切れないと感じるほどだった。
「すごい……」
思わず漏れた呟きに、フェルも感心したように唸る。
『千年の都ともなれば、この程度の蔵書は当然か』
しばらく館内を見回した後、スコルは小声で尋ねた。
「それで、何を調べたいの?」
するとフェルは少し間を置いて答えた。
『歴史だ。――特に、あの戦いの後をな』
その声には、どこか重みがあった。
『ワシとウルミアが参戦した魔王大征伐。その後、この世界がどうなったのか知りたい』
魔王大征伐――。
ペテル歴一〇〇二年に勃発した、人類史上最大規模と謳われる大戦争。
勇者一行と連合帝国騎士団、そして各国から集められた精鋭たちが、魔王城への総攻撃を敢行した歴史的遠征である。
その戦いは、フェルにとって決して他人事ではない。
「分かった。歴史の本を探してみるね」
スコルは歴史書の並ぶ書架へ向かった。
何列も続く本棚を見渡していると、フェルが声を上げる。
『おお、その赤い本だ。取ってくれぬか』
スコルは背表紙の赤い分厚い本を引き抜いた。
表紙には金文字でこう刻まれている。
――“聖王の審判 ― 魔王大征伐”。
「これ?」
『うむ。それだ』
フェルの声はわずかに緊張しているようだった。
スコルは本を抱え、近くの閲覧席へ向かった。
静寂に包まれた館内で椅子に腰を下ろし、ゆっくりと表紙を開く。
――千年前の真実を知るために。
『すまぬが、その本の全ページを見せてほしい。一ページずつめくってくれぬか。高速で構わん』
とフェルが言った。
「そんなので内容が分かるの?」
スコルが半信半疑で尋ねる。
『この賢狼にとって、その程度は造作もない』
フェルは胸を張るように言った。
「分かったよ」
スコルは本を両手で支えると、言われた通り凄まじい速さでページをめくり始めた。
パララララララッ――。
紙を弾く音だけが静かな図書館に響く。
スコルはページが流れていくのをじっと見つめ、フェルは、ときおり何かに気づいたように小さく頷いた。
やがて最後の一ページがめくられ、本は静かに閉じられた。
「終わったよ」
とスコルが言う。
フェルはしばし考え込んでいたのか、間を開けた後、
『うむ。助かった。おかげで概ね理解できた』
と言った。
だが、その声音にはわずかな引っかかりが混じっていた。
『しかし……妙な点がいくつかある。記述の辻褄が合わぬ箇所がかなりあった。まあ、今はよいか…』
フェルはそう呟いた。千年前の真実は、どうやら一冊の本だけでは語り尽くせないらしい。
『それで、ついでと言っては何なのだが……、あそこにある“大陸大全”も見せてほしいのだが』
「ん? なに?」
とスコルが振り返る。そこには、ひときわ存在感を放つ分厚い本がずらりと並んでいる。
“大陸大全”――。
有史以来、この大陸の歴史、文化、風土、地理、生物、国家、民族に至るまで、あらゆる知識をまとめた大事典である。
「いいけど……何巻を読みたいの?」
とスコルは背表紙を眺めながら尋ねた。
『一巻から頼む…』
フェルはさらりと言った。
「ふぇ?」
スコルは思わず聞き返した。
『一巻からだ』
「いやいやいや! これ全部で“百二十巻”あるんだけど!?」
スコルはずらりと並ぶ本棚を指差した。
『うむ』
フェルは平然と頷く。
「うむ、じゃないよ……」
スコルは額を押さえた。
するとフェルは少し真面目な口調になった。
『これは、お主のためでもあるのだ』
「僕のため?」
『うむ。大陸の歴史も風土も知らぬまま渡り歩けば、思わぬところで命を落としかねん。土地ごとの常識、危険な地域、魔物の生態、国家間の情勢――知識は力だ』
フェルは続ける。
『ワシがお主に助言を与えるにしても、この時代のことを正しく知らねばならぬ。眠っていた千年という歳月は、さすがに長すぎたからな』
そう言うと、フェルは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべた。
『面倒なのは承知しておる。だが、頼めぬか』
そこまで言われてしまうと断りづらい。
スコルは大きくため息をついた。
「……分かったよ」
そうして彼は、書架から次々と“大陸大全”を運び出した。
そして――。
パラララララララララッ――。
静かな図書館に、ページをめくる音だけが延々と響き続けた。
一巻。
二巻。
三巻。
やがて十巻を超え、二十巻を超え、それでも終わらない。
途中からスコルは無言になり、ただ機械のようにページをめくり続けた。
フェルは、ときおり小さく頷いたりしていた。
そして――。
百二十巻目の最後のページが閉じられた。
ドサッ。
スコルは机に突っ伏した。
「ふうぅぅ……これで終わりだ……」
腕は重く、指先はわずかに痙攣している。
もはや魔物と戦った後のほうが楽なのではないかと思えるほどだった。
そんなスコルに、フェルは少し申し訳なさそうに言った。
『すまぬな』
「本当だよ……」
『だが、その苦労に見合うだけの収穫はあった』
とフェルが力強く告げた。
『この千年の歴史、この大陸の現状、各国の勢力図……そして、お主がこれから進むべき道についてもな』
フェルは静かに笑った。
『おかげで、これから何をすべきかがずいぶん見えてきたぞ』
その言葉を聞き、疲労でぐったりしていたスコルの胸にも、少しだけ期待が灯るのだった。
そうしてスコルは図書館を後にした。
『最後に魔道具屋へ寄っていきたいのだが』
とフェルが言った。
「魔道具屋に?」
スコルは首を傾げた。
『昨日買いそびれた氷、火、風の初級魔法の魔導書をな。それに、剣術書へ読み込ませる初級剣術の奥義書も揃えておきたい』
「そういえば、今は雷の初級魔法しか持ってないもんね」
スコルは納得したように頷いた。
「それに、剣術書のことも気になってたんだ。やっぱり読み込めるのは初級剣術だけなの?」
『魔導書と同じだ。剣術書にもレベルによる制約がある。未熟なうちは高位の技を扱えぬゆえ、読み込める奥義書も限られる』
とフェルは説明した。
それからスコルは魔道具屋へ足を運び、銀貨四十枚を支払って、氷・火・風の初級魔法の魔導書と、初級剣術の奥義書を手に入れた。
買い物を終える頃には、ちょうど小腹が空いていた。
スコルは近くのパン屋に立ち寄り、焼きたてのフィッシュサンドを買う。香ばしいパンに、揚げたての白身魚が挟まれており、ひと口かじるとサクッという軽快な音とともに、魚の旨味が口いっぱいに広がった。
「うわ、これ美味しい。パンも魚も最高だね」
とスコルが目を輝かせながら言った。
『ハヌンは西に大きな湖を抱えておるゆえ、水産業が盛んで魚が美味いのだ』
とフェルは説明した。
『それだけではない。東には広大な小麦畑と牧草地が広がり、牧畜も盛んだ。肥沃な大地に恵まれておるから、食べ物全般の質が高い。さらに北方の山々には豊富な鉱脈が眠っており、鍛冶や工芸も発展しておる』
「へぇ……。魚も美味しいし、パンも美味しい。鍛冶も盛んなんだ」
スコルは街並みを見渡しながら微笑んだ。
「本当に何でも揃ってるんだね。ますますハヌンに住みたくなったよ」
『ふふ、住めば都というが、ハヌンは住む前から都のような場所だからな』
フェルはどこか誇らしげに言った。
『ではマルビへ戻るとするか。――ただその前に、初級魔法と初級剣術を読み込ませて、試してみるとしよう』
とフェルが言った。
そうしてスコルはハヌンの南門を抜け、街道へと向かった。
道すがら、魔導書に氷・火・風の初級魔法を次々と読み込ませていく。さらに剣術書にも、初級剣術の奥義書を取り込ませた。
『これでお主も必殺技が使えるようになったな』
フェルは満足そうに言った。
『街道沿いの森には、人を警戒して大した魔物は棲んでおらん。ちょうどよい、実戦で試してみるか』
必殺技とは、戦士系の職業が扱う切り札とも呼ぶべき大技である。剣士系であれば、剣術書に対応する奥義書を読み込ませることで習得できる。
初級剣術で会得できる必殺技は一つ。
その名は――徹骨穿心。
骨を貫き、心を穿つ刺突奥義である。
一撃は鋼すら砕き、肉体のみならず精神にまで深い傷を刻む。敵の闘志を根こそぎへし折る、容赦なき必殺の突きだ。
「ところで、必殺技って、どうやったら使えるの?」
スコルが尋ねた。
『魔法の複雑な術式を魔導書が代行するように、剣術書は技を発動するためのマナ回路をお主の中に刻み込む。あとは魔法と同じで、重要なのはイメージだ』
とフェルが答える。
『徹骨穿心は、鋼すら貫く渾身の一突きだ。その一撃を思い描いてみよ』
「鋼を貫く一撃……」
スコルは剣を構え、意識を集中させた。
全身の力を穂先へと集める。
目の前に分厚い鋼板があると想像し、それを貫く瞬間を鮮明に思い描いた。
そして――突く。
瞬間、足元から風が巻き上がった。
突き出された剣は残像を引き、鋭い衝撃波が一直線に駆け抜ける。
ドンッ!!
空気を裂く轟音が響き、遥か前方の草木が大きく揺れた。
「うわっ!?」
予想以上の威力に、スコルは目を見開く。
「こ、この感じで合ってるの?」
『うむ、上出来だ』
フェルは満足そうに頷いた。
『ワシの加護を受けているとはいえ、初回でそこまで形になる者はそうおらぬ。ほぼ完璧と言ってよいだろう』
「ほんとに?」
『ああ。だが戦いの最中は、今のように落ち着いておれぬ。走りながらでも、避けながらでも、咄嗟に放てるよう鍛えておくことだな』
フェルの言葉に、スコルは改めて剣を握り直した。
必殺技――徹骨穿心。
その名にふさわしい一撃を自在に放てるようになるため、スコルはひたすら突きを繰り返した。幾度も、幾度も。足運びを確かめ、腰の捻りを磨き、剣先に意識を集中させる。
そうして鍛錬を終えると、狩りのため森へと足を踏み入れた。
だが、ハヌンという大都市が近いせいか、それとも街道を行き交う人々の気配を嫌っているのか、魔物の姿はなかなか見当たらない。
スコルはさらに森の奥へと進んでいった。
『おっ、なかなか美味そうな気配を感じるぞ』
とフェルが言った。
その直後だった。
――バキバキッ!!
茂みが爆ぜるように揺れ、木の枝がへし折れる音が森に響く。
巨大な影が凄まじい勢いで飛び出してきた。
「うわっ!?」
スコルは反射的に地を蹴り、横へ飛び退く。
次の瞬間。
先ほどまで彼が立っていた場所を、鋭く湾曲した巨大な牙が抉り飛ばした。
土が舞い上がり、落ち葉が宙を舞う。
現れたのは、以前にも遭遇したことのある巨大な猪型の魔物だった。
全身を黒褐色の剛毛に覆われ、岩のように盛り上がった筋肉を揺らしながら荒々しく鼻息を吐いている。
『やはり、ダートボアか』
フェルが低く唸った。
ダートボアは地面を掻き、赤く充血した目でスコルを睨みつける。
今にも突進してくる――そんな殺気を全身から放っていた。
「前に見たときは、とても勝てる相手じゃないと思ったけど……今はそんな気がしないや」
スコルは迫り来る巨体を見据えながら言った。
『だが油断はするなよ。こやつは怪力に加え、見た目に反して素早い。しかし、必殺技を試すにはうってつけの相手だ。倒してみよ』
「わかった!」
スコルは剣を構えた。
その瞬間、ダートボアが地面を蹴り、弾丸のような勢いで突進してくる。
「はあっ!」
スコルは迎え撃つように、必殺技――徹骨穿心を放った。
鋭い一突きが一直線に走る。
しかし――
ダートボアは寸前で身を捻り、その一撃をかわした。
『慌てるな。相手の動きをよく見極めてから打ち込め』
フェルが冷静に助言する。
「うん!」
スコルは深く息を吸い、ダートボアの動きを観察した。
再び突進。
土煙を巻き上げながら迫る巨体へ、スコルはもう一度、徹骨穿心を繰り出す。
だが、それも紙一重でかわされてしまった。
速すぎる――。
目で捉えられていても、狙いを定めた瞬間には軌道を変えられてしまう。
『目で追うだけでは足りぬ。動きの速い相手には、その先を読め。どこへ動くかを予想して打ち込むのだ』
フェルの言葉を聞き、スコルは静かに剣を構え直した。
三度目の突進。
ダートボアが右へ避けると見せかけて体を沈める。
その動きを見た瞬間、スコルは確信した。
「そこだっ!」
避ける先を先読みした一撃――徹骨穿心が閃く。
ドシュッ――!
鋭い剣先がダートボアの首筋を正確に貫いた。
勢いそのままに数歩駆け抜けたダートボアだったが、やがて足をもつれさせる。
巨体が大きく傾き――
ズシィンッ!!
地面を震わせながら、その場に崩れ落ちた。
『見事だ。今の一撃は良かったぞ』
フェルが満足そうに言った。
スコルは倒れたダートボアを見つめながら、剣を握る手に確かな手応えを感じていた。必殺技――徹骨穿心は、確かに自分の技になり始めていた。
それからダートボアの亡骸と魔石を回収すると、スコルは森を後にした。
『ダートボアの肉は美味いぞ。せっかくだから食べてみてはどうだ?』
とフェルが言った。
「食べてみたいけど……こんな大物、自分じゃ捌けないよ」
スコルは背負ったダートボアを見ながら苦笑する。
『ならば解体屋に頼めばよかろう』
とフェルが当然のように言った。
「あっ、そっか」
スコルは頷き、そのままハヌンへ戻り、解体屋にダートボアの解体を依頼する。
食用として切り分けられたダートボアの肉は受け取ったが、毛皮や牙などの素材は買い取ってもらえたため、解体料を差し引いてもそれなりの金額が手元に残った。
『今夜の夕食が楽しみになったな』
フェルが上機嫌に言う。
「フェルは食べられないのに?」
『気分の問題だ』
「なんだそれ」
スコルは思わず笑った。
「でも、この量だと相当な干し肉ができそうだな」
『全部干し肉にするつもりか?』
とフェルが尋ねる。
「だって食べきれないでしょ。そのままじゃ腐っちゃうし」
するとフェルは少し呆れたような声で答えた。
『何を言っておる。インベントリに入れておけばよいではないか』
「え?」
『縮界等の次元折畳器の中は亜空間だ。時間の流れが外界の六十分の一まで遅くなる。つまり、六十日保管しても、中では一日しか経過しておらぬ計算だ』
フェルは続ける。
『それに亜空間内では微生物も死滅する。よほど長期間放置せぬ限り、そう簡単には傷まぬぞ』
「へえ……そうなんだ」
スコルは感心したように頷いた。
「それなら無理に干し肉にしなくてもいいね。好きなときに食べられるし」
『うむ。せっかくの上質な肉だ。全部干し肉にしてしまうのは勿体ないからな』
「確かに」
スコルは笑いながら答えた。
こうして肉の心配事もなくなり、スコルは街道を駆けた。風を切り、景色を後方へ置き去りにしながら、ハヌンの街を後にする。
そして、そのまま家路につくのだった。
家へ帰るなり、エマが驚いたように駆け寄ってきた。
「えっ!? もう帰ってきたんですか? 遅くなるって言ってませんでした?」
「ああ、思ったより早く用事が終わってね。それより――これを見てよ」
スコルはそう言うと、インベントリから大きな肉の塊を次々と取り出した。
「ダートボアの肉なんだ。たくさんあるから、みんなで食べようと思って」
「ダートボアですって!?」
エマは目を丸くした。
「これはまた、とんでもないご馳走だねぇ」
ミアも目を細めながら感心したように言う。
ダートボアは肉質が良く、庶民がそう簡単に口にできるものではない。ましてこれほどの量ともなれば、滅多にお目にかかれない贅沢品だった。
「今日はごちそうだね!」
サラが嬉しそうに声を弾ませる。
その夜は、焼いた肉や煮込み料理が食卓に並び、家の中には香ばしい匂いが広がった。
皆で囲む食卓はいつにも増して賑やかで、ダートボアの肉は驚くほど柔らかく、濃厚な旨味に満ちていた。
「美味しい!」
「本当だねぇ」
喜ぶエマとサラ、ミアと弟たちの顔を見て、スコルも自然と笑みを浮かべる。
こうして一同は、ダートボアの肉を心ゆくまで堪能した。
そして翌日に控えたゴブリンとの戦いに備えるため、スコルは早めに床へ入った。
魔法剣士となった今、明日は決戦の日になるかもしれない。
そんなことを考えながら、スコルは静かに目を閉じるのだった。




