12
魔法灯の光に照らされた甲板をばたばたと野郎どもが忙しく走り回るがする。何を隠そう、俺が出港の準備を急げと言ったせいだった。
「船長、ほんとにいいんすか?」
時々足を止めては情けない声でそう聞く野郎どもに、少し強めにいいんだよと言ってやる。いいから、さっさと船出す準備しろってんだ、言外にそう意味を込めるように。野郎どもはまだなにか言いたげにしていたが、やがて諦めたように口ではなく手を動かすことに専念しはじめるのだった。
いいんだよ、これで。
「あの、船長…」
「あん?」
「本当に、いいんですか?」
おや、諦めの悪い奴が一人いたようだ。返事をする代わりにじっと睨み付けてやるとそいつは体をびくりとさせたものの、諦め悪くもう一度口を開いた。
「だって、今日は」
そう言って、空を見上げる。つられて見上げると、その意味はすぐに分かった。
ああそうか、今日は。
「…月の、無い夜だったか」
見上げた空は真っ暗で、見上げながらまるで俺の心のようだと、そう思うのだった。
「船長!船長!」
突然、甲板に大きな声が響き渡る。あんだよ騒がしいなチクショウ、人がセンチメンタルに浸ってるときになんだってんだ。そう思っていると野郎どもの一人がバタバタと音を立ててこちらに走ってきた。そして落ち着きのないまま大きな声を出す。
「い、錨が、錨が上がんないっすよ!」
「は?」
「何人も集まって巻き上げようとしてるんすけど、重くて上がんないんです!」
何を言ってやがんだ、と言おうとしてやめた。こいつらがこんな必死な顔で嘘などつけるはずがない。だとしたら俺が考えるべきことは、何が起きているのかということ。錨が上がらなければこの船は動くことが出来ない。つまり、俺たちをこの島から出さないつもりか?誰が?
「うおっ!?」
バタン、と大きな音がしたと思ったら上げていたはずの舷梯が下ろされていた。おいおい勘弁してくれよ、幽霊島なんざシャレになんねえだろ。
「船長!船長ー!」
また野郎どもの大きな声がする。下ろされた舷梯のあたりにいる奴らだ。なにやら舷梯の下を指差してこっちこっちと叫んでいるようだな、なんだ幽霊本体のお出ましでもあったのか?仕方ないから、そっちに様子を見に行ってやるとするか。
仕方なく行ったその先で俺の目に飛び込んできたのは、信じられないものだった。
「…テティ?」
下ろされた舷梯の下にいたのは、船から漏れた魔法灯の光に照らされた、テティだった。傍には手にランプを持った墓守がいる。チクショウ、お前か。舷梯の上からだとその表情はよく見えなくて、テティの顔も、よく見えない。
でも、だからといって俺の足は動かなかった。テティの傍に行ってしまえばきっと。
「カイル!」
息が、止まるかと思った。
「わたしを、置いていかないで」
がん、と頭を打つ。
「わたしを、カイルだけのものにして、他の誰にもよこさないで、カイルがそう言ったように、カイルがわたしを手に入れてよ!」
ああ、テティのこんな必死な叫び声は、あの時以来だ。甲板で、テティが不安を吐き出したあの時。
そうだ、俺はあの時そう言った。テティを俺だけのモノにしたい、他の奴によこしたくない、俺がこれを手に入れるんだと。テティを苦しめた奴らと変わらない、どす黒いことを。
「カイルだからわたしは、そうなりたいと願うの!」
それだけじゃない。俺は、俺はじじいと同じ、テティの気持ちを置いてきぼりにして。だから墓守はあんな目で俺を。
俺は、気づいていたのに。
「わたしはカイルに、ずっとついていきたい!わたしを、つれていって、わたしを、置いていかないで」
舷梯を駆け下りて、テティの体をぎゅうと抱きしめた。俺の背中が同じぐらい、強い力で掴まれるのがわかる。
俺は、ちゃんと気づいていたんだ。ただそれを不安が覆い隠して、見えなくさせた。
「テティ」
テティの、海を閉じ込めた青い目に、俺はちゃんと映っていた。俺の目にテティしか映っていないように、テティも、俺を見てくれていた。
「ごめんな」
そういうテティの気持ちに気づいていながら俺は、じじいと同じように、テティの気持ちを置いてきぼりにしようとした。その方がテティが幸せだ、そう言い訳をして。
腕の中でテティが、また俺の名前を呼んだ。そういうのは、反則だろ。
「愛してるよ、テティ」
そういう言葉が、我慢できなくなるから。
「覚悟しとけよ、海賊の愛は重いぞ」
冗談めいて聞こえるかもしれないが、こんな場面で冗談なんて言えねえよ。笑ったのは、むしろ余裕がないからだった。俺の腕の中で「カイルこそ」と返すテティは、俺より一枚上手だったのかもしれない。
「カイルは、月の無い夜が嫌いなの?」
二人きりの船室で、テティがそう聞いた。
結局、今夜の出航は諦めたのだった。それは、今日が月の無い夜だからじゃない。墓守が、沖は荒れていると俺に教えてきたからだった。まあたぶん、教えてくれる人たちがいるのだろう、その情報を疑う理由もないので今夜は出港せず船を港につないだまま一夜を過ごすことにしたのだ。
テティに、どうしてそう思う、と聞き返す。
「だってカイルは、月の無い夜に船を出したことは一度も無いから」
正直、驚いた。気づかれていたのか。そういう思いが顔に出たらしく、テティが俺の顔を見て笑うのが見えた。
「あなたのこと、ちゃんと見ているのよ」
少しだけ恥ずかしくて、テティから目をそらしてしまった。
「嫌いなわけじゃあ、ないんだな」
話し出して、そういえば月の無い夜のことを誰かに話すのは初めてだなと思う。マーリンには、母さんと妹の事は話したけど、月の無い夜のことまでは言ってない。
「ただ、怖かったんだ」
月の無い夜に、港を離れてしまうことが。
「俺の親父は、月の無い夜は船を出さない人間だった、そういう親父に船の乗り方を教えられたから俺も当然そうしたってのもあるんだけど、たぶん本当は怖かったんだよ」
辛いと、そう感じると思っていたのだが、俺の心は不思議と穏やかだった。きっと隣にテティがいるからだろう。
「高波が俺たちの村を、母さんと妹を連れ去ったあの日、あの日が月の無い夜だったら、俺も一緒にいけたのに」
ぎゅっと、手が握られたのがわかった。ああやっぱり、テティがいるから。
「月の無い夜がめぐって来るたび思い出して、海に出たら大切な人がいなくなるんじゃないかって、そういう気になって、海に出られなかったんだ」
そんなはずはないのに、月の無い夜だけは不安になっていた。
「でも、俺の大切な人は傍にいるから、もう怖がる必要はないんだよな」
不安そうなテティの顔を見つめて、笑いかけてやった。
俺の大切な人は、俺と一緒に、海の上にいる。いてくれるんだ。握られた手をそのままテティの頬へ持っていくとテティはくすくすと笑った。ああ、かわいいなあ、キレイだなあ。
俺はテティを愛しているんだなと、心からそう思う。
そうだな、明日になったら港を出て、それで、マーリンのところにでも行こうか。嬢ちゃんもセラの弟子も、ずいぶんテティのことを心配してくれていたから。ああ、でも、こんなにも魅力的なテティを見せびらかしてしまいたくはないなあ。いや、でも。
テティがこんなにも俺のことを愛してくれているんだということは、見せびらかしてしまいたいかもしれない。だから、テティ、明日はマーリンたちのところへ戻ろうと言うとテティはふふと笑った。頬に添えた俺の手に顔をすり寄せて。
「わたしはカイルについていくわ」
そう言うテティがたまらなく愛しくて、ああ、俺今、情けないツラしてるんだろうな。でもいいや、俺。
幸せだから。




