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 はじめに言っておくが、俺は寝込みを襲う趣味はないのである。

 だから夜更けに乙女の眠る部屋に侵入してその傍らにたたずみ、ささやかな灯りを頼りに寝顔を見下ろすのはそういうためじゃなくて、ただ寝顔が見たい、それだけが理由なのだ。

 適当な椅子を引っ張ってきてテティの眠るベッドの傍らに置くとそれに腰掛ける。そこから見下ろすテティの寝顔は、ただ眠っているだけなのに、美しいと思った。


 テティは、パパに会いたいと、言ったことはない。悲しそうな顔をするだけで、その顔を見ていたってテティが本当に、パパに会いたいと思っているのか、それはわからない。わからないが、とにかく連れて行くしかないだろう。パパが、どんな姿になっているかは、わからないけれど。

 パパのところに連れて行くと言ったらテティは、どんな顔をするだろう。

 驚くのか、嬉しそうにするのか、悲しそうにするのか、まぶたの裏に隠された青い海は、どんな風に揺れるのだろうか。



 ぺと、と指がテティの頬に吸い付く感覚がした。また、つい手が伸びていたらしい。

 テティが、起きる様子はないな、ぐっすり寝ているのか、よかった。なら、もう少しだけ。


 テティをパパのところへ連れて行って、それから、どうなるかね。

 テティは、パパの傍にいたいって言うかな。

 テティは。テティの心に。

 俺は、いなくなるんだろうか。









 ゆっくりと、意識を取り戻す感覚。

 あれ、ああ、寝てたのか。いて、いてて、首痛い。

 痛む首に手を当てると、体からぱさりと何か落ちた。おや、と思えばこれは、毛布?




「おはよう」



 鈴を転がしたような可憐な声が、起き抜けの頭を揺らした。驚いて声のした方を見ると、ベッドの淵に腰掛けたテティがこちらを見ている。ああ、そうか、テティの寝顔を見ながら寝ちまったのか。

 ぼうっとしているとテティから「まだ寝ぼけているの?」と言われてしまった。テティは、なんだか、笑っている気がする。どうやら俺がテティの寝ている部屋に侵入したことを怒ってはいないようだ、よかった。

 ようやく笑って、おはようテティと言うとテティはたしかに、笑った。

 ああ、その目に俺は、映っているのかな。

 テティの頬に手を添えると顔をぐっと近づけて、その目を覗き込んでみる。青い海を閉じ込めたその瞳。そこにはちょっと、不安そうな顔をした、俺の顔が映っているのが見えた。



「ちょっと、聞いてるの?」



 怒ったようなテティの声で、はっとした。

 ああ、目の前のテティの顔は、怒ってる。



「…ああ、ごめん」



 テティの怒っている理由を考えて、ああ、これかと思った。いつの間にやらテティの頬に手を添えてじっと見つめていたのか。テティの聞いてるの?という言葉からして何度か抗議の声をあげていたのだろう、それにすら気が付かないって、俺、やっぱりまだ寝ぼけてんのかな。



「少し、不安で、つい」



 まあ寝ぼけてるならそれでいいや、この少し不安な気持ちもきっと、寝ぼけてるせいだって言い訳できるから。「不安?」と声を出したテティの顔が、俺を心配してくれている、そう見えるのだってきっと。



「テティは、パパに会いたいか?」



 そう聞くとテティは驚いたように目を見開いた。それからぎゅっと唇を巻き込んで、目を伏せてみたり、ぎゅっと閉じてみたり。そうしてようやくテティは、静かに首を横に振った。



「パパは、わたしを置いて、一人で死に向かったの」



 ああ、テティは、ちゃんとわかっていたんだ。



「自分が死ぬそのとき、わたしを、傍に置いてくれなかった」



 テティは今にも泣きそうな顔をしているのに、その目から、涙は出ない。



「パパは、そう、望んでくれなかった」



 でも、テティは、泣いているんだと思った。



「パパがわたしに会いたくないのなら、わたしは」



 たまらず、椅子から立ち上がってテティを、ぎゅうと腕の中に閉じ込めた。テティは、何も言わない。ただそっと、背中に手が当たるのが分かった。ぎゅっと、俺の服を掴んでいる。

 あのじじいがどんな気持ちでテティを置いていったのか、俺にはわからない。わからないが、わざわざ化けて出てまでテティを守ってくれと頼むくらいだ、愛しているに違いない。

 だけど、そんなことはない、パパはお前を愛してる、会いたいに決まってるだろ。そんな気休めは言えない。

 だから。




「テティは、パパに会いたいのか?」



 テティはどうなんだと、聞いてみる。テティからしばらく返事はなくて、ただ背中に回されたテティの腕に、少し力が入ったのはわかった。



「……」



 それから、絞り出すような、小さな声で。

 たしかに「会いたい」と言ったことも。



「テティ」



 名前を呼んで、ぎゅうと抱きしめたままそっと髪を撫でた。



「パパにさ、文句、言いに行ってやろうぜ」



 腕の中でテティが「文句?」と言うのが聞こえる。やっぱり顔が見たくなってテティから体を離すと、テティは驚いたような顔をしていた。



「よくも置いていったなって、文句言うために会いに行くんだよ」



 少し意地悪そうに見えるよう笑ってやると、テティはしばらく俺をじっと見た後、ふっと笑った。ああ今、その青い海が、きらりと光ったな。



「あなたは、おかしな人」



 そういう顔で笑うテティは、とてもかわいくて、とてもキレイで。



「でも、だからわたしは、あなたについていくんだわ」



 テティを失いたくはないがでも、それ以上に、この笑顔を失うのが怖いから俺は。

 心の隅に芽生えた不安を、奥へ奥へとしまいこむのだ。











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