アンナリル
アンナリルは、幸福な女の子ではなかった。
それは、彼女がその名に姓を持たないことがそうだったかもしれないし、彼女の母親が彼女を産むために亡くなってしまったことがそうだったかもしれない。
小さな漁師町で生まれた彼女は、父親と2人で暮らしていた。父親は小さな食堂を営んでいた。アンナリルの父親は、妻を、アンナリルの母親を亡くして、食堂を1人できりもりをした。アンナリルはその間、父親に構ってもらえることはない。アンナリルは寂しかったけれど、平気だった。父親が働いているのは自分のためだと知っていたから。
だから父親が自分を1人置いて、海賊の船に乗っていってしまったときも、アンナリルは平気だった。
父親がそうしたのは、自分に貧しい思いをさせないためだと知っていたから。
町の大人はそんなアンナリルを見て、誰もが「かわいそう」とささやいた。大人たちはアンナリルの前でその言葉を口にはしなかったけれど、アンナリルは感じ取っていた。大人が自分に向ける同情の視線を。
けれど、アンナリルは平気だった。
アンナリルは、自分が「かわいそう」ではないことを知っていたから。
父親は、自分に貧しい思いをさせないために働きに出たのだ。だから自分は父親に思われている。それはとても幸福なことだ。それに大好きな幼馴染もアンナリルを「かわいそう」という目で見たことは一度もない。アンナリルにとってはそれがすべてだった。
アンナリルが17になったころ、父親から手紙が届いた。
手紙には、父が今王都にいること、騎士団の食堂で働いていること、そしてアンナリルと一緒に暮らしたいということが書かれていた。アンナリルは喜んだ。それから、泣いた。アンナリルはそのとき、平気だと思い込んでいた心が、砕ける音を聞いた気がした。
本当はずっと寂しかった。貧しくてもいい、ただ、父親に傍にいてほしかった。だってたったひとりの、家族なのだから。嬉しいときも、寂しいときも、どんなときだって家族が傍にいないのは、紛れもなく「かわいそう」なことだったのだ。
そしてアンナリルはこの時初めて気が付いた。いや、ずっと気が付いていた、知っていた。けれど目を背けて、見ないふりをして、ずっと心の奥に閉じ込めていた思い。
自分はずっと、幸福ではなかったのだということ。
平気ではなかった。たったひとりの家族が傍にいないのはとても辛いことだった。1人で働く父親に、ずっと構ってもらえなくて寂しかった。自分を、ひとり置いて行ってしまう父親が恨めしかった。町の大人たちが自分に向ける「かわいそう」という目が嫌いだった。まるで、娘に貧しい思いをさせたくないという父親の思いを否定されているようで、大嫌いだった。
アンナリルは泣いた。
泣いて、泣いて、そして空が白み始めたころ、もう一度手紙を見たアンナリルは気が付いた。
手紙には、王都で一緒に暮らそうという父親の文字。これからは、自分はずっと、幸福でいられる。
それに気が付いたとき、アンナリルの涙はようやく止まった。
アンナリルは幸福な女の子ではなかった。
けれど彼女はたしかに、幸福な女の子になった。




