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アンさんと初めて出会ったのは、俺が本部騎士団に配属された初日だった。
きっと、俺だけに向けたのではないのだろうけれど、初めて見たその明るい笑顔と「ようこそ」という歓迎の言葉がとても心に残ったことを覚えている。そしてそれを思い出すたびに、充実感に満たされていたことに俺は気が付いたのだった。
と、いうことを今俺は姉さんの親友が営むカフェのカウンター席で語らされているのだった。
隣には今まで見たこともないほど嬉しそうに微笑んでいる姉さん。そして目の前ではカウンター越しに、初めて会う姉さんの学生時代からの親友である女性が興味津々といった顔で俺を見ている。
どうしてこんな状況になっているのか、きっかけは、やはりというか、義兄さんだった。
義兄さん経由で俺の相談内容が姉さんに伝わったらしい。いや、まあ、初めから姉さんに相談するつもりだったからそれはいいのだけれど。義兄さんから相談内容を聞いたらしい姉さんは手紙で俺を自分の屋敷に呼び出した。そして俺が姉さんの屋敷に行くと、言われるままに馬車に乗せられ、どこに行くのかという俺の問いも答えてもらえず、このカフェへと連れられてきたのだった。
妙な緊張感のせいでのどがかわく。目の前に置かれたミルクティーを一口飲んだ。姉さんの親友がいれてくれたこのミルクティーはおいしくて、飲むと少し気分が落ち着くようだった。
「それで?ランスリッド、初めてその人と会ったとき、その笑顔を見たとき、あなたの胸はなんともなかった?」
俺がマグカップをテーブルに置くか置かないかというタイミングで、姉さんがそう言った。
あの時、初めてアンさんと出会ったとき、その明るい笑顔を見たとき、俺の胸は、心臓は。どうだっただろうか。自分の胸にそっと手を当てて考えてみる。そう、あの時。
「俺は」
なぜ、忘れてしまっていたのだろう。
初めてアンさんを見たとき、あの明るい笑顔を見たとき、俺の心臓はたしかに。
「心臓が、たしかにどくりと、鳴りました」
大きく、脈打ったのだった。
姉さんが俺の隣でふふと笑うのが聞こえた。見ると、姉さんはやはり今まで見たこともないほどの嬉しそうな顔で微笑んでいた。
「そう」
そしてとても優しい声色で、ささやくようにそう言った。
「ランスリッド、あなたはその気持ちが何かわからないまま、少しずつ、少しずつ恋をしていったのね」
いや、忘れてしまっていたのではなくて、姉さんの言うように、ただ、気づいていなかっただけなのかもしれない。
「だからわたくしも気が付くことができなかったわ、ランスリッド、あなたが恋をしていたなんて、気づいていればもっとはやくあなたの恋の話を聞かせてもらうことができたのに」
「でもそこで気が付いて焦ってたら、こんなに気持ちが育つこともなかったんじゃないかな、お互いに」
姉さんの親友はそう言うと、俺に向かって「ね」と微笑んでみせた。「お互いに?」と聞き返したのだけど、彼女は笑うだけで答えてはくれなかった。そんな彼女につられたかのように、隣で不満げな顔をしていた姉さんもいつの間にか笑っていたのだった。
「さすが、経験者は言うことが違うのね」
「ニーナ、からかってる?」
「うふふ、まさか」
姉さんが、こんな顔で笑うなんて。知らないことだった。よほど仲がいいんだなあ。
俺の知っている姉さんは、少しぼーっとしていて、普段は表情がとぼしくて、でも義兄さんを前にしたときだけは本当に嬉しそうに笑う、そんな人だった。だから、どこか他人のようだとまでは言わないけれど、俺のことなんかは、眼中にないのだという気持ちがあったのだと思う。
けれど。
「ねえ、ランスリッド」
俺の手を取って、目をみて俺に呼びかけてくれる姉さんは。
「あなたの想いは、口にして、伝えなければまるで価値のないものになってしまうわ」
姉さんは、たしかに、俺の姉さんだ。
「ニーナは相変わらずだね、えっと、ランスリッドだっけ?告白するかしないかは自分で決めていいんだからね」
カウンターの向こうからは姉さんの親友が呆れたように笑いながら、そう言ってくれる。正直に言ってその言葉は嬉しかった。ほっとした、と言うべきだろうか。
しかしどうやら姉さんはその言葉に不満があるようで、それを隠さない表情を彼女に向けた。
「まあキビったら、ランスリッドはわたくしの弟よ」
「いいじゃない、経験者からの助言だよ」
「まあ、根に持っているのね」
「なんのこと?」
けして会話の内容は穏やかではないのに、姉さんと彼女は顔を見合わせると笑いあった。とても、楽しそうに。そんな2人の様子を見ているだけで、俺まで楽しくなってきてしまう、そんな笑顔だった。
「姉さん」
俺が呼ぶと、姉さんは微笑んだまま俺を見て少し首をかしげた。うん?と聞くように。
「ずっと、言いそびれていました」
姉さんに、自分の抱く気持ちを恋だと教えてもらったあの日からずっと。
「姉さん、ありがとうございます」
俺は生まれて初めて、心から姉さんにこう言える、と思った。
「姉さんが俺の姉さんで、よかった」
姉さんは少し驚いたような顔をして、それから、また微笑んだ。優しく、嬉しそうに。
「ランスリッド、あなたは可愛い弟ね」
それから姉さんは、幼子にするように、俺の頬に手を当てた。
「ランスリッド、あなたはその人に夢中で、その人のことを想って眠れない夜を過ごし、その人の一挙一動に胸が締め付けられて、そして今、その人と思いを通わせたいと、切に願っているんだわ」
姉さんの手は温かくて、この温かさは、そう、母さんに似ている。
「可愛いランスリッド」
姉さんの、かつての家名だったカーマイン色をした瞳が優しく揺れて、たしかに俺を捉えた。
「あなたは、とてもステキな恋をしているのね」
はやる気持ちを抑えきれずに、俺は姉さんに送り出されたその足で騎士団本部へ向かっていた。心臓はすでにどきどきとして、落ち着かない。
食堂にたどり着くと、アンさんは、いた。
「あれっランス、どうした?」
キッチンの中から俺を見つけたアンさんは、とても驚いたようだった。でも、そんなアンさんの様子を気にしている余裕など、俺にはない。心臓は、ますます落ち着かない。けれど不思議と、頭は冴えているような気がした。
「アンさん、俺は」
初めて会ったその日から、ずっと。
「俺は、あなたに、恋をしています」




