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 ランスさんはわたしとアルベルトさんの会話を部屋の外で聞いていたのか、わたしを掃除屋様と呼んだ。

 単なるお客様につける敬称なのはわかるんだけど、なんだかそう呼ばれると緊張してしまう。それにわたしはランスさんと呼ぶから、またなんともいえないもやもやが残る。よく考えたらわたしは別にお客様でもないし。


「あの」

「はい」


 一歩先を歩くランスさんの背中に呼びかけると、ランスさんは振り返って立ち止まる。



「わたしのことは、掃除屋、さん、でお願いできませんか?」

「そう、ですか?」


 わたしの訴えにランスさんは目をぱちくりとさせた。いえしかし、と食い下がろうとするランスさんにわたしは畳み掛ける。そう、さっきのアルベルトさんのように。


「隊長もそう呼んでくださいますし、様ではちょっと落ち着かないので、だめですか?」


 するとランスさんは少し考え込んだ後、諦めたように、わかりましたと言ってくれた。

 それからランスさんはすぐには歩き出さずに、少し落ち着かないような様子で口を開いた。


「あの、自分からもひとついいでしょうか?」

「はい、なんでしょう」


 ランスさんはどこか神妙な面持ちでわたしをじっと見る。


「自分のことを、覚えてますでしょうか」



 そしてそんなことを聞いた。聞かれたけれど、わたしにはまったく心当たりがない。わたしが忘れてしまっているだけで実は会ったことがあるのだろうか、いやでもまったく覚えがないし、でも本当に忘れてしまっているのだとしたら失礼だろうか。そんなことが頭のなかをぐるぐるとめぐり、わたしは言葉を返すことができなかった。ランスさんはそんなわたしの反応から覚えていないと察して気遣ってくれたのか、慌てて、いいんですと言った。



「ほんの一瞬のことでしたから仕方がありません、自分から言い出したことですが忘れてください」

「で、でも」

「それに、自分の思い違いかもしれません」


 どうかお気になさらず、と言ってランスさんは笑顔を取り繕った。申し訳ないとは思うけれど、やはりそれでも思い出せないからわたしはランスさんの言葉に甘えることになってしまう。




 ランスさんはまず本部建物を案内してくれた。その最中にはどこを、どのように掃除してもらいたいかも説明してくれる。廊下など共用部分はもちろんのこと、本部建物は会議室のような部屋が多く、それらの部屋の掃除をお願いしたいということ。それからアルベルトさんの部屋やまだ見ぬ総長の部屋、書類仕事を行っている部屋など平常人の入っているところはこちらで部屋の空く時間を作り、その予定表は部屋に届けられているのでスケジュールを組み立てる際に考慮してもらいたい、ということ。


 ランスさんの説明を聞きながら部屋や廊下を観察していたわたしは、天井が高いなとしみじみ感じていた。大きな脚立を新調しておいてよかったなあ。窓ふきと四隅のほこり落としには脚立が必要だね。



「やはり上の方からなのですね」


 上ばかり向いているわたしにランスさんがそう言った。その顔は驚いたようなそうではないような、本当にそうなんだと言わんばかりの表情をしていた。



「はい、上の方に溜まったほこりが降ってきたりしますから、毎日とは言いませんが上は定期的に掃除したほうがいいんですよ」

「なるほど」


 ランスさんは関心したようにうなずいた。本当に、上の方を掃除する習慣が無いのか。ということは今は見上げるしかできないあそこにはどれだけのほこりが溜まっているのか。思わず生唾を飲み込んでしまう。もしかするとセラさんに特別に作ってもらったほこりバスターEXが火を噴くかもしれない。覚悟は、しておこう。



 次に案内されたのは宿直棟だった。

 宿直棟は3階建ての本部建物に対して5階建ての建物だった。まるで塔のように縦に長くそびえるさまは圧巻で、見張り台を思わせた。ランスさんの話によると当番が交代で24時間勤務をしていて、実際にも見張り台のような役割をしているらしい。

 各階は外階段でつながっていて、ひとつの階は本部建物の会議室とほぼ同じぐらいの広さしかない。その狭さがよりそう思わせるのか、整頓されているとは言えない部屋からは宿直勤務の過酷さが伝わってくる。わたしはこの宿直棟の掃除を優先させようと決めた。



 最後に案内されたのは、宿舎だ。

 横に長く広がる2階建ての建物は、やはりアパートを思わせた。宿舎だから、まあアパートと言っても間違いではないよね。

 宿舎の廊下を歩きながら、宿舎はひとつひとつの部屋を掃除してもらいたいということを説明された。まあ、2階建てだし部屋数はそこまで多くないので出来るだろう。ただ、団員のスケジュール上日時は指定されるそう。


「あらかじめこの日までに掃除をしておくようにと伝えているもので…」

「抜き打ちで部屋に入られたら困りますもんね」


 それはだいぶ前から伝えてはいるものの、ギリギリになってからしか取り組まないようなずぼらな団員のために日時は期間の終わりの方に設定されているそう。宿舎の掃除は最後になるのか。


「おう掃除屋!ん、もう宿舎の掃除か?おいおい、俺の部屋はまだひとつも片付けてねーぞ」


 前方からそのずぼらな団員が片手をあげて歩いてきた。



「ゴーロさん、部屋の掃除は伝えておいた日時通りですよ」

「はっは、考えてみりゃ今日ついたばっかりで仕事するわきゃねーよな」

「とはいえ部屋の片づけは早めに済ませておいてくださいね」


 すごい、ランスさんゴーロさんのあの凶悪な笑顔に対してひとつも怯んだ様子が無い。それどころか微笑みさえ浮かべている。もしかするとランスさんはただものではないのかもしれない。



「ゴーロさんはもしかして食堂帰りですか?」

「おう」

「もう人はほとんどいませんか?」

「そうだな、もう昼も終わりだろ」


 ゴーロさんはランスさんとわたしの顔を交互に見ると、なにか納得したような顔をした。



「これから掃除屋連れて昼飯か」

「ええ」


 昼飯、と聞いてわたしは急にお腹が空いていることに気が付いた。思わずお腹に手を当ててしまったのをゴーロさんに見られてしまう。


「っはっはは、今日のアジフライは絶品だったぜ」


 わ、笑われた。

 ゴーロさんは、じゃあなと言うと後ろ手に手をひらひらさせて去って行った。

 ランスさんがその見目麗しい顔に微笑みを浮かべる。



「それじゃあ、食堂に向かいましょうか」


 ランスさんが歩きながら、アジフライ、残っているといいですねと言った。

 いわしハンバーグは、またの機会になりそうだ。







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