第14話 突き返された家計簿と同時破産廃止
朝から胃がひどく痛んで、食事も喉を通らなかった。
今日は、俺のこれからの人生を大きく左右する、本当に重要な日だ。
駅の前で、ずっと俺を助けてくれている担当の弁護士と待ち合わせをした。
これから二人で一緒に、裁判所から選ばれた特別な権限を持つ「管財人」の事務所へ向かうのだ。
俺に隠している財産がないか、借金を作った理由が悪質なものではないか。
そして何より、本気で生活を立て直そうとしているか。
俺たちのような人間にとって、管財人は自分の運命を握る絶対的な存在だった。
重い扉を開けて事務所に入り、案内された部屋で管財人と真っ正面から向かい合う。
管財人の目は、どこまでも鋭く冷ややかだった。
机の上に広げられた俺の手書きの家計簿と大量の買い物の控えを、一枚一枚、無言でめくっていく。
紙をめくる音だけが響くその沈黙の時間が、永遠のように長く苦しく感じられた。
自分のこれまでの失敗を丸裸にされているような、強烈な恥ずかしさがこみ上げてくる。
その時だった。ピタリと、管財人の手が止まった。
「……ここの数字、合いませんね」
静かだが、氷のように冷たい声だった。
管財人の指先が、家計簿の片隅をトントンと叩く。
「この数千円の不明金は何ですか?買い物の控えもありませんし、どこに消えたのか、まったくわかりません。三ヶ月後に、最初から計算をやり直して、もう一度持ってきてください」
三ヶ月後。その言葉が、重い石のように頭を殴りつけた。
今日ですべての重荷が下りるかもしれないと、かすかな希望を抱いていた俺の心は、音を立てて崩れ落ちた。
終わりの見えない地獄が、さらに三ヶ月も延長されたのだ。
事務所の外に出た時、俺は情けなさで涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
「管財事件は、やはり厳しいですね……」
隣を歩く弁護士が、慰めるように小さくつぶやいた。
そう、俺の破産は「管財事件」という、管財人がついて厳しく調べられる一番面倒な手続きになっている。
なぜなら、俺には持ち家という財産があったし、それを手放したお金の動きなどを細かく調べる必要があったからだ。
でも、弁護士は手続きの最初に、こうも言っていた。
「もし、持ち家もなくて、貯金も財産も何一つない、本当に空っぽの状態で破産をするなら、『破産同時廃止』というものになる可能性が高いんです。それなら管財人もつかないし、こんな厳しい調査もないから、すごく簡単に手続きが終わるんですよ」
その言葉を思い出し、俺はハッとした。
そうだ。財産も何もないどん底の状態なら、こんなふうに管財人に家計簿を突き返されて、1円単位の不明金をごちゃごちゃと責められる地獄を味わわなくていいんだ。
何もない人間の方が、実はあっという間に、おどろくほど簡単に借金が帳消しになる。
だから、今、金も家も何一つなくて、これ以上生きていけないと首をくくろうとしているやつに、俺は声を大にして言いたい。
お前は、俺よりずっと簡単にやり直せるんだ。
何も持っていないことは、絶望じゃない。
破産の世界では、何もないことこそが一番身軽で、一番早く救われる切符なんだ。
俺みたいに、少しばかりの財産があったせいで管財人に絞られる苦労なんて、お前はしなくていい。
破産同時廃止という、おどろくほど簡単な道が用意されているんだ。
だから、絶対に命を捨てるな。
金も財産もないなら、そのままの空っぽの状態で、弁護士のところに駆け込めばいい。絶対に何とかなるから。
俺は、突き返された重い鞄を強く握りしめた。
俺には俺の、この泥臭い戦いがある。
あの狭い賃貸の部屋で待っている家族のために、三ヶ月後、絶対に完璧な記録を作って、この管財人にもう一度突きつけてやる。
生きていれば、必ずやり直せるんだと証明するために。
続く




